一潜に賭ける ―100kgのマグロにモリ一本で挑んだ記録

この連載について

100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。

第6回

フィリピンでのトレーニング合宿

2025年2月17日掲載

今、2025年2月14日。海辺に面したアパートの2Fで、この連載を書いている。気温は23度、肌を撫でる湿った海風が心地よい。テラスの目の前には真っ暗な海が広がり、遠く数キロ先にはポツポツと漁火が瞬いている。穏やかに絶え間なく打ち寄せる波の音の合間から、コオロギの鳴き声が途切れ途切れ聞こえてくる以外、周囲に音はない。

先月から、フィリピン・バタンガス州の小さな村に滞在している。マニラから車で5時間ほど南下し、最寄りのマビ二と言う街からさらにバイクで15分ほど海辺を走ったところ、急峻な斜面の谷間を下った先に、カラフルで小さな家々が身を寄せ合う、ごくごく小さな村がある。その一角に、イアンというフィリピン人インストラクターがやっている小さなトレーニングベースがある。外国人は僕らだけしかおらず、週末にポツポツ、マニラから生徒が来る程度。鶏の声で目覚め、日中はトレーニングに励み、波の音を聞きながら眠る、そんな毎日だ。

フィリピン、マビニの村

「生物としての強さ」を求めて

遡ること昨年12月頭、僕は日本国内で魚突きをしていた。強い北風が吹き荒れた後に海へ出ると、ウェットスーツのゴム生地越しに、冷気がヒタヒタと侵食してくる。海全体がじんわりと冷気で包みこまれていた。数日前まで、あれほど懐っこく周りを取り囲んでいたグレやイサキの群れが、些細な音でバッと散ったとき、僕はここの海にも、陸上から少し遅れて冬が訪れたことを悟った。

冬は、僕にとってトレーニングの時期だ。次のシーズンに向けた大切な準備期間。一年を振り返り、ハンターとして自分に足りなかったものを思索する。「100kgのイソマグロ」に向け改めて身体を鍛え直し、同時に、こんな場所に潜りに行こうとか、こんな獲物も狙ってみたいなとか、誰々と一緒に潜りたいなだとか、来季の構想をぼんやりと練る、そんな時間だ。それは、海と向き合うというより、自分と向き合う時間とも言える。

とはいえ、初めからトレーニングをしていたわけではない。「100kgのイソマグロ」という究極のターゲットを追いかける中で、その時々で自分に足りないものを海に、そしてマグロや出会った魚たちに教わってきた。そうやって僕は自然とフリーダイビングに辿り着き、毎年必ず一回は海外へ出て最新の潜水理論に触れるようになり、いつしかスピアフィッシングのためにトレーニングをするということが自分のスタイルになっていった。

「マグロを獲るためのトレーニング」なんてものは世界中探してもどこにも存在しないので、全てが手探りだ。僕が今やっていることも、正解かどうかわからない。

そこで僕が大切にしている概念が、「生き物として強いかどうか」だ。この考えを軸に自分の中に構築された「強いスピアフィッシャー」なる理想像があり、いかにそこへ近付けるか、を常に考えてきた。いきなりぼやっとしたことを言い出して、こいつはふざけてるんじゃないかと思われそうだが、僕は至って真剣だ。「生物として強い」とは、「人間として持って生まれた能力を全て使い尽くすことができる状態」であり、つまるところ「様々な状況に対応する力」と言い換えられるかもしれない。それは僕が、自分よりもはるかに力の強い巨大な魚たちに身一つで挑んできた中で辿り着いた考え方であり、海という予測不能のカオスに身を投じ、そこで生き抜く上で必須のものだ。例えば、単に深く潜れるだけではダメで、長距離を走れる、重いものを持ち上げることができる、さらには飯をたくさん食えるとか、どこでも寝ることができる、どこでも一人旅をすることができるとか..….そんな具合である。より「強い」自分でイソマグロに挑むことができたら?を想像するのが好奇心の源泉であり、トレーニングのモチベーションであり、思考回路のモノサシになっている。

