車椅子の斉藤さんとパラグアイへ

第21回

モーテルのベッドでバタ足した夜

2026年1月14日掲載

いよいよ野球観戦の日がやってきた。大谷翔平の勇姿を見るべく、わたしたちはイソイソと試合開始2時間前にスタジアム入りした。イソイソしすぎかと思ったが、もう入場ゲートには列ができていた。

「車椅子の人もけっこういるなぁ」
とまず思った。続いて、
「ヒューストンには車椅子の人が多いのかなぁ」
と一瞬思いかけた。でも違うのだ。街全体が車椅子での外出に対応したつくりになっているってことなのだ。偉いぞ、USA。

日本のスタジアムは車椅子席の数がまだまだ少なく、座席の種類も限定的だ。それに比べるとアメリカの球場は車椅子席の割合が格段に高く、しかもほぼすべてのエリアに設置されている。バックネット裏で試合を俯瞰したい野球ファンもいれば、チケットが安い外野席で盛り上がりたい人もいる。車椅子ユーザーであってもそれは同じ。選択肢があるってすばらしい。

この日、斉藤さんはなぜか千葉ロッテマリーンズのユニフォームを着ていた。背番号17、佐々木朗希。ふはは、大谷じゃないのかい、と思いながら、きっとそこに東北人としての深い連帯感があるのだろうと推察し、わたしは敢えてつっこまなかった。

大はしゃぎで写真を撮りまくり、スタジアム内の土産物屋を物色していると、あっという間に試合開始時間が迫った。わたしたちのシートは3塁側1階席の最奥。車椅子ゾーンに斉藤さん、そのすぐ下の座席に介助者の竜くんと前ちゃん、それにわたしが横並びに座る。

「いい席だね、打席の大谷がよく見える」
「大谷〜、打ってくれ〜!」

ベースボールファンを気取ってホットドッグでも齧ろうかと売店を見に行ったら、さすがテクス・メクスの街、ボリューム満点のナチョスが売っていたのでそれを買う。

「めちゃくちゃビールに合うよ、これは」

わたしは車椅子席の空きスペースに入り込んで斉藤さんの横に行き、斉藤さんがナチョスを食べ、ビールを飲むのを手伝った。人生で2度目の食事介助体験だ。

「あれっ?」
しばらくしてハッと気づいた。
「わー、ごめん! わたし、斉藤さんから「ビール飲ませて」って指示される前に動いてた」

呆れたことに、わたしは自分がビールを飲むペースで斉藤さんの口元にもビールの容器を運び、無理やり飲ませていたのだった。とんだアルハラ介助である。斉藤さんはニヤニヤしていた。たぶん内心困ったなと思いながらもおもしろがっていたんだろう。いやはや失礼しました。

試合のほうは、1対1のまま淡々と進む薄味の展開。大谷が打席に立つたびに声援を送ったけど、快音は聞かれない。今日は静かに終わるのかなぁと諦めかけていた4打席目、大谷はタイムリー2塁打を放った!わたしたちも大騒ぎしたけど、となりの席のヒスパニック系のご夫婦がさらに大騒ぎしてくれた。結局これが決勝点になって2対1で試合終了。終わってみれば、はるばる観にきた甲斐がある印象に残るゲームだった。

ヒューストンでは、斉藤さんとふたりの介助者は市の中心部にある高級ホテルに投宿した。ちらっと部屋を覗かせてもらったら、車椅子移動も楽々の広いベッドルームがある3人部屋で、バスルームとトイレも完全にバリアフリー。すばらしいホテルだった。もちろんその分、料金もすばらしい。

財力のないわたしは、ひとり街はずれの街道沿いにあるモーテルに泊まった。安普請の2階建て。でもちゃんとエレベーターは付いている。こんな場所でもやっぱり「偉いぞ、USA」なのだった。ただ、シャワールームの入り口に小さな段差があったのが惜しい。なんて、車椅子ユーザーの目線でいちいちチェックする癖がついてしまった。段差警察か。

