一潜に賭ける ―100kgのマグロにモリ一本で挑んだ記録

この連載について

100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。

第5回

人生を変えた一匹の巨大魚

2024年9月19日掲載

突き動かしてきたもの 

今、2024年9月頭。前回の寄稿からしばらく、東京にいた。友人達がフィールドに連れ出してくれ、それまで知らなかった地球の遊び方を知った。おかげさまで、マグロ遠征後すっかり空っぽになっていた心に少しずつエネルギーが満ちてきた。「海で獲物を追いたい」という渇望が、むくむくと首をもたげ、やがてそれは抗い難いほど大きくなり、南へ向かった。狙いはスジアラだ。最大1mほどになるやや大型のハタ科魚類で、仕留めるまでの駆け引きが難しく、なかなか手銛の射程圏内にまで近付かせてもらえない。とてもやりがいのある、僕が大好きな獲物だ。中でも、去年仕留めることができなかった「ボス」を、今年こそは仕留めたい。

 静かに海へ入る。しばらくして僕の目に飛び込んできたのは、朝日を浴びて輝く、幾層にも重なったベイトフィッシュの大群だった。ソウダガツオに追われ、一挙に逃げ惑う様子は、さながら一つの巨大生物のよう。生命のたまて箱のようなその光景に、たちまち夢中になった。あたりを見渡すと、遠くに、一際大きなスジアラがいた。スジアラが尻尾を振るたび、体表に「スジ」が隆起する。シワシワに老成した大きな尾鰭が、もう、たまらない。ヒラヒラと思わせぶりなそぶりに、僕はあっという間に深場の落ち込みへと誘いこまれてしまった。なんとか駆け引きを制し、無事に水面へと上げてきた時、それは僕がスジアラ突きで最も好きな瞬間だ。夏の強い日差しを浴び、腕の中で美しく朱色に輝くスジアラは、まさに「赤仁(※1)」の名にふさわしい宝物だ。感動は最高潮に達し、泣きそうになった。生きるって、最高だ。連日、激しい潜水でカラカラになるまで自分を使い果たし、心の底から満たされた。

朱色に輝くスジアラ

 身体の芯まで染み込んだ気だるい疲労感と、魚を絞める際にエラで切り裂かれ腫れ上がった指先が、大物と勝負を重ねた証拠だ。いい魚突きができた時、こうした心地よい余韻がしばらく残る。数日して傷が癒える頃、僕の頭はようやく来年のマグロ遠征に向けて切り替わってきたのだった。

 今まで、こうして数え切れないほど海に出てきた。しかし、胸に湧き上がる海への想いは、いつだって「初めての日」と変わらない、極めて単純で純粋なものだ。一方、魚突きはというと……初めからここまでの情熱を抱いていたわけでは決してなかった。一体、どのような出来事が、僕を今の場所まで運んだのだろう? 今回は、魚突きデビューから、後に人生の方向性を決定付けた一匹の魚との出会いまでを振り返り、綴ろうと思う。

はじめての素潜りで過呼吸に

 2014年4月、僕は洋上にいた。当時、東京海洋大学の新入生は、まず大学の実習船「青鷹丸」で数日間にわたり航海実習へ連れていかれる。東京のど真ん中にあるキャンパスには桟橋があり、我々を乗せた青鷹丸はそこから出航した。僕にとっては生まれて初めての船だ。眼下の海は、仄かに悪臭を放つ泥色から緑、やがて湾を出る頃には深い藍へと変化した。僕はそこで、生まれて初めて「黒潮」と出会った。エンジンは唸りを上げ、舳先が海を割って進んでいる。海鳥たちが並走し去っていく。すれ違うコンテナ船には、一体どんな人が乗っているのだろう? 洋上で感じる全ては僕の想像力を掻き立てた。一瞬たりとも取り漏らしたくなくて、ずっとデッキ上に寝転んでいた。眼下では、砕けた水面が轟々と渦を巻きながら、瞬く間に後方へと消えていく。今ここで柵を越え、デッキから海へと飛び込めば、誰に悟られることもなく、海の藻屑として消え失せるのだろう。あまりの海の広さを、身を以て実感した。同時に、己の小ささを突き付けられた最初の体験だった。海はどこまでも澄み渡り、当然海底までは見通せない。この下には一体どんな世界が広がっているのだろう? それをこれからの四年間で学んでいくのだ。期待で胸がいっぱいになった。眼前にはどこまでも「自由」が広がっていた。気づけば、潮風で全身がベタついていた。それも「海の男」になった証のようで、誇らしかった。

 週末には、魚突きサークル「Buddy!」の新入生歓迎会が三崎の油壺で行われ、僕は初めて海へ入ることになった。今回は水面を泳ぐだけだったが、説明をちゃんと聞いていなかった僕は、なんと波打ち際で溺れかけてしまった。しかも4月の海は想像よりかなり寒く、ちっとも面白くなかった。しかし周りの新入生はおかしなやつばかりで、先輩から借りたウェットスーツに早速大便を漏らす奴、磯遊びにハマりすぎてどこかへ行ってしまい先輩に怒られている奴などがいた。初めての海体験は散々だったものの、同級生が面白かったので、とりあえずこのサークルへ入部することに決めた。

