なぜか突然、パラグアイ
斉藤さんに会いに行った。2023年4月のはじめ、つくばは春らんまん。友人ふたり(編集者の鈴木さんと映像ディレクターの野溝さん)が同行してくれて、すっかり遠足気分だ。
つくば自立生活センターほにゃらの事務所は駅から歩いて20分ちょっと、街道から一本入った住宅街にある。わたしたちは駅前でお弁当を買って行き、ほにゃらの会議室で食べた。3人でパクパク食べていると、斉藤さんや介助者、スタッフの人が入れ替わり立ち替わり顔を出してくれた。みんなでお茶を飲んだり、おしゃべりしたり。取材というより「遊びにきた」というのがぴったりの、楽しい昼さがりだった。
森下直美さんは、ほにゃらの屋台骨を支えるひとり。斉藤さんとのつきあいはもう四半世紀になるという。大学生のとき、つくばの隣りの阿見町で重度障害者の女性の介助ボランティアをしたのがきっかけで、この世界にハマりこんだ。
「それはボランティアが交代で介助をするやり方で、人を集めるのも調整するのも大変でした。結局、そのやり方は挫折しちゃって。そのあとにほにゃらができて、介助者を雇用するという自立生活センターの考えはすごいと思った」
「まあ、それも最初からうまくいったわけじゃないけど」
「ほにゃらは2001年にできて、2003年にはもうつぶれかかってたもんね」
「崩壊寸前までいったよね」
森下さんと斉藤さんは過去をふりかえって笑っている。何もないところから「人」を集め、「場」をつくり、さらに「経済」をまわす。それを20年以上続けてきた人たちの凄みが漂っていた。
しょっちゅう喧嘩した、とふたり同時に言うのがおかしかった。
障害者のなかには、変化を受け入れるのに時間がかかるタイプの人もいる。森下さんはあくまで障害当事者のペースに合わせたいスタンスだ。
「ある利用者さんが引っ越した先が、携帯電話の電波が届きにくい家だったんです。どうしましょうか、ドコモに相談してみましょうか、それとも別のキャリアを試してみましょうかってこちらからいろいろ提案するけど、その人はなかなか決められない 。もう2年経つけど、まーだ! 決められないままで」
愉快そうに言って、森下さんはほほえんだ。一方の斉藤さんは、「とっととフレッツ光の回線を引いちゃえよ」派だ。生活の質を上げるために合理的な答えを見つけて、最短でそこにたどりつきたい。思いついたらすぐ行動する斉藤方式。だけど自立する本人が決める前に、まわりの人が行動しちゃだめでしょ。そんなふうに、ことあるごとに森下さんと斉藤さんは意見が対立するらしい。
「いまはもう、ぼくが引きます。余計なことは言わない」
そう言って斉藤さんはニヤッと笑う。
「この20年で、ぼく、ずいぶん変わりました」
ほにゃらに滞在したのは2時間くらいだったと思う。みなさんに別れを告げて、野溝さんと鈴木さんとつくば駅まで歩いて戻った。斉藤さんのことを本に書きたいけど、圧倒的に知らないことだらけ。どうしたらいいんだろう。と思いながら大きな公園のなかを通っていく。春の午後、空気がふんわりしている。
「あぁ、空が広いなー」
「ほんとですね」
のびのびした気持ちになる3人。この公園には「朝永振一郎博士と愛猫」という銅像があって、博士の横をトコトコ歩く猫がとてもかわいい。わたしたちはそれを鑑賞し、駅に向かう階段を降りた。そして改札を抜け……る手前の立ち飲み屋に吸い込まれた。冷酒をサッと引っ掛けて、上りの急行がくるタイミングで切り上げた。だらだら飲まない、粋な酒。
このたった数時間のつくばへの遠足が、思わぬ方向に転がったのは数日後のことだった。
「すみません。コロナに感染してしまいました」
翌朝10時過ぎ、斉藤さんからメッセージが届いた。なんと! 前の日はあんなに元気だったのに、急に発熱したらしい。
この時期、マスク着用が任意になったばかりだった。あと一月もしたら厚生労働省が新型コロナを「5類」に移行させるという頃だ。それでもまだ多くの人がマスクを手放せずにいて、前日はわたしたちも、ほにゃらのみなさんもきちんとマスクをつけていた。「金井さん、鈴木さん、野溝さんは問題ないですか」と、こちらを気遣う斉藤さんに対して「わたしたちはピンピンしてます。お大事にしてください」と返事を送った。
しかしそれから1日半が経ち、坂を転がるように体調が悪くなった。わたしもまんまとコロナに感染したのだった。ほにゃらの会議室で、マスクを外してお弁当をパクパク食べた、あのときにウイルスを吸い込んだのだろう。油断していたと悔やみつつ、わたしがウイルスを持ち込む側にならなくてよかったと真っ先にそれを思って胸を撫で下ろす。ちなみに野溝さんも鈴木さんも同じ条件下でお弁当を食べ、帰りにはそろって立ち飲み屋まで寄ったのにセーフだった。
高熱、そのあとの強烈な喉の痛み。斉藤さんがたどる症状をわたしも1日半遅れで追いかけた。その週はすべての予定をキャンセルして、ずっと布団のなかにいた。斉藤さんと「熱が下がってきました」とか「喉が痛いときはアイスクリームがいいらしい」などとメッセージを送り合い、同病の連帯感が高まる。そのやりとりの途中で、斉藤さんがふと送ってきたのだ。
「そういえば、5月末から6月にかけてパラグアイに行こうと思ってます」
なぬ?
布団のなかで、わたしの眉毛がピクリと動いた。
「JICAで障害者支援をやっている友だちがいるんで、会いに行こうかと」
「首都のアスンシオンと、あと2、3ヶ所まわるつもり」
「帰りにアメリカで大谷くんの試合を観戦しようと思ってて」
「一応お伝えしておきます」
なぬなぬ? 一応お伝えされて、黙ってるわけにはいかない。わたしは布団のなかでぐるりんと寝返りを打ち、すかさず詳しい旅程を尋ねた。おそらく同じく布団のなかにいるであろう斉藤さんから、フライトスケジュールが送られてきた。わたしも、向こうも、リアクションが早い。これはもう、そういう流れか? 斉藤さんをもっと知りたいと願っていたわたしに、コロナウイルスとともにチャンスが降ってきたのか?
気がついたらわたしは、布団のなかで縦になっていた。スケジュール帳を手繰り寄せて確認する。その時期にやらなければいけない仕事があるにはある。しかし大抵のことは、どうにかなる。いまだって急にコロナになって、すべての予定が変更になったのだ。人生は勢いだ。
わたしは深呼吸して、慎重にメッセージを打った。「パラグアイと大谷くんの試合に、わたしもついて行っていいですか? もし今回は同行しないほうがよさそうなら、次の機会を待ちますので、遠慮なくそう言ってください」。
斉藤さんから返事は――
「金井さんとご一緒できたら、最高に楽しそうです」
こうしてわたしはパラグアイ行きを決めた。布団のなかで。
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。