美意識と感性を磨く アートな習慣

この連載について

日常的にホンモノに触れる生活が、美意識と感性を磨き上げる。世界中の美術品に接してきたプロの目利きが提案する、楽しく気軽なアート生活のススメ。

STEP8

オークション・スペシャリストの実践的アート鑑賞術 その2

2025年6月23日掲載

西洋美術に接近!

 前回は日本の古画の「接近観察」について書きましたが、では西洋絵画を観る時はどうでしょうか? ここでは19世紀フランス印象派の大家、モネを例に取ってお話ししましょう。

さて数あるモネの代表作の中でも、皆さん「睡蓮」のシリーズはご存知だと思います。睡蓮のシリーズはモネが1883年から住み始め、終の住処となったジヴェルニーの自宅敷地内に造った「水の庭」の池と、そこに生息する蓮を主題とした作品群で、1895年から描き始めたと言われています。モネは1890年代に、「睡蓮」以外にも例えば「積み藁」や「ポプラ並木」、あるいは「ルーアン大聖堂」といった連作シリーズを描いていますが、これらは全て同一モティーフが天候や時間、季節によって微妙に変わる「光」に因って変化する事への、モネの激しい興味の証に他なりません。

この「睡蓮」シリーズは、かなり差異のあるサイズや縦横の構図の違い、また初期の具象的な描法から後期の抽象画を思わせる作風まで、同一主題とはいえ、全てにおいてバラエティに富んでいますが、ここで私が最も重要と思う「睡蓮」鑑賞法は、「遠近両方」から観尽くすことなのです。

まずは遠くから、徐々に近づく

ではその「睡蓮」の鑑賞法をお話ししましょう。一般的な「印象派」絵画を観るように、まずは遠くからじっくり眺めて観て下さい。そして今度は徐々に絵に近付き、鑑賞ラインギリギリに立って、モネの筆のタシェ(タッチ)を堪能してみましょう。「睡蓮」でのタシェは、前期作品と荒々しくなる晩年作では全く異なりますが、さまざまな色の油絵具が一回一回モネの筆によって運ばれ、「印象派的」な造形をなしていることに驚かれる筈です。

この「接近鑑賞」にはまだまだ見処があります……例えばそれは「サイン」です。モネはサインも年代によって書き方が変わりますし、自筆だったり「スタンプ・サイン」だったりもするのですが、アーティストの自筆文字を見ることが出来る機会は稀なのですから、それを逃す手はありません。また絵画に接近した貴方は、時には絵具がひび割れていたり、キャンバスが補修されていたりする「作品の状態」を目の当たりにするかも知れませんが、それもまた接近鑑賞のなせる業なのです。

しかし「睡蓮」の鑑賞で最も重要なのは、前に述べたように「接近して」観た時にバラバラにしか見えなかった色や形状が、遠くから観直した途端に「形と色を為す」ことを確認することです。そしてそれは遠くから、そして接近して観ることによってのみ分かるので、読者の皆さんには、早速国立西洋美術館やアーティゾン美術館、ポーラ美術館や地中美術館に行き、是非とも恐れずに「睡蓮」に接近してみてほしいと思います。

マイ・ベスト・ワークを決める

 さて、前回までに私の「実践的アート鑑賞術」の中から、「第一印象」「あと調べ」「接近観察」「常設展」などを取り上げて来ましたが、今回は美術館の「歩き方」についてお話ししたいと思います。広い美術館や博物館を当ても無く観て歩くのは、時間がある時は楽しいものですが、あまり時間がない時などは、自分の美意識や好みを確認するための目的意識を持って鑑賞する事をお勧めしたい。

 そこで美術館初心者の方には、「マイ・ベスト・ワーク」方式をお教えしましょう。これはとても単純なやり方ですので、常設展でも特別展でも、是非一度試してみてください。以下にその手順を記してみます。

  • 紙と鉛筆、もしくはスマホのメモ機能を用意する。
  • 最初の展示室に入ったら、「第一印象」「接近観察」などを行い、その部屋を出る前に一番好きだった作品に戻り、誰のどんな作品がその部屋の「マイ・ベスト・ワーク」だったかをメモする。
  • 各展示室で②と同様のことをする。
  • 全室見終わったら、出口に向かう前に各部屋の「マイ・ベスト・ワークス」リストを見返し、もう一度観に行く。
  • 観終えたら、その中での「マイ・ベスト・オブ・ベスト・ワーク」を決め、再度その作品を良く観て、作品カード(作品の横に添えられている、作品名や解説などを記したカード)をメモしておく(この「作品カード」にも美術館によって個性があり、例えば全くカードを置かず、QRコードや音声での解説のみの美術館[藤田美術館など]や、捻った「一行解説」のみ書かれる美術館[板橋区立美術館など]もあります)。 
  • そして自分が選んだ「ベスト・オブ・ベスト」作品の何が好きだったか(例えば色彩や構図、画題、描き方、年代、作家、時代背景等々)を考える。
  • 家に帰ったら、図録やネットなどで、その作家や画題などを「あと調べ」してみる。興味があれば同作家の他の作品やその所在地などを調べて、将来観に行ってみる。

