ある翻訳家の取り憑かれた日常

第65回

2025/07/26-2025/08/07

2025年8月28日掲載

2025/07/26 土曜日

久々にデエビゴ(眠剤)の洗礼を受ける。

夢のなかで(眠っているのにもかかわらず)はっと目覚めた私は、私を挟むようにして眠っていた双子に気づいた。おかっぱ頭でまだ幼く、二歳ぐらいだ。驚いて顔を見ると、間違いなく私の息子たちだ。その二人の小さい手を触っていたら、涙がボロボロ出てきた。

こんなに小さかったんだ、こんなにかわいかったんだ。たくさん叱ったりしてごめんね、もう絶対に叱ったりしないから、これからは優しい母さんになるからと言いながら、しばらく号泣しつつ子どもの顔を眺めていて、ふと気づいた。自分も38歳に戻っているのでは!?

ベッドから飛び降りて、走ってリビングまで行き、受話器を取り、母に電話をかける。番号はちゃんと覚えているぞ、忘れるものか。10回鳴らす。誰も出ない。あ、こっちの番号は店のほうの番号だった! 実家の電話を鳴らさないと! 

急いで実家の番号にかけなおす。もちろん覚えている。10回ぐらい鳴らすと、ようやく母が出た。うれしくて悲鳴が出そうになる。いつもと同じ声で母は静かに「もしもし」と言った。私は泣きながら「もしもし! 私だよ、理子だよ! ママ(私は生涯母をママと呼んでいた)、元気にしていたんだね!?」と聞くと、「あたりまえじゃない」と言い、母は乾いた声で笑った。

「ママ、大事な話があるんだけど、実は兄ちゃんが死んじゃったんだよ。ほら、引っ越した東北のマンションあったでしょ。あそこで倒れていたんだって。でも心配しなくていいよ。部屋は全部片づけたし、それ以外もほとんど全て片づけたから」と言うと母は、大声で泣きながら、「タカが死んでしまったなんて、信じられない。そんなの絶対に耐えられない」と言った。私も母と一緒に泣いた。

しばらく泣いて、泣きやんで、母に「そういえばパパは元気にしてるの?」と聞いた。「とても元気にしてるよ。理子に会いたがっているよ」と答える母。私はようやく笑顔になって、「パパによろしく伝えて」と母に言った。すると母は急いだ様子で「いまからタカを探しに行ってくる。あの子、どんな服装だった?」と聞いた。

私は涙を拭いながら、大きな声で「兄ちゃん白装束だから、目立つと思うよ!!!」

そこで号泣しながら目が覚めた。メンタルクリニックの先生に、この壮大なストーリーを伝えるかどうか迷う。止めておこう。薬が増えるだけだ。

2025/07/27 日曜日

義父が言うには、最近行き始めたデイサービスの職員さんが、会ったこともない私のことをしきりと褒めているという。いいお嫁さんやわ、面白い人やわとしきりと言う人がいるということなんだけど、何かバレてる?

義父は私が工務店に勤めていると頑なに信じているので、一番バレてはならない人物にはバレていないということで、気にしないでおこう。

2025/07/28 月曜日

中野量太監督『兄を持ち運べるサイズに』の完成披露上映会が開催されるということで、私も東京に行くことになっている。8月7日だって。なんだか、徐々に現実味を帯びてきた映画化(まだそんなことを言っているのか)。すごいことになってきちゃったなあ〜。海外の友だちにも宣伝しておこう。Netflixとかに配信されたら、字幕つくだろうから、みんな見てくれそうだね。

2025/07/29 火曜日

「兄を持ち運べるサイズにしてしまおう」っていう一文、私の心の叫びみたいなものだったんだけれど、これは『冷たい熱帯魚』で、でんでんの言った「ボデーを透明にする」に匹敵するほどの猟奇的セリフと勘違いされるパターンが多いが、実のところ、本当にサイズを小さくしたかっただけなんですよね。

