美意識と感性を磨く アートな習慣

この連載について

日常的にホンモノに触れる生活が、美意識と感性を磨き上げる。世界中の美術品に接してきたプロの目利きが提案する、楽しく気軽なアート生活のススメ。

STEP3

「目利き」の日常生活

2024年8月16日掲載

前回は「アートを習慣化する」事について書きましたが、読者の方々の中には例えば美術館や博物館が近所にない、また日々多忙でなかなか行く機会がない、という方もいらっしゃるでしょう。しかしそれでも日常生活の中で、美意識を磨くことは可能なのです。今回は日々の暮らしの中で出来る、美意識の磨き方についてお話ししたいと思います。


STEP1でも少し述べましたが、外国人にとってのアートは人生の、或いは日常生活のパートナーのような存在です。自分の好きなアートを部屋に飾る事の意味は人それぞれですが、その作品によってある時は元気づけられたり、ある時は慰められたりする事もあるでしょう。また自分の気持ちや天候、季節によっても同じアートが違う顔を見せる事もあるに違いありません。


そしてアートは、人生を左右するほどの力もあります。読者の皆さんの中にも子供時代、青春時代の頃に読んだ本や観た映画で、人生の学びを得たり、自分の未来の方向性が定まったり変更したり人もいるのではないでしょうか? 時に美術品もそういった大きなパワーを人間に与える事があるのですが、その実際の一例を紹介しましょう。

日常生活でアートと触れあう

日々の暮らしにアートを(提供:筆者)

ヨーロッパ某国の鉄道会社に勤めているごく普通のサラリーマンがある年、年一回開催の会社主催のオークションに出ていた綺麗な絵を大層気に入り、日本円で数万円での価格で落札し、家の居間に飾っていました。その絵を幼い頃から見て育ったその家の男の子は、成長していくに連れアートに興味を持ち始め、色々な画家の画集を買っては毎日の様に眺めていました。


そんな男の子が青年になったある日、彼がいつもの様に居間で画集をめくっていると、彼の目に見覚えのある絵が飛び込んできました。彼は不思議に思いながらよくよく目を凝らしてみると、それは子供の頃から見慣れた、家に飾ってあるあの絵にそっくりではありませんか! そして画集の解説を読んでみると、何とその絵は行方不明との事……。彼は早速出版社に連絡をして調査を始めると、何とその絵は某美術館から盗難され、何らかの事情で列車の中に置き去られた作品で、それを絵画好きの父親が社内オークションで買ったという訳です。そして専門家の鑑定を受けたその絵は、高名な後期印象派の画家の真作という事が判明し、その価値は数千倍に跳ね上がったのでした。


この話の教訓は、家族が金持ちになったという事ではなく、美意識やアートへの関心、またそれを観る目というものは日常生活に潜むものだという事です。前述した様に、その点外国では一般家庭にも何らかのアートがあり、日々生活の中で自然に触れ合っているのです。この様な習慣が日本の家庭でも普通になる事を、私は願って止みません。
また外国人のアート・コレクター達は、もちろん知識を増やす為に作家や技法などの勉強を欠かしませんが、それよりも大事にしているのが「自分の眼」です。このとき言う「自分の眼」という言葉には、例えば「直感」や「第一印象」、あるいは「好み」と言っても良い「感覚」が含まれています。そしてこの「眼」は「誰が何と言おうと自分は好きだ」とか、「本物でも偽物でも構わない」といった信念のような意味でもあるのです。

若冲を見出した眼

ここでは私も長年親交があり、昨年惜しくも他界された、伊藤若冲の「再発見者」として著名なアメリカ人大コレクター、ジョー・プライス氏を例に挙げましょう。
ジョーさんは学生の時、自動車を買う為にニューヨークに行き、父親の友人で会社のビルを設計した世界的建築家、フランク・ロイド・ライトに会いました。浮世絵をはじめとする日本美術の大コレクターであるライトは、ジョーさんを車の販売店に連れて行く前に、たまたま日本古美術店に立ち寄ったのですが、そこでジョーさんは一幅の掛軸に魅了されてしまいます。それは紙本墨画(紙の地に墨だけで描かれた絵の事)の葡萄を描いた物で、落款(サイン)や印章もあったのですが、もちろんジョーさんに読めるはずも無く、しかしその余りにも見事なブラッシュ・ワークに魅了された彼は、自動車に使うはずのお金をはたいて、その作者の名も知らぬ掛軸を買ったのですが、それが江戸絵画の奇想の絵師、若冲との出会いでした。


