偉いぞ、USA!
パラグアイへは、アメリカ合衆国を経由して行く。というルートが決まった瞬間、斉藤さんはメジャーリーグの日程を検索したに違いない。狙いはもちろん大谷翔平出場試合だ。スポーツ観戦が大好きで、日本でもしょっちゅう野球場やサッカースタジアムに出かけている斉藤さん。はるばるドイツやブラジルまでサッカーW杯を見に行ったこともある。外国語のネット検索も苦にせず、チケット購入まで自力でやっちゃうツワモノなのだ。
この年、大谷はロサンゼルス・エンゼルス所属で、ホームランを打ちまくっていた。だが斉藤さんが見つけてきたのは、ホームゲームではなくヒューストンでの試合だった。パラグアイからの帰途、一行がヒューストンで飛行機を乗り換えるタイミングと、大谷擁するエンゼルスがヒューストン・アストロズと対戦する日程がぴたりと一致していた! それを確認したとき斉藤さんの目はキラリンと光った。そして、すかさず介助者の竜くんと前ちゃんに言った。
「大谷の試合を生観戦したくない?」
この殺し文句に、ふたりは「見たいっす!」と二つ返事でパラグアイ旅の同行任務を引き受けたと聞く。
かく言うわたしもミーハーでは人後に落ちない。過去にはイチローを見にシアトルに、松井秀喜を見にニューヨークに行ったくらいだ(と威張りながら、覚えているのは球場の雰囲気だけで、先発ピッチャーの名はもちろん試合結果すら正確に思い出せない。これぞミーハーの軽さ)。だから今回も斉藤さんの誘いに飛びついて、斉藤さんが購入する車椅子席にもっとも近いシートをついでに予約してもらったのだった。
パラグアイの首都アスンシオンからヒューストンまでは、パナマ乗り継ぎで14時間くらいかかった。このときわたしは初めて斉藤さんと一緒に飛行機に乗った。つまり電動車椅子の人がどのように搭乗するのか、このとき初めて知ったのだった。
まず空港に着いたら、自分たちでテクニカルな準備をおこなう。工具を使って電動車椅子の背もたれを低くし、コントロール(車椅子を前後左右に動かす指示器。斉藤さんの車椅子の場合は右の手すりの先端に付いている)が破損しないようにボール紙とガムテープで保護する。それからチェックインカウンターに行き、電動車椅子を飛行機に乗せる手続きをする。重量は83キロであるとか、バッテリーの種類はなんであるとか、搭乗時には座席下の配線を外しますとか、万が一壊れても文句は言いませんとか、そういうことを申告して書類をつくってもらう。ユナイテッド航空の係員も斉藤さんも、慣れたものだ。
電動車椅子って、スーツケースなんかと一緒に預けなきゃいけないのかな? と思っていたら、手続きを済ませた斉藤さんはそのまま電動車椅子に乗って出国審査を通り、搭乗ゲートへと向かった。斉藤さんにとっての「足」は飛行機に乗り込む寸前まで斉藤さんの意思のままに動き、斉藤さんを運ぶ。そして最後の最後、飛行機のドアの前まで行ったところで電動車椅子はバッテリーの配線を切って貨物室に預けられるのだった。
ちなみに斉藤さんや介助者は「優先搭乗」枠で、一般のお客さんに先んじて飛行機に乗ることができる。単なる同行者のわたしもちゃっかり優先レーンに並んで、長い行列を尻目に機内に一番乗り。電動車椅子を手放した斉藤さんは航空会社が用意した小さな折りたたみ式車椅子に乗り換えて、機内の通路を進み、介助者の手を借りて予約してあったシート(通路側)に身を落ち着けた。
着陸後、わたしたちはすべての乗客が降りたあと、いちばん最後に席を立った。ドアを出たところに電動車椅子が横付けされていて、斉藤さんはすぐに「足」を取り戻すことができた。航空会社って、ちゃんとしているんだなぁ。
ちゃんとしていると言えばアメリカ合衆国だ。
それは6月3日午後3時、ヒューストンの空港から一歩外に出た瞬間にわかった。わたしの脳内には次から次に感嘆のことばが去来した。「わー、歩道が広い」「しかも段差がない」「そしてノンステップバス」「すごいなぁ、車椅子でぜんぜん困らないよ、この国!」
空港から市内に向かうバスの停留所で待っていると、バスがやってきて、斉藤さんは車椅子のまま乗り込んだ。その一連の風景を、ほかの乗客たちも運転手さんも誰一人、特別視していなかった。「車椅子、so what(だから何)?」って感じ。
市の中心街でバスを降りる。交差点を渡る。あぁ、その歩道と車道のつなぎめのなだらかさよ。電動車椅子のタイヤもスーツケースのタイヤも淀みなく進む。なにせ前夜までパラグアイの凸凹道を歩いていたから、わたしはいちいち感激した。
でも本当に驚くのはここからだ。ホテルで荷をほどいたあと、みんなでごはんを食べに行くことに。斉藤さんがニコニコ顔で提案した。
「ヒューストンにはテクス・メクスっていうのがあるらしいんですよ。それを食べに行きましょう」
さすが斉藤さん、事前リサーチが行き届いている。テクス・メクスとは「テキサス州でアレンジされたメキシコ料理」のこと。わたしはGoogleマップでホテル近くのメキシコ料理の店を検索した。頭の隅で、大きな商業ビルのなかにあるレストランだったらエレベーターがあるだろうか、と考えながら。すると、斉藤さんが言った。
「アメリカは、どの店もだいじょうぶです」
「へ?」
なんとこの国ではレストラン、カフェ、バー、ファストフード店にいたるまで、すべての飲食店が車椅子で入店可能なのだという。スロープやエレベーターを設置することが法律で義務付けられており、車椅子が入れないような店には営業許可がおりない。
なんてすばらしいんだ、アメリカ。トンチンカンな政治家も社会構造のひずみも行きすぎた表現の自由もあるけど、この点だけはもう、大きな声で褒め称えたい。偉いぞ、USA!
わたしたちはホテルから徒歩6分のダイナーに行ってみた。ドアを開けると下に向かって階段が伸びている。店は地下にあるらしい。わたしが先発隊となって階段を降りていき、カウンターの店員さんに声をかけた。
「車椅子の友だちが上にいるんだけど」
「OK、いまエレベーターの鍵を開けるね」
店員さんは慌てず騒がず店の裏側にあるエレベーターを操作し、斉藤さんと介助者ふたりを店内に誘導してくれた。あぁ、本当にアメリカの飲食店はもれなく車椅子に対応している。その事実は車椅子ユーザーの暮らしをどれだけ明るく照らすだろう、利便性だけじゃなくて、気持ちの面でも。
わたしたちはクラフトビールで乾杯し、タコスをほおばった。
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。

