2024/10/01-2024/10/14
2024/10/01 火曜日
少し前に取材を受けたライターから原稿が送られてきた。特集記事で、文字数は多い。内容を確認したら、予想外だった。どう予想外だったのかというと、かなり踏み込んで書かれていた。雑誌によって記述のスタイルがあって、ライターは担当編集者や編集部に求められる文章を書くのが仕事の一部だというのは理解しているつもりだ(私の仕事も基本は同じ)。それでも、ちょっと書きすぎなんじゃないかなと思った。これが世に出てしまうと困る。
ここで、ライターと私との、同じ書き手としての一騎打ちの様相になった(私のなかで)。
相手も書く人。私も書く人。互いにわかったうえでの仕事だったはず。私がここまで書いてもOKな相手だと踏んでのことだった? そう考えると、じわじわと、戦ってもいいのでは? と思えてくる。
『義父母の介護』についての特集ということで、一時間半程度のインタビューを受けた結果だった。エスカレートしがちなトピックなので、気をつけてはいたのだけれど……。
私は常に書く側の人間で、いろいろな人のことを書いてきたわけだけど、書かれる側になると一気にセンシティブになるのはフェアじゃないのでは? 恥ずかしい人間なのでは? そんなことを苦し紛れに思いながらも、しかしちょっとこのままでは無理があると粘った。週刊誌だから事前にチェックできたけれど、これが新聞だったら(事前にチェックできないので)大変だったなと青くなった。
これが書かれるということか。これは神が(いるかどうかわからんけど)私に与えた試練に違いない。
2024/10/02 水曜日
出先から(コメダリアンの正しい行いとして、コメダで仕事をしていた)、原稿を戻した。大幅に書き直して差し替えて頂きたいと言いたいけれど、我慢して問題部分を指摘して戻したが、私、こんなこと初めてかもしれない。以前も一度くらいはあったような気もするが、それでも数年以上前のはずだ。ほとんどの取材は全く問題なく終わる。何に違和感があるのだろう。記述スタイルだろうか。私はこんな話をした記憶がないという強い思い。
すぐに、丁寧なメールが戻って来た。配慮が足りなかったと書いてくれていた。修正された原稿も戻って来た。それでも書かれ過ぎていると感じる。私も時間がなくて、徐々に消耗してきた。どうしたらいいだろう。
思わず、今まで私が書いてきた人たちの姿を思い浮かべた。
まずは、兄。彼はもう亡くなっているので(私的には)問題はないが、もし仮に生きているときに私が何か書いたとしたら、烈火の如く怒り狂って文句を言ってきたに違いない……今の私みたいに。突然電話をかけてきて、「なんだてめえ! 勝手に書きやがって! 許さねえぞ!」と吠えたに違いない。大きな声が聞こえてくるようだ。
それから母。無言で抗議するだろう。うつむいて、静かに。そして暗い顔をするだろう。こちらも見えるようだ。ゲンナリしてきた。
そして父。ひたすら何も言わない。リビングの長椅子に無言で座り、いつものセブンスターを一本。窓の外を眺めながら、ゆっくりと火を点ける。深くひと息吸い込んで、そして煙を吐き出す。全身から、「すでに読んだ」というオーラを出しながら。このときの父は、今の私よりもずっと若い。想像するだけで複雑だ。
義父母。考えたくない。
私が長らく書いてきた自分の家族のなかで、私が誰に一番近いかというと、やっぱり兄だ。この年になって気づき始めた。私も立派に面倒くさいやつなのかもしれない。恐怖だ!
2024/10/03 木曜日
原稿が再び戻って来た。大変申し訳ないと書いてくれていた。昨日の修正原稿も含めて本日正午までにご指摘下さいとある。ここでもうワンプッシュしたら、崖っぷちに追いやることになってしまうのか。ここまでくると自己嫌悪だ。すぱっと戻せばよかった。締め切りがタイトなのはわかりきっているのに。
2024/10/04 金曜日
原稿に関するやりとりが多く、とうとう怒り心頭になってしまった。見事に一日潰れた。というか、私が潰したのだ。もう散々な結果で、全てをなかったことにしたい(したいけど、ならない)。
2024/10/05 土曜日
きっと相手も傷ついたはずで、つらい数日を送っただろう。でも、こうやって怒りながら私だって傷ついている。私たちは双方が大いに傷ついた。たかが一本の原稿で。それで得たものはなに?