仮説を立て、実際にトレーニングに取り組み、数値を測ってその変化を記録、考察していくのは、さながら自分の身体で実験しているようで、とても面白いものだ。

水深55mの壁

昨年までの自分の大きな課題は、「水圧への適応」だった。水深55mへ素潜りすると、肺や気管から出血してしまうのだ。これはフリーダイビングを始めた2019年からずっと改善できずにいた、最大の課題だった。海に素潜りすると、水圧という形で圧力が身体にかかる。その結果、肺や気管といった空気で満たされた呼吸器は水圧で圧縮される。水圧は10mごとに1気圧ずつ増えていくので、大体水深55m潜ると6.5気圧、つまり地上の6.5倍の圧力を身体は受け、呼吸器は約15%の容積にまで圧縮される。この時、僕の呼吸器が水圧に負けてしまい、肺胞やその粘膜が傷ついたりした結果、どこかしらから出血するということを繰り返していた。これはとても厄介だった。なぜなら水中では怪我の瞬間を認知することができないからだ。初めてこの深度に到達した時から、水深55mに挑戦して海から上がってしばらくすると、必ず血痰がでて、そしてその後に強烈な倦怠感と息切れに襲われる。海外の有名選手にコーチについてもらったり、自分なりに様々な方法を試してみたものの、一向に改善しなかった。まるで海に「お前はここまでだよ」と拒まれているかのようにも感じられ、いつしか水深55mに挑戦することがとても怖くなってしまった。

しかし昨年、根気よくトレーニングを継続した甲斐があったのか、この壁を突破することができ、4年ぶりに自己ベストを大幅に更新し、記録を水深70m近くまで伸ばすことができた。肺からの出血も起こらなかった。特別なことは何もしていないが、自分自身の身体について、トレーニングについて、そしてこの厄介な存在と、自分なりに上手く付き合っていくやり方をこの4年間で学んだ。

魚に負けない脚をつくる

今年のテーマは、「強い脚を作る」ことだ。

去年一年を振り返ると、ハンターとして大きく成長できた実感があった。フリーダイビング・トレーニングで記録を伸ばせたこともあってか、実際に漁をする水深も一段階深くなった。一方で、新たな課題も見えた。昨年秋、遠征先のスペイン・カナリア諸島でのこと。アバデ(Island Grouper)という、カナリア諸島を象徴するとても美しい中型のハタを現地の友人と狙いに出かけた。ハタ類は突いた後に海底へ向かい、岩穴へ逃げ込もうとする。こうなってしまうと回収が非常に困難になるので、なるべく一息で魚を海底から引っこ抜かねばならない。その時は2ktほどの速い潮流がある状況だったが、水深28mの深場へ潜り、手銛でアバデを突いて海底から引き剥がし、潮流に逆らって浮上する際に、決定的な脚力不足を感じたのだ。陸上での純粋な脚力というより、潜水時間が長くなり体内の酸素が少なくなってきた状態で、魚に負けない強い脚が必要だった。ここに、スピアフィッシャーとしてもう一段階成長するためのヒントがあると強く実感したのだ。

12月、魚突きシーズンを終えた僕は東京に戻った。国内外で共にトレーニングに打ち込んできた友人のフリーダイバー・寺島拓也(てらじ)(※)に、冬場のトレーニングについて相談した。すると彼は「バタンガスにいる」という。聞いたこともない場所でシーズン前の大事なトレーニングを行うことに不安要素がたくさんあったが、彼が「ここは最高だ」というので、バタンガスをトレーニング拠点に選んだ。

フィリピンでのトレーニング・ルーティーン

そんなわけで今年のトレーニング合宿が始まったわけだが、ここでの暮らしを紹介しようと思う。まず、朝は大体7時半ごろに目が覚める。村の鶏たちの声と、裏の家のおばちゃんの声がうるさいので、どうしても起きてしまう。タガログ語は分からないのだが、朝の食卓の会話だろうか。

起床後は、ヨガの動作で肺と内臓のストレッチをする。呼吸に意識を集中し、肺を取り巻く横隔膜と肋間筋、そして体幹部の筋群を入念に触りながらほぐしていく。これは、水圧に負けない柔軟な体幹部と、肺活量向上のために一年中欠かせないルーティンだ。

午前中は、ゴールデンタイムである。代謝が低く、胃が空っぽなので、酸素消費が少なく、強度の高い練習が集中してこなせるからだ。最近はプールで平行潜水(DYN:ダイナミックと呼ぶ)をすることが多い。幼少期から泳げなかった僕にとって、プールは長年避け続けてきた場所だ。正直、プールにいるだけで気分が悪くなってくる。わざとらしく水色に塗られた壁面などありとあらゆるものが人工的で嘘くさい。おまけに水は全く塩っぽくなくサラサラしており、これも海ばかり入ってきた自分にとってはとても不自然に感じる。水があるのに生物の気配は一切感じられず、魚もいないしで全くテンションが上がらない。技量レベルも低いので苦しんでいるが、その分小さな改善点で記録が伸びるので、やりがいもある。

