ある翻訳家の取り憑かれた日常

第43回

2024/09/17-2024/09/30

2024年10月10日掲載

2024/09/17 火曜日

取材日。義父母の介護というテーマで、特集を組まれるそうだ。10時から約一時間半のインタビュー。しかし、介護問題は本当に複雑だ。世の中はいまだに、嫁、あるいは娘に年老いた親の介護を任せたがる。はっきり口に出したりはしないが、そういうプレッシャーをじわじわとかける。介護にまだ携わってない人は決まって、「そんなのやらなければいい」、「無視すればいいじゃん」と、突き放すよう女たちに助言するのだけれど、それほど簡単な問題ではないし、人の心に白黒をつけることは難しい。手を出さないならお金を出すという方法もあるのに、口を出す人ほどお金は出さない。これはもう、テンプレートみたいなものだ。介護も子育ても、お金で解決できる問題は多くある。

2024/09/18 水曜日

次男の学校で面談。車を一時間飛ばしてようやく到着。担任の先生は、たぶん私と同年代の国語の先生。大人になってから先生に会うと、その人となりがよくわかるというのに、子どものとき、自分の目の前にいた先生たちは、とてもミステリアスな存在だった。理解したいのに、なにかバリアのようなものがあって、よくわからなかった。先生のお気に入りになりたいのに、全然好きになってくれないもどかしさ。でもそんなミステリアスな先生がふとした瞬間、うっかり人間らしい姿を見せた途端、目撃出来た喜びで、飛び跳ねて大騒ぎした、そんな子が私だった。好かれるわけがない。

2024/09/19 木曜日

明日、私からすると大変緊張しそうなミーティングがあるので、今日のうちに仕事を思い切り進めておこうと張り切って作業した。今訳している本が難しくて頭を抱えている。日本語で書かれた参考資料があり(参考資料というか、資格取得のための教本的なもの)、それを読んでいるのだけれど……何が書いてあるのかさっぱりわからん。私は抽象的な表現を理解するのが苦手なのだが(書くのも苦手)、そんな文章が延々と続いている。哲学書でも読んでいる気分だ。中学生のときにめちゃくちゃ背伸びして大江健三郎を読み、「?」ってなった時の気持ちに似ている。「?」ってなったあと、「この人、どういうこと?」って思った記憶。

2024/09/20 金曜日

今日は午後に緊張するミーティングがあった。一時間ほどで終了。よくわからない大きな波に飲み込まれつつある私。

2024/09/21 土曜日

なかなか良い天気。9月も下旬だというのに気温が下がらない。琵琶湖はいまだに混雑している。子どもたちは各自、部屋でゆったりしているようだ。夫は会社の仲間と山登りに行った(登山部)。10時頃になって固定電話が鳴り、そのなんとなく暗い音色から、義父からとわかった。出ると、もうすでに泣いている。

「どうしました?」
「いつ来てくれるんや?」
「今日は行けないですね。すいません」
「……ピー……」

訪問看護師さんによると、フレイル(加齢が原因で心身が衰えてしまうこと)が始まっているということだった。ここ数か月での体重減少が気になるそうだ。嚥下障害もあるようなので、食事そのものを変更する必要があるらしい。デイを増やすことを検討。

2024/09/22 日曜日

新車の6ヶ月点検。夫に後ろを当てられたので(むかつく。運転下手くそか)その修理の見積もりもお願いしたら、7万だそうだ。担当してくれているMさんは走行距離を見て、「結構、走ってますね~!」とうれしそうにしている。走ってますよ、めちゃ走ってます。動く事務所みたいになってます。Mさんのお勧め通り、電源を2箇所設置して本当によかったです。小回りの利く車をもう一台欲しいところ。買い物に行くには多少大きすぎる。夢は語っていいはずだ。おばちゃんだって大志を抱いていい。

2024/09/23 月曜日

三連休最終日、夫とともに夫の実家へ行く。義母は元気そうだが、若干、ぼんやりする時間が増えたような気がする。今自分がどこにいるのか、何をすべきなのか、そういった理解が徐々に失われているのがわかる。でも、仕方がないじゃないか。だれだって老いて衰えていく。そんな状態になったとしても、幸せに生きる方法はいくらでもあると思う。あとは本人の気の持ちようで、状況を変えていけばいい(聞いてるか、義父)。

