美意識と感性を磨く アートな習慣

この連載について

日常的にホンモノに触れる生活が、美意識と感性を磨き上げる。世界中の美術品に接してきたプロの目利きが提案する、楽しく気軽なアート生活のススメ。

STEP5

おうちをアート空間にする提案

2024年10月16日掲載

部屋で読み、飾るアート本

さて、ここ何回か「目利き」の日常生活についてお話ししていますが、今回先ずはアート好きの誰もが通る道、「画集」などとの付き合い方について、幾つか皆さんの参考となりそうなポイントを挙げてみたいと思います。

一般的に人がアートに興味を持ち始めると、先ず入手したくなるのが「画集」や「写真集」ではないでしょうか? 画集にはアーティスト別の画集もあれば、絵画の年代や画題の分野別のもの、そして当然展覧会図録もそこに含まれます。ただここで私が強調したい画集の面白さは、見て読むだけでなく、「飾って」も楽しいという事です。私も最初に買った画集(流石に何だったかは覚えていないのですが…)がとても嬉しくて、本棚に入れずに表紙を表にして本棚に立てかけて飾ったものです。

そして画集や展覧会図録が増えていく楽しみは、もはやアート・コレクターのそれに近く、実際に観た作品、或いは中々観る事の出来ない在外の作品や個人所蔵の作品にまで想いを馳せ、作家や作品をより深く知る事の出来る画集や写真集は、アート・ラヴァーにとっても重要なアイテムなのです。その上画集が並んだ本棚は、その背表紙を見るだけでもある種のアート感が醸し出され、インテリアとしても役割までをも果たし、自分のアート知識が増える、一挙両得なのです。

また画集でなくとも、アート感溢れる本があります。…それはアーティストの作品をカバーに使った小説本です。例えば新潮文庫版の三島由紀夫の名作『金閣寺』には、日本画の大家速水御舟の「炎舞」(山種美術館蔵・重要文化財)の火焔部分が使われていますし、近作三作が映画化されている芥川賞作家、平野啓一郎氏の傑作短編集『透明な迷宮』には、「叫び」で有名なノルウェーの画家、ムンクの名作エッチング「接吻」が使用されています。カバーを飾るこういったアート作品は、読む前の読者にその小説の「魅力のかけら」を伝える役割を果たしているのですが、これもアート好きには堪らない物で、カバーから小説の中身を想像する楽しみもありますし、時折カバーを外して、額に入れて本棚の片隅に立て掛けて楽しんだりするのも一興です。

ポストカードはフォトフレームに入れて

次に手近なのが、「ポストカード」と「ポスター」でしょうか。そこで美術館・博物館に行った時、皆さんに是非とも立ち寄って頂きたいのが「ミュージアム・ショップ」です。最近のミュージアム・ショップには、例えば静嘉堂文庫美術館が発売した「国宝曜変天目茶碗『ぬいぐるみ』」の様なアイディアを凝らした商品や、オシャレなデザインの小物や家庭用品などもあり、かなり充実して来ています。

その中でも定番中の定番である「ポストカード」は、その展覧会、美術館での自分が気に入った作品の「メモリー」として買われるものです。勿論友人にそんな思いを乗せてハガキとして送るのも良いですが、フォトフレームに入れて部屋の片隅に飾るのもオススメで、そんな時は中のアートに合わせてフォトフレームを決める楽しさもあります。現代美術のポストカードなら、シンプルな物、モネやクリムトの様な絵画ならば少し装飾的な物など、また自分の部屋の雰囲気に合わせて、実際の絵の「縮小版」を部屋に自室に飾るイメージで選ぶと良いでしょう。

またポスターも同様で、自分の好きなアーティストの展覧会ポスターを額装して飾れば、それ一枚で部屋の雰囲気がガラッと変わります。この様な「アート・ポスター」は、美術館で売っている物の他にも、街中の画廊やアート・ショップなどでも購入出来ます。

私が初めてアート・ポスターを入手したのは確か大学生の頃で、東京港区神宮前にある「ワタリウム美術館」が経営するショップ、「オン・サンデーズ」でした。このお店は今は美術館の内部に入っていますが、当時は青山キラー通り(外苑西通りの事)の美術館の向かい側にあり、その名の通り日曜日しか開いていない店でしたが、そこにディスプレイされた海外から輸入された展覧会ポスターは、デザイン・センスも良く、当時の私に取っては美術館・画廊名、展覧会名、などが英語でポスターに書かれているのもオシャレで、作品その物とは違った意味でカッコ良いアートでした。

