ある翻訳家の取り憑かれた日常

第74回

2025/11/24-2025/12/07

2026年1月8日掲載

2025/11/24 月曜日

徳永英明は大ヒット曲『レイニー ブルー』のなかで、こう歌っている。

レイニー ブルー もう終わったはずなのに
レイニー ブルー 何故追いかけるの

恋人との別れのあとも、その姿を追い求めてしまう人間の切ない心情だが、義父からのアプローチが絶えない私は、追いかけられた側の気持ちでいる。

グループホームに入居したら、すべてが終わると思っていた。あんなこともこんなことも、過去にきれいに流されて、新たな、そして至極ドライな関係性に変わっていくだろうと思っていた。いや、関係性なんてものは、築かれることさえないかもねと考えていた。

冷たいと言われてしまえばそれまでだが、グループホームに入っていく義父の後ろ姿を見つめながら、心のなかで小さくグッバイしてたよね。
さよなら、義父。これからは強く生きるのよ……。

しかし!

義父の「家族への執着」というモンスターじみた感情は、施設の頑丈なセンサー付き扉など簡単に突き抜ける。そして私をがんじがらめに拘束する。面会に行けば泣かれ、次はいつ来てくれるのかと叫びにも似た声を出される。自分の原家族からは決して受けることのなかったこの居心地の悪い拘束を、よりによって、(冷たい言い方だったらごめんやで)血のつながりのない90代の男性から与えられているとは。まるで地獄、恐怖、意味わかんない! でも、創作意欲爆発!

義父のずるいところは、このような「泣きながらの懇願」を、決して私以外にはやらないところだ。
キャラが立ちすぎてはいないだろうか。

2025/11/25 火曜日

人間とは。
人生とは。
ぐるぐると考えているが、自分を幸せにできるのは自分しかいねえな。
そのように理子は理解した。

2025/11/26 水曜日

引き続き、めちゃくちゃいろいろと考えている。50代をどう生きるべきか、60代をどう乗り切るべきか。一日も長く自我を保つにはどうしたらいいのか、年老いたときに健康でいられるにはどうしたらいいか、新NISAはどうなのか、昨日買ったはずのロールパンがどこにもないのだが、テオがやらかしたのか!?

考えることばかりだ。

2025/11/27 木曜日

いろいろ考え続けて数日経過したが、とんでもなく一人暮らしがしたくなり、インターネット上で物件をチェックしはじめた。一人暮らしだったら1LDKで十分で、キッチンも簡単な作りでOKだ。料理をしないというよりは、簡単な料理で満足できる自分になってきたから。何かを茹でたり焼いたりして、ごはんを一合程度準備すればそれで合格じゃない? 

テレビもいらないし、衣類もたくさんはいらないし、靴だってスニーカーで十分。できれば軽自動車はほしいが、必須ではない。冷蔵庫だって小型のものでいい。

しかし、ソファは巨大なものがいい(インターネットしつつ、そのまま寝ることができる程度の大きさを求める)。iPadとノートパソコン、光ケーブルは必須だ。あとはどうでもいいや。

断言するが、40代から上の世代の女性で一人暮らしを夢見ていない人などいない。日々の妄想が止まらずに、半日は別の人生で生きている感覚が私にはある。


2025/11/28 金曜日

今日は、映画『兄を持ち運べるサイズに』の公開日! 記念すべき日だ。
実際の映画製作チームに入っていない私でさえも、ここまで長い道のりだったような気がする。
兄が亡くなったあの日から、今日という日に繋がる一本の線のようなものがあったのだとしたら、とうとう終点まで辿りついたということなのだろうか。すごい。こんなことになるとは夢にも思っていなかった。

初日に早速観に行ってくれた従姉妹からメッセージが届いた。兄が可愛がっていた子だ(とはいえ、すでにお母さんだが)。

映画公開おめでとう。
先程母と一緒に映画をみてきました。理子ちゃん、兄ちゃん、あっちゃん(注:母のこと)もおじさん(注:父のこと)もいたー。本も泣きながらよんだけど映画も涙涙だったよ。元気だった兄ちゃん知ってるから、そのまま会えてないし、ほんとに死んじゃったんだなって…母は映画が終わっても最後まで席をたたず泣いていました。会いたくなっちゃった。

実は、兄を迎えに行くとき、私と同行してくれた叔母がいる。塩釜署まで一緒に来てくれた。その叔母からは、こんなメッセージが来た。

ひとつひとつのエピソードが優しく、涙、涙だった。兄の人なつっこさが描かれていてよかった。

親戚も私も、兄という強烈な存在が消えたことについて、今だに信じられないままでいる。


2025/11/29 土曜日

『兄の終い』文庫版がめちゃ売れしているのでテンションが上がっている。テンションを上げながらも、「兄の死について書いた本がぐいぐい売れたことを喜んでいいのか……?」という疑問が湧いてくるのだが、私たちの仕事は、全身から血を流しながら進むみたいな部分があるので、今はとりあえず喜んでおけばいいと思う。来年もたくさん書きたい。そのためには、少し休む時間も必要だと、ひしひしと感じている。

