真空ジェシカ ガクの文字しぼり

この連載について

お笑い芸人ではあるはずなんだけど、ネタは考えてないし普段から全然頭を使ってない。
そんな奴が、その場で一言振られて一瞬で頭を巡らせて面白い事を返すなんてのは難しすぎる。
一旦、じっくり考えて文章をしぼりだすことから始めたい。
僕が生きていくなかで自然に吸い取った経験をしぼった汁がすすれる連載です。

第1回

スポーツでしぼる

2023年10月19日掲載

秋がきた。四季の中でも一番好感が持てるのが秋。
暑すぎず寒すぎず、かなりわかってる感じがある。
春も同じくらいの過ごしやすさではあるのに、ヘビーな花粉症の僕にとっては春が一番きつい。
一見、人当たりはいいけど身内には当たり強いみたいなところがある。春とは距離を取って接したい。

だから秋がすごく好きなんだけど、ただ去年くらいから秋花粉も少しくらうようになってしまった。仲良くなりすぎたのかも。秋が素を見せてくるようになってきた。それでも秋は過ごしやすい。

ただ、秋は過ごしやすさナンバーワンな反面、「もう行っちゃうの?もう少しゆっくりしてけばいいのに」ナンバーワンでもある。少しでも目を離すとすぐどこかへ行ってしまう。
だから、秋が来たと思った瞬間にすぐ秋を楽しみ始める必要がある。けど大丈夫。焦る必要はない。
親切な秋は楽しむためのガイドラインを事前に設けてくれている。
「○○の秋」というのがたくさんあって、こうやって秋は楽しんでくださいね。というのを教えといてくれている。

食欲の秋・読書の秋・芸術の秋・スポーツの秋と。
これらを順番にプレイしていくだけで満足度100%で終える事ができるわけだ。大変ありがたい。
僕も早く秋をコンプリートしたい。したいんだけど、どうしてもクリアできそうもないステージがある。スポーツの秋だ。スポーツだけは僕にはどうも難しい。

僕は小さい時からずっとスポーツに対する苦手意識がある。
運動神経が信じられないくらい悪いからなんだけど、それだけでずっと避けてきたってわけじゃない。
僕はスポーツと仲良くなりたかった。何度も接触を試みた上で相性が悪かった。
スポーツとは分かり合えそうもない。どうしてそうなってしまったのか。

今回は、僕がどのようにスポーツに心を開かなくなったのかを書いていきたい。

まずは幼稚園の時から。小さい時の事は正直全然覚えてない。
ほとんど記憶はないんだけど、みんなでアスレチックで遊んでた時に丸太の橋みたいなのから足を滑らせて落下してすごく痛かったのを覚えている。多分この時からどん臭かったのだと思う。
あと、運動会の時はかけっこで絶対「がんばれー!がんばれー!」と言われながら走って、ゴールテープを切った後に拍手を浴びた覚えがある。おそらくいつも最下位だったんだと思う。

みんなが外で走ったりボールで遊んでる時に、僕はそういったのは参加せずに、母親に「ピアノを習いたい」と言った。僕が極めるべきは運動じゃないと判断したんだと思う。

「どのようにスポーツに心を開かなくなったのか」を書いたけど、思い返してみたらもうこの時点でスポーツに心を開いてなかったかも。思いのほかすぐゴールしてしまった。
でもまだスポーツを楽しむことを諦めてはいなかったはず。まだスポーツへのアプローチはちょいちょいしていた。

僕は小学生になり、ちょっとずつ自分が周りより運動神経が悪いことを認識し始める。
それでも休み時間のバスケとか野球には参加していた。
なぜならクラスのみんなは「当然運動がいっちゃん楽しいっしょ」という雰囲気を出していて、運動が楽しくないという顔をしちゃうと仲間はずれにされる気がしたから。

しかし、みんなでスポーツをする時には必ず最初に最悪のゲームをしなくてはいけなくて、それがかなりトラウマだった。
「とりっぴ」と呼んでいたゲームだ。
しまじろうの友達みたいな可愛い名前だが内容は全く可愛くない。
リーダーとなる人同士(だいたい一番運動できるやつ)が二人で「とりっぴ」と言いながらジャンケンをして、勝った方が自分の軍団に欲しい人を指名してチーム分けをしていくというもの。

運動ができない僕はだいたい最後まで残る。
僕という十字架を背負わせてしまってごめんな。と思いながらチーム入りしなくてはならない。
「とりっぴ」は「地獄の審判(ヘル・ジャッジメント)」だった。
幸いイジメっ子みたいなやつは周りにはいなくて、だからこそ運動できない僕を邪険に扱わないようにするみんなの気遣いがキツかったりもした。
「川俣だけちょっと前の位置から球打っていいよ!」僕のトラウマワードの一つだ。

でも、僕には人気者になりたいという気持ちもあった。そのまま運動ができるように努力すればよかったんだけど、間違った頑張り方をしてしまう。

放課後、みんなが野球やバスケをし始めた時に、そこに参加せず”大きな犬のぬいぐるみを持って花壇に座って応援する”という手法をとって注目を集めようとしていた。
小学生ながら「不思議ちゃんキャラ」で売れようとしてしまった。
邪道に進むのが早すぎた。
みんなに変な目で見られている事にすぐ気づいてその路線はやめた。

しかし、運動については苦手意識がより強まった状態で中学に進学する。
僕の中にはずっと「みんなの人気者になりたい」という気持ちと「モテたい」という気持ちがある。
中学で部活を選ぶ際にその気持ちがかなり基準になった。
当時の僕はすごく短絡的なのだが、文化部は冴えないやつが入るものだろうという考えを持っていた。

