美意識と感性を磨く アートな習慣

この連載について

日常的にホンモノに触れる生活が、美意識と感性を磨き上げる。世界中の美術品に接してきたプロの目利きが提案する、楽しく気軽なアート生活のススメ。

第2回

今日から始める!「アート習慣」

2024年6月26日掲載

まずは「ホンモノ」に出会うことから

前回は「アートを『自分事』として考える」というお話をしましたが、今回は「アートを習慣化する」その第一歩として、日常生活の中で「アートを観る」機会を増やす方法についてお話ししましょう。

前章で述べたように、日本人は日常生活の品々の中に美を求め、大切にし、アートとともに暮らして生きてきました。ですが、戦後日本人の生活は西洋化され、日本古来のアートと暮らす生活の機会が極端に減り、我々の日々の「視界」から消えてしまってきていることは否めません。そんな日常生活での「アート体験」を増やすにはどうしたら良いでしょうか?

同時に、読者の方々が「ホンモノ」に出会える機会も減っているとは思います。ここで強く私が言いたいのは、アートはアートでも、「ホンモノ」のアートを自分の視界に入れねばならない、ということです。確かにアートは画集でも写真集でもウェブサイトでも、また最近では、海外有名美術館の展示室を見学できるオンライン・ギャラリーツアーもあり、それはそれで知識は増えますし、日々の楽しみとしてアートに触れることが出来る有用なものです。

しかし、「ホンモノをこの眼で見る」ことで、絵画でいえば絵具の盛り上がりや微妙な配色の妙、彫刻でしたら大きさや存在感、時には匂いや手触りを感じる事が出来ますし、時には茶碗の重さや口触りまで確認する事ができます。また、ホンモノの持つ「アウラ」(オリジナルな作品が持つ、「現在ここでしか感じられない」、作品の持つ唯一無比な重みや権威)を感じることも重要です。

では「ホンモノ」には何処で会えるのでしょうか?

答えはもうお分かりでしょう……そう、最も身近で手っ取り早いのは、「博物館」と「美術館」です。

シューイチ・ミュージアムのすすめ

さて皆さんは、どんな頻度で美術館や博物館を訪れていますか?

月に一度か半年に一度、あるいは年一回くらいでしょうか? 

しかし、もし貴方が「アート習慣」を身につけたいならば、どんな美術館・博物館でも良いので、「シューイチ(週一)」で行くことを強くお勧めします。

例えばジムで身体を鍛える、あるいは英会話やピアノのレッスンを受けるように「シューイチ・ミュージアム」を習慣づけられれば、それらの習い事よりも廉価で、自由に感性や美意識を磨くこともでき、さらには美術のみならず歴史の教養もつくという有難いことだらけの趣味となること、この私が請け合います。

もちろん皆さんが興味のある分野の展覧会が開催されていればそれで良いですが、私の経験から言うと、自分が全く知らない、興味がなかった分野の展覧会に行くことによって、新しい心の窓が開くこともままあります。また美術館や博物館に展示される作品は、どんなアートの分野でも「ホンモノ」がほとんど(稀に例外もありますが)で、クオリティが高いことがギャランティーされていますので、安心して「ホンモノ」と出会うことができます。

ここで、もう一つ皆さんに聞いてみたい問いがあります……それは、どれほどの方が美術館や博物館の「常設展」に行かれているのか?ということです。

ご存知の方も多いと思いますが、日本人が1年間に展覧会に行く総数は世界でも指折りの多さです。特に日本で開催される、例えば「モネ展」や「若冲展」、「オルセー美術館展」、海外美術館名品展などの「特別展」といわれる展覧会の入場者数は、必ず世界の美術展の年間トップ10に入るほど多く、皆さんの中でも長蛇の列に並んだ経験がある方もいるのではないでしょうか。

