ごちゃごちゃ市場を車椅子が行く
知らない土地に行ったら、まず覗いてみたいのは市場である。南米ならば、そこにサッカースタジアムが加わる。のんきなひとり旅だったら、わたしは迷わずこの2箇所を目指して街をうろつくだろう。でも今回の目的はあくまで斉藤さんの旅に密着させてもらうこと。滞在日数は短いし、スケジュールはびっしり詰まっている。この旅では気ままな散歩は無理だろうと諦めていた。
地方の交流会から首都アスンシオンに戻ってきた日の夕方、斉藤さんと介助者の竜くんと前ちゃん、それに写真家の柴田さんの5人でショッピングモールのフードコートに晩ごはんを食べに行った。エレベーターがついているそこは、アスンシオン市内で車椅子ユーザーが外食できる数少ない場所だ。フードコートだからタコス、ピザ、中華、寿司などいろんなメニューが選べるようになっている。
「セルベッサ(ビール)もある」
「お、いいっすねぇ」
5人は頷き合った。
ところで竜くんと前ちゃんは8時間交代で斉藤さんの介助をしている。いつもふたり揃って斉藤さんのそばにいるように見えるけど、じつは介助者として勤務中なのはそのうちのひとりだけ。もうひとりは交代の時間が来るまでオフなので、ビールも好きなだけ飲めるのだった。もっとも、斉藤さんは自分がビールを飲むとき、状況によっては介助者にも「今日はもう寝るだけだから、飲みたかったら飲んでいいよ」などと声をかけているようだ。
竜くんが寿司を注文したら、謎めいたカリフォルニアロールが出てきた。添えられたプラスチック容器に緑色の巨大な芋虫が入っている。ギョッとしたが、よく見たらチューブから絞り出された練りワサビだった。
「わは、ワサビか。量が半端ないね」
「これ全部つけたら罰ゲームだよ」
おもしろがってみんなで写真を撮る。わたしと斉藤さんはハンバーガーを食べた。付け合わせがポテトフライではなくキャッサバフライだったのがパラグアイらしくて、ホクホクと甘くて、大満足。
食べながら、斉藤さんが言った。
「明日は、昼からブランカさんちに行く予定が入ってるけど、午前中は自由時間なんですよ。市場とかスタジアムとか見てみたいけど、歩いて行けるんすかね?」
なんと、斉藤さんも市場とスタジアムに行きたい派なのだった。そうかそうか、やっぱりな、斉藤さんとわたしは好みが似ていると思っていたよ。ニヤニヤしながら、わたしは一も二もなく賛成。竜くんと前ちゃん、写真家の柴田さんも「行こう行こう」と盛り上がる。斉藤さんは日本からアルミ製の折りたたみ式スロープを持参していた。あれを持って散歩すれば、道の段差も乗り越えられるはず。
翌朝8時、わたしたち5人はパラグアイ国内に1台しかない(!)車椅子タクシーと普通車の2台に分乗して、意気揚々とメルカド・クワトロ(第4市場)に向かった。アスンシオン最大とも言われるメルカド・クワトロは、200年以上の歴史をもつ老舗の市場。かつては農産物を商っていたが、現在は衣料品、家庭用品、宝飾品、電気機器まで「欲しいものはなんでもある」らしい。メルカドの前の通りは、トラックやバイク、台車などがひっきりなしに行き交っている。そこを5人の日本人――うち一人は電動車椅子――がずんずんと進み、迷宮のような市場に足を踏み入れた。
強い日差しが降り注いでいた。その分、トタン板の日除けの下は真っ暗で、目が慣れるまで時間がかかる。暗がりの雑踏に悪いやつが潜んでいるんじゃないかと最初は緊張したが、平日のこの時間帯の市場はのんびりムード。人はあくび、犬はドテ寝、怖い雰囲気は皆無だった。
市場の通路は狭い。両脇に小さな店舗が並び、ありとあらゆるものが売られていた。斉藤さんは電動車椅子をたくみに操って、奥へ奥へと進んでいく。その様子を柴田さんが激写していた。
「いい段ボール、あるかな」
わたしたちはキョロキョロしたが、意外にも段ボールは見当たらなかった。スペイン語ができる柴田さんが店のおじさんに「不要な段ボールはありませんか」と尋ねてくれたが、おじさんはぶっきらぼうに首を振るばかり。バックヤードに置いてあるのかな? もしかしたら資源ゴミにも価値があり、他人には気軽に譲らないのかも?