 早速、GWには先輩たちに離島へ連れてこられた。正式に入部を決めた新入生は、ここで先輩たちの魚突きを見学させてもらう。初日は、キャンプ場脇にある巨大なタイドプール(※2)で、素潜りの練習だった。水深は3mほどだろうか、油壺の海と違って水は澄み渡り、サンゴや色とりどりの熱帯魚たちが陸からも見える。いよいよ初めての素潜りだ。ウェットスーツを着てフィンを身につけ、水中眼鏡越しに海中を覗き込む。すると……なんとそこから動けなくなってしまった。呼吸が早くなり、整わない。足の付かない場所で泳いだことがなかった僕は、溺れるのが怖くなり、生まれて初めて過呼吸になってしまったのだ。自分よりずっと小柄な女の先輩が心配そうに様子を伺ってくる中、岸壁から手を離すことができない。「自分に素潜りは無理だ」とショックだった。

魚突きデビュー

 島から戻ると毎週末、先輩たちから素潜りの手ほどきを受けた。初めの頃は耳抜きが上手く出来ず、あまりの耳の痛さと不快感で、2mも潜れなかった。「自分は海に向いていないのか」とまで思ったが、何度か練習を重ねると、7〜8mほどならなんとか潜れるようになった。同級生の中でも水泳経験者や素潜りを元々やっていたやつなどは、すでに15m以上潜れていた。夏も近づいてくる頃には「手銛の作り方」を教わった。市販品もあるが、「新入生はまず自作すべし」というサークルの慣習があった。ゴルフシャフトを継ぎ合わせて作るので、大量のゴルフシャフトが必要になった。同級生たちは放課後、スキーショップを周って不要品シャフトをかき集め、それを体育館裏のぼろコンテナ(通称”部室”)であーだこーだ言いながら繋ぎ合わせていた。僕にはこだわりもなかったので、皆が選ばなかった余分なシャフトを適当に組んだ。手銛のモリ先(羽根式という構造だ)やゴム、その他必要な装備一式も、同級生が悩んで選んだものを一緒に揃えてもらった。一月ほどして、初めての手銛が完成した。

 7月に入り、先輩によって離島遠征が計画された。新入生はようやくここで魚突きデビューである。毎週の練習の成果を発揮し、いよいよマイ銛が火を噴く時が来た!という周りの高揚感に影響されて僕も沸き立っていたが、今振り返れば、魚突きというより、単に皆と島に行けるのが楽しみだったのだろう。そうした温度差は、海に入れば結果として如実に現れることになる。初めて銛を持って潜った時、普段練習していた時と感覚が違いすぎて驚いた。長い銛は水中で大きな抵抗となるため、扱いには慣れが必要なのだった。潜るだけで四苦八苦している僕をよそ目に、早速同級生たちは、ミギマキやアカハタ、タカノハダイなどの魚たちを見事に仕留めてきた。幼少期から釣りや素潜りに親しんできた彼らは、まさに熱狂していた。しかし、皆が突いてくるせいぜい数十センチの獲物を、自分も獲りたいとはあまり思わなかった。

 キャンプの食卓には、連日のように立派な刺し盛りや寿司などが並んだ。皆、魚を食べるのも大好きで、魚を自力で仕留め、捌き、料理して食べることに感動していた。一方僕は、スーパーの鮮魚売り場で匂いにえずくほどに魚慣れしておらず、また魚を食べるのも特段好きではなかった。そんな小さなところにも、温度差を感じていた。

 遠征の終わりが近くなった頃、いつものように海から上がり同級生を待っていると、同級生の一人がでかい魚を持って崖を上り、帰ってきた。70cmほどある、大きなヒラメだった。その魚をみた時、「こんなに大きな魚もいるのか!」と感動した。陸上に上げた時、大きな魚だけが持つあの特別な存在感。これはおそらく、そこにあるはずのないという場違いさからくる一種の「違和感」なのだろう。興奮が落ち着く前、すでに「こんな大きな魚を突いてみたい」と思っていた。思えば、これが初めて自分の中に「魚を突きたい」という感情が生まれた瞬間だった。

 翌朝、30cmほどのタカノハダイを突くことが出来た。それまでに何匹か魚を仕留め損なっていたので、ようやく手にした初漁獲だった。しかし、銛を持ってバタバタと魚へ一直線に向かい、5mほどまで潜ったらすぐに苦しくなって浮上…という有様の自分にとってすら、早朝に岩の上で寝ていたタカノハダイを突くのは簡単だった。正直、感動するというよりも「こんなものか」と拍子抜けしてしまった。海から上がると、他の同級生も同じタカノハダイやらハリセンボンやらを突いていた。記念撮影をした時、自分も皆の仲間入りができた気がして、嬉しかった。タカノハダイは先輩にやり方を教わりながら捌き、皆で食べた。どうやって食べたのかまでは記憶にない。

