養護学校の先生が抱えるもの
「新吾は長く生きらんないんじゃないかって思ってた」
斉藤さんがトイレで席を外したとき、先生たちがその話を始めた。そういえば斉藤さんからも「自分は10代で死ぬんだろうと思ってた」と聞いたことがある。今こうして48歳の斉藤さんと一緒に遊んでいるからつい忘れてしまうけど、斉藤さんの障害は進行性の病気によるもので、子どもの頃から本人も周囲の人たちも短命を覚悟していたのだった。
高校生といえば折に触れて大人たちから「将来は何になりたいか」と問われ、生き生きと夢を語ったり、恥ずかしいから口籠ったり、自信がなくていじけたりする年代だ。なのに斉藤さんはその問いを心に浮かべることすらできなかったのだ。想像するだけで胸が締め付けられる。先生たちもどんなにつらかっただろう。
「卒業してしばらく経ったとき、新吾のお母さんから電話があったんだよ、「たぶん新吾もうダメです」って」
「あんとき新吾は二十歳くらいだったか。酸素吸入するって言って」
「結局元気になったから、よかったけどさ」
三養の先生と生徒とのディープな関係は卒業後も変わらない。
そのあと先生たちが、新吾の学年だとあの子とあの子はもういない、あんなに早く亡くなるとは思わなかった、あと誰それも……と教え子の名前を列挙していったので、わたしは絶句した。病気で亡くなった人もいれば、自ら命を絶った人もいるという。
「養護学校の先生っていうのはね……」
菊池先生がおだやかな表情で言った。
「子どもたちの死にたくさん立ち合う仕事なんだよ」
斉藤さんがトイレから戻ってきた。沈んだ座の空気を吹き飛ばすように、奈良岡先生がほがらかに言った。
「なあ新吾、3年間の高校生活でいちばん印象深いことはなんだ?」
斉藤さんはしばらく考えてから答えた。
「3年の運動会で負けたことかな」
「おー、運動会か!」
運動会というキーワードが出て、先生たちがにわかに盛り上がる。三養の運動会は毎年5月に開催されるビッグイベント。学年対抗でいろんな競技をして合計点を競う。なかでも白熱するのが「総合リレー」と「応援合戦」だとか。
総合リレーは全校生徒が参加する目玉企画。トータルの距離だけが決まっていて、どういう順番で走るか、誰がどのくらいの長さを担当するかは生徒たちが話し合って決める。
「片麻痺があるけど意外と走れるやつもいるし、車椅子でひと漕ぎひと漕ぎ進む子もいる。おまえは30メートル走れるべとかってみんなで考える。大人はノータッチで、ぜんぶ自分らで決めるんすよ」
斉藤さんが懐かしそうに説明する横で、奈良岡先生がそっと付け加えた。
「今の養護学校ではやらんだろうね。運動会もないかもしれない。なんかあったら問題になるから」
なるほど現在だったら第一に怪我のリスクを気にするだろうし、障害の程度に差がある者どうしを競わせるのは不公平という考えもあるだろう。でも30年前、斉藤さんたちがクラスメイトそれぞれの体の機能の違いを「個性」と捉えてチームプレーを組み立てたエピソードは、なんとなくアベンジャーズ感が漂って痛快だった。
「ぼくらの学年は障害的にリレーじゃ勝てないメンバーだったんで、応援合戦で点を稼ごうって作戦で」
と斉藤さんは振り返る。総合リレーと並んで、運動会の華となるのが応援合戦。これはパフォーマンスを競うもので、運動能力は関係なくアイディアや見せ方の勝負となる。
高校2年のとき、斉藤さんの学年はこの応援合戦にめちゃくちゃ力を入れた。台本を書いて、衣装を準備し、何日も前から練習に励んだ。しかも「運動会当日までほかの学年に中身を知られたくないから、昼間はウソの練習をして、夜になってから本当の練習した」って、まさかの陽動作戦! すごいのは、先生たちもこの作戦を後押ししたことだ。「夜の校庭で応援合戦の練習がしたい」と相談を受けた数人の先生がその時間に校庭に集結し、車のヘッドライトを付けて練習を照らしたという。
「なにそれ、最高じゃないですか」
わたしたちはゲラゲラ笑った。先生たちも大笑いしている。
「先導したのは新吾とタカヨシだったな」
やっぱりなー。斉藤さんは当時から「おもろいこと」を考えては仲間を引っ張っていくタイプだったのだ。タカヨシという名の同級生がいつも相棒だった。骨形成不全症だったタカヨシは身長が極端に低く、日常生活のちょっとしたことで骨が折れてしまうハンデを抱えていた。先生たちは口々にタカヨシのエピソードを披露する。
「タカヨシはさぁ、あの体で修学旅行に行ったんだよね」
「んだんだ。学年主任だった先生が「タカヨシを連れて行くぞ。おれが全部面倒みる」って言ったんだ。子ども用の便座をわざわざ買って、修学旅行に持っていったんだよな」
「京都に着いたらさ、タカヨシが「先生、空はどこもおんなじ空なんだね」って言ったんだよ。おれはそれをずっとおぼえてる」
タカヨシは青森県むつ市の出身。高校卒業後は関東に出た。茨城県で大学生をしていた斉藤さんのところに遊びにきて――
「その数日後に亡くなったんだよ」
「えっ」
「タカヨシがうれしそうに電話してきてさ、「先生、おれ新吾に会いに行ったんだ」って。それから何日も経たないうちに家族から「急変して亡くなった」って連絡があって、びっくりしたよ」
ことばを失っているわたしに、菊池先生はふしぎな話を続けた。
「新吾にはヘンな能力があってさ。タカヨシの場合は新吾に会った数日後に亡くなったけど、それ以外にも新吾が「そういえば先生、あいつどうしてる?」って話題に出すと、翌日か翌々日にその人が亡くなるのよ」
「えっ」
ますますことばが出ないわたしの横で、斉藤さんが笑いながら言った。
「やめてよ、そんな、人を死神みたいに言うの」
菊池先生も笑いながら言い返す。
「だって1回じゃないんだ。何度もそういうことがあるんだから」
こんなふうに笑いをまじえながら、先生たちは先に逝った教え子を、斉藤さんは同級生や先輩後輩を思い出しているのだった。
弘前の夜が更けていった。だんだんみんな酔っ払って、最後のほうは青森出身のお相撲さんや高校野球の話題になって、飲み会は9時前にお開きになった。ビールと焼酎お湯割りですっかりゆるんだ頭の片隅に、小さな疑問が残った。斉藤さんが高校生活でいちばん印象深い出来事として語った「3年の運動会で負けたこと」って一体なんだったんだろう。
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。

