2025年「R-1グランプリ」で、史上最年少優勝を果たした友田オレが紡ぐ初のエッセイ。幅広い歌・音ネタを持つ友田が、人から言われて何か残っちゃう言葉、電車で耳にした奇妙な会話、変な生活音……様々な「耳に残っちゃうモノ」から日常に揺さぶりをかける。
指パッチンの正しい使用法
先日、ドラマのオーディションに参加した。芸歴4年目にして初めてのことだ。ネタ番組やバラエティのオーディションは何度か行ったことがあったので慣れていたつもりだったが、演技のオーディションとなると緊張感がまるで違った。芸人が自分1人だけ、というイレギュラーな状況に怯んでいただけかもしれないが、粛々と選別が進められていくその様子は、さながら神聖な儀式のような厳かさがあった。
方々からやって来た役者さん達に紛れ、横並びで挨拶をした後、振り分けられた役を演じていく。分かりきっていたことだが、みんなすっごい演技が上手い。セリフだけでなく表情や動きにも迫力があって、近くで見ているとため息が出そうになる。あと普通に真田広之みたいな人もいて、それはナシだろと思った。
彼らと対等に渡り合おうとするのは得策でないと気付いてからは、なるべく普段の自分のままで喋るように努めた。終始手応えこそなかったが、初めてのドラマオー ディションをやり遂げたという達成感を抱きながら荷物をまとめた。結果は後日、受かった人にだけ連絡が来るらしい。ツギクル芸人グランプリと同じシステムだ。
帰り道、澄み切った冬の青空を仰ぎながら、今日オーディションで出会った人たちのことを思い返した。役者さんはもちろん、長机を挟んで向こう側にいた審査員の方々の顔も浮かぶ。プロデューサーが1人、演出家が1人、その他の関係者が2人だったか。なかでも特に演出家の方は鮮明に覚えている。
というのも、彼はめちゃくちゃ指パッチンをするタイプの人物だった。次のシーンに移る時、配役を変える時、誰かがセリフを間違えた時、ことあるごとに彼は指を擦り合わせ音を鳴らした。おそらく彼にとっての指パッチンは、撮影現場でいうカチンコの役割を担っているのだろう。時間の流れに節目を設け、テンポ良く進行するための手段として適切に機能している。しかしなぜだろう、彼が指パッチンをする度、本当にちょっとだけ、イラっとする。
その場の空気が一瞬だけ掌握される感じ、と言ったら良いだろうか。私の思考や言動が統制されたような感覚に陥るのだ。そこには決して暴力性は存在しないが、隊長と隊員のような主従関係が一時的に築かれる。参加者の多いオーディションを手際よく進めるために必要不可欠なことなのかもしれないし、何より彼の癖に過ぎないのだとしたら、そこまで論(あげつら)うべきではない。
指パッチンは、あくまで個人的な使用に留めておいた方が良さそうだ。たとえばそれは、忘れてしまったログインパスワードを何度も試してついに正解が出せた時や、時間をかけて解いた数学の解答がシンプルな数字になった時。LINEで好きな子から返信が来た時でもいい。つまり、極めて個人的な、そして些末な悩みが解消された時に、つい漏れ出てしまうものであるべきなのだ。間違っても相手に向かって指パッチンをして「うん。やり直し。」とか、「うん。違うよね?」とかやってはいけない。言われた方は反射的に「あっスミマセン」と言うしかなくなる。相手を萎縮させてしまうコミュニケーションはよくない。
ただこれ、もしも広瀬香美さんからボイトレを受けている最中に指パッチンされるのだとしたら話は変わってくる。パチパチ鳴らしながら、鬼気迫る感じでレッスンを進められたら、めちゃくちゃ嬉しいと思う。そもそも広瀬さんは欧米文化に造詣の深い方だから、おそらく指パッチンはそんなに特別なことではないような気がする。全て妄想でしかないが、広瀬さんの純粋で心地のよい指パッチンを聞いてみたいものだ。
回りくどくなったが、私の結論はこうだ。指パッチンは相手の思考や言動を一時的に統制する働きがあり、物事を効率よく進めるのには有効であるが、その一方で高圧的な印象を与えるため、人間関係を円滑に運びたいのであれば、なるべく個人的な使用に留めておくべきである。ただし、アメリカ仕込みのカリスマ音楽家である場合はその限りではない。
ともだ・おれ
2001年福岡県生まれ。早稲田大学お笑い工房LUDO 22期出身。歌とフリップネタを合わせた独特のネタが評判を呼び、単独ライブはチケット即完売。デビュー10ヶ月で「第44回 ABCお笑いグランプリ」決勝に進出、大学在学中に、2023年M-1グランプリ準々決勝、2024年R-1グランプリ準々決勝に進出。2025年「R-1グランプリ」で史上最年少・最短芸歴での優勝を果たした。


