ある翻訳家の取り憑かれた日常

第73回

2025/11/10-2025/11/23

2025年12月18日掲載

2025/11/10 月曜日

朝から翻訳。そろそろ苦しくなってきた。それでも、そこに文章がある限り、残りゼロになるまでやりきらないといけない。じわじわと進み続けているが、この苦しさは久しぶりだ。なぜ私は翻訳家になったのだろう?(本質的な問い)

昼過ぎ、義父の住むグループホームの職員さんから電話があり、少し状態が不安定なので、このままお義父様に(電話を)代わってもいいですかと尋ねられた。それはイヤですとも言えないので、いいですと答えて電話を代わってもらったが、義父は涙声で「お金を持って来てくれ」と言う。

「おこづかいはホームに預けてあるよ」と言うと、「いや、あれは自由には使えない。現金が欲しい」と言うではないですか。今度持っていきますと答えたが、職員さんによると、タクシーで帰宅しようとしているらしい。ああ、なんかわかるわ、義父の気持ち。

同じ職員さん曰く、「こんなことも、数か月したら起きなくなります」ということだったが、それは「安定」ではなく「諦め」なのではと考えた。自分の運命を(それが到底受け入れられないことであったとしても)受け入れざるをえないということ。傷ついた心と折り合いをつけるということ……そういうことなのか。なんだか私まで傷つく。繊細ではないと思うが、憑依系なのかもしれない。翻訳作業をハードにこなしていることもあって。

2025/11/11 火曜日

「なぜあんなことをしてしまったのか」と後悔して、いつまでも思い悩むときがある。私にも当然そういうことがあって、夜眠れずに、朝方まで考えてしまう……なんてこともあるのだが、最近、この「なぜあのとき、あんなことを」の悩みを攻略する方法を見いだしたから、忘れないように記す。

後悔の気持ちが募ったら、きちんと順を追って説明してあげればいいのだ。誰にって、もちろん自分自身に。なぜそのようなことが起きたのか、そして、本当にそれは大きな過ちだったのか、友人・仕事関係を危うくするほど深刻なインシデントだったのか、それとも、考え過ぎなのか。

ひとつひとつ、丁寧に心のなかでリプレイして、自分を納得させていく。そのうえで、相手に説明が必要であれば、説明をする。だいたいのケースで、「そんなこと気にしなくてもいいよ」という結果となるはず(そう願う)。実際に「なんやねん、あいつ」と思われていたとしても、「あのときは、ごめんね」と言えたなら、多くの場合「気にすんな」で終わると思う。中年の人間関係なんて、心からのごめんで解決できなければ、そこで終了でもいいだろう。

2025/11/12 水曜日

メンタルクリニック。

過去数年分の手書きのカルテをめくりながら、「ええと、〇〇についてはどうなりました?」と、先生は聞く。「ああ、そのことですが、それは……」と、私はあっさりと回答する。

「その時の気持ちはどうなりました?」
「そうですねえ、あまり気にならなくなりました。繰り返すようですが、人間、健康が一番ですから」
「君はやはりいいことを言うね。その通り、健康でいることが一番なんだ」

2025/11/13 木曜日

長い、長い本を訳している。ただただ、訳している。ここまで長いともう、著者と本に愛情しか感じられなくなってきた。決して間違えるものかと必死になっている。こんなにややこしい本なのに、なぜこんなにも愛おしいのか。あなたが好きです。自分で自分が怖い。

著者は、遠い日本の山奥で、おばさんが一人、髪をボサボサにしながら、片方ずつ別の靴下を履いて、ユニクロのヒートテックの上下を着用、じわじわと翻訳していることをきっと知らないだろう。それでも、私は著者が書いた文字列を睨みながら、確実に進んでいる。あなたの頭のなかに次々と湧き上がってきた文章を、日本語に変換し、原稿を書いているのよという念を著者方向に送りながら。今日で230151字。届いていますか(やっぱり怖い)?

これはもう、愛と呼んでもいいのでは?

2025/11/14 金曜日

『兄の終い』文庫版が増刷して3刷になった。書いたものが映画化されると、1億ぐらい儲けたみたいに勘違いされることが多発するんだが、そんなわけないじゃない? 私みたいに本を書いている人がお金を稼ぐ手段は、本を書くことがメイン(あとはイベントとかね)。ということで、本が売れないと、私は稼ぐことができない。だから、3刷はありがたい。

本を書いて収入を得るというのは難しいところもあって、出版しなければ収入には繋がらないが、逆に出し過ぎても売れなくなるというジレンマがある。

今年はそこまで多く出版した記憶はないが(今年はなにせ映画一色の一年だった)、来年以降は入稿した状態の翻訳本、つまり今現在ローディングされた弾がいくつかあるので、スケジュールの調整が難しくなるかもしれない。事務作業も追いついていない。来年は要注意だ。

