美意識と感性を磨く アートな習慣

この連載について

日常的にホンモノに触れる生活が、美意識と感性を磨き上げる。世界中の美術品に接してきたプロの目利きが提案する、楽しく気軽なアート生活のススメ。

STEP7

オークション・スペシャリストの実践的アート鑑賞術

2025年4月15日掲載

大切にしたい「第一印象」

さて今回からは、私が推奨する「実践的アート鑑賞術」についてお話ししましょう。

日本の博物館や美術館で開催される所謂「特別展」に、皆さんも何度か足を運んだ事があると思います。

例えば去年2024年に開催された大ヒット「特別展覧会」を挙げると、東京国立博物館での「特別展はにわ」、また東京都美術館「特別展 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」などは30万人以上の入場者数があり、昨年1位の上野の森美術館「モネー連作の情景」展に至っては、46万人という物凄い数を記録しました。

ではそれに対して「常設展」はどうでしょう……皆さんは今まで何度「常設展」に行かれた事があるでしょうか? 正直あまり無いのでは無いかと思います。私はまず皆さんにこの「常設展」を観に行ってほしいと思うのです。

「常設展」のススメ

何故こんな話をしたかというと、「先入観」や「下調べ」が今回のお話にとても関係するからなのです。

「常設展」の良いところは、どんな作品が展示室に出ているか、前もってわからない所です。勿論美術館のサイトを見たり、電話をしたりすれば、その内容を知る事が出来るかも知れませんが、あえてそれをせずに訪ねてみましょう。そこには自分が知っているアーティストや全く知らない作家、興味のある分野の作品やそうでないアートが貴方を待ち受けているでしょう。

が、そこで恐れてはいけません! 如何なる先入観も捨てて、作品と向き合ってみて下さい。そこで難しい事を考える必要はありません。まずは好きか嫌いか、面白いか面白く無いか、あるいは綺麗だ、ウキウキする、落ち込む等の「第一印象」を大事にしてみましょう。

当然感性は人によって異なりますが、自分の感性をまずは大事にして、「第一印象」を保ちながら、今度は作品カードを読んでみましょう。作家や作品の情報が入ることによって、もしかしたら貴方の第一印象が変わるかも知れませんし、変わらないどころか、よりその印象が深まるかも知れません。その過程を大事にして頂きたいのです。

「下調べ」より「後調べ」

 何故そのようにお勧めするかというと、「作品カード」や図録を作品を観る前に読んでしまうと、例えばそれがピカソやモネのような大家の作品であった場合、あるいは国宝や重要文化財に指定された作品だったりしたら、貴方はその時点で「嗚呼、これは絶対に素晴らしい作品で重要な作品に違いない!」と思ってしまうためです。このある種の「お墨付き」は、貴方の第一印象に多大なる先入観を与えてしまうのです。

一方、観覧後に読む図録やネットの情報は、時に貴方の「第一印象」を覆すかも知れませんが、それはそれで良いのです。対峙したアートに対する知識と理解が深まっていく過程こそが、貴方が自身の感性を磨く上で最も意義深い事なのですから。その意味で「下調べ」は、作品を見る前に頭の中に情報を埋め込む事になり、先ほどから言い続けている「先入観」にもなり得ますので、弊害もあります。なので、

  • 先ずは自分の目で観て、
  • 第一印象を記憶し(書き留め)、
  • その後作品カードや、図録を読んだり、ネットで調べたりする。

という流れが、私のお勧めするアートの鑑賞/勉強術なのです。

 しかし、「後調べ」も重要である事に間違いありません。その作品や作家、時代背景等を正しく理解すると、「そういう事だったのか!」などの気づきや発見があり、改めて自分がその作品を好きかどうかを判断することが出来ます。人との付き合いでも芸術との出会いでも、第一印象は変わり得ますが、その「第一印象」と「後調べ」を大事にする事によって、人と同じように、自分の中にアートをより深く取り込む事が出来ると思います。

常設展で「接近観察」を

 美術館に行くと、ほとんどの人が作品から離れて観ている事に気付きます。作品全体を観て楽しむ事もありますが、最近は特に「特別展」は大混雑で、時間が余りない時などは遅々として進まない長い列に並んでいると、近くでじっくり観る事など到底叶いません。そんな時は、最前列に一列後ろから人の肩越しに作品を眺めるしか無く、私がしたい、そして推奨する「接近観察」が不可能なので、泣きたくなります……が、上に述べた「常設展」では、その「接近観察」が思う存分出来る事が多いのです!

