一潜に賭ける ―100kgのマグロにモリ一本で挑んだ記録

この連載について

100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。

第2回

職業、スピアフィッシャー

2023年12月27日掲載

「素潜りでマグロを獲る」と前回聞いて、正直さっぱり意味が分からなかった方もいたに違いない。冷静に考えて、ほとんどの人は海に入ったことはあっても素潜りをしたことはないだろうし、ましてや仄暗い海中で自分より大きな魚にギロリと睨まれ、身がすくんだ経験とは無縁の人生を送ってきたはずだ。

ということで今回は簡単に自己紹介と、僕が何をしているのかを説明しようと思う。

僕の名前は小坂薫平、スピアフィッシャー、あるいは素潜り冒険家とか名乗っている。大きな魚を狙って素潜りで海に入り、魚を突く。大体、年間200〜250日を世界中の海で過ごしている。

スポンサー費の他に、遠征の合間に素潜りの講習会をしたり、漁船や釣り船でアルバイトをしたり、潜り機材を提供してもらっているヨーロッパメーカーの代理人としてウェットスーツなどの購入のアドバイスをしたり、あるいは以前勉強して習得したWebデザインの案件をこなしたりしながら、なんとかかんとか活動費をやりくりしている。常にかなり危うい状態なので、やりくりできていると言っていいのかは疑問だが。

カナヅチ少年の夢

幼少期、僕は外遊びが大好きな少年だった。近所の森や草原を駆け回り、クワガタやキリギリスを夢中で追いかけていた少年の好奇心は、成長とともに森から「海」へと向けられていく。東京の郊外で育った僕にとって、「海」は決して身近な存在ではない。それどころか僕は大人になるまで、プールで25mすら泳げなかった。

「広大な海の底には一体何が広がっているのだろう?」

自分の目で見ることも、泳ぐこともできなかったからこそ、憧れた。気が付けばカナヅチ少年の将来の夢は「海洋学者になる」ことになっていた。

期待に胸を膨らませ、意気揚々と東京海洋大学に入学し、ひょんなことから「素潜り魚突き」という世界に出会った。そこで計画が狂ってしまったのだ。とびきり海を愛する同世代の友人達と一緒になって日本中の海を潜るうち、「世界中の海を知りたい!」という思いは、いつしか膨張して抑えることができなくなった。ちょうどその頃、日本人として初めて魚突きの世界記録を樹立したことも重なった。卒業後は一度も就職せず、ずっと海に潜る生活を続け、先月、めでたく(?)28歳の誕生日を迎えた。

素潜り魚突きとは

写真:Koh Yamaguchi

「素潜りで海に潜り、魚を突く」――これが僕のライフワークだ。

魚突きとは文字通り、道具を魚に突き刺して仕留める漁法である。道具には大きく分けて、手銛(法律上は”やす”と呼ぶ)、水中銃という二種類の漁具がある。手銛というのは、早い話、ただの長い一本の棒だ。後端にゴム紐が付いており、それを腕力でひき、握って堪え、狙いを定め、撃つ。先端はカエシ(返し)のような構造になっており、うまく魚に当たると外れないようになっている、とても古くからある原始的な道具だ。

一方、水中銃はより効率的に魚を仕留めることに特化した、比較的新しい道具だ。長さ1〜2mほどの柄の後端に設置された引き金を引くことで、1mほどある矢のようなモリが飛んでいき、魚に刺さる仕組みになっている。手銛と比べ、より遠くにいる、より大きな魚を、より安全に、より効率よく、確実に仕留めることに特化した道具だ。

僕が使っているのは、前者の手銛だ。

この手銛を使った魚突きを、素潜りで行う。素のまま、つまり最小限の装備で海に潜るのだ。身に付けるのは、ウェットスーツ、足ヒレ、水中マスク、スノーケル、グローブだけ。スクーバ・ダイビングと違って空気ボンベを使うことはない。使えるのは、海面で肺に吸い込んだ、己の一呼吸分の酸素のみ。海に潜り、海底で魚を探し、待ち、追いかけ、そして手銛のゴムを己の腕力と握力で引いて狙いを定め、仕留め、海面まで上がってくる。ここまで一連の動作を、全て息を止めて行う。

