真空ジェシカ ガクの文字しぼり

この連載について

お笑い芸人ではあるはずなんだけど、ネタは考えてないし普段から全然頭を使ってない。
そんな奴が、その場で一言振られて一瞬で頭を巡らせて面白い事を返すなんてのは難しすぎる。
一旦、じっくり考えて文章をしぼりだすことから始めたい。
僕が生きていくなかで自然に吸い取った経験をしぼった汁がすすれる連載です。

第3回

誕生日でしぼる

2023年12月18日掲載

寒い。寒過ぎる。とうとう今年も季節がこのフェーズに突入してしまった。
12月でこれだけ寒いのに、ここから1月、2月とまだまだ気温が下がっていくであろう事があまりにしんどい。
正直、今の時点でこれが今季の寒さの序盤である事は信じ難い。もう限界くらい寒いから、あと2段階の進化を残しているのは想像できない。
けど、去年までの記憶が僕の中にかすかに残っている。体が覚えている。自分の奥底に眠る意識が「これはまだ序の口だ。これから必ず現れる強大な敵に備えろ。」と話しかけてきて、体が震え出す。
冬を無事に乗り切れる気がしない。寒過ぎる事が嬉しい人っているのかな。
僕は外を歩くのが好きだから、外に立ってるだけで体力を消耗して、全然歩きたくならないこの時期は悲しい。
あと寒いのは誰かが悪いわけでもないから、誰かに文句をつける事もできない事も悲しい。

あまりに悲しいからこの時期はイベントごとが多いのかな。
クリスマスとか正月とかを作って、必死に楽しい雰囲気を出して悲しくならないようにしてくれてるのかもしれない。
11月くらいから街がクリスマスムードになって、1ヶ月で7,000回くらいマライア・キャリーを聞いて、12月25日が過ぎた瞬間に休む間も無く年越しムードに移行する。なんかやり過ぎてるなと思った事があるんだよな。

本気の行事を短いスパンで打ち過ぎてる。
クリスマスが近づき、ジョンレノンのハッピークリスマスを聴く頻度を増やすことで、メリークリスマスからハッピーニューイヤーへの流れのスムーズさに違和感を感じさせなくしているのかもしれない。
そうでもしないと冬にヘイトが集まり過ぎてしまうんだろう。何のイベントもなかったら冬はかなり悲しい季節になってしまうから。ありがとう、煌びやかな行事たち。

そして僕にとって12月はクリスマスと正月だけじゃない。更にハッピーなイベントがもう1つある。誕生日だ。僕は12月3日生まれ。壇蜜さんと同じ誕生日。セクシーな星の元に生まれた。
壇蜜さんはセクシーな外見を手に入れたが、僕はセクシーを自然と目で追ってしまうただのスケベに育ってしまった。同じ星に生まれても日本とブラジルくらい育ち方は全然違う。
冬のスタートを誕生日と共に切ることができるのはだいぶ幸先が良い。うまいこと誕生日を過ごして冬のスタートダッシュを決めたい。
しかし、僕は誕生日をうまく過ごせた事があんまりない。

誕生日をうまく過ごすということが、誕生日が近くなってくる頃から嫌味にならないようにアピールして、当日たくさんの人に祝ってもらえる状態の事だとして、僕はそれがすごく苦手だ。
「もうすぐ誕生日だからよろしくね!」と言ってまわるクラスメイトがいて、それがすごい羨ましかった。僕にはできない。
「僕がこの世に生を受けたのってかなりスペシャルな事じゃん?その喜びをみんなで僕に表明しない?」と言っているみたいなものだ。
そんな周りの人たちに感謝されるような1年間を送った自負はない。
みんなに毎月お小遣いをあげてまわってたら誕生日にプレゼントをもらうくらい当然かもと思えるんだけど。そんなのはただの株主優待だ。

かといってスケジュール帳に僕の誕生日を記してくれて、コッソリ準備して祝ってくれるような友達もいない。
クラスメイトみんなから一言ずつお祝いのメッセージを集めてノートにまとめて渡してくれるみたいなやつとか。
メッセージを書いたこともないかも。あれってノートにはまとめてないか?単語帳みたいにするのかな?そういうのをやられてみたかった。
明るい友達からのメッセージを後から見返したらめちゃくちゃつまんなく見える感じとか、仲良いと思ってた友達からのメッセージに内容がなくてガッカリしちゃうとか、そんなに仲良くない友達からの薄過ぎるメッセージにニンマリしちゃうとか、多分そんなのがたくさんあってめっちゃ良い。