サッカーのユニフォーム屋さんの前で、斉藤さんと竜くんが足を止め、なにやら相談を始めた。アスンシオンの2大チーム、オリンピア(チームカラーは白と黒)とセロ・ポルテーニョ(チームカラーは赤と青)のユニフォームが店頭に吊るされている。ふたりは赤と青のほうを買った。生地はペラッペラで値段も安い。公式ユニフォームじゃないことは一目瞭然だったけど、ふたりとも満足そうだ。
さらに行くと、アサディート(焼肉)の屋台を発見した。煙をもくもくとあげながら、鉄板で肉を焼いている。
「うまそー」
「食べてみましょうか」
ショッピングモールのフードコートもいいけど、そりゃあもう、市場の屋台メシのほうが断然そそられる。わたしたちは人数分の牛の串焼きとチョリソー、それにファンタオレンジを注文し、ボロくて小汚い屋台のテーブルに陣取った。肉の付け合わせとして、茹でたキャッサバがどどん!と皿に盛られて出てくるのが豪快でよい。斉藤さんの口元に、介助者の前ちゃんが串肉を差し出す。トタン板のすき間から青い空が見える。なんともいい風景だった。
お腹が満ちたところで斉藤さんが言った。
「じゃあスタジアムに行ってみますか」
地図で見ると、メルカド・クワトロから直線距離で1キロちょっと離れたところに赤と青のチーム、セロ・ポルテーニョの本拠地「エスタディオ・ヘネラル・パブロ・ロハス」があった。閑静な住宅街を抜けていく道らしい。ゆっくり歩いて行ってみよう、という作戦だった。
通りは広く、車は滅多に通らない。街路樹の木陰が気持ちいい。これはいい散歩コースだなぁ。と思ったのは最初だけだった。車道と歩道のあいだには険しい段差があり、道を渡るたびに折りたたみスロープを広げる必要があった。さらに行くと、歩道の敷石がぐちゃぐちゃに剥がれている危険ゾーンが待ち受けていた。スロープを斉藤さんの車椅子の前に置き、その長さ分だけ進んでもらい、またスロープを持ち上げて斉藤さんの前に置き直す。
「はい!」
「よし!」
「もう一丁!」
地道なスロープ送りを繰り返しているうちにだんだん手際がよくなり、チームプレーで乗り越えるゲームに挑んでいるような様相を呈してきた。
このアルミ製のスロープは、パラグアイの車椅子ユーザーたちから「すごい」「ほしい」と羨望のまなざしを注がれた逸品だったが、じつはやたらと重いのである。竜くん前ちゃん柴田さん金井の4人で順番に運んだからまだよかったけど、もしわたし一人だったら住宅街のまんなかで力尽きてしまったかもしれない。諦めてタクシーを呼ぼうにも、車椅子タクシーはこの国に1台しかない。なるほど、これがパラグアイで障害者が外に出られない大きな理由なのだな、としみじみわかった。汗だくで、ヘトヘトで、手が痛い。でもここに自由があるんだと思った。斉藤さんと一緒に、気ままな散歩をする自由が。
苦闘すること40分、ついにエスタディオ・ヘネラル・パブロ・ロハスに辿り着いた。
1970年に建てられ、2017年には4万5000人収容のビッグサイズに改修された堂々たるスタジアム。壁にはファンが描いたとおぼしき赤と青のペンキ絵があり、長い年月を経てところどころ消えかかっているのも渋くてよかった。斉藤さんと竜くんはさっきメルカドで買ったセロ・ポルテーニョの赤と青のユニフォームを着て、ペンキ絵の前で写真を撮った。
スタジアムの門は固く閉じられていたが、うろうろしていると関係者がやってきて、わたしたちは特別に中を見学させてもらえることになった。斉藤さんと竜くんが着ていた赤と青のユニフォームが――どう見てもパチモン(にせもの)だったけど――功を奏したに違いない。
(つづく)
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。

