リンゴの季節に青森へ
「ひとつの発見があった」
青森県立美術館を出たところで、斉藤さんがうれしそうに言った。
「なに?」
「奈良美智とぼくは保育園が同じだった!」
えーすごい、それは自慢できるね。なんの自慢かわからないけど。アハハ。わたしたちは笑い合った。晩秋の青森、午後になると空のブルーがどんどん淡くなっていく。
パラグアイとアメリカ合衆国の旅から4ヶ月が経っていた。帰国後、斉藤さんもわたしも粛々と日常生活を取り戻し、社会の波間を泳ぎ、あっという間に4ヶ月が過ぎた。
あの年の夏、国会で入管難民法の改定案が可決成立した。それ以前も日本は難民認定率がとんでもなく低かったのに、さらに難民を追い詰める制度に変わるなんてまったく納得がいかなかった。当時わたしは手製のプラカードを手に、しょっちゅう反対デモに出かけていた。「Protect Refugees入管法改悪反対」の文字とふてぶてしい2匹の猫が睨みをきかせている絵を描いたもので、このプラカードを掲げていると、いろんな人がおもしろがって写真を撮ってくれた。しかし猫が睨みつけようが、人間が騒ごうが、結局法案は通ってしまったのだった。
斉藤さんから1枚の写真が届いたのは、それから数日後のこと。わたしは思わず叫んだ。
「わはー、やるなぁ斉藤さん!」
そこには出来立てほやほやの手製のプラカードが写っていた。「名古屋城復元なら水洗便所もNG」の文字、その横にお城と便器の絵。
「これ持って名古屋に行ってきます」
なんと斉藤さんは障害者を排除する名古屋城復元計画に抗議するため、はるばる名古屋まで出かけたのだった。あとから「金井さんがおもろいプラカードをつくってたから、ぼくもやろうと思って」と教えてくれた。よく見ると文字の中にまきぐそが、余白にはドアラ(中日ドラゴンズのマスコット、コアラ)とグランパスくん(名古屋グランパスのマスコット、シャチ)も描きこまれていて、芸が細かい。斉藤さんが介助者に「そこ、まきぐその形にしよう」と指示を出しているシーンを想像すると笑えてくる。目指す世の中は簡単には手に入らない。しょんぼりすることばかりだ。だけど「なめんなよ」と「おもろい」を掛け合わせて抵抗していくしかない。
いったい斉藤さんはどういう経緯をたどってこんな人になったんだろう。子どもの頃の話、青年時代の話をじっくり聞かせてほしいと頼んだら、うれしい答えが返ってきた。
「じゃ、弘前に行きますか?」
「行くー!」
そういうわけでわたしたちは斉藤さんの生まれ故郷、青森に出かけることになった。時期を10月下旬に設定したのは、斉藤さんが「リンゴ的には、その季節が一番いい」と言ったため。リンゴ的……。
東北新幹線のチケットは斉藤さんが予約してくれた。このとき初めて新幹線には「車いす対応座席」があることを知った。最前列通路側の1席分が車椅子スペースになっている。乗り降りしやすく、体の移し替えもスムーズにできるすぐれもの。ただし、この座席はすごくレアなんだとか。複数の車椅子ユーザーが新幹線移動するときはどうするんだろう。別々の新幹線を予約しないといけないのかもしれない。
昼前に新青森駅に到着した。
「イカメンチ!」
「食わいでか!」
車中で駅弁をがっつり食べたのに、わたしと野溝さんは売店でそそくさと名物イカメンチを買い食いした。そうそう、今回は友人の野溝さんも一緒で、斉藤さんの介助はパラグアイにも同行した竜さんが担当し、にぎやかな4人旅だ。
最初の目的地は、青森県立美術館で開催中だった奈良美智展。ここで日本を代表する現代アーティストと斉藤さんが弘前市内の同じ保育園出身だと判明したのだった。質量ともに大充実の展覧会で、奈良美智のパワーを全身で受け止めたわれわれはヘトヘトになって併設されたカフェにたどりついた。県産リンゴのアップルパイを頬張りながら、
「もし奈良美智が「どれかひとつ持って帰っていいよ」って言ったら、どれもらう?」
という空想で盛り上がる。あれがほしい、いや、こっちの作品もよかった、などとみんな優柔不断になるなかで斉藤さんだけは「From the Bomb Shelter」と即答した。地下シェルターからひょっこり顔を出した女の子の線画。原爆投下後の長崎で撮られた写真にヒントに描かれた作品だという。
最後にミュージアムショップに寄った。奈良美智の代表作「あおもり犬」の貯金箱が売られていて、自宅の飾り棚に置いたらかわいいかもと思ったけど値札を見たら5500円。斉藤さんがボソッと「これ買わないほうが貯金できるよね」と言ったから吹き出した。いつも思うけど、斉藤さんは小さな笑いのツボを突く天才だ。
青森県立美術館と新青森駅のあいだをつなぐのは小さなシャトルバス「ねぶたん号」。土曜日だったせいか行きも帰りもぎゅうぎゅう詰めだった。車椅子のお客さんが乗るときは運転手がスロープをセッティングする仕様らしいのだが、その日の女性運転手さんは慣れていないようで、だいぶ手間取った。スロープが設置できないと斉藤さんは乗車できず、バスは出発できない。焦った運転手さんはふくれっ面をこちらに向けた。
「車椅子で乗るときは事前に電話してくれないとー」
彼女の焦りがこちらにも伝染して、わたしの口から咄嗟に「すいません」がこぼれそうになる。でもわたしが反応するより前に斉藤さんが落ち着いた口調で言った。
「ぼくら東京から来たんで、そんなこと知らないですよ」
あぁ、そのとおりだ。たぶん運転手はぎゅうぎゅう詰めの乗客に対して言い訳したかったんだと思う。バスの発車が遅れるのはスロープがうまく設置できない自分のせいじゃなくて、急に現れた車椅子が悪いという責任転嫁だ。そんなふうにぞんざいに投げられた棘をこちらがわざわざ拾う必要はないのだった。卑屈になる必要も喧嘩する必要もなくて、ただ落ち着いていればいいのだ。
どうにか新青森駅に戻り、夕暮れの特急で弘前に向かう。さぁ、今宵は飲み会だ。斉藤さんが高校時代の恩師に声をかけてくれ、弘前駅前の居酒屋に集まることになっていた。いよいよ斉藤さんの思春期のエピソードを聞かせてもらうのだ。
(つづく)
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。