それに比べて「常設展」の静けさと言ったらまるで別世界。

特別展での押し合いへし合いもなく、ちっとも進まない絵巻の列にイライラすることも、観たい作品を混雑の中、再び観るために戻ることも諦める必要がありません! この「常設展」こそコスト・パフォーマンスの面でもラインナップの面でも、そして「ホンモノ」と向き合うという意味でも、最高の環境だと思います。一度でも東京国立博物館の常設展に行った経験のある人なら、そこに国宝や重要文化財がいくつも並び、土偶や埴輪から近代の絵画や工芸まで東洋美術のありとあらゆる名品を、自由自在に鑑賞出来ることに驚いたに違いありません。

また週末に、自分の住んでいる土地から離れた美術館や博物館に行くのも楽しみの一つです。日本には世界有数の数の美術館が存在します。日本国中に散らばる、その地方の特色を活かした博物館、あるいはアーティストの生誕地、また著名なコレクターの地元にある美術館、国公立・私立を問わず個性的な美術館、そこに至るまでの電車旅やドライブ、または散歩での「今日はどんなアートに会えるかな?」というワクワク感や、その土地で味わう空気や食の楽しみは、余りに魅惑的と思いませんか?

美術館や博物館の常設展は、特別展のみならず、「シューイチ・ミュージアム」に最も好都合な展覧会なのです。

アートに出会えるのは美術館だけじゃない!

しかし皆さんがアートに出会えるのは、何も美術館や博物館だけではありません。

例えば、無料でアートを鑑賞できるスペースや機会も沢山あります……それはギャラリーや古美術店、アートフェアやストリート(パブリック)アートなどです。

確かに一昔前までは、アートギャラリーは「画廊」と呼ばれ、銀座などでは買う意思がないと入り辛い画廊も多く、私も若い頃、決死の思いで入店しても、スタッフに上から下まで眺められると、「君はウチの絵が買えるのかね?」と言われているような気がして、早々に退散したものです。また老舗の古美術店などでも、まず門構えからして「お前などが来る店ではない」的威圧感をひしひしと感じ、店の前で何度踵を返したか分かりません。

ですが、そんな状況も今の時代は大分変わってきました。いかつい門構えの老舗古美術店も大分入りやすくなりましたし、東京でいえば、京橋・日本橋界隈の多くの古美術店で催される「骨董祭」(毎春開催されている「東京アートアンティーク」)の期間なら門戸を開放しているくらいです。

京橋の骨董祭といえば、私にも忘れられない思い出があります。今から25年前程にこの仕事を始めた頃、やはり自分でもコレクションをしないと最終的にお客様の気持ちがわからないと思い、薄給ながらアートを買い始めました。

ある年の京橋の骨董祭での事です……私があるお店を覗きますと、何とも素晴らしい仏像がありました。それは平安時代の天部像(毘沙門天や増長天など「天」が名前に天がつく、武装仏像)で、その素晴らしさに感動した私は、店主と興奮しながらその素晴らしさについて話しました。ですが問題はその価格で、当時の私にはかなり高額だったがために即決出来ず、また他の店にも欲しい物があるかも知れぬと思い、店主には「また後で来ます」と言って店を出ました。

が、次に入った店でもその仏像が頭から離れず、「これはどんな無理をしてでも、何年掛かってでも払う覚悟で買おう」と決心をし、前の店に戻りました。店主は私の顔を見て驚いた顔をしていたので、私はそれを私が10分もせずに戻ってきたからだろうと思ったのですが、あに図らんや、なんとその仏像は、私のいない10分間に他の人に売れてしまっていたのです……。店主が申し訳なさそうに言うには、私がその仏像の素晴らしさを店主と熱く語っている時、もう1人お客さんが店内にいて、私と店主の話を聞き耳を立てて聞いていたとのこと。そのお客さんは私が出て行った後、「そんなに素晴らしい物なら」と即座にその仏像を買ったのだそうです。

