真空ジェシカ ガクの文字しぼり

この連載について

お笑い芸人ではあるはずなんだけど、ネタは考えてないし普段から全然頭を使ってない。
そんな奴が、その場で一言振られて一瞬で頭を巡らせて面白い事を返すなんてのは難しすぎる。
一旦、じっくり考えて文章をしぼりだすことから始めたい。
僕が生きていくなかで自然に吸い取った経験をしぼった汁がすすれる連載です。

第4回

アルバイトでしぼる

2024年1月18日掲載

年が明けた。ちゃんと2024年になって良かった。毎年ちゃんと正確に年が1つ増えるとは限らない。
1999年から2000年になる時の緊張感を僕はいまだに覚えている。
コンピューターは西暦を下2桁で管理してる事が多くて『99』から『00』になった時、1900年の事だと認識して、なんかデータがめちゃくちゃになっちゃうかも!みたいなヤツがあった。いわゆる2000年問題だ。
小学生の僕はそれがどんな問題なのかをちゃんと把握してなくて、上手く2000年になれずに過去に戻っちゃったり、未来に行っちゃったり、最悪、世界が滅んじゃったりするんじゃないかと緊張していた。
なんせ少し前の1999年7月にも世界の危機があったばかりだったし。恐怖の大王が来そうな雰囲気がめっちゃあって怖かった。
ノストラダムスの予言は外れたっぽかったけど、その後すぐに2000年問題が来たもんだから今度こそ地球は終わるのかもと思った。
結局、いまだに地球は存続し続けられていてラッキーだ。今年もきっちり1つ西暦を増やす事ができた。あけおめ。ことよろ。

そんでこれは年の数が1つ増える前の2023年の話なんだけども、M-1グランプリという漫才の大会の決勝に出る事ができた。
去年、『アンコントロール』だったキャッチフレーズは今年『アンコントロールⅢ』になった。
正確に数字が1つ増えるとは限らないのだ。アンコントロール歴は2年目だったけど、この場合はM-1歴が優先されるらしい。Ⅱを飛ばしてⅢになった。数学は難しい。
3年連続3回目のM-1決勝となったが、また優勝はおろか、ネタを2本やることもできずに終わった。お笑いは難しい。
M-1後に芸人に会うと「仕事増えた?」とよく聞かれるんだけど、正直全然増えてない。現状維持。変わらない日々を過ごさせてもらってる。
けど、変わらないでいられている事、維持できる現状がある事はだいぶありがたい事だ。
定期的に仕事をもらえてるってだけで芸人としてこんな幸せな事はない。
現に僕らも初めてM-1の決勝に行くまでの10年間 くらいはほとんど仕事なんかなかった。めちゃくちゃアルバイトをしながらオーディションに行ったり、ライブに出たりしていた。マジであの日々には戻りたくない。
アルバイトで楽しかった思い出もあるけど、楽しい気持ちになる度に「アルバイトで楽しい気持ちになっちゃダメだろ」と心の中の厳しい僕が、厳しい意見を言ってきていた。
「これに満足して一生アルバイトをし続けてしまうのでは・・・!?」という恐怖があったからだ。
だから楽しくても満たされはしない。そしてもちろん辛いこともいっぱいある。もうアルバイトは懲り懲りってわけ。
アルバイトとはもう決別したいので、最後の別れという意味で今までのアルバイトを振り返っていきたいと思う。

初めてアルバイトをしたのは高1の時。年末年始だけ年賀状をチャリで配達するアルバイトをやってみた。
全然、年賀状を配りたくなんかなかったんだけど、高校生歓迎ムードがあるっぽかったからやった。初めてのバイトは、初めての人がたくさんいそうな所が良かったから。
「アルバイトをする」という事を目的にしたアルバイトだった。
誤配達をしまくった。何日か誤配達をしまくってみたところ、どうやら社員さんは初バイトの高校生の事を強く叱れなさそうだとわかって、すごく適当に配った。
僕の後ろから社員的な人がバイクでついてくるようになった。人一人を無駄遣いさせる事になってしまった。申し訳なかった。
期間が短いバイトは責任感が全然生まれてこない。責任を持ちたくないし、責任がないと何も頑張れない僕には向いてなかった。それ以降、年賀状アルバイトはやらなかった。