2024/10/06 日曜日
遠い目の一日。
2024/10/07 月曜日
気を取り直してめっちゃ翻訳。気分を上げていくには、仕事しかない。
本文のなかに、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズが1902年に書いたという『The Varieties of Religious Experience』からの引用が2箇所あった。もちろん、読んだことなどないが、調べたら岩波文庫から『宗教的経験の諸相』として出版されていることがわかった(kindleバージョンはない)。上下巻だ。岩波文庫さんかっこいい。
『The Varieties of Religious Experience』自体は、様々なデータ形式でWikisourceにあって、該当する箇所はLecture XIV and XVに1箇所あるところまでわかってダウンロードもできた。さて、これが翻訳版の何ページにあるのかっていうことなんだが(原書だとP339)、これはもう現物を手に入れないとわからないので、図書館に行こうと思ったが、近隣の図書館にはなくて、車で30分ぐらい行った場所の図書館にある。どうしよう。
amazonのお届け予定が当日だったので、紙版を買うことにした。出かけて戻ると数時間のロスになるから。
2024/10/08 火曜日
2つの引用箇所は『宗教的経験の諸相』(上)P52と、(下)P153にあると最終的にわかった。翻訳書の1刷が発行されたのが、私が生まれる前。引用箇所を探し出すのに、かなり時間がかかった。インターネット上にある原文と、手元にある翻訳書を見比べるという修業に近い作業を乗り越えたが、エネルギーは残っていない。それでも、やりきった感があって満足した。終わらない作業はない。できる、俺なら。
2024/10/09 水曜日
翻訳。『宗教的経験の諸相』を訳したのは、哲学者の桝田啓三郎氏。50年以上前の翻訳だが、正確さに驚く。紙の辞書を駆使し、原稿用紙に手書きしていただろう作業内容を想像して、ワイなんてゴミみたいなものだなと思った。そのうえ、しょーもないことで怒ってしまった。しかし、自分が生まれる前に訳された文章を読む作業は、感動的だった。夢があるよね。
2024/10/10 木曜日
テオにフィラリアの薬を与えた。ハリーは錠剤を飲むのが上手だったのだが、テオは錠剤を口のなかでより分けて、外に吐き出すのが上手。テオは横顔と正面からの印象がかなり違う。不思議な目の色をしている。灰色と茶色が混ざっている。テオもハリーに負けないイケワンだ。
2024/10/11 金曜日
ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞したニュースを見た。いままで、韓国文学を息長く出版してきた出版社にとって、いい波がやってくることを祈る。それにしても素晴らしいことだ。
2024/10/12 土曜日
書き下ろしの原稿を仕上げなければならないのに、翻訳が難しくて、一日が終わる頃には頭が動かなくなっている。最近わかってきたのだけれど、これは加齢だ。これから先の10年を漠然と考える。仕事、どうしようか。翻訳は体力的にもう無理なのか? いや、そんなことはないはずだ。諦めたら終わりなのだ。今まで通り、翻訳とその他の文章の執筆の二本立てで頑張っていくしかない。
2024/10/13 日曜日
クォン・ナミさんからメールが届く。私とナミさんは、集英社の「よみタイ」で往復書簡の連載をしているにも関わらず、普段からメールをしあっている。村上春樹の作品を10作以上も訳しているナミさん、村上がノーベル文学賞を有力視された2016年当時のことを教えてくださった(ちなみに受賞したのはボブ・ディラン)。私、すごい人とメールのやりとりをしているのだなって改めて思った。クォン・ナミは情熱の人。燃え上がる炎のような闘志を持つ人。彼女の作品がもっともっと日本語に訳されて出版されますように。
2024/10/14 月曜日
スポーツの日ということで、息子たちが剣道の練習に行った。お揃いのニットキャップをかぶって。兄は黒、弟は緑。18歳にもなって、お揃いで行こうと決めるあたりが面白い。双子の間には、母親の私でもはっきりとは理解できない、強固な繋がりがある。二人の後ろ姿を見送って、安心して昼寝した。
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。