 その後、何も獲ることが出来ないまま夏は瞬く間に過ぎ去った。この頃になると、サークルメンバーの間には特別な絆が生まれつつあるのを感じていた。Buddy!では海に潜る際に、2人一組でペアになって交互に潜る。こうしてペアを組む(バディを組む、ともいう)のは事故を防ぐためだ。遠征先で海にいる間、バディとはお互いに命を預け合うことを繰り返し、信頼関係が出来上がりつつあるのを感じていた。

「巨大な絨毯」との対峙

 11月の遠征でのこと。思えば、ここでの体験がその後の自分の魚突きの方向性を決めたと言っても過言ではないかもしれない。あれは遠征の中日、今回のバディである同級生の一人と泳いでいると、突然、どこからともなく巨大な絨毯(のように見えた)が僕の真下にヒラリと舞い降りた。みたこともない、巨大なヒラメだった。その瞬間、僕は全身の血液がカッと頭にのぼるのを感じ、視界がキュッと狭まって”獲物”しか見えなくなった。大きく息を吸い込み、一直線に潜る。心臓はバクバクと大きな振動で拍動した。息が苦しかった。あっという間に魚は目の前に近づいたが、経験が浅い僕はどこに銛を撃ち込めばいいのか分からない。とりあえず真ん中を狙ってゴムを引き、放った。銛は狙いを逸れ、腹部に当たった。魚は苦しげにバタバタと脈打ち、銛の後端を握りしめた僕もろとも、一気に海中へひきづりこんだ。慌てて脚に力を込め、全力で海面を目指した。水面に到達した頃、掌越しに感じる魚の振動はさらに大きな周期となり、僕はそれに耐えられなかった。その時だった。魚はひときわ大きく体をよじったかと思うと、銛から逃れようと自ら腹ワタを引き裂き、逃げ去った。

 海面に上がり、しばらくは荒かった呼吸がようやく落ち着くころ、目の前で起きた出来事がいまだに飲み込めないでいた。千載一遇のチャンスを逃してしまったという事実が、受け入れがたい。一体なにが起こった? 全てが一瞬の出来事だった。あの力の強さはなんだ?ほんの一時だが、僕を海底へと確実にひきずり込んだ……振り返ると、相手の力強さに戸惑ってしまっていた。それは命の駆け引きに僕が敗北したことを意味していた。掌越しに感じたあの振動は、獲物の生命の輝きそのものだった。

 銛を海底から引き上げると、その銛先は綺麗に90度曲がってしまっており、かろうじて繋がっている状態だった。魚の力は、こんなにも強いのか。悲しさと情けなさが入り混じった、苦い感情になった。それは苦労して作った僕の相棒が壊れたからではない。

 あの魚を仕留めるには、自分は、何もかも足りていなかったのだ。あの強烈な振動は、魚から僕に対する、命懸けのしっぺ返しだった。銛を放つということが互いにとって意味することを、そしてその結末を、僕は理解していなかった。命を奪おうとする覚悟が、足りていなかった。そして、そんな不完全な状態にもかかわらず、分不相応にも美しい巨魚に勝負を挑み、致命傷を負わせて取り逃す結果になってしまった、自分の身勝手さや浅はかさに、どうしようもない悲しみとやるせなさが湧いてきた。

 程なくして相方が、逃げ去った魚を見事に仕留め、戻ってきた。座布団ほどある大物だった。自分より潜れ、魚も上手に突く彼ならば、このヒラメを一発で仕留められたかもしれない。しかし魚は、彼ではなく僕の目の前に現れた。そして僕が銛を放ったが、仕留めきれなかった獲物を、相方がしっかり回収してきた。二人で力を合わせて、自分の力が及ばない巨魚を仕留めたことで、相方に対してこれまでと違った形での精神的な絆を感じもした。

 この時、ようやく僕は魚突きという行為の中に、自分なりに「大切にしていきたい価値観」の一端のようなものを見つけたのだと思う。それまで全てが他人任せで、海と本気で向き合うことができていなかった自分にとって、それは光り輝くダイヤの原石のように感じた。あの時のヒラメがくれた経験というのは、驚くほど純粋なものだった。圧倒され力負けはしたが、あの瞬間、僕は全力で生きていた。自らの生を全力でぶつけ、ヒラメはそれに応えてくれた。「あんな瞬間をまた重ねたい。」それは、それまでの短い人生では、およそ感じたことのない類の強い実感だった。沢山魚を突きたいわけではない。食べて美味しい魚を狙いたいとも思わなかった。僕は、納得のいく一匹の大物に、本気で挑んでいきたい、そう思ったのだ。

※1:赤仁……スジアラの沖縄地方での地方名。沖縄では三大高級魚の一つとして、昔から現地の人々に重宝されてきた。赤い仁、つまり赤い宝物という意味である。

※2:タイドプール……潮が引いた際にできる海水の水たまり。しばしば生き物が取り残されるため、磯遊びの舞台となる。

著者プロフィール
小坂薫平

1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り55m、息止め6分30秒。