2025/11/30 日曜日

前略 兄ちゃん

兄ちゃんがロールケーキになりました。多賀城にある人気のお店、ファソン・ドゥ・ドイさんが映画の公開を記念して、#兄サイズ ロールケーキの販売をしてくれています。兄ちゃんがこの事実を聞いたら、ワハハと大声で笑ったでしょうね。

2025/12/01 月曜日

メンタルクリニック。

「あなた、アサーションという言葉、知ってます?」
「え、知らないです。アサーション……聞いたことがあるような、ないような……」
「日本語にはこの言葉がないそうですよ」
「へえ、そうなんですね」


「アサーションとは、自分も、相手も尊重しつつ、自分の意見をしっかりと主張するというスキルなんですよ」
「いいスキルですね」
「あなたはできそうな気がするけどね」
「うーん、どうでしょう……」


「お子さんには、そういう力があるといいですね。これからの時代、大切やと思うなあ」
「そうですね。彼らにはすでにあるような気もします」

2025/12/02 火曜日

友人たちが早速映画を観に行ってくれてありがたい。みんな、帰りにスーパーに寄って、焼そばを買っている。兄=焼そば。これは私の中にもしっかりと定着している。

2025/12/03 水曜日

2026年はハードに仕事をしなくていいように、今年は相当原稿を書き、溜め込んで来たのだが、ここになって翻訳作業が佳境に入り、ほとんど朝から晩まで作業をしている。この状態に入ると、むしろ作業が楽しくなってきて手を止めると不安になるので、このまま突っ走ってしまえばいいと思う。ずいぶん長い原稿になってしまったと遠い目。でも、書けるのだから、いいじゃないかと自分を慰める。書けるうちが花なのだ。

2025/12/04 木曜日

2025年問題(団塊の世代が後期高齢者となる)が話題なのだけれど、それよりも私が気になるのは2030年問題で、日本の人口の約3割が高齢者となることであり、それってワイのことやんとドキリとしているし、厳しい現実からはダッシュで逃げたい。このままいい加減に生きることはできないものだろうか。これから先の人生、結構厳しいような予感がして萎えてきた。やっぱりお金なのか? お金がすべてなのか? 大好きな高田純次さんは、そんなことを言っていなかったような気がする。

2025/12/05 金曜日

義母の親戚から、鬼のように着信していて震えている。なぜ夫に連絡しないのか、甚だ疑問。私なんて他人じゃん(また冷たいこと書きました)。

この日記は、あくまで日記なので、私の心情を素直に吐露していいのだと思うのだが(ありがたいことに多くの読者の皆さんに読んで頂いてはいるものの)、これはThe daughter from California syndrome(カリフォルニアから来た娘症候群)のようなものだと思う。介護にそれまで関わっていなかった人が突然現れて、様々な方針を覆すという、よく聞くアレだ。21時過ぎに何度もかけてくるあたり、酔っているのだろう。嫌すぎる。

2025/12/06 土曜日

東京出張。読売新聞東京本社3階(よみうりカルチャー)でトークショー。なんと会場にカータンが来てくれていた。参加してくれたみなさんの中には、カータンのイベントに出たことで私を知った方も多くいると思うのだが、一番後ろの席にカータンがそっと座っていたことには気づいていなかった。最後に挨拶したかったのに、カータンはさっと帰ってしまった。相変わらず、上から下までおしゃれ。カータンは日本のアナ・ウィンターだ。

来年、ご一緒するイベントがあるので、それを楽しみにしておこう。

イベント終了後、担当編集者田中さんと牟田都子さんとコーヒー飲みつつおしゃべり。イベント後の独特な疲れを、牟田さんが「ある種のPTSD」と表現した。まさに、その通りだ。いつものメンバーということもあり、楽しく過ごした二時間だった。

2025/12/07 日曜日

ぼんやりとニュースを眺めていて、これからは生活のあり方が変わる時代を迎えるのではないかと思った。家族の絆を重んじる昭和が終わり、絆を、縛りを重圧だと捉え、自由を求めた平成が過ぎ、今や令和となって、一周回って家族が、もう少し広く言えば、親類同士が助け合わないと生きていけないような時代に突入していくのではあるまいな!? と、不安になってきた。

世界情勢も不安定だし、気候も変わっているし、なにより日本は災害が多い……などなど考えつつ、先日から痛み出した左膝が気になってきている。オマケに琵琶湖の水位も下がっている。せめて水位だけは高くキープしてほしい。私の願いはそれだけだ。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(2巻まで刊行、大和書房)、『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。