2024/09/24 火曜日

京都新聞「現代のことば」締め切り。現代のことばも、3年目に入った? 結構長く書かせて頂いてうれしい。新聞のパワー(とくに関西における京都新聞パワー)はすごくて、頻繁に声をかけられるようになった(「京都新聞、読んでるよ!」)。午前中に原稿を仕上げて、送って、大急ぎで義母をピックアップ。午後2時から3ヶ月に一度の認知症外来なのだ。

義母は医師にいろいろ質問されていたが、何も答えることができなかった。もうそんな質問しなくていいじゃんと、最後の方は私も投げやりになってしまった。

「発症から6年ほど経過していますから、平均的な予後としまして……」という話になって、ああああ、本人の前で言わないであげて、理解していなかったとしても辞めてあげてと辛い気持ちになる。義母を送り届けて、よれよれで家に戻る。何もしたくない。ただただ、寝たい。

寝ていたら次男がやってきて、「かあさん、晩ごは……あ、いいや、俺、食いに行ってくるわ」

結局、兄と一緒にスーパーに行って、食材を買いそろえて料理していた。双子は最高。18歳、最高。息子と犬が元気でいてくれたら、私はもうそれでいい。

2024/09/25 水曜日

疲れが抜けない。昼過ぎまで寝て、そこから起き出してノロノロと仕事をはじめるが、進みが悪い。夫も会社を休んで介護に奔走しているが、徐々に痩せてきた! おい、だいじょうぶかと聞くと、だいじょうぶだと言うが声が小さい。あれれ、これもしかして介護鬱とかになってないかしらと危機感を抱く。私のメンタルクリニックの先生、面白いよ。行ったらいいのに。

2024/09/26 木曜日

帰宅した夫の顔色が悪い。「おい、具合悪いのか?」と聞いたら、気分が落ち込んでいるという。

ははーん……。

「それってもしかして、両親のことで?」と聞くと、「……」が答え。これは介護で相当やられちゃってるなと気づく。私からは連日メールでケアマネさんからの伝言が届くし、訪問看護師さんの助言が届くし、もういっぱいいっぱいなんだろう。親とは、家族とは。どこかのタイミングで必ず困難がやってくる。

2024/09/27 金曜日

ゴールデン・レトリバーのイリス(女の子5歳)を預かった。テオが保護されたドッグスクールのトレーナーさんの愛犬で、私はイリスが子犬の頃から良く知っている。わが家の先代ハリーもイリスと仲がよかった。保護された直後からイリスとぴったりくっつくようにして数ヶ月を過ごしたテオは、まるでお姉ちゃんに頼り切る弟みたいに、イリスを見ると大喜びして、寄り添って離れない。一日中、片時も離れず一緒にいた。それにしてもイリスの優しそうな表情。犬であっても当然、性格というのは表に出るのだ。

きゃわいい。

2024/09/28 土曜日

問題発生で、いろいろと動いていた。大切なのは、常に情報をシェアすること、相手を思いやること。忘れるな、俺。常に相手の気持ちを考えろ。

2024/09/29 日曜日

夕べ眠れずに(泣いていたわけではない)、明け方むくりと起き上がって、急いで短い文章を書いた。来年には完成させたい長い文章の一部になった。そこからベッドの上で一時間ぐらい腕組みして、考えに考えて、また少し書き足した。そのうち外が明るくなって、超早起きのテオが部屋に飛び込んできた。テオは面白い子だ。天性の明るさがある。あんたは絶対に幸せになれるよ。

2024/09/30 月曜日

ちょいと訳あって、急きょ、出張。朝早くの新幹線に飛び乗る。到着して改札を出ると、今日、話をする人が待っていたくれた。喫茶店に移動して、しばらく話す。別れる。お土産をささっと買い、帰りの新幹線に飛び乗る。京都駅の伊勢丹に寄り、とらやの栗羊羹を買って、スキップして家に戻った。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。