失敗だらけの文章修業

この連載について

文筆生活29年。失敗からひとつひとつ記事やエッセイの書き方を学んでいった大平さんの七転び八起き。「人柄は穏やか、仕事は鬼」な編集プロダクションのボスの教えから始まる文章修行の日々には、普遍的で誰にも役に立つヒントが満載です。

第1話

結婚式前夜の鬼特訓

2024年8月3日掲載

 がらんとした会社に、薄くJ-WAVEがかかっている。ボスはさっきからおいしそうに煙草を吸っては煙をくゆらせている。四谷・荒木町の飲み屋の明かりがほんのり照らされた窓の向こうをぼんやり見たり、また次の煙草に火を付けたり。ああ、もう一本吸うのか、これは長いぞと絶望的な気持ちになる。
 
 同僚はとっくに帰った。私だけ居残りで、原稿の書き直し指導を受けている。編集プロダクションに入社して3年目、29歳の6月のことである。
 人に何かを教えるのが根っから好きな質(たち)のボスは、温和な人柄で知られていた。私も勤めていた4年間、激昂したところを一度も見たことがない。だが、静かにぐさぐさと鋭い言葉の刃で刺す。
「“思う”“思った”は、1作品に1回にすることです。それがなくても伝わるならなるべく省くこと。読み手は、“この人がそう思った”とわかって読んでいる。できるだけ短く、がわかりやすい文章の基本です。こんな長いの、誰も読まないよ」
 
 彼は、出版社で長く女性週刊誌の副編集長として活躍後、44 歳で独立。編集プロダクション(以下編プロ)を創業した。そのため、見出しやタイトルの付け方、企画の立て方、文章上注意すべきことがら、文体、読者やクライアントニーズの読み取り方など、すべて週刊誌の経験を元にしている。
 私にはそれがなによりありがたい経験になった。
 
 安価な週刊誌は、つまらなかったら簡単に読むのを途中で放棄されてしまう。だからボスは、小見出し1本、本文1行にこだわった。3行にもまたがるような長い文はだめ。ファッション用語でもカタカナが多すぎるのはいけない。漢字が多すぎてもだめ。とにかく短く、わかりやすく。
 
 私は何度言われても忘れて、まどろっこしく書いてしまうので、よく「机の前に、僕の言ったことを貼っといたら」と、ひややかに言われた。
 
 本来は、編集が私の仕事で、ライティングはフリーライターにお願いする。しかし、入社後まもなく「編集だけでなく、機会があれば文章も書かせてください」と願い出ていた。編集のいろはさえ知らないのに、なんと図々しい身の程知らずだったことか。

 文章の添削は、日常の編集業務を終えてからなので帰りが遅くなりがちだ。ボスが約束を忘れて歌舞伎町に飲みに行き、待ちぼうけを食らうこともあった。
 それでもありがたいと心から思っていたが、この日だけは違った。
 
 灰皿に吸い殻が増えていく長い沈黙に、はじめはそわそわ、だんだん焦りを通り越してイライラしてきた。添削のときいつもボスは、原稿を前にじーっと考え込む。おまけに、決まってそのあとの話がとてつもなく長い。
 ボス、早く何がだめだったか教えて下さい。要点だけ早く、早く。心のなかで叫ぶ。
 翌日、自分の結婚披露宴だった。仕事仲間や友人を呼ぶ会費制のパーティを東京のホテルで開く。
 
 ラジオで21時台の番組が始まった。肌の調子も気になるし、いろいろと明日の準備が残っている。
 しかし、明日、披露宴なんでとは絶対言えなかった。そんなことはボスがいちばんよく知っている。なぜなら、彼は来賓だからだ。

 あなたも明日があるんだから早く帰りましょうよと、ひたすら念を送る。

* * *

 文章修行という言葉から、突然あの結婚式前のハラハラじりじりした晩を思い出した。
 ずいぶん前に編プロは解散し、ボスの消息を知る人はいない。だが、彼に教わった「人はだれもあなたの文章なんて読まない、と思ってください。その前提があれば、まず第一にわかりやすく書こうと気をつけるはずだからね。そして、ありきたりの言葉ではない、いい意味で目に引っかかる見出しやイントロ(前文)にしたくなるはず」といった金言の数々は、今も私の土台を支えてくれている。
 
 私はそんな4年間の編プロ生活を経て、30歳の出産を機に独立した。
 以来今日まで29年間、文筆を生業(なりわい)にしている。月曜から金曜までみっちりフルタイムで書き、生計を立ててきた。徹夜もあれば土日返上もある。フリーの映画製作業の夫と、なんとか互いの収入を持ち寄って家も買った。
 
 こうして暮らせるのは、つい自分の手柄だと思いたくなるが、間違いなくあの4年間のボスの教えがあってこそである。
 さらに、その後のたくさんの失敗から、人や暮らしを書くときの文章のコツのようなものをひとつひとつ、学んできた。
 
 もちろん今も、絶賛修行中である。
 29年と偉そうに言いながら先週だって、本欄の編集者に<いまさらですが、修業と修行をどのように使い分けておられますか>と質問されて、ハッとしたありさまである。
 調べると、「修業」は「しゅうぎょう」とも読み、学芸を習い修めること。資格修得や一定の技術を身につけて終えるときに用いることが多い。「修行」は、仏道や武道など研鑽を続けるときに用いる。つまり「修行」には終わりがない。
 そんな分別も考えず、そして連載タイトルにも関わらず、適当に使っていたのである。恥ずかしい限りだが、暮らしの文章を書きたいという人や、自分の文章と向き合ってみたいという人に少しでも役立てば、恥も報われよう。
 
 近著『こんなふうに暮らしと人を書いてきた』(平凡社)で、文章について「わかりやすく」という教えを中心に書いた章がある。本欄は、その部分に光を当て、もっと掘り下げた私の生活と経験から生まれた文章の書き方の連載をという依頼から生まれた。
 
 ウエブの良いところは双方向であることなので、どうぞ文章に関する疑問や悩み、感想を気軽に寄せていただきたい。正解のないお題だが、きっと私も皆さんの声から学びをいただけると確信している。
 ちなみに、この回で「思った」を4回も使っていたので、たった今改稿した。かように未熟者であるが、よろしければどうぞご贔屓に。
 

ボスの教え その1


“思う”“思った”は、1作品に1回にする。

書かなくても伝わることは省く
 

著者プロフィール
大平一枝(おおだいら・かずえ)

作家、エッセイスト。1964年、長野県生まれ。編集プロダクション宮下徳延事務所を経て、1995年、出産を機に独立。『天然生活』『別冊太陽』『チルチンびと』『暮しの手帖』などライターとして雑誌を中心に文筆業をスタート。市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにした著書を毎年上梓。2003年の、古い暮らしの道具を愛する人々のライフスタイルと価値観を綴った『ジャンク・スタイル』(平凡社)で注目される。
主な著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』、『注文に時間がかかるカフェ』『人生フルーツサンド』『正解のない雑談』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など32冊。「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン&w)、「自分の味の見つけかた」(ウエブ平凡)、「遠回りの読書」(『サンデー毎日』)他連載中。