ムイ・インポルタンテ(とても大事)!
「みなさん、こんにちは。地球の裏側に来て、自立生活の話ができることをうれしく思います」
斉藤さんが話し出すと、交流会に集まった40人ほどの聴衆――なかには車椅子の人、歩行器の人、白杖の人、手話通訳者を伴った人も――がぐぐっと身を乗り出すのがわかった。
「ぼくは今回初めてパラグアイに来て、肉はおいしいし街は静かだし、この国が好きになりました。でも、段差が多いっす!」
斉藤さんのおどけた口ぶりを、エリカさんがそのまま通訳すると、みんながドッと笑った。
たしかにパラグアイは街じゅうに段差があった。基本的に車椅子が通ることなんて想定されていないのだろう、スロープが付設されている段差はめったにない。いたるところで歩道の敷石がめくれたまま放置されていたり、ごっついコンクリートの車止めがゴロンと道を塞いでいたり、かなりワイルドな道だった。車椅子を使わないわたしだって、ぼけっと歩いていたらケガをしそうだ。逆に言えば上の空で歩いても滅多につまずかない日本って、それだけバリアフリーが進んでいるってことなんだなぁ。
斉藤さんのツッコミ「段差が多いっす!」には、「みなさんの苦労がわかりますよ」の共感がこもっていて、聴衆ももちろんそれを感じ取って、冒頭の挨拶でいきなり気持ちが通じ合っているようだった。
続いて、短いビデオが流された。「つくば自立生活センターほにゃら」のなお子さんの日常を撮影したものだ。脳性麻痺のなお子さんは24時間の介助をつけて自立生活を送っている。介助者に指示を出して、朝の身支度をするシーンが映し出される。今日はどの靴下をはくか、なお子さん自身が選び、それを介助者にはかせてもらう。つづいて車椅子でノンステップバスに乗るシーン。駅員がホームにスロープをかけ、そこを通って電車に乗るシーン。そうやって、なお子さんは介助者と映画に行く。銀行のATMでお金をおろす。ドラッグストアでシャンプーを選ぶ。家で絵を描く。刺繍をする……。
ビデオが終わると、会場から「はー」と息を吐く音が漏れた。斉藤さんが「感想を聞かせてください」と振ると、数人が手を挙げて「すごくおもしろい映像だった」「行動範囲の広さに驚いた」と口々に言った。
「じゃあ、ぼくから自立生活センターについて説明します」
斉藤さんの説明は、初めての人にもわかりやすい入門編だった。わたしにとっては知っていることばかり……かと思ったら、ぜんぜんそんなことなかった! わたしは一体これまでなにを聞いて、なにを知った気になっていたのだろう。このとき、パラグアイ人と同じようにいちいち驚きながら斉藤さんの話を聞いた。
自立生活が目指すのは、障害がある人がない人と同じように自由に暮らす、それをサポートすることです。障害者が家族にお世話されていると――ぼくもかつてそうでしたが――家族の都合に合わせなければいけないので、制限がある。家族にも制限がかかる。自立生活には、そういう制限がない。
いまビデオで見てもらったなお子さんも35歳くらいまで家族と暮らしていました。でも家族が体調を崩してしまい、1年間準備して自立生活を始めた。いまなお子さんは家族と同じ市内に住んで、一人暮らしをしています。介助者が交代で彼女の家に通います。
なお子さんが一人暮らしを始める前にぼくらのスタッフがやったことは、一緒にアパートを探したり、家の中を改装してくれる業者を探したり。それからずっと家族と暮らしてきた人は、他人に自分の意思を伝えることに慣れていないので、介助者への指示をどう言語化したらいいのかも一緒に考えました。たとえば家族だったら「牛乳買ってきて」と頼めばいつものやつを買ってきてくれる。でも介助者にそういう頼み方をすると思っていたのと違う牛乳を買ってきちゃう場合があります。「1リットルの紙パックで、300円以下の牛乳を買ってきて」と伝えたらいいね、なんてことを話し合います。
自立生活センターでやる大事なことのひとつが「ピアカウンセリング」です。障害がある人どうしが経験を話し合う。障害者って、我慢していることがたくさんあるんですよね。たとえばトイレに行きたいけど、家族が忙しいときは我慢したり。そういう経験を話して、「あるある」って言い合う、気持ちを吐き出す。とても楽になります。
ピアカウンセリングのときは「否定とアドバイスはしない」というルールがあります。障害者はみんなどこかで「自分はできない、ダメだ」と思い込んで、自分のことが嫌いになって生きています。それに、いろんな人からしょっちゅうアドバイスされています。だからピアカウンセリングのときは、否定とアドバイスはしてはいけないことになってます。
それから、自分の障害はどういうものなのか、使える制度にはどんなものがあるかを調べたり話し合うのも大事なプログラムです。たとえばぼくは進行性の病気なんですけど、このあとどういうふうに進行していくのか、どのタイミングで呼吸器をつけたらいいか、なんてことを仲間と一緒に調べて考えます。医者には「苦しくなったら呼吸器を付けなさい」と言われていて、以前はぼくもそれが正しいと思い込んでいた。けど、自立生活の仲間から「元気なうちに呼吸器を付けたほうがいいよ。苦しくなってからだと体力も落ちちゃうから、それより前に付けたほうがいい」と教えてもらいました。
介助者は家族でも、友だちでも、ボランティアでもなく、仕事として介助をしてくれる人です。自分たちの組織で求人をかけて、雇った人を介助者に育てる研修をします。たとえば車椅子を押す研修。相手に食べさせてみる、相手から食べさせられてみる研修。相手の歯を磨いてみる、相手から歯を磨かれてみる研修。あとは個人に合わせた研修もやります。ぼくの場合は夜間に呼吸器を付けるので、そのやり方をおぼえてもらう。
自立生活センターの介助者は、障害者が頼んだことだけをやります。「よかれと思って勝手に何かをする」ことはない。ここがいちばん大事なポイントです。
通訳のエリカさんが「ムイ・インポルタンテ!」と強調し、わたしはそのスペイン語をそのままノートに書き留めた。よかれと思って勝手に何かをする、よかれと思ってアドバイスをする。それって、たぶんわたしがしょっちゅうやらかしていることだ。自分より若い人や、年をとって弱くなった人や、マイノリティである友人に対して。そういう態度が相手の尊厳を削るのだ。あぁ、ほんとうにここは非常に大事、ムイ・インポルタンテ。
斉藤さんの話はさらに続き、ついにあの秘宝が登場する。
(つづく)
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。