文筆生活29年。失敗からひとつひとつ記事やエッセイの書き方を学んでいった大平さんの七転び八起き。「人柄は穏やか、仕事は鬼」な編集プロダクションのボスの教えから始まる文章修行の日々には、普遍的で誰にも役に立つヒントが満載です。
美文は邪魔になる
20代のときに在籍した編集プロダクション(以下編プロ)のボスは、『スタッフ心得』という手書きの小冊子を、新入社員に配った。
全30頁ほどのコピーの綴で、「雑誌の文章の心得」「取材の心得」「編集ポリシー」の三章立てである。
じつはこの冊子の存在を知ったのは、つい最近のことだ。編プロ時代を綴った私のエッセイを、九州在住の元同僚が読み、見開きずつ全ページをスクショしてLINEで送ってくれた。30年余り大事に持っていたのを思い出した、とのことだった。
編プロは彼女のほうが先輩で、どうやら私が入社した頃は、ボスも冊子のことを忘れていたらしい。
見慣れたボスの手書き文字は懐かしく、またひとつひとつ短い言葉がズバズバと胸に刺さる。文章、取材、編集の3つの柱からなるそれはどれも金言で、ことに「雑誌」という大衆にわかりやすく伝えねばならない媒体に求められる文章の性質が、的確に捉えていた。
これを書いた頃のボスの年齢を私はとうに越えてしまったが、とりわけ胸を揺さぶられ、気持ちがあらたまった筆頭は、「美文は邪魔になる」という一言である。
ボスにかつて、「素晴らしい文章を書こうと思うな」としばしば注意された。駆け出しの頃は、どこかで聞きかじった常套句や美辞麗句のオンパレードで、こんなのが書ける私ってすごいでしょう、ぐらいの気持ちで原稿を提出していた。
ところがボスは「無駄のない文章を書きなさい。これは無駄だらけ」と、コテンパンなのである。
最初にそう指摘されたのは、「ライターさんを使わず、(社員の自分に)書かせて欲しい」と願い出た、ティーン向け月刊誌の読み物ページだった。
手足に障害を持ちながらも口に筆を加えて、素晴らしい絵を描いている女子中学生に取材した。
私は張り切って「涙の」「感動の」「心を打つ素晴らしい作品」「努力の結晶」「澄み切った青空のような」などの言葉を散りばめた。
ボスは一読したあと何十分か──私にはそれくらい長く感じられた──黙ってタバコをふかし、ようやく口を開いたのである。「◯◯さんに今すぐ連絡して」。
男性のベテランライターの名を言われた。ノンフィクション、医療記事、人物インタビューに定評がある。取材現場に行っていない彼に、いますぐ私の原稿を元に、書き直してもらえという指示で、ライター交替を意味する。
つまり、“あなたは指導しても、締切までに良くならない”と、ボスがシビアな審判を下したというわけである。
入稿後、あらためて机に呼ばれ、丁寧なダメ出しや課題をもらった。
何度も、「素晴らしい文章を書こうと思っていはいけない。わかりやすく無駄のない文章で。美文調の言葉や、文学的な慣用句は、雑誌の文章では邪魔になる」と諭された。あのときの助言がそのまま、冊子に書かれていて、胸が熱くなった。金言の見出しは<雑誌の文章に“名文”なし>だ。
たとえば、上記の拙文<とりわけ胸を揺さぶられ、気持ちがあらたまった>を、美文調にするとこうなる。
<私は、その冊子を手に取った瞬間、目を見張る思いがし、心の奥底まで深い感動を覚えた。まるで神々の啓示を受けたかのように、気持ちも新たになり、心の中に新たな決意が燃え上がるのを感じた>
なんだか巧そうで、すごそうに見えるが、雑誌やブログ、SNS、暮らしや身の回りのことを綴るカジュアルなエッセイにこれは、重すぎる。<とくに感動した>という端的な事実を、ここまで飾る必要はない。言葉はたくさん連なっていても、読み手にとって何の発見もなく、情報が薄い。ボス流に言えば「ただの無駄」になってしまうのである。
じつは、意外と好きな作家の小説を読んでいるときに、私もこれをやりがちになる。その人の言い回しが好きで、意味なく文章を飾りたくなるのだ。
小説など、書き手の世界観を堪能する文学ならいいが、雑誌や不特定多数の人にわかりやすく端的に“伝える文章”を書きたいときは、注意が必要である。
ところで、前述のライター交替事件のとき、「感動という言葉を使って、感動の記事を書くな」と言われた。「悲しいときに悲しいという言葉を、おいしい食の話においしいを使いなさんな」と。
独立して30年の今もいつも頭の隅に置いているこの助言の話は、次項に譲る。
ボスの教え・その5
雑誌の文章に名文はいらない。
作家、エッセイスト。1964年、長野県生まれ。編集プロダクション宮下徳延事務所を経て、1995年、出産を機に独立。『天然生活』『別冊太陽』『チルチンびと』『暮しの手帖』などライターとして雑誌を中心に文筆業をスタート。市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにした著書を毎年上梓。2003年の、古い暮らしの道具を愛する人々のライフスタイルと価値観を綴った『ジャンク・スタイル』(平凡社)で注目される。
主な著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』、『注文に時間がかかるカフェ』『人生フルーツサンド』『正解のない雑談』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など32冊。「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン&w)、「自分の味の見つけかた」(ウエブ平凡)、「遠回りの読書」(『サンデー毎日』)他連載中。