世界のスタンダードで言えば、手銛とはあくまで小さな魚を獲る道具だ。理由は単純で、水中銃の方がより効率よく大きな魚を仕留めることができるから。小柄な女性でも人間よりも大きな魚を仕留めた記録がいくつも存在している。水中銃は手銛と比べてよりコンパクトで水中での取り回しが良く、獲物を狙う瞬間にゴムを自力で引く必要がない。水中では、より酸素の消費を抑えることができる。それはつまり、より深く、より長く潜って魚を狙えるということだ。それでいて飛距離は手銛の約3倍ほどもあり、ずっと遠くにいる獲物も確実に狙う事ができる。世界基準で考えたら、水中銃があるのに、わざわざ手銛で大きな魚に挑戦するネジのぶっ飛んだやつはほとんどいない。一生に一度あるかないかの大物との出会いを考えたら至極当然のことだ。

魚を獲る最古の手法

一方で、日本は手銛の国と言っても過言ではない。魚突きには国ごとにルールが定められており、獲っていい魚や使っていい漁具などが定められている。(※1, 2)当然、ダイバーはそれに則って海に潜るわけだが、世界中で水中銃の仕様が著しく制限されている場所が、僕の知る限り少なくとも3つ存在する。バハマ、モルディブ、そして日本だ。水中銃の使用が制限されてきた我が国では、代わりに先輩達が手銛という道具を発展させてきた。早い話が一本の長い棒なのだが、日本の魚突きの歴史と先人達の知恵が細部に詰まっている。

ところで、魚突き以外にも、釣り、網と魚を獲る方法は様々あるが、元を辿れば人類が最初に魚を獲った方法は、魚突きだったと考えられている。15万年前のネアンデルタール人の遺跡からは、潜水を繰り返したことによって耳骨が変形した「外耳道骨腫」という痕跡がある頭蓋骨が発掘されており、8万年前のホモ・サピエンスの遺跡からは、動物の骨で作られた銛先が出土している。驚くべきことに、この銛先は、素材こそ違えど現在僕が使っている手銛のそれと構造はほぼ同じなのだ。釣りが登場するのはそこから約5万4千年も後になってからで、網に至ってはさらに時間が経ってから発明されたものだ。

魚突きの最大の特徴は、「獲物を選ぶことができる漁法」という点だ。ダイバー自身の判断によって、突く魚と突かない魚を選ぶことができる。「キジハタは成長が遅いからやめて、ヒラマサを狙おう」「このクエはまだ小さいから見逃そう」。海の未来のために、成長すれば沢山の子どもたちを産むであろうまだ若い魚を海に残すことができる。成長の遅い魚を獲る量を調節し、殺す必要のない命を海に置いてくることができる。魚突きは、最も古典的でありながら、最も持続的な漁法に化ける可能性を秘めている。もっとも、それは潜り手自身のリテラシーに掛かっているのだが。

いずれの漁法にせよ、自然を相手にしているので違った難しさがあるのは間違いない。しかし、素潜りの魚突きを定義づけるもう一つの要素として「ダントツで危なっかしい漁法」であることは疑いようがない。息を止めた状態で漁を行うのだ。ほんの瑣末なミスが命を奪いかねない。「素潜りで手銛を使った魚突き」は、最も原始的で、最もリスキーな漁法であると言える。

命と命のやりとり

魚突きは、命のやりとりだ。それを強く体感する瞬間をご紹介しよう。

水面を泳ぎながら獲物を探していると、ムロアジの群れの下、水深15mほどの場所をカンパチが泳いでいるのが見えたとしよう。スノーケル越しに思いっきり息を吸い込み、一気に15mまで潜る。目線をあげると、70cm、重さにして4kgほどのカンパチがこちらに興味を示して寄ってきた。手銛のゴムを引き込み、狙いを定める。そのまま、カンパチが興味を無くすまで待つ。永遠に感じる数秒間…魚がそっぽを向いたその瞬間、手銛を放ち、掌に蓄えていたエネルギーを一挙に放出する。