それにしても埼玉愛犬家連続殺人事件をモデルとした『冷たい熱帯魚』ですが、舞台となったアフリカケンネルはアラスカン・マラミュートのブリーディングをしていて、当時の愛犬関連雑誌には広告をたくさん出していて、本当に有名な犬舎だったよね。人間を解体しながら、『北酒場』を歌っていたというのは本当なのだろうか。何かの本で読んだ記憶があるのだが。


2025/07/30 水曜日

実家の処分の件で弁護士さんから電話が入る。実家……というか、祖父が昭和の初め頃に建てた家だが、漁港の近くだったので、最初は旅館というか、民宿として建てたため(私が物心つくまでには廃業していた)、間取りがものすごく不気味だった。狭い部屋がいくつも並んでいて、今で言うスキップフロアで構成された宿泊スペースと、普通の居住空間が交ざっていて、子どもながらにこの家は奇妙だと思っていた。そこに両親と兄と私と祖父母と叔父が住んでいた時期があった。叔父は子どもの時にポリオに罹って体が不自由で、とても優しい人だったけれど、時折発作を起こし、気の毒でならなかった。最後は結局、老健(介護老人保健施設)のような施設に預けられていた(実はこの施設で兄が一悶着起こしたのだが、その話はまたいずれ)。成人してから数回、お見舞いに行ったことがある。彼はいつも私におこづかいとして500円玉をくれたのだが、そのときも500円玉を渡してくれた。結局、癌で亡くなったが、長女だった母が彼の葬式を出していた。私が今も保管している母のメモ帳には葬儀費用の詳細と、「まあちゃん、ありがとう」という文字列がある。


2025/07/31 木曜日

次男がバイトから戻ったような雰囲気があったのに、二階のリビングに上がってこないので不思議に思って一階の部屋まで見に行くと、真っ暗な部屋のなか、ベッドの上に座ってケータイで何かを調べていた。そのケータイの明かりだけが見えたので「あんた、何してんの?」と聞いたら、震える声で「かあさん、絶対に怒らんといてや。頭にきたことがあったのでコンクリートの壁を思い切り殴ったら、肩が外れてしまった……」と言うではないですか。

時間はすでに20時のあたり。とにかく大きな病院の救急外来に電話してみると、「まずは○○整形外科に聞いてみてください。あちらは夜勤の先生がいらっしゃいますから」と言ってもらい、早速息子を連れて○○整形外科へ。うちの次男、結構面白いことばかりやるんだけれど、壁を殴って穴を開けたのではなく、肩が外れたというのは、ここ数年で一番おもしろかった。青春だねえ。

2025/08/01 金曜日

次男の肩、思ったよりも重症らしくMRIを撮ったんだけど、手術したほうがいいかもと言われてしまった。肩の骨を砕き筋肉を断裂させる、その爆発するエナジー。学問に向けてみないか!? 

病院帰りに、次男と一緒にモスに立ち寄る。食べ物に本気でうるさい次男が、モス野菜バーガーは、あーだこーだ、チキンはどうだ、などなど、うるさく言っていた。「かあさんはどう思う?」と聞くので、「あんた、あんまりモテへんやろ?」と返しておいた。

休憩後真っ直ぐ家に戻り、日経のプロムナード入稿。忙しい一日だった。夜は翻訳を少し進めようと思う。翻訳は年内にすべて収めたい。本気で収めたい。収めたいんだ。もう私は、楽になりたい。


2025/08/02 土曜日

テオに呼び出しがかかった。病気になった仲間の犬に輸血が必要らしい。テオは体が大きいし、若いしということで、トレーナーさんから連絡があって、さーっと車がやってきて、テオは何もわからないまま、運ばれていって、平気な顔をして戻って来た。400ccだったらしい。そうか、テオがんばったなあと言いつつ、分厚いステーキを食べさせたら嬉しそうにしてた。輸血が必要だった犬はかなり回復したそうです。よかった。