その後ジョーさんは、日本美術史からも忘れられていた若冲という絵師の存在を知り、自ら作品を購入しながら研究を重ねて、世界に名高い若冲のコレクターとなったのですが、そのコレクションの一部は近年東京の出光美術館所蔵となりましたので、皆さんにも見る機会があると思います。
このお話で重要なのは、ジョーさんの「眼」です。時に我々は作者の名前や評判、値段に意識を奪われ、自分が本当にこの絵を好きなのかという大命題を見失いがちです。現代においてピカソが世界的に有名なのは、芸術的に重要な作品が多いからに違いありませんが、では「あの」ピカソの例えばキュビズムの作品を「ピカソ」という名前を知らない状況で初めて見たら、名作だ!大好きだ!と言える人がどれほどいるでしょう……。
その意味でジョーさんの眼は、どこの国のアートかも、また作者の名も分からずに、ただ自分が素晴らしいと思ったアートを買い、後に世界中の人々がその芸術性を賞賛するまでになった絵師と作品を、誰にも指示される事なく見出したのです。これぞコレクターの鑑と言えると思いますが、そんなコレクターが外国には数多く存在するのです。

アート・コレクターの日常

ではそんなアート・コレクターは、日々どんな生活を送っているのでしょうか?
年齢、コレクションの大きさや使えるお金の規模などにもよりますが、アート・コレクターという人達は通常本業(生活をする為の仕事)を持ち、その合間にコレクションをしています。ここでは私が親しくしているいわゆる「サラリーマン・コレクター」のS氏を例に取ってみましょう。
さてS氏は一般企業に勤めながら、現代美術をコレクションする方です。彼はビジネスマンとして多忙な日々を送っていますが、六本木の「ピラミデビル」やその隣の「Complex665」、あるいは天王洲の「Terrada Art Complex」にあるギャラリーのオープニングには欠かさず出席しますし、時には香港や韓国を含め年数回は、どんなに忙しくとも海外のアートフェアに出掛け、作品を見てはギャラリストや作家と話したりしています。
また週末に時間がある時には、当然美術館やギャラリーに足を運びますし、時には「Bohemian’s Guild」といった神田神保町の美術書専門の古本屋に行き、昔の図録を求めたりします。S氏は家にいる時でも画集や美術書を読み、ネットで展覧会情報や批評、世界のアート・ニュースを隈なくチェックしており、その情報量は恐るべきものです。
がこう聞くと、仕事の合間にこれらの事をこなす為に、S氏は大層な努力をしているのだろうと思われるかも知れませんが、いやいやS氏本人に取って彼のこの「日常」は趣味であり、生き甲斐でもあるのですから、苦労とは言えません……むしろ悦びなのです。
そして彼が何よりも大事に思っている事は、こういった事をする為に、そしてアートを買うために「仕事を頑張る」という事です。そう、アートをコレクションするという事は、人生の強いモチベーションになり得るのです。
今度は骨董を集めている、Tさんの日常を覗いてみましょう。Tさんは地方で家業をやっている方です。彼が骨董と出会ったのは、何気なく行った地方での骨董市でした。そこで古い感じのする備前焼の徳利を買い、持ち帰って部屋に飾ってみたら何とも心が落ち着くし、その徳利に野花を挿してみたら、尚更素晴らしい。それから彼は備前焼を勉強し始め、白洲正子や青山二郎、小林秀雄などの骨董エッセイを読み漁り、地元の骨董店のみならず都市圏の有名骨董店を巡り始めました。今ではT氏の週末は骨董店巡りと博物館訪問がレギュラー化し、その中で骨董仲間も出来て、彼のコレクションは焼物から仏教美術へと広がっています。
彼らの生活から分かるように、アートは生活に密着し、人を行動的にさせ、知らない世界の扉を開き、未知の人と出会わせ、時に人生のモチベーションにすらなり得るのです。

感性を磨く日常生活のススメ

では今度は、皆さんがご自身の家でどのようにアートと接すれば良いか?についてお話ししましょう。

① 家に展示スペースを作ってみよう
まずは一度家の中をぐるっと見回してみて下さい……何処かにアートを飾るスペースが見つかりましたか?見つからない、という方は下記の事を実際にやってみて(出来ない時は想像をして)、今一度良く考えてみて下さい。

  1. 本棚の本を一段分取り出して、空間を作ってみましょう。
  2. 隣り合っている棚と棚を離し、1m位の間隔を作ってみましょう。
  3. 本棚や棚の上を綺麗に片付けてみましょう。
  4. 食卓や作業机、コーヒーテーブルなどの上を片付けて、何もない状態にしてみて下さい。
  5. 洗面台やトイレスペースに何か小物や小さな額が置けるか、確かめて下さい。