この「マイ・ベスト・ワーク」鑑賞術を幾つもの展覧会で実行していけば、次第に自分がどういったアートを好きなのか、また贔屓の作家や画派、制作年代などが分かってくると思いますので、是非実践してみて下さい。

「展示室以外」での楽しみ方

さて私が思う「実践的アート鑑賞術」は、何も美術館や博物館の展示室内だけでの物ではありません。ここでは美術館や博物館での「展示室以外」での楽しみ方を紹介しましょう。

先ずは「ミュージアム・ショップ」です。以前にも書きましたが、ミュージアム・ショップの中には、「アートと暮らす」第一歩に最適な物が並んでいます。例えば展示作品のポストカードや展覧会ポスター、展示中あるいは過去の図録、展覧会の為に特別に作られたアートグッズ、ひいては複製作品まで、私などは家に買って帰りたい欲望に打ち勝つのが大変な程、魅力的な物が揃っています。

最近では、静嘉堂文庫美術館のように、所蔵している国宝「曜変天目茶碗」(中国宋時代の茶碗で、世界に三碗しかない)の、何と「ぬいぐるみ」!を制作し販売している美術館もあります。お茶碗の「ぬいぐるみ」など前代未聞ですが、本物に忠実なサイズ感も含めてかなりの出来栄えで、一時は品切れ状態が続く程の大人気商品となりました。

そしてミュージアム・ショップのもう一つの大きな魅力は、図録などの書籍類です。過去の展覧会図録や展覧会関連書籍が充実しているショップに入ると、私などはもうそれだけで興奮してしまいますが、特に東博の書籍売り場の充実具合は素晴らしく、日本各地で開催中の展覧会図録も見ることが出来て大興奮間違いなしです。それに加え、考古・絵画・陶磁器・武具甲冑・仏教美術・版画等の、日本美術の各ジャンルに分けられているので、探し物がある時などは街中の書店に行くよりもかなり便利でオススメです。

振り返りの時間はミュージアムカフェで

また忘れてならないのが、美術館や博物館内にある「カフェ」です。長時間作品を観て歩けば当然疲れますし、一息入れたくなるのが人情というものです。そして鑑賞中に、或いは観賞後に、美味しいコーヒーとスイーツを頂きながら、自分が取った鑑賞メモや図録を見て作品を思い出したり、悩みながら今日の「マイ・ベスト・ワーク」の順位を決めたりする時間は、至福のひと時以外の何物でもありません。

この「コーヒー・ブレーク」を、私は「記憶鑑賞」と呼んでいます。「鑑賞」とは通常「リアルタイム」に作品と向き合うことを指しますが、ほんの少し前に観た作品をカフェで思い出すことも、未だ美術館での「鑑賞」体験の一部だと私は思っています。コーヒーを飲みながらついさっき観た作品を思い出し、その記憶が感動を再び呼び起こし、「嗚呼、もう一度観てみたい!」といった気にさせるかも知れないからです。

良い美術館には、良いカフェが付きもの……それではここで、私が好きな「ミュージアム・カフェ」を幾つか挙げてみましょう。

・根津美術館「Nezucafé」

・東京国立博物館 法隆寺宝物館「ホテルオークラ ガーデンテラス」

・菊池寛実記念 智美術館「カフェダイニング茶楓by温故知新」

・東京都庭園美術館「カフェ庭園」

・泉屋博古館東京「Hario Café」

・世田谷美術館「SeTaBi Café」

・荏原 畠山美術館「茶話処『猿町カフェ』」

・横須賀美術館「アクアマーレ」

ミュージアム・カフェには、作家物の作品が展示してあったり、図録が置いてあったりする所もあって、「記憶の場」だけで無く、アートの発見の場でもあります。是非皆さんも、お気に入りのミュージアム・カフェを探してみませんか?

著者プロフィール
山口桂

1963年東京都生まれ。世界最古の美術品オークションハウス「クリスティーズ」の日本支社、クリスティーズジャパン代表取締役社長。京都芸術大学大学院非常勤講師。92年クリスティーズに入社、19年間ニューヨーク等で日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。伝運慶の仏像のセール、伊藤若冲の作品で知られるジョー・プライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール等で実績を残す。著書に『美意識の値段』『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)、『美意識を磨く』(平凡社新書)、『若冲のひみつ』(PHP新書)。