これは骨董の世界ではよくあることで、「幸運の女神には後ろ髪がない」と同じ意味の「欲しい物はその時に買わないと、一生買えない」、また「美術品は、どんなにお金を積んでもタイミングが合わなければ、買うことはできない」という真理を地で行く話ですが、骨董祭にはこんなドラマも起こり得るのです。

また各古美術商の店舗ではなく、会場を借りての骨董祭もあります。

特に東京・大阪・京都・名古屋・金沢などの美術倶楽部で開催される、一般の人でも入場できるや正札会(作品全てに値札がついている)などでは、見学だけの入場ができるだけでなく、自由に作品に触れることもできたりしますし、お茶を一服頂くのも一興、そして何しろ値札がついているので、安心して買い物もできます。

近現代美術の分野でも、各地で開催される、ギャラリーが一堂に会する「アートフェア」があります。そこは様々な国や世代、異なったタイプの近現代美術作品を一度に観ることができる貴重な機会ですし、ギャラリストやアーティストと話せるチャンスがあるのも大きな魅力です。

東京在住の方、また東京にいらっしゃる方は、是非「丸の内仲通り」にいらしてみて下さい。丸の内と聞くとオフィスビルが立ち並んでいるイメージかも知れませんが、最近ではブランドの店が立ち並び、夜はイルミネーションが点く季節もありますが、私のおすすめは仲通りに並ぶ、屋外設置の現代美術作品の数々です。こういったパブリック・アートを、散歩しながら一つ一つ観て回るのも「アート習慣」の楽しみになると思います。

あこがれのアート旅

前述したように、自分の住む土地から離れた美術館や博物館に行く楽しさも忘れるわけには行きませんが、各季節に各地で開催される自然と融合した、あるいはその土地の文化や伝統とコラボした個性的なアートフェアや、アートに特化したスポットへの旅行も最高の体験となるに違いありません。

特にアート・スポットは、昨今の外国人によるインバウンド・ブームの中でも重要なパートで、直島のベネッセハウスや信楽のMIHO Museum、小田原の江之浦測候所などは、その土地の美しい自然と有名建築家による建築、そしてクオリティの高いアートとが一体になり、場所の不便さを全く感じさせないどころか、世界の人々に「そこでアートを観たい!」と思わせるほどの魅力に充ちているのです。

ここで一つ、アートをインバウンドで最大限利用するアイディアをご紹介したいと思います。

それは北海道に外国の有名美術館、例えばグッゲンハイム美術館などを招致し、有名建築家に依頼して世界の人々が「ここにこそ来たい」と思うアート・リゾートを作ることです。

北海道という土地は何しろ広く、地価が安い。そして食が豊富で自然が美しい。気候もこれから温暖化が進む中では、適度に良くなると思います。またパウダースノーで有名なニセコのように、外国人スキーヤーが大挙して訪れ、「アジアのサンモリッツ」化した高級スキー・リゾートがあり、今では外国人にもかなり知られた世界的観光地なった北海道こそ、世界から注目を集める新しいアート・スポットを作るに相応しい場所と思うのです。

そんなアート・リゾートが出来たら、皆さんも行ってみたいと思いませんか? アートと旅と食、自然と建築は相性抜群なのです。日本国内にはその相性を確かめられる場所が数多くあり、皆さん一人一人が例えば「日本にあるピカソの絵を巡る旅」とか「六古窯の焼物を訪ねる旅」、「有名建築家の美術館を巡る旅」などなど、アートのテーマを決めて、美味しいものを食べる旅をするのも、大袈裟では無く「人生の楽しみ」になることでしょう。

 

 

 


著者プロフィール
山口桂

1963年東京都生まれ。世界最古の美術品オークションハウス「クリスティーズ」の日本支社、クリスティーズジャパン代表取締役社長。92年クリスティーズに入社、19年間ニューヨーク等で日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。伝運慶の仏像のセール、伊藤若冲の作品で知られるジョー・プライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール等で実績を残す。著書に『美意識の値段』『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)、『美意識を磨く』(平凡社新書)、『若冲のひみつ』(PHP新書)。