そこでお金を貯めて頑張って買った、デヴィッド・ホックニーの「Paper Pool」のポスターをウキウキした気分でお茶の水のフレームショップに持ち込み、シンプルなフレームをつけて、初めて部屋に飾った時の歓びは今でも忘れられません! その後も私はリキテンスタインやウォーホルのポップアート、マティスのドローイングなどをモティーフとしたアート・ポスターを購入しては額装して、楽しんだ物です。

またアート・ポスターには普通の印刷物から、リトグラフやシルクスクリーン等のアーティストが使う版画技術を使用して刷った本格的なものまであるので、価格とクオリティを選べるのも嬉しい限りです。

レコード・ジャケットも部屋を彩る

前にも少し書きましたが、昭和世代の私が今でも部屋に飾っているのが「レコード・ジャケット」です。当時のいわゆるLP盤のジャケットはデザインに優れた物が多く、アート感満載で、実際に高名なアーティストやグラフィック・デザイナー、イラストレーターや写真家が制作したジャケットも多々ありました。かのアンディ・ウォーホルも、ローリング・ストーンズやジョン・レノン、ジャズの超有名レーベル「ブルーノート」のアルバムにイラストを描いていましたし、その他にもレコード・ジャケットを制作したアーティストで言えば、ダリやリヒター、ラウシェンバーグ、アーヴィング・ペンなど枚挙に暇がありません。

レコード・ジャケットは当然CDジャケットよりも面積が大きく(「配信」ではジャケット自体が存在しません…)、また当時のミュージシャン達は、「アルバム」制作をとてもコンセプチュアルに捉えていて、一枚のアルバムを曲の順番やジャケット・デザインを含めての「総合芸術」として制作していましたので、ミュージシャンによるアルバム・コンセプトを反映したジャケットも当然こだわりが強い。その為、私も肝心の音楽の内容を知らずにジャケットだけでレコードを買ってしまう、所謂「ジャケ買い」で失敗した事も多々あります。裏を返せば、それほど素晴らしい、とも言えるのです。

2020年代に入った現在、最近もポップス・R&Bなどを中心に、再びレコードを制作するアーティストが増えていると聞きます。レコード・ジャケット用のフレームも簡単に入手できますので、家にレコードのある方は、是非試してみては如何でしょうか。

映画でアートに出会う

 アートを知り、学び、自分の日常生活に組み入れるきっかけは、美術館や博物館、本などの印刷物だけではなく、他の芸術の中にも潜んでいます。そして幅広く質の高い芸術に触れる事も、アートの目利きになる近道の一つだと私は確信しています。未だアートに馴染みのない方でも、他の芸術分野に既に興味を持っている方もいらっしゃると思うので、ここでは幾つかの例と共に、「他の芸術に潜むアート」のお話をしてみましょう。

私は子供の頃から映画が大好きで、中学・高校の頃には近所の名画座に毎週1人で通っていた程でした。例えば「ポール・ニューマン」、「戦争映画」、「アメリカン・ニューシネマ」「トリュフォー」といった、週替わりの「特集テーマ」で組まれた2本、時には3本の映画は、私に生死、愛憎、セックス、狂気、聖俗、階級、政治、平和など、人生の全てを教えてくれたといっても過言ではありません。

そんな人生最大の教室であった名画座に通い詰めた私が、少年時代にコレクションを始めたのが「チラシ」です。名画座のおじさんは、その特集が終わると、映画の名場面がうまくトリミングされた、アートポスター的なチラシをいつも私にくれ、今でも何百枚か取ってありますが、映画を家で配信で観る今では考えられない事です。

そんなアート的遭遇もありましたが、一番興味深く印象に残るのは、やはり映画の中に出てくるアートでした。映画の中でフィーチャーされる絵画や彫刻、古美術品、美術館や博物館、オークションやギャラリーのシーン、或いは画商やコレクターの主人公や脇役の存在は、私をアートの世界へと向かわせた重要なファクターだったのです。ではここで、私の人生を変えたと言っても良い、「映画の中のアート」についてお話ししましょう。

それは私が高校生の時の事です。上に述べた様に大の映画好きだった私は、ハリウッド映画に飽き足らず、背伸びをして、ちょっと気取ってはフランスや東欧を中心としたヨーロッパの映画をよく観ていました。そんな私がある日映画館で観たのが、1979年度イギリス映画、ニコラス・ローグ監督の『ジェラシー』という作品でした。

この作品は当時高校生の私に取ってはかなり「狂った」作品で、芸術の都ウィーンを舞台にアメリカ人精神分析医(「サイモン&ガーファンクル」のアート・ガーファンクル)と、セクシーで奔放な女性(テレサ・ラッセル)の愛憎を描いた物でした。高校生の私が映画の中で観る、未だ行ったこともないウィーンという街は、何処となく湿り気があり、暗い感じで映画のテーマにピッタリの雰囲気でしたが、その雰囲気を圧倒的にしたのが、映画の中にフィーチャーされたクリムトとシーレの絵画、そしてトム・ウェイツとキース・ジャレットの音楽でした。

