ある翻訳家の取り憑かれた日常

第39回

2024/07/22-2024/08/04

2024年8月15日掲載

2024/07/22 月曜日

「できる、俺なら」という、この日記に登場するフレーズに励まされるという感想を頂いた。私は格闘技が好きなのだが、大好きなUFCファイターのローズ・ナマユナスが試合前に唱えている「I’m the best!」を真似したものだ。できる、必ずできると唱えていると、なんとなくできてしまうものだから不思議である。

ローズ・ナマユナスは本当に好き。なんだか、幸薄そうだし、応援してしまう。アメリカの田舎で家畜の世話をしながら氷風呂に浸かっているローズを見ると、強く、幸せであれと思う。

2024/07/23 火曜日

仕事しなくちゃダメじゃんと思いつつ、連日、配信を見てしまっている。以前は動物(ゴリラ)の食事風景や、いびきの大きいブルドッグが寝ている配信などに夢中だったのだけれど、最近はやはり人間の配信が一番やばいことがわかり(なにせ地球上の生き物なかで怖いのは人間だ)すっかりファンになってしまった配信者が数名いる。夜な夜な、彼らの配信を見ては、「世界は広い」と考えて、自分はまだまだだと思う。

以前、ネットの記事で「いい年をして若者に媚びるようにTikTokをやっている中年は恥ずかしい」みたいないじわるな記事を読んだのだが、そんな記事が出るのは日本だけじゃない?
だって、アメリカでは98歳のおじいちゃんだって、88歳のおばあちゃんだって配信やっているのだから。何かをやろうとする人たちを、年齢を理由にからかう文化はよくないね。なぜ他人の暮らしや楽しみに文句をつけるのか。いくつになったって、楽しいことはやるべきなんだよ。ちなみに私は配信する予定はないが、いつやり始めると言い出すかわからないよ。

2024/07/24 水曜日

少し年上の女性と話をしていて、「最近、疲れが取れにくいですねえ」と言ったら、「理子さん、これからはもう、そんな感じよ? 仕事のペース、考えたほうがいいんじゃないかしら」とアドバイスを受ける。わかりみ。私の場合、第二の人生が始まったように思えたのは6年前の心臓手術後だったが(もうそんなに前の話なんだね)、第三の人生を考える必要があるのかもしれない。ここから先の人生、今までよりも何か楽しいことをやりたいのだが、何かないだろうか。たった一度の人生だから、大きな博打をやってみたい。

2024/07/25 木曜日

ケアマネさん、一ヶ月に一度のモニタリングの日。義父の体力低下、気力低下に伴い、義母のデイサービスの利用回数を増やすという話に。介護保険の限度額を超えてしまうので、月額の利用料がぐっと上がることになるのだが、それはもう仕方がないですよね、だって誰もお世話できないのだものとケアマネさんと話しあう。あとは義父の説得だと言うケアマネさんだったが、義母が週に6日もデイサービスを利用することを彼はどう思うだろう。どう思ったとしても、義母はもう、それだけの日数をデイサービスで過ごすか、特養に入るか(空いてないけど)、グループホームに入るか(空いてないけど)しかないのだ。徐々にチキンレースになってきました。

2024/07/26 金曜日

久々のメンタルクリニック。先生は元気そうだった。しばらく受診していなかったのだが、先生はその理由を聞くでもなく、「調子はどうですか?」と、至ってシンプル。

「元気です」
「それはよかった。眠れてます?」
「ハイ、お薬飲む日もあれば、飲まない日もあります。やっぱり、日中に身体を動かすことは大事ですね」
「その通り。楽しいことを考えて、少し散歩したりしてね。大丈夫ですよ、あなたは」

できる、俺なら。

2024/07/27 土曜日

日経ウーマン、取材日。大津港で撮影。大津港は成瀬の影響でミシガンが大人気で、いつもよりも人が多いように思えた。カメラマンさんも、編集者さんもヘビーな介護経験者で、話が弾んでよかった。

2024/07/28 日曜日

思い立って、Xのサブスクリプションの申請を出した。​​どんなシステムかというと、申し込んでくれたフォロワーさんは、私が発信するボーナスポストを閲覧できるようになるというものだ。利用料金を一ヶ月1ドルに設定した。さて、申請が下りるかどうか。なにを発信する予定かというと、アメリカ珍事件と、私のお買い物の記録です。仕事もしますが、面白いこともしたいので、突然やる気になっている。