何処か一箇所くらい見つかりましたか?しかし、もし見つからなくても心配する事はありません……何故ならいつの日か貴方がアートを買ってきた暁には、貴方はどんな事をしても家の中にそれを飾るスペースを作るに違いないからです!
例えば今述べた、1を考えてみましょう。本が無くなった本棚の一段は、とても魅力的な展示スペースになります。そこには小さな壺や可愛い仏像、彫刻なども合うでしょうし、その上下の棚に本が入っている場合は、殊更そこに飾られるアート作品が惹き立ちます。

著者の自宅。本棚の一段を空けて美術品を配置している(提供:筆者)


2はその空いたスペースに、額装の絵や小ぶりの掛軸などを掛けてみましょう。日本の賃貸の部屋では壁にフックを取り付ける事は出来ませんので、その場合には電話台のような物を置き、その上に展示をしてみて下さい。ご洋間におけるちょっとした「床の間」が作れると思います。


3は棚の上を有効利用します。地震を考えると何か物を置くのが躊躇われますが、割れにくい素材の作品でしたら大丈夫ですし、部屋の意外な所から視界に入る面白い飾り場所になると思います。

4は、例えば広くなった食卓の中央に帛紗を敷き、小瓶や徳利を置いてみて下さい。立体のアート作品は、ぽつねんと置かれるほどその存在感を増します。徳利などの酒器も、使うための物ではありますが、「飾る」事で新たな魅力を見出す事も多いのです。

5はちょっとした心の隙間を埋める物です。風水などに詳しい人の中には、水回りにアートを置く事に抵抗のある方もいるかも知れませんが、私はトイレや洗面台に何らかのアートを置いています。もちろんそういう場所に置く物は高価な物ではありませんが、視界に入った時に何故か安らぐのです。

上に述べた様に、家の中にこうしたちょっとした空間を作る工夫が、貴方とアートの距離を縮める様に思いますが、何も初めから「ホンモノ」のアートを買って飾らねばならない訳でありません。例えば美術館で売っているポストカードやポスターを額装しても良いですし、私が学生の時などは、レコードジャケットを専用の額に入れて飾ったものです(今でも私はU2という英国のバンドが、現代美術家杉本博司の「海景」をカバーに使ったアルバムを飾っています!)。また最近では本の装丁に現代美術家の作品が使われる事が多いのですが、そういった書籍のカバーを外して額装する、またカバー付きの本自体を飾る事もオススメです。また画集を立て掛けても良いでしょう。こうした事を実行するだけでも、貴方の部屋の雰囲気がガラッと変わる事、請け合いです。

② リビングルームで「お茶」を
今度は生活空間ではなく、生活自体にアートを取り入れてみたいと思います。まずは友人数名に「お茶会の開催」を提案してみましょう。ここでいう「お茶会」は、お茶室で行われるいわゆる「茶道」ではなく、リビングルームで行う気軽なコーヒー・タイムならぬ「お抹茶タイム」です。そして、各々に自分のお気に入りの茶碗を持って来て貰う事も大切です。この事によって、まず「お茶会」の仲間が出来ますし、同好の士としての情報交換や、一緒に美術館や博物館、骨董店や現代陶芸のお店に行く事も楽しくなるでしょう。
お気に入りのお茶碗さえあれば、茶筅さえあれば茶入や茶杓は何でも良いですし、リビングルームで交代でシャカシャカお抹茶を点てて、ワイワイ飲む……そんな茶会を始めてみてはどうでしょうか?その内に、例えば茶入に代用出来る物を発見したり(「見立て」ともいえます)、お茶会のテーマを決めたりして、少しずつ本物の「茶会」に近づいていくかもしれません。

上で述べたように、私たちの日常生活空間には、アートは入り込む余地がかなり残されています。そして、その「余地」の発見は日々アートに関心を持つ事によって見出され、それこそが生活の潤いになって行くのです。 生活空間と道具に興味を持ち、少しでもそこに美を求めたりする感性は、必ず貴方の元にアートを到来させるでしょう。

著者プロフィール
山口桂

1963年東京都生まれ。世界最古の美術品オークションハウス「クリスティーズ」の日本支社、クリスティーズジャパン代表取締役社長。92年クリスティーズに入社、19年間ニューヨーク等で日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。伝運慶の仏像のセール、伊藤若冲の作品で知られるジョー・プライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール等で実績を残す。著書に『美意識の値段』『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)、『美意識を磨く』(平凡社新書)、『若冲のひみつ』(PHP新書)。