2025/11/15 土曜日

たろちんの『毎日酒を飲んでゲーム実況してたら膵臓が爆発して何度も死にかけた話』を読んだのだが、とてもよかった。過度の飲酒で急性膵炎(それも重度)になり、本当に何度も死にかけたたろちんの闘病記なのだが、こう書いていいのかわからないけれど、とても面白かった。闘病の様子を読めば、たろちんが今も元気で、そのうえこの一冊を見事に書き上げたことが奇跡だとよくわかるのだが、とにかく、膵炎の恐ろしさと、膵臓に引っぱられて他の臓器がシャットダウンしていくことの絶望感、それなのに何度も生き返るたろちんの奇跡が素晴らしい。人間って強いね。医療ってすごいね。

こんなにも壮絶なことを書いているのに、筆致は爽やかな上に笑わせる。「死にかけ」というギリギリの世界を見た者だけが至る境地。あちらの世界へシフトしちゃおうか? と、思わずよろめくときの、開放感にも似た気持ち。そのような気持ちは、たろちんにもあっただろうか。回復後の闇は、どうだっただろう。

すべてを吹き飛ばすような明るさのたろちんに慰められた。すべての大病経験者にお勧めしたい一冊。闘病記界に新星現る。

2025/11/16 日曜日

「一緒に(グループホームに)面会に行かない?」と夫に聞かれ、数秒迷ったのだが、義母だけに会いに行くことにした日。

義母はずいぶん痩せた。十年ほど前までは、ふっくらとして貫禄があって、堂々とした人だったが、数週間前に始まった食欲の低下で、あっという間に今の状況になった。

私が弁膜症で入院したときも、看護師さんには「寝てちゃだめ」「もっと食べて」と、本当に何度も言われた。「少しでも寝てしまうと筋力が落ちるから、歩いて!」と、手術翌日からリハビリが始まって、なんというスパルタと驚いたけれど、それでも筋肉が落ちて、その落ちた筋肉はなかなか戻らなかった。

そんな体調不良だった当時大変気に入っていた病院のリクライニングベッド。背中とか腰が上がったり下がったりするんだけど、あれ、本当に最高なんだよね〜、ベッドというか、あれはほとんどソファじゃない? 健康になった今、寝てもいいんじゃない? と、突然思いはじめた。柵とかつけたら、iPadを設置できる。一日中寝ていられるんだ、あのベッドは。そうだ、あのベッドを買おう!

義母を心配するモードから、ナチュラルにお買い物モードへ。来年はベッドを買う(決意)。

2025/11/17 月曜日

電動リクライニングベッドを探して一日が終わった。

2025/11/18 火曜日

「リクライニングする電動のベッドを買おうと思う」と夫に言うと、「はぁ? またそんな変なこと言い出して。去年はチンパンジーの寝床を参考にしたベッドを買うと言っていたではないか!」と言われて、ふと思い出した。そうだ、人類進化ベッドについて忘れていた! 

……値段を見て諦めさせていただきました。

やはりリクライニングベッドだと思う。様々なメーカーで比較検討してみよう。

2025/11/19 水曜日

映画『兄を持ち運べるサイズに』の本編シーンが少しずつ公開されている。オダギリジョーさんが不思議なことに兄に見える。そんなことあるわけないのに、オダギリさんが兄に見えて仕方がない。

2025/11/20 木曜日

右手首の腱鞘炎が再発か。やはりハードな翻訳は手首を痛める。シップを貼って、サポーターを巻いて作業した(意味ない)。

2025/11/21 金曜日

大阪から着電。どういうこと? と思ったわけだが、兄のケースもあるため、最近は比較的スムーズにケータイの着信に応じるようになった。

「先日、日経新聞プロムナードで、マルニ竹内商店さんの蟹について書かれていたと思うのですが、村井さんですか」と聞かれる。何か問題あったのだろうかとヒヤッとして、「何か問題ありましたか(というか、ケータイの番号知ってるのなぜ)?」と聞くと、「いえ、問題ではありません。こちらは生活クラブです」ということで、竹内さんの蟹を販売している生協の広報の方だった。私は生活クラブのハードユーザーなのだが、いろいろとバレたらしい。日経パワーすごいね。

来年初めの蟹の特集で原稿を書いて下さいとのことでした。今年は豊漁らしく、例年の10倍だそうだ!! まじーー!!

2025/11/22 土曜日

右手首の腱鞘炎が再発したのが問題なのか、それとも私の脳になんらかのバグが発生しているのかわからないが、ミスタイプがかなり増えている。こんなこと、昔だったらあり得なかったので、これもすべて老化が原因だと思っている。「村井」と書いたつもりが「イラ夫」となっており、そのまま送信してしまった。

2025/11/23 日曜日

今日、実はTOHOシネマズ梅田で舞台挨拶があって、中野量太監督とオダギリジョーさんとご一緒するという、こんなことがあっていいのかという混乱の一日でした。間近で見るオダギリジョーさんは、映画から飛び出してきた、そのままのオダギリさんでした。

多くは書くまい。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(2巻まで刊行、大和書房)、『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。