今考えると文化部に入っていた方が絶対のびのびやれていたと思うんだけど、その時はとにかくイケていたい気持ちが強かった。
けど、サッカー部とか野球部とかイケイケの運動部に入る勇気はなくて、一番運動量の少なさそうな「ゴルフ部」に入った。それでも僕の中で運動部に入るというのはかなりの勇気のいる決断だった。

お年寄りが体を動かすためにやるスポーツクラブの雰囲気で、運動は全然しなかったけど気の合う友達とのびのびやる事はできた。ゴルフ部は文化部だった。
結局、入学当初の「人気者」と「モテ」に関しては、1mmもかする事なく3年間過ごしてしまった。

やはりこれらを手に入れるためにはスポーツが必要なのかと思い、僕の高校編が始まる。
まず僕は”高校デビュー”を成功させた。
しかも、本来不可能だとされている”中高一貫校での高校デビュー”だ。
僕が通っていた高校は、中学からの内部進学もできるし高校から受験で入ることもできる学校だった。
中学時代の僕はゴルフ部の友達以外とは一切会話をしておらず、クラスでは完全に存在感を消して過ごしていた。
それを逆に利用して「高校受験で入ってきた外部生です!」と嘘をついて明るくふるまったのだ。
内部生の中にその明るさと僕の顔が結びつく者はおらず、外部生として処理されてなんとかクラスの輪に入る事ができた。

そしてやってくる部活選びの時間。
いくらスタートダッシュが上手くいったからといって、部活選びをミスったら絶対にすぐコケてしまうだろう。
学校で人と仲良くするためには、最低限の運動神経がいるであろう事は今までの経験で気づく事ができた。ならばゴルフ以上にガチの運動部に入らなければいけない。
そうして僕が選んだのは「ハンドボール部」だ。

やはり、サッカーや野球に高校から手を出すなんてできない。小学校や中学校からずっとやってきている人たちしかいないからだ。
しかし、ハンドボール部はガチの運動部でありながら、だいたいみんな高校から始める。経験者がいないなら同じスタートラインから始められるはずだ。
ここにいれば運動神経を養ってスポーツが好きな人間になれる。

もう一つ僕の中で、運動を好きにならなくてはならない理由があった。
それは、高校デビューにあたって必ず『スポッチャ』に行く日が来るはずだからだ。

ゴルフ部のみんなとも行ったことがあったが、運動ができない僕にとってスポッチャはとても居づらくて罰ゲームみたいな空間だった。
しかし、明るい人たちと仲良くしたら絶対スポッチャに行く。しかもご褒美の感覚で行く。
スポッチャをご褒美と思える感性を育てるために、僕はハンドボール部に入った。

だけどハンドボール部に入って数週間した頃に気づいた。
部活のみんなは、元野球部とか元サッカー部ばっかりで運動の素養がありまくる。
対して僕は基礎能力がなさすぎて、頑張っても頑張っても全然練習についていけない。
そして言われる。

「キャッチボールの時、川俣は届かないからちょっと前から投げていいよ」
トラウマを植え付けた言葉が再度僕に降りかかる。

「それでも届かないならワンバンで投げても全然いいし」
鋭利な優しさに斬りつけられる。

こんな嫌な伏線回収したくなかった。ハードな運動部に入っても同じだった。
それでも休まず練習には参加した。クラスの体力測定のハンドボール投げで、文化部や帰宅部の人にも負けて最下位を取っても参加した。結局3年間ハンドボール部に居続けた。

引退の日、部長が部員一人ずつにはなむけの言葉を贈った。
「お前はエースとして部活を引っ張ってってくれてありがとう」とか。
みんなの良いところを述べて言って、僕の順番が回ってくる。
「あのー、川俣は…」「なんだろう」
めちゃくちゃ優しい部長がすごく言葉を詰まらせている。
「なんか、不思議と部活辞めなかったな!ガッツが!ガッツがすごいよ!!!」
考え抜いた末にガッツを褒められた。
けどその前に”不思議とやめなかった”と言われた事が忘れられない。
僕が部活を続けていたことはみんなに不思議だと思われていた。

こうして、いくら努力しても身につかない事はあると気づいた。
僕はスポーツに見切りをつけた。
一つ一つのスポーツをミュート&ブロックして、スポーツには参加しないしスポーツの話には耳を貸さないように生きる事にした。
そうしたら、すごく楽になった気がする。

大学に入って以降も、実はボーリングとかダーツとかにも運動神経が必要な事を知って幾度か絶望した。その度に全ての競技をミュート&ブロックした。

その結果”歩く”だけが僕の中の運動となった。
そして杉並区から横浜までとか、ディズニーランドまで一日かけて歩くことが趣味になった。
歩く事しか出来なくても十分楽しい。

長い時間かけて、やりたい事は避けて通っても良いという事を知った。
この秋は紅葉を見に長い散歩に行こうかと思う。

著者プロフィール
真空ジェシカ ガク

プロダクション人力舎所属のお笑いコンビ真空ジェシカのツッコミ担当。相方は川北茂澄。2011年にコンビ結成。2021年、2022年M-1グランプリ2年連続ファイナリスト。
真空ジェシカ初の冠番組テレビ朝日「ジェシカ美術部」が放送中。
「千原ジュニアの座王」や「まいにち大喜利」など大喜利番組やドッキリ番組に出演し、個人でも活躍。「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」や「真空ジェシカのギガラジオ」が定期配信。