ドン!と手に伝わる重たい衝撃。次の瞬間、あなたの身体はガツンッ!と海底にひきずりこまれる。脚に力を込め、全力でフィンを漕ぐ。が、逃げようと海底へ全速力でダッシュするカンパチに引っ張られ、一向に浮上できない。思わず見上げた水面の遠いことと言ったらない。大きい魚を突いたことがない人はこの時、手銛を離してしまうだろう。

写真:Takuya Terajima

目線を下に戻すと、カンパチの向かう先に巨大な岩盤が横たわっているのが目に入った。やはり今、手を離すわけにはいかない。あの下に逃げ込まれたら……手銛のロープが複雑に岩へ絡み、その先で砂煙を上げながらカンパチが暴れる光景が脳裏をよぎる。なんとしてもこの一息で上げねばならない。

再び脚に力を込め、懸命に水面を目指す。この数秒間が永遠に感じる。しばらく悶着状態が続いたが、1m、2m……と少しずつ体が浮上しはじめた。やっとの思いで水面に到達した時には、すでに息が上がってしまっている。たった今、自ら手銛を放ったカンパチによって海底にひきずり込まれかけたのだ。陸上だったら片手でひょいと持ち上げることができるほどの大きさの魚にすら、水中では大の大人が全力でもがいても敵わない。人間の身体を海底にひきずり込む力強さは、そっくりそのまま、その魚に秘められた命のパワーだ。

命と命をやり取りするほどのリスクがある一方で、その効率は全く悪い。広大な海からポイントを見定め、さらにそこへ潜って獲物を見つけ出すのは容易なことではない。水中で人間が知覚できる範囲は非常に狭く、海中の微細な変化を読み取ることができないので、数m先にいるはずの魚すら見えない。一日中ヘロヘロになるまで泳ぎ回ったとしても、何も仕留めることができず海から上がることもザラだ。もし運よく、晩のおかずにできる魚を一匹でも仕留めることができれば、上出来だ。

ひとたび海に入れば、自然は残酷なほど容赦無く自分に襲い掛かる。それは、自分が「剥き出しの一つのいのち」として大自然から扱われる体験に他ならない。海に息づく他のいのちと忖度なく、等しく扱われるのだ。そこには当然、安全の保証なんてない。助けてくれる人もいない。眼前に広がるのは、ただ全てを飲み込む途方もなく広大な「海」と、究極の自由だ。

潜れば潜るほど、悟っていく。海の広大さを、そしてそこにいる自分の小ささを。そして途方にくれてしまう。だが、そんな瞬間が、僕はたまらなく好きだ。そして、もっと知りたいと思う。できれば一生を賭けて全て解き明かしたいとさえ思う。到底叶わぬとわかっていても、それは抗い難い衝動だ。海は、どこまでも僕の心を掴んで離してくれない。

そんな僕が、ここ数年夢中になって追いかけている大きなテーマがある。

それは「素潜り、手銛で、100kgを超えるイソマグロを仕留める」というものだ。

【注釈】

※1(魚突きの条例について)

日本で魚突きをする際には、ルールが定められている。「漁業調整規則」という名の条例で、使用してよい漁具や獲っていいものやいけないものが各都道府県ごとに決まっている。水中銃はほとんどの県で一般人の使用は認められていない。自力でゴムを引く手銛(条例上は”やす”と呼ぶ)は使用を認めている県とそうでない場所がある。しかし、日本の海岸線は離島〜内湾までと実に多様であり、実際に海の現場で運用されている実質的なルール(ローカルルール)が、漁業調整規則と異なる場合もある。立ち入り禁止や禁漁区などは各海岸ごとに独自に設定されているため、ルールとして公開されていないことも多い。各都道府県の担当者も魚突き愛好家ではないため、詳しい事情を把握していない場合がほとんど。トラブルを避けるために、まず”信頼できる先輩”を見つけるのが良い。

※2(場所の秘匿性について)

僕の活動は、地元の方々との関係性の元で実現できている。海は誰のものでもないが、しかし、その土地の海を管理し、共に生きてきたのは地元の方々である。地元の方々に潜らせていただいている、ということだ。そうした実情があるため、以降の記事では僕が潜っている具体的な地名や、場所を連想させる固有名詞については一切明かすことができない。

著者プロフィール
小坂薫平

1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り55m、息止め6分30秒。