ある翻訳家の取り憑かれた日常

第52回

2025/01/19-2025/02/01

2025年2月20日掲載

2025/01/19 日曜日

当たり前と言えば当たり前だが、自分が書きたいことはいくらでも書けるものだなと思う。ただ、冷静な頭で、果たしてそれが読者に求められているかどうかを考えるのは大切だと思う。欲望のままに書き飛ばしていいものではないだろう。そのように自問自答する「冷却期間」があってこそ、恥を最小限に留めつつ、成り立っていくのが我々の仕事なのかもねと、手作り餃子を作りながら難しいことを考えてみる。とにかく、早く書けばいいのに。餃子もいいけど。

2025/01/20 月曜日

書くのであれば、プロットを組み立ててみることにした。久しぶりにNola(エディタツール)を立ち上げたら、すでに4つぐらい組み立てたものがあり、そのうち三冊が書籍化されていた。優秀過ぎるではないか! 本になったものはすべて消して、新しい一冊を登録した。今年後半までには書き上げたい。あと数冊分はアイデアだけでも記すことができるようにがんばろう。できるぞ、俺なら。

2025/01/21 火曜日

ハリー本の文庫担当編集者、筑摩書房の許士さんが東京からやってきた。テオにとんでもない歓迎を受け、すっかりスッピンになって戻って行った。彼女とは、これから先、何かを一冊書くと約束した。楽しみですな。


何かを書こうと思いはじめたら書きたくて、プロットを何時間もかけて組み立ててしまった。しかし、今、そんなことをしている時間はないはずなのだ。『ダウントン・シャビー とあるアメリカ人がイギリスの城をDIYする』の追い込み作業がある。ホップウッド・ディプリーによる本書は、決して難しいタイプの本ではなくて、むしろ楽しい、爆笑、涙……という一冊で、訳すこと自体は難しくないが、日本語でその「爆笑」だとか「涙」に読者を誘導(?)していくというのは簡単ではないなといつも思う。でも、読み直したら結構面白かったので今日は満足した。とにかく、翻訳は難しい作業だ。何十年もやったけど、上達しませんね。残念なケースです。

2025/01/22 水曜日

次男、インフルA。学校に電話すると先生が出て、「おお、お母さん! 次男はどうだい!?」と、めちゃフランクに聞かれる。次男は夕べ「イナビル」を吸引して、完全復活している。若い子は早いなあと思う。移されないように必死に次男から逃げている。

午後になって、ブリトニー・スピアーズの自伝の進捗が気になり、少し訳す。こちらも訳しやすい。もうすぐ出版となるパリス・ヒルトンの自伝は、壮絶な内容ながら、パリスの語り口は軽快な部分が多かった。しかし、ブリちゃん……心配だよ。ブリちゃんはきっと、人生が複雑過ぎるのだろうと思う。ただただ愛されたかっただけのブリちゃんの悲鳴のような一冊。待っててブリちゃん、急いで作業していますから。

2025/01/23 木曜日

全く身に覚えのない番号から着信し、実兄が突然死亡した時の悪夢が甦る。兄のときに着信した相手は塩釜署の刑事だったが、今回も相手がまったくわからないという状況で、それなりに身構えた。知らない番号からの着信は怖い。0120のつく番号はブロックするだけだからシンプルなのだが。


しかし実際のところ、電話の相手は、兵庫県美方郡香美町にあるマルニ竹内商店さん。私が注文していた蟹が今朝獲れて、そしてたった今茹で上がりました〜という平和そのもの、喜びとわくわくしかないお電話だった。冷凍せずに送りますから、明日、確実に在宅している時間を教えてくださいということ。冷凍便じゃなくて、冷蔵便なんだよ!

確かこの蟹は毎週注文している食材の宅配業者経由で注文したものだった。この業者を経由すると必ずマルニ竹内商店さんの蟹が届く。もう何度注文しただろう。美味しいのはわかっているので、最高の気分で仕事をスタートさせた。

ここのところ取り組んでいた一冊は、ホップウッド・ディプリーによる『ダウントン・シャビー とあるアメリカ人がイギリスの城をDIYする』。なかなかどうして文字数が多かった。最終的には210000字のあたりで勝負がつきそうだ(原稿用紙525枚程度)。最後まで辿りつくことができてよかった。この、「最後まで辿りつく」というのが翻訳では基本中の基本と言っていいだろう。最後まで辿りつかないと一冊にならないという単純な理由からだ。しかし、この単純なたったひとつのことが、英語力だとか日本語表現力とか、そんな翻訳にまつわる多数の要素のトップにドーンと君臨している。やるか、やられるかみたいな世界なんだわ。だから、「翻訳をやりたい」と言われると、「忍耐力はお持ちで?」と聞きたくなってしまう。意地悪ではない。

2025/01/24 金曜日

午後にメールがあり、北野誠さんのラジオ番組に出演することになった。3月だ。3月は対談が多い。楽しいことには心の疲労がつきもので、心が死なないように今から気をつけよう。私の場合、メンタルが落ちるほぼすべての原因は、単純に加齢のひと言で説明することが可能だ。だからこそ、自分で上手に調節できる。それでいい。人生は自分を上手くコントロールすることでちゃんと上向きになってくれる。

そしてマルニ竹内商店さんの予告通り、立派な蟹が届いた。いかにも美味しそうな蟹だ。これを一人で食べる(蟹による自分の微調節)。というのも、わが家の息子たちは蟹が苦手で、夫もそう好きでもないらしい。ということで、蟹さん、ありがとう。