次にやったのはマクドナルドのアルバイト。
ここも高校生ウェルカムオーラが出ていたので選んだ。けど理由はそれだけじゃない。
どうやら”バイト内恋愛”が盛んだということを風の噂で聞いたのだ。高校2年生の「僕はもしかしたらずっと彼女が作れず童貞のまま生涯を終えるのかも」期に、かなり勇気を出してマックでアルバイトする事を決意した。
その当時ノートを貸す以外、 クラスで女子と話す機会をほぼ頂けなかった僕は、アルバイト先で彼女を作るしかないと思っていた。
学校では下を向いてモジモジしながら誰とも喋らないスタイルを積極的に取っていて、それが敗因である事はわかっていた。
そこで僕がとった作戦は”一人称を変える”ことだ。当時「自分の事を”ボク”とか呼んでる奴は自分から女子に話しかけたって相手にされないだろ」と思っていた。
けど、学校でいきなり一人称を変えたら「オッ!?こいつ男になろうとしてんじゃん!?」とクラスメイト達に思われるのが嫌だったからアルバイト先でだけ変える事にした。
マクドナルドにいる間だけ、自分のことを”オレ”と言うようにした。
これはすごく不思議なんだけど、それだけでめちゃくちゃ自分に自信が湧いてくるような気がして、背筋も伸びて声量も上がった。ハキハキ喋れた。気づいたら後輩の女の子の恋愛相談に答えていた。恋愛なんかした事ないのに。
恋愛相談をされたら一度持ち帰って、インターネットで知り合った顔の知らない友達に聞いて答えていた。リアル電車男だ。電車男もリアルだったんだろうけど。そしたら、あれよあれよという間に彼女を作る事ができた。妙なサクセスストーリー。
“ボク”を”オレ”にしたら彼女ができた。初めて、人生って意外とチョロいのか!?と思った瞬間だった。

高校卒業するまでマクドナルドでアルバイトをして、大学生になったら大人っぽいアルバイトを始めるぞ〜。と意気込んでイタリアンのお店とカラオケ屋さんでアルバイトをする事にした。どっちも友達も仕事もできなすぎて辞めた。
仕事が出来ない上に協調性がなくて、週5でシフトの希望を出しても週1回とかしか入れてもらえなくなって辞めた。人生は全くチョロくなかった。

人とたくさんコミュニケーションを取らなきゃいけないアルバイトはもう嫌だと思って、コンビニの夜勤を始めた。
どうしても人と接する頻度を減らしたかったから、病院の中にあるコンビニを選んだ。
その病院は23時で閉まって、夜中は夜勤のお医者さんと入院患者さんしかコンビニに来ないからめちゃくちゃに暇だった。
ただ、このめちゃくちゃに暇である事がこのアルバイト先においては最大のデメリットだった。
なぜかというと、そこが夜中の病院だからだ。
まず、コンビニに向かうためには消灯後の真っ暗な病院に入っていかなくちゃならない。
そしてエレベーターに乗ってコンビニの階まで降りる。3Fに霊安室があって、コンビニは4階。霊安室の真下で夜が明けるまでじっとしていなきゃいけないってかなり地獄だ。
この状況で地獄ってあんまふさわしくない例えかもしれないけど。お客さんが来る度に「生きている人間だ!!ありがとう!!」と思っていた。
あと、自動ドアがないのでお客さんが来たかどうかがわかりづらかった。
作業に集中していて、パッと顔を上げたら目の前に人が立っていた時は本当に怖い。1分間に1万回くらい脈を打っていたと思う。だから足音には聞き耳を立てるようにしていた。
ある日、新しい雑誌を棚に並べながら足音がしたので「いらっしゃいませ〜」と言って振り返ったら店内に誰一人いない時があった。そのあと、看護師さんがドタドタと音を立てながら走ってきて「今、エレベーターに誰かいた気がしたんです!!」と僕に言った。病院のコンビニのアルバイトを辞めた。