主人公がベルヴェレーデ宮殿博物館に行くシーンで、同館所蔵の大傑作クリムトの「接吻」とシーレの「死と乙女」が映されます。この2つの作品は主人公達の将来を暗示しているのですが、それまでポップアートや印象派の様なアートしか知らなかった私は、特にこのクリムトの「接吻」に衝撃を受けたのでした。

私が受けたその衝撃とは、「接吻」というタイトルからもわかる様に、この絵は「男女の愛」を描いている作品である筈だが、この絢爛豪華な画面から受ける何ともいえぬ退廃的、不安且つ不穏な感じは一体何なのだろう?という事で、この考えは映画の内容とリンクしながら、観終わるまでずっと心と頭に引っ掛かり続けたのです。

そして映画を観た直後、早速この絵の事を調べました。この絵は帝政オーストリア時代、ウィーン分離派の初代会長であった画家、グスタフ・クリムトによって1907-1908年に制作され、180cm × 180cmの巨大な正方形のキャンバスに油彩・金箔・銀・プラチナで豪華絢爛に描かれたのは、クリムトの恋人であったエミーリエと画家自身と言われています。

画面の大部分には日本の琳派の絵師、例えば尾形光琳の屏風「紅白梅図」の様に平面的で装飾的、流水紋や幾何学文様を取り込んだ、日本美術の影響が見えています。そしてその中で抱き合う恋人達ですが、よく観るとひざまづく女性の足は花畑の崖っ淵にあり、少しでも動けば下に落ちそうなくらい「フラジャイル」です。これこそが観る者に不安を与えるのです。そして例えるならば、私がこよなく愛する大作曲家マーラーの交響曲に金管が多く使われ、華やかではあるが何処か陰鬱なのと同じ様に、煌びやかな金の退廃的な趣きに溢れています。

この事から高校生だった私は、人の愛には明るい悦びだけではなく暗い一面、どうしようもない諦観、絶望までもが存在する、という事を学んだのでした。

今ここに紹介したのは極く一例ですが、この様に映画には美術品への切っ掛けやヒントが溢れているのです。直接的な例を幾つか挙げれば、例えば私が勤めるオークション・ハウスも映画に度々登場します。

バブル時代に一世を風靡した、金融界を舞台にしたマイケル・ダグラス主演の『ウォール街』では、主人公が若く美しい女性インテリア・デザイナーを連れて、現代美術のオークションに赴くシーンがあります(そこでハンマーを振るのは、クリスティーズの終生名誉会長で20世紀最高のオークショニアであるクリストファー・バージ氏!)。またジャック・ニコルソン主演の『恋愛適齢期』では、ニコルソンが口説き落とそうとする若い女性が、クリスティーズのワイン部門の社員という設定になっています。

ヒットした『鑑定人と顔のない依頼人』では、オークションハウスに勤める者の悲哀が描かれ、今年(2024年)の最新作『どん底女子の幸せ探し』(原題:Upgraded)では、オークション会社に勤める若い女性が主人公のコメディで、此処にもクリスティーズのオークショニアが役者として登場するので、実際のオークションの雰囲気も感じられます。

そして芸術家自体の伝記的、またフィクションの映画も多くあります。個人的なオススメとしてはアンソニー・ホプキンス主演の『サバイビング・ピカソ』や篠田正浩監督の『写楽』、名作『炎の人ゴッホ』などは必見ですし、ギャラリストや骨董商が主人公の作品、「美術品泥棒」物、或いは黒澤明監督の『蜘蛛巣城』での「根来瓶子」や勅使河原宏監督の『利休』での「楽茶碗」など、「ホンモノの美術品」が登場する映画も捨て難い作品です。

映画とアートの話は尽きず、私もいつの日か一冊の本を書きたいと思っている程関係が深いのですが、今回はこれくらいにしておきましょう。次回はもう少し他の芸術とアートのお話をしたいと思います。

著者プロフィール
山口桂

1963年東京都生まれ。世界最古の美術品オークションハウス「クリスティーズ」の日本支社、クリスティーズジャパン代表取締役社長。92年クリスティーズに入社、19年間ニューヨーク等で日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。伝運慶の仏像のセール、伊藤若冲の作品で知られるジョー・プライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール等で実績を残す。著書に『美意識の値段』『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)、『美意識を磨く』(平凡社新書)、『若冲のひみつ』(PHP新書)。