2025/01/25 土曜日

七人乗りの車を買ったのは一年前になる。なぜ七人乗りだったかというと、当時まだ生きていたハリーを乗せて、旅に出たかったから。ハリーは体が大きかったので、ハリーを乗せると家族全員が乗ることはできても快適ではなかった。だから買ったのだが、ハリーは二度だけ乗ることができて、そしてすぐに死んでしまった。だから、ハリーと一緒に旅に出るという目的は消え失せ、私が一人で乗りまくって、遠くの図書館に行ったり、コメダ珈琲に行って原稿を書いたり、息子たちの送り迎えをしたり、テオを連れて湖東に行き、無人の広場でテオを走らせつつ、遠い目で佇むなどの用途のために乗るようになったのだが……。

あの車、世界観が大きすぎると思う。私はもっと狭い空間に滞在しつつ、快適な車内に大好きなガジェットを並べて、高速で小回りを利かせて移動したいのだ。もっと小さい車でもよかったかもしれない。

2025/01/26 日曜日

めちゃ捗るショッピング。COG THE BIG SMOKEのスエットを何枚か購入。ちょうどセールになったのでチャンスだった。COG THE BIG SMOKEのスエットは本当に着やすくて好きだ。無地なのも良い。着やすい、持ち運びやすい服が一番ですな。

翻訳作業がどんどん佳境を迎えているが、なぜテオはこんなにも活動的なのか……。集中したいときに限って暴れるので、「これだから子犬はかなわん」などと思ったりする。でもわかっている。テオが悪いんじゃない。私が集中できていないのだ。

2025/01/27 月曜日

一冊の翻訳が完全に終了した。終了したといっても、これから何度も読み直すので、なんちゃって終了みたいな感じだ。本文の作業が終わり、謝辞の翻訳を数時間でやっつけた。もうひたすら、無の境地だ。

謝辞については、あまりにも人名が並ぶため、日本語訳になるときに割愛されることもあるのだけれど、それは出版社が判断することで訳者が判断することではないので、名前が百人分ぐらい並ぶ謝辞であっても、粛々と訳すのである。著者にとっては大切なページですからね。

2025/01/28 火曜日

昨夜翻訳が一冊終わり(イギリスのお城DIY本)、一人で大興奮して寝て、起きて、朝。真っ青な空を見ながら、すごい殺人鬼の本を訳したいとしみじみ思った。楽しい一冊が終わったら、今度はドロドロの一冊が訳したくなる。どういう心境なのだろう。

2025/01/29 水曜日

シルバー新報という専門紙から依頼されていた原稿を書く。最近、介護系のご依頼が増えてありがたいことです。そういえば義父母は元気なのだろうか。最近、めっきり会っていないような気がする。夫は毎週末、二人に会いに行っている。本来、そうあるべきだったと思うので、いいのではないでしょうか。そして大修館書店から依頼されていた原稿も書く。その次に月刊『清流』の連載原稿を書く。今日は三本の連載を書くという、あまりにも大変な一日だった。こんなことを続けていたら、余計にショッピングが捗ってしまう。

夕方、ドキュメンタリーを観ながら、ゆっくり夕食の支度をした。この、何かを視聴しながらの家事が最近のお気に入りだ。

2025/01/30 木曜日

今日は大変忙しい日。朝8時半に循環器科を受診。これは7年前の手術後の経過観察というか、薬を頂くための受診だ。元気なので、特に何もなく、終了。先生と、お元気そうでなによりです、ありがとうございますという会話を交わしただけだった。薬をもらって帰宅……したかったところだが、今日は循環器科を終えてその足でメンタルクリニックへと向かう。そう、今日は病院のはしごだった。これはなかなか大変ですよ。

メンタル・クリニックの先生は本日もお元気。ちゃんと眠剤を処方していただいて、満足し、クリニックを出た。途中、最近話題のパン屋さんに立ち寄り、息子たちへのお土産を購入して、ようやく帰宅した。眠剤が処方されると安心するのはなぜかと思いつつ、久々にゆっくり本を読んだ。

2025/01/31 金曜日

フリーランスだけど、待ちに待った金曜日だ。毎日家にいるわけだけれど、金曜日はなぜだか特別に思える。TikTokではサンデー・リセットというのが流行っていて、日曜日に家をピッカピカに磨き上げて、月曜を素敵な気持ちで迎えようと、おしゃれな人達がお掃除しているが、私の場合、金曜の午後がこれに当たるような気がする。比較的きれいな部屋で週末を迎えると、気持ちがいいような気がする。そして日曜の夜にキッチンをきれいにするのも、精神衛生上とても良い気がしている。

2025/02/01 土曜日

夕方、ふらりとスーパーに行ったら、すごい人じゃん! 何ごと!? と思ったら、節分なんですね。恵方巻がすごかった。冗談抜きで数百本並んでいたと思う。人でごった返す売り場で若い従業員の女の子が上司の男性に「並べるタイミングとか、もうちょっと考えた方がいいんとちゃう?」と言われ、じろっと恵方巻の山を見て、「チッ」と舌打ちしたのが大変よかった。

私は魚屋さんが売っていた恵方巻を一本買って帰宅した。息子たちは恵方巻というよりは、キンパが好きなので、キンパを買った。400円ぐらいだった。一方で私が買ったのは、めちゃくちゃ魚が入った2000円ぐらいの恵方巻で、ちょっと高級だ。包丁で切って食べながら、「わたしみたいに積んだ徳がマンハッタンのビル群みたいに高い人間はこういうのを食べていいんだよね」と夫に言うと、「そうだね、その通りだね」と言っていた。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。