確か、病院のコンビニで働いてる途中くらいに僕は芸人になっていた。
病院コンビニの次は個人経営のカラオケ屋さんでアルバイトをはじめて、芸人仲間をたくさん誘って過ごしやすい職場を作る事に成功していた。
シフトも変わってもらいやすいし、他の芸人と一緒にシフトに入ると楽しいし、最高だった。
店長もすごく自由な人だった。年は4〜50代くらいで肌を日サロで焼いていて茶色く染めた髪をツンツンに立てた中高年ギャル男だった。
そして女性に目がない人だった。お客さんが少ない日はいつの間にか店からいなくなっていて、時間がたつとキャバクラやガールズバーの女の子を連れて店に戻ってくる。
女の子と一緒にカラオケの部屋に入って、普通にお酒を飲んで楽しんじゃうような人だった。
そういう日は本来の時給以上の賃金をいただけたりするからかなりラッキー。
閉店時間になってキャバ嬢と店長がいる部屋に時間を知らせに入ると、店長がまたいなくなってる。という日があった。キャバ嬢に聞いてもわからないと言う。
仕方ないからその部屋以外を掃除して、店長の帰りを待っていると、閉店時間を3〜40分過ぎた頃に店長がお店に戻ってきた。
髪がしっとり濡れて肌もツヤッツヤになっていた。一回家に帰ってシャワーを浴びてきていたらしい。そんで飼ってるトイプードルを抱っこしていた。アルバイト達への迷惑は一切顧みず、キャバ嬢にモテようとしていた。
僕もいつか自分のお店を持ちたいと思った。やりたい放題やって怒られない環境を作りたい。そのために人はお金を稼ぐんだな。

カラオケも夜勤だったのだが、生活を改めないといけないと思って昼間のコールセンターでアルバイトを始めた。
一日中、クレームの電話を受けて「誠に申し訳ございませんでした」と謝り続けるという業務内容だ。
職場の人はみんなめちゃくちゃ優しいんだけど、業務で受けるストレスがエグすぎて「早くアルバイトを辞めたい」と心底思った。
それが良かったのかわからないが、そのあとM-1の決勝に進む事ができてアルバイトを辞められた。
辞めたすぐあとに、アルバイト先の社員から「お客様問い合わせフォームに”ガク、決勝おめでとう”という問い合わせが来てたよ!」と連絡が来た。どうやら電話対応をした時に「あ!この声は真空ジェシカのガクかも!」と思いながらクレームを入れてきていた人がいたっぽい。クレーマーのファンが一人ついてる事が確定しながら決勝に挑む事となった。

それから今までなんとかお笑いの収入だけで暮らす事ができている。
アルバイトと決別するなんて書いてしまったけど、またアルバイトと再会する事になるかもしれないという恐怖は常にある。
もしそうなった時、もう一度この文章を読んで、どういうアルバイトをするのがいいのかを考えたいと思う。

著者プロフィール
真空ジェシカ ガク

プロダクション人力舎所属のお笑いコンビ真空ジェシカのツッコミ担当。相方は川北茂澄。2011年にコンビ結成。2021年、2022年M-1グランプリ2年連続ファイナリスト。
真空ジェシカ初の冠番組テレビ朝日「ジェシカ美術部」が放送中。
「千原ジュニアの座王」や「まいにち大喜利」など大喜利番組やドッキリ番組に出演し、個人でも活躍。「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」や「真空ジェシカのギガラジオ」が定期配信。