車椅子の斉藤さんとパラグアイへ

第17回

秘宝・コアラのマーチの財布

2025年10月28日掲載

パラグアイの障害者たちから、次々と質問が飛んだ。全部スペイン語だし、ゆっくりしか話せない人もいるし、手話通訳者を通しての質問もあった。それでも質問者の熱がビンビン伝わってきた。「自立生活について、もっと知りたい」「いまここで斉藤さんに聞いておかなければ」という熱が。 

障害がある人がない人と同じように自由に生きる、その道があることを彼らはいま初めて知ったのだ。なによりも介助者をつれて電動車椅子を転がして、誰に遠慮することもなく自分の意思だけで地球の裏側から来ちゃった人を目の当たりにして、そりゃあ前のめりになるに決まっている。 

介助者の給料や食費や交通費は誰が払うんですか? 介助者になるはどんな資格が必要ですか? 介助者に1日あたり何時間来てもらえるかは、誰が決めるの? 視覚障害でも介助者をつけられますか? 知的障害はどうですか? 家族と住んでいても介助者をつけられる? 日本にその制度が整うまでには、どのくらいの年月がかかりましたか? 

実務的な質問がひと段落すると、すこし角度が違う質問も出た。 

「パラグアイでは、障害がある子が生まれるのはお母さんが神様にお祈りをしなかったせいだ、とか、まじめに教会に通っていなかったからだ、なんて言われることがあるんです。日本はどうですか?」 

斉藤さんは間髪入れずに、いつもの軽やかな口調で答えた。 

「あー、日本でもいますよ。妊娠中の行いが悪かったから障害がある子が生まれたなんて言う人。そういうのは古代ローマ時代からあるんです。障害があると男は戦争に行けない、女は子を産めない、役立たずだって、大昔から言われてきた。そんなこと言われると胸がキューッとなるし、自分はダメな存在だと思えてくる。そういうときはピアカウンセリングで話すと、だいじょうぶになれます。 

どんな人もなんらかの社会資源を得て暮らしているんですよね。水道があるから水を汲みにいかなくて済む。階段があるから2階に行ける。ぼくだってエレベーターがあれば2階に行けます。ぼくが2階に行けないのは歩けないからではなくて、エレベーターがないから、と考えるわけです。歩く能力の有無ではなく、社会資源が足りているか足りていないかの問題。社会資源は、個人の力でどうにかできるものじゃない、だから制度を変えていく必要があります。 

もしなにか障害について嫌なことを言われたら、書き出してデータ化しておくといいです。あとで行政に訴えるときの材料になりますからね」 

わたしは圧倒されながらその回答をメモした。なんてすごいんだ斉藤さん、踏んできた場数が違う。 

「これ、みなさんに見せようと思って」 
 斉藤さんがそう言うと、介助者の前ちゃんが手のひらより少し大きいサイズの物体を掲げた。 
「ぼくが段ボールでつくった財布です。と言ってもぼくは手が動かないから、実際につくったのは介助者です。コアラのマーチっていう日本のお菓子が入っていた段ボールで……」 

パラグアイの人たちはポカンとしていた。わたしもポカンとした。なぜここでコアラのマーチ……?  

そもそものきっかけは、斉藤さんが段ボールで財布をつくるアーティストの記事を読んだことだった。その人は世界各国を旅して、ダンボールを拾ってきては、それで財布をつくっているんだとか。興味を持った斉藤さんは図書館でそのアーティストの本を借りてきて、ダンボールを拾ってきて、本を見ながら財布をつくってみた。 

「コアラのマーチのロゴが表にくるようにするには、どうカットすればいいんだろうって、ああでもないこうでもないと介助者と一緒に悩みながらつくったんです。ぼくは完成した財布にすごく満足して、周りの人に見せびらかして「これ、よくない?」「ほしくない?」って聞いたけど、みんな「あ……いや、いらないです」って反応は薄かった」 
会場から笑い声が起きる。 

「財布をさわってみたい人、いますか? 中にお金を入れてくれるなら、見せますよ」 

さらに大きな笑い声。段ボール財布は人から人へとまわされた。そしたら斉藤さんのジョークに乗っかって、ほんとにお金を入れる人まで現れたので、会場にいた全員が笑い転げた。 

「ぼくはこの話のなかに自立生活のポイントが詰まっていると思うんです」 

斉藤さんはやってみたいと思いついて、すぐに挑戦した。それは介助者がいるからできることだ。自分の手は動かないが、介助者が代わりの手になってくれる。しかもそれ、斉藤さん以外の人はぜーんぜん興味のないことだった! ここがもっともおもしろい。本人がやりたければ、やる。他人が興味を寄せようが寄せまいが、社会的に意味があろうがなかろうが、関係ない。 

「段ボールを拾ってきて財布をつくる、なんて、他人が見たらつまらないことかもしれない。介助制度によってトイレ、お風呂、食事などがちゃんとできるから、そのうえでつまらないことでもやってみようってなる。これは国連の権利条約で認められていることです。条約には、障害者も障害がない人と同等の生活を送る権利がある、そのために介助制度が使えるって書かれているんですよ」 

なんとまあ、コアラのマーチの段ボールの財布はそんな背景を背負ってパラグアイまで連れてこられたのだった。この財布はその後も各地で大人気を博した。ほぼすべての人が「写真を撮らせてください」と言い、しまいには地元テレビ局が取材にきたほどだ。キリストの聖杯か何かのような扱いを受けたのである。 

交流会は街中のホールや個人宅の中庭など、いろんな場所で開催された。毎回、来場者たちは「パラグアイでもがんばろう」「障害者が自立できる社会をつくろう」「友だちにも伝えなきゃ」とめちゃくちゃ明るい表情で帰っていくのだった。ひとりの聴覚障害者が齊藤さんのところへ来て、手話で話しかけたシーンが忘れがたい。手話通訳士とスペイン語通訳のエリカさんがあいだに入って、伝えらえたことばは「今日、わたしは大きな夢をもらいました」だった。 

同時に印象深いのは、帰りのマイクロバスのなかでスルマさんとブランカさんから聞いた話だ。「交流会に参加できたのは、恵まれている人なのだ」とふたりは言った。パラグアイでは大学に通ったり、仕事に就けたりする障害者はごく少数派。家の外に出してもらえず、ふたりが率いる団体「テコサソ」のオンラインミーティングに参加するネットの接続費用すら払えない障害者も大勢いる。恵まれている障害者は、だからこそ自分たちが立ち上がって、もっと困難な状況にある障害者のために社会を変えなければと考えているのだという。 

「日本だって30年前はなんの制度もなかった。ノンステップバスも、駅のエレベーターもなかった。そのなかで立ち上がった先輩たちのおかげで変わっていったんです。一歩踏み出せば必ず社会は変わります」 

斉藤さんのことばがパラグアイの夕暮れに溶けていく。 

その後わたしたちは首都アスンシオンに戻って街をぶらついたが、つねに「段ボールはないか?」と目を光らせていた。せっかくだからパラグアイらしい段ボールを手に入れて、日本に持って帰って財布をつくりたい。 
「マテ茶の段ボールとか、ないかな」
「いいねぇ」 
「できればスペイン語じゃなくて、(この地の先住民の言語である)グアラニー語が書かれてるといいね」 
「それ最高っすねー」 

(つづく) 

著者プロフィール
金井真紀

1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。