でも万が一僕がそういうのをやってもらったとして、ちゃんと喜べるのかどうかという不安もある。
誕生日で特別扱いされる事への恥ずかしさが未だにどうしても拭えない。
何かを成し遂げたわけじゃないのに、その日を迎えただけで突然「おめでとう!」と言ってもらえることに戸惑ってしまう。
歳をとるための辛い試験を乗り越えたとかでもなく、時間が経つだけでめでたい状態になれてしまう。
勿論、健康に1年を過ごせるというのは素晴らしい事だと思う。でも実感が伴わないというか。
「M-1優勝おめでとう!」とかだったら明確に勝ち取った実感があるから喜べると思うんだけど。
誕生日を迎えてもはっきりと歳をとったという実感はない。
だから誕生日になった瞬間にはっきりとした変化があって欲しい。
誕生日の1ヶ月前からジワジワと痛みを感じ始めて、その日を迎えた瞬間にみょうがが美味しく感じ出すとか。
もっとわかりやすく身長が5cm伸びるとか、腕が1本生えるとか。
そんなのがあれば「誕生日おめでとう」に対して「ありがとう!!第三の腕を使いこなせるように頑張るよ!!」と自信を持って返せる。
そのくらいわかりやすく歳をとりたい。

あと、僕はプレゼントをうまく受け取れない。
脳の処理速度が遅いのか、感情の筋肉がカチカチなのかわからないけど。
プレゼントをもらったときに「エーッ!!嬉しー!!エッ!本当にいいの!?最高!ありがとう!!」ができない。
プレゼントを受け取ってじっくり見た後に淡々と「嬉しい気持ちです!」「ありがたいです!」とAIみたいな口調で伝える事になってしまう。
なんかすごく嘘くさくなってしまう。
こうなってしまうカラクリは、プレゼントを受け取る→『これは僕に対してくれたものだ』→『誕生日だからだ』→『これをもらえるんだ』→『僕がこれをもらったら嬉しいだろうなと思ってわざわざ買ってくれたんだ』→『嬉しい』と喜びを感じるまでに非常にたくさんの工程を経なければいけないから。
瞬時に感情を込み上げさせるのがどうしても難しい。
なんかちょっと顔色を窺われてるのかなとも思ってしまう。
勝手にプレッシャーに感じて「喜ばなきゃいけないぞ」「出来るだけ嬉しそうな顔をするぞ」「気持ちを伝えるために声を大きく出すべきか」とか余計な事を考えてしまう。
こんな事ではお祝いをしてくれた人がいい気持ちになってもらうことなんてできない。
一度祝って貰ったとて、口コミ評価を悪くつけられてリピートもされないし、新規顧客も増えなくなってしまう。
その瞬間に感じた喜びを素直に表現できる人になりたい。

昔から誕生日の話になった時に、「祝ってね」みたいな事を言ったりもずっとできないでいた。
学生時代、友達に祝ってもらった記憶はほとんどない。
誕生日当日は普通に学校に行って、何事もなかったかのように帰ってくるだけだ。
ちょっとソワソワはしちゃうけど、普段よりもはしゃいでしまうと、その後に僕の誕生日である事が知れた場合に浮かれてたんだ。と思われるのが嫌だからいつも以上に静かに過ごす。
それで誰にも気づかれないまま一日が終わる。
基本的にはそうやって誕生日を過ごしてきたけど、一回だけ祝ってもらえた記憶がある。
中高一貫校に通って、初めてクラスにある程度馴染めたのが高校3年の時だった。
やっぱり誕生日の事を自分で発信する事ができないまま、その年も誕生日がやってきた。
当時、爆裂に流行っていたmixi(ミクシィ)というSNSで誕生日を登録していると、当日に友達登録している人たち(マイミク)にメールで通知が行く機能があった。
そのmixiからの通知によって、僕(mixiネーム『崖』)が誕生日だという事が知らされた。
クラスメイト達はそれまで僕の誕生日の事は知らなくて、何のプレゼントも用意していなかった。
でもまあ、なんか仲良くしたりする時もあるしな。という事で、その場で急遽僕を祝う計画をしてくれた。
全くお金のかからないけど、誠意の伝わる祝い方といえばやっぱり”胴上げ”だ。と、多分なったんだと思う。
昼休みにいきなり僕はクラスの男子達に持ち上げられてワッショイ、ワッショイと空中に浮かされた。
そして地面に下ろされて拍手が少しあって「誕生日おめでとう」と言ってもらい、それぞれが校庭にサッカーしに行ったり、他のクラスに遊びに行ったり、持ち場に散っていく。
僕は「いや何なんだよ!ありがたいけど!」みたいな事を地面に寝そべりながら言っていたと思う。
ただ、内心はちゃめちゃに嬉しかった。
プレゼントを事前に用意してもらうなんてのは殿上人にだけ許された行為だと思っていたので、そんなのは全然気にならなかった。
とにかくその日、僕の事を祝わなきゃと思ってもらえた事がただ嬉しかった。

著者プロフィール
真空ジェシカ ガク

プロダクション人力舎所属のお笑いコンビ真空ジェシカのツッコミ担当。相方は川北茂澄。2011年にコンビ結成。2021年、2022年M-1グランプリ2年連続ファイナリスト。
真空ジェシカ初の冠番組テレビ朝日「ジェシカ美術部」が放送中。
「千原ジュニアの座王」や「まいにち大喜利」など大喜利番組やドッキリ番組に出演し、個人でも活躍。「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」や「真空ジェシカのギガラジオ」が定期配信。