2025/08/03 日曜日

義母の徘徊が激しくなったうえに、ものすごく饒舌になっているため、義父が苦労している。一体どうしたらいいんやと泣きつかれるのだが、私の答えは一貫して「施設のお世話になるしかないです」だ。義母の状態は素人が手を出すようなものではなくて、医師や介護のプロに見てもらわなければどうにもならない。「もう何カ所か見学にも行っているし、契約しようと思っている」とも、はっきり伝えている。

すると義父は、その点にはまだ納得できないようで、「いや、それは考えてはいない」と言う。じゃあなんで、どうしたらいいのかと私に聞くのだとイラッとする。なぜこんなにも同じやりとりを繰り返すのだろう、この人は……と不思議だった。しかしこの前ふと、これってもしかしたら「わかりました! 私が24時間こちらで介護します!」とか、「わかりました! 同居しましょう!」とか、そういうセリフを「私が」言うのを待っているのか!? と気づいた。

義父は私がどんな仕事をしているのか、どんな本が好きなのか、どんな映画を見ているのかとか、好きな食べ物は何かとか、夕方になると青木真也と細川バレンタインのYouTube見ながら、ゲラゲラ笑って家事をやっていることとか、とにかく私のことなんて、一切知らない。私という人間なんて、彼にとっては近所に住んでいる誰かと大して変わらないはずだ。それなのに、私のことを自由に使うことができると思っている。自分は無条件に愛されている、大事にされるべき存在だと思っている。かなり勘違いしているので、今度裏拳を打って目を覚ましてあげようと思う。

2025/08/04 月曜日

長男が出先から電話をかけてきて、「かあさん、ちょっと迎えに来てくれない? 暑くて大変なんや」というので、あいよ! とばかりに車で急行する。長男はまったくわがままを言わない真面目な息子で、破天荒な次男にばかり時間を奪われている私は、長男から何かお呼びがかかると嬉しくてすぐに行ってしまう。私の人生も限られたものなのだし、生きている限り、子どもたちには何かを与えられる人間でいよう(金は無理だ)。

2025/08/05 火曜日

東京行きの支度。支度と言っても、大して何も持っていかないのだが、なんだかんだとバッグにつめておく。東京に行くのは楽しいが、戻ると必ずメンタルが落ちるので、それがつらい。しかし最近ではそれにも慣れてきて、半日ぐらいで復活できるようになってきた。何ごとも慣れなのだ。

2025/08/06 水曜日

東京滞在時に日経プロムナードの締め切りが来てしまうので、生まれて初めて締め切り前に原稿を書きはじめた。生まれて初めてというか、数十年ぶりだと思う。普段、原稿は締め切り日に書くので(そうでないと書けない)、自分でもがんばったなと思った。たぶんこれを読んで、村井を殴りたいと思った編集者さんが5人ぐらいいる。

2025/08/07

木曜日東京での試写会当日。CEメディアハウスのオフィスに着いて、早速インタビューやら名刺交換やらが行われて、最初はなんと白央篤司さんがインタビューに来て下さった。白央さんは優しい人なのだ。いつかごはんをご一緒したいと熱望している。


さて、様々な取材を終わらせて、試写会。東京駅前で見た鳩の健康状態が悪すぎて悲しくなる。都会ではハゲ散らかした鳩が散見されるのか。あんなに細い、ボサボサの鳩を見たのは初めてだ。田舎だと食べるものに困らないのだろうが、コンクリートジャンゴーではパン屑など落ちてないようだな。ダイア建設のコマーシャルでも、東京砂漠が流れていたもんな。都会は砂漠なんだろうな、動物にとって。どうか彼らの命が繋がりますように。

試写会会場では、私は相当良い席に座らせて頂いた。というか、ど真ん中じゃないかしら。両側は社長のみなさんだった(いろいろな会社の社長)。映画が終わると同時に、社長のみなさんが立って挨拶してくださって、「先生、よかったですね!」、「先生、最高でした!」と言われてしまった。先生って呼ばれるのに慣れてないので怖い。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(2巻まで刊行、大和書房)、『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。