昼前にはプールを上がり、帰路につく。途中、売店でココナッツを割ってもらう。一個35ペソ(百円ほど)で、電解質を補給、と言えば聞こえはいいが、結局は美味いから飲んでいるだけだ。売店のおばちゃん曰くココナッツを買うのは自分だけらしく、わざわざ自分のために仕入れてくれているらしい。外国人がほとんどいない場所で、突然毎日ココナッツを買い出す謎の日本人にも、村の人はとても親切にしてくれる。

売店で買ったココナッツ

家に戻ると、昼食を自炊する。枯渇した身体に、最短でエネルギーを補給せねばならない。炊飯器はないので、鍋で米を炊く。こちらの米は淡白でボソボソしているので、モチモチで口に含んだ瞬間にエネルギーが湧き出る日本の米が恋しい。食事は大抵ありったけの野菜と卵をぶち込んだチャーハンだ。胃が落ち着いたら2〜3時間ほど昼寝をして回復にあてる。

夕方に起きて、今度は海でのトレーニング。海トレは、様々なものを行うが、こちらへきてからしばらくは水圧への適応に重点を置いて、息を吐いて潜るメニューを反復してきた。二週間ほどして感覚が良くなったので、こちらにきてから思いついた「vsマグロメニュー」を昨日からやっている。まず、水深40〜50mほどまでゆっくりと潜航し、海底である程度苦しくなるまで過ごす。その後、少し早めのペースでフィンキックで上がるというものだ。これも、低酸素下で動ける脚を作る練習として取り組んでいる。

終わったらちょうど日没くらいの時間だ。穏やかな湖面のように連日凪のバラヤン湾に沈む、巨大なオレンジ色の太陽。時折、アウトリガーの小さな木製漁船が、優しいエンジン音を伴い、夕日に染まった海面を滑っていく。陸に目を移せば、こちらの木々は日本のそれと違い、色が濃く、密度も高い。小さな林が、いちいちジャングルじみている。全体的に彩度が高くエネルギッシュな夕景に、自分が故郷から遠く離れた熱帯にいることを実感させられる。第二次大戦時、フィリピンは激戦区だったと聞く。徴兵され故郷からはるばる出征してきた自分と同年代の兵士たちも、同じような光景を眺めていたのだろうか。

夕日を眺めた後は、市場に買い出しへ行く。最近のお気に入りは、シカクマメとゴーヤだ。シカクマメは日本で以前、友人Yちゃんが料理で出してくれたのがとても美味しかったので買っている。扱いが楽で日持ちし、コリコリとした食感が堪らない。これらを入れて作るのは、またしてもチャーハンだ。これにインスタント味噌汁を追加。疲れているので、その後は波の音を聴きながら眠りに落ちる。

これらの中に、陸上での息止め(ドライスタティックと呼ぶ)、そしてウェイトトレーニングとジョギングを混ぜている。

ドライスタティックは、長く息を止めれる方が「強く」「かっこいい」と思うのでやっている。去年と比べて同じメニューをこなした際のspO2(血中酸素飽和度)が15以上も高く、成長を感じている。息止め7分台も視野に入ってきた。機会があれば、合宿中に自己ベスト更新にも挑戦してみようかと思う。ジョギングも同様、長く走れた方が「強い」と思うのでやっている。

こうして大体3〜4日トレーニングして、一日休みという感じで回している。それぞれのトレーニングは、組み合わせの相性が悪かったり、順番が前後するとうまく行かなくなる。例えば、ウェイトトレーニングの後、2日間は脚が張っているので、あまり脚に負荷の高くないメニューを当てる、とか、午前中に息とめをした後に強度の高いメニューをすると、肺が疲れているのでうまくこなせない、など。それぞれの匙加減は自分の身体を使って実験し編み出した「秘伝のタレ」のようなもの。前述のように食事のタイミングとの兼ね合いもあり、ゆったり過ごしているようでいて意外と時間の使い方はシビアだ。

1月中旬からスタートした合宿も残すところあと三週間ほどとなった。(息を止めまくっているので)全体的には苦しい思いをしている時間が占める割合が大きいものの、とても素晴らしい環境で、気の合う友人たちと自分のやりたいことをとことん追求できるのは、本当に楽しい時間だ。次回は帰国前後のタイミングで、この合宿を振り返りたいと思う。

※:寺島拓也:2020年にギリシャで出会って意気投合し、その後も国内外で共にトレーニングを重ね、時に共に魚を追いかけ、時に共にフリーダイビングの大会を運営し、そして最近は僕にロッククライミングを教えてくれたりもしている。100mを目指して鍛錬を続けているストイックな男。

著者プロフィール
小坂薫平

1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り55m、息止め6分30秒。