その晩、薄暗いモーテルのベッドに寝転んで、わたしはスマホで日本のニュースをせっせと検索していた。折しも入管法改定の国会審議が山場を迎えており、わたしは旅のあいだじゅう、Wi-Fiがつながるところに行くたびにそっとスマホを開いて様子を伺っていたのだった。しかしそのとき、わたしの目に飛び込んできたのは別のニュースだった。

「はぁ?」
思わず声が出た。そのとき読んだ記事の一部を引く。 

名古屋市が復元をめざす名古屋城木造天守のバリアフリー化をめぐり、市が主催した3日の市民討論会の中で、エレベーター(EV)の設置を求める意見を述べた身体障害がある男性に対し、他の参加者から差別発言があった。

市民討論会は名古屋市中区内で開かれ、市側が住民基本台帳から無作為に選んだ18歳以上の参加希望者が出席した。河村たかし市長も参加した。

現計画のバリアフリー化案では、地階から少なくとも1階まで車いすの人が利用できる小型の昇降機を設置するとしている。それより上層階の具体的な整備案は定まっていない。だが「史実に忠実な復元」をめざす河村市長は昨年12月、天守最上階まで昇降機を設置しないことを許容する発言をし、障害者団体が「障害者に対する人権侵害で到底承服できない」と抗議していた。

討論会では、車いすの男性(70)が天守最上階まで車いすも運べるEVが設置されなければ、「障害者が排除されているとしか思えない」と市側に訴えた。

その直後、EV不要の立場から2人の男性が発言した。最初の男性は車いすの男性に対し、「河村市長が作りたいというのはエレベーターも電気もない時代に作ったものを再構築するって話なんですよ。その時になぜバリアフリーの話がでるのかなっていうのは荒唐無稽で。どこまでずうずうしいのかっていう話で。我慢せえよって話なんですよ。お前が我慢せえよ。エレベーターを付けるなら再構築する意味がない」などと話した。

次に発言した男性は身体障害がある人への差別表現を使った上で、「エレベーターは誰がメンテナンスするの。どの税金でメンテナンスするの。その税金はもったいないと思うけどね。毎月毎月メンテナンスしないといけない。本当の木造を作って」などと話した。

この2人の男性の発言の後には会場の一部からは拍手も起きた。

(朝日新聞2023年6月3日)

「なんだこりゃ!」
怒りにまかせて、わたしはモーテルのベッドでバタ足をする。

もし昔のお城を忠実に再現したいのならば、電気もガスも火災報知機も付けるな。トラックもヘルメットも安全靴も使うな。コンピュータもスマホも一切さわるな。ちょんまげ結って、ふんどし締めてこい!

翌日、斉藤さんに会うなり、わたしはふがふがと憤慨しながらこのニュースを伝えた。斉藤さんは身を乗り出すようにして熱心に記事を読み、しかし多くを語らず、「ふーん」とうなずいただけだった。この話には後日談があるのだが、それはまた次回。

ヒューストン最終日、斉藤さんたちは朝の飛行機で帰国の途についた。格安深夜便を予約していたわたしは、郊外の移民街に行ったり動物園を散歩したりして時間をつぶした。ヒューストンのバスや路面電車の座席は青で統一されている。なかに1席だけ黄色いシートの椅子があって、その背には「ローザ・パークスの思い出に捧ぐ」と書かれているのだった。

1955年の冬の夕方、アラバマ州モンゴメリの黒人女性パークスは市営バスに乗り、白人に席を譲るのを拒んで逮捕された。これに抗議する人たちがバスをボイコットし、国全体を巻き込む公民権運動へと広がっていった。差別に抗う人がいなければ、差別は解消されない。パークスの名が刻まれた黄色い椅子を写真に撮って、わたしのパラグアイとヒューストンの旅は終わった。

著者プロフィール
金井真紀

1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。