「接近観察」とは、文字通り作品に接近して観てみる事です。まずは離れて観てみる。そして少しずつ絵に近づくと、絵具の盛り上がりやブラッシュ・ワーク(筆致)、サインがどう書かれているか、また絵によっては下書きや変更の線など、色々なものが見えてきます。そしてその体験は、作者が自分で作った作品に接していた時の体験に近い物なのですから、やらない手はありません。

 

 ここで少し、日本美術品の鑑賞についてお話ししたいと思います。日本美術品と一口で言っても、その中には数多く分野があり、掛軸や屏風、額装作品などの絵画、仏像などの彫刻、硯箱や印籠などの漆工品、刀や鎧、刀装具などの武具甲冑、陶磁器、浮世絵などの版画、明治時代の超絶技巧の金工品や七宝、土偶や埴輪に至るまで、多種多様です。となると、それらを博物館で観る時の見かたも代わってきますが、ここでは絵画分野の「接近観察」に絞って鑑賞のヒントをお教えしましょう。

 日本の絵画の形式は大きく以下の3つに分かれます。

  • 江戸期以前の所謂「古画」と呼ばれる物。古い物では仏画や神道・垂迹(すいじゃく)絵画、平安期から始まる源氏物語などの物語や、説話などを描いた絵巻物、土佐派などに代表される「大和絵」と呼ばれる日本の伝統的な絵画と、「唐絵」と呼ばれる中国絵画の影響を受けた狩野派などの画派の作品、雪舟などの中国に留学した禅僧達の水墨画、長谷川等伯や岩佐又兵衛等の風俗画や花鳥・名所図、江戸期の浮世絵師等の肉筆画等が、掛軸や屏風、画帖などに描かれた作品群です。
  • 明治時代以降に発展した日本の近代絵画。横山大観や加山又三に代表される日本古来の技法と素材で描く「日本画」と、岸田劉生や梅原龍三郎等の油彩やキャンバス等、西洋渡来の素材を使った「洋画」に分かれます。
  • 今世界を席巻している日本人アーティストである草間彌生や奈良美智、白髪一雄など、戦後から今に至る「戦後・現代美術」と言われるジャンルの作品で、抽象画やコンセプチュアル・アートなど。絵具だけで無く木材や砂、金属加工品なども含めた多種多様な素材を絵画に使用する場合もあります。現存作家の作品は全て「現代美術」ではないかと思われるかも知れませんが、日本ではその技法とマテリアルによって大まかなジャンル分けがされており、現代で制作される「日本画」や「洋画」は、世界マーケット的な現代美術の範疇には入りません。

今回はその中でも「接近観察」が最も楽しく、発見がある「古画」のジャンルを取り上げたいと思います。

「古画」の「超」接近鑑賞術

皆さんは日本の古い屏風や掛軸を、博物館などで観た事がありますか? 日本の古画は、大概は紙か絹地に墨や岩絵具で描かれますが、時には紙に金箔や銀箔を貼った上から、あるいは木地や麻布地に描かれる場合もあります。

今回は、「接近鑑賞」をするに最も相応しい、近世初期風俗画の屏風の中でも有名な画題である、「洛中洛外図」を例に取って、作品を観てみましょう。「洛中洛外図」とは、16〜17世紀の京都の街並を鳥瞰パノラマチックに描いた大画面の屏風で、例えば清水寺や豊国神社等の今でも残る京名所や、祇園祭や当時四条河原で行われていた歌舞伎、傀儡師などの風俗や芸能、また時には1620年に行われた、徳川二代将軍秀忠の娘和子の後水尾天皇への入内の時の行列といった、歴史的行事も描かれた極彩色の屏風です。

洛中洛外図には多くの寺社などの建築物、色々なファッションに身を包んだ各階級の何千人という人物が細かく描かれていますので、接近して観なければ到底きちんと見えないですし、作品の命であるディテールを楽しめません。時には接近した上で、単眼鏡を用意して観たいくらいです。

また、洛中洛外図のように細かく描かれていない掛軸も、是非接近して観てみて下さい。上に書いたように、例えばそれが水墨画なら筆の速さや勢い、墨の濃淡も、作品に近付いてこそわかります。絵師の落款・印章も大変興味深いところで、絵師が使う画号の意味や多様さ、印章の形状や読み、そして慣れてくると、紙や絹地の補修や加彩した部分など、作品のコンディションも気になってきます。そこまで来ればもう貴方は「接近観察のプロ」と言えるでしょう!

もう一点、掛軸を前にした時に是非観てもらいたい物があります……それは「表具」です。表具とは、掛軸において絵や書が描かれた「本紙」の周りを額装のように、通常は「裂」で周りを囲み、掛軸装としている部分の事です。良い作品にはこの「表具」にかなり凝った物があります。その時々の持ち主が自分の趣味で非常に貴重な「名物裂(めいぶつぎれ)」や「能装束」を使ったり、本紙の内容に合わせた表具を使ったりして(例えば、春日神社の絵に鹿が描かれた裂(きれ)を使う、等)、この部分も一つのアートと呼んでも差し支えない程です。

 

著者プロフィール
山口桂

1963年東京都生まれ。世界最古の美術品オークションハウス「クリスティーズ」の日本支社、クリスティーズジャパン代表取締役社長。京都芸術大学大学院非常勤講師。92年クリスティーズに入社、19年間ニューヨーク等で日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。伝運慶の仏像のセール、伊藤若冲の作品で知られるジョー・プライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール等で実績を残す。著書に『美意識の値段』『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)、『美意識を磨く』(平凡社新書)、『若冲のひみつ』(PHP新書)。