2024/07/29 月曜日

次男が突然、自室を改造しはじめた。なけなしのバイト代を使って家具を買い換え、部屋の真ん中に黒いテーブルを配置し、ムーディーなライトまで置いている。その写真をLINEで送ってきて、「かっこいいやろ?」と聞いてきたので、思わず、「まさか……配信でもやるつもりなの?」と聞いたら、大変呆れた様子で「やるわけないやろ」と返ってきていた。ごめんごめん、母さん、配信を見過ぎているんだ。でも、怪しい。あいつ、配信するつもりなんじゃないだろうか。

2024/07/30 火曜日

めちゃくちゃ恥ずかしいこと発生。とある月刊誌に書評を依頼されていた。指定された本はすごく良くて、最後まできっちり読んで、ちゃんと原稿を書いたのだが、戻って来た。もう少し本について掘り下げてほしいという指示だった。

そりゃ、そうである。書評だもん。急いで自分が書いた原稿を読み直してみたのだが……見事に、自分のことばかり書いていた。恥ずかしくて、穴があったら入りたい。自室に籠もって、枕に顔を埋めて叫びたい。だれもあんたの経験だとか人生なんて知りたくないのに、本の内容や作家のことを知りたいのに、なんであんたって人は自分のことを書いちゃうのよ……急いで書き直して、送った。指摘しにくかっただろうな、申し訳なかったなと思ったが、率直に伝えて下さった編集者さんに感謝。編集者さんから率直な指摘が入らなくなったら、村井も終わりである。

2024/07/31 水曜日

CCCメディアハウスの田中さんと一冊作ろうという話になり、Skypeでミーティングをした。田中さんとは随分長いが、最も売れた一冊は『兄の終い』だろう。

昨日の日記にも書いたが、率直な意見を投げてくれる編集者というのは貴重な存在で、暴走しがちである私という機関車のブレーキを適度に引いてくれる人たちなのだ、編集者というのは! 田中さんも、そんな編集者のひとり。
兄が死んだとき、ちょうど田中さんと別の仕事をしていた時期で、すぐにメールを書いた。「兄ちゃん、死んじゃったよ」
それに対する田中さんの返信は、「それ、いつか書いて下さいね」だった。それで『兄の終い』が誕生したというわけです。

さて、本連載担当編集者、大和書房の鈴木さん。鈴木さんは、ハラハラしつつ、暴走する私と併走してくれる編集者さん。最近は私よりもジプシー・ローズ事件に詳しいかもしれない。

2024/08/01 木曜日

とうとう8月か……今年は3月にハリーが亡くなって調子がでなくなり、結局、大幅にスケジュールがズレたまま8月になってしまった。訳本は(遅れながらも)順調に訳してはいるが、とにかく今年中に絶対にすべて仕上げなければ、私はもう、本当にダメな状況になってしまうので、なんとか8月に仕切り直しをしなければならない。

2024/08/02 金曜日

三冊同時に訳すことに決めた。一日一章を日替わりで三冊という無謀な計画を立てた。

2024/08/03 土曜日

三冊同時って大丈夫? 頭のなかで混乱しない? と疑問だったが、全然混乱しない。むしろ三種類の巨大パズルの組み立てが楽しくて、いきいきしてきた。これで家事をしなくてよければ最高なんだが、そうはいかないのである。思い切ってアウトソースするか?

2024/08/04 日曜日

連日、『義父母の介護』関連の打ち合わせ、Zoom取材などなど、続いている。私は相当いいかげんな性格なので、徐々に言うことがズレてきたりしているかもしれないと思う。やはり、担当の金さんと白川さんの睨みが利いていないとダメなんだな〜とか思いつつ、なんとか取材をこなしている。

それにしても……家事と介護がなかったら、もっと訳すことができると思うし、もっと書けると思う。書かなければならないことがたくさんあって、焦りまくっている。今年もこんな調子で終わってしまうのか。もっと書きたい。もっと訳したい。もっと自分の仕事がしたい!

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。