失敗だらけの文章修業

この連載について

文筆生活29年。失敗からひとつひとつ記事やエッセイの書き方を学んでいった大平さんの七転び八起き。「人柄は穏やか、仕事は鬼」な編集プロダクションのボスの教えから始まる文章修行の日々には、普遍的で誰にも役に立つヒントが満載です。

第4話

五感を表す言葉と、固有名詞にコツあり

2024年12月6日掲載


 
 20代の頃 、仕事ではないが音楽ディレクターの方々と話す機会があった。彼らは作詞家を育てるプロジェクトに携わっていた。
 あとから気づいたことだが、あの頃聞いた作詞の技術は、文章を書く際にも応用できる。
 私は編プロのボスから、「誰も、他人の長ったらしい文章なんて読まない。一文はできるだけ短く」と再三教えられていた。それでハッとしたのである。短い文章の中に鮮烈な印象を残し、ひとつでも多くの情報を盛り込むということにおいては、歌詞作りと同じ。少ない文字数で、時に一本の映画のような物語を歌い上げる、研ぎ澄まされた歌詞には、たくさんのヒントが隠されているな、と。
 
 筆頭は、歌詞にはできるだけ五感を入れるとよいというコツだ。色、匂い、音、味わい、触感を入れ込むと具体的になり、短い言葉でもよりいきいきと世界観や情景描写を伝える手助けになる、と。
 
 以下の例は、拙著『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた。』にも書いているが、ワインレッド(安全地帯・視覚)、チックタックと(YOASOBI・聴覚)、埃(ほこり)まみれドーナツ盤(あいみょん・触覚)、時間てこんな冷たかったかな(藤井風・触覚)……。
 五感を表す言葉は、情景を想像する強力な手助けになり、物語を深める。時間を温度で表現する藤井風さんの感性など、もはや文学だ。それが個性になり、作家性をかたちづくるピースになっている。
 
 そんなわけで私は、音楽番組に歌詞のスーパーがついていると、つい真剣に目で追ってしまう。「別れて悲しい」ではなく「時間が冷たい」のインパクトを堪能し、目の付け所に感心し、音楽を言葉の視点から味わうのが楽しい。
 
 さて、もうひとつ、歌詞には学ぶべきヒントがある。
 固有名詞使いだ。
 短い文字数で多くの情報を伝えることができる固有名詞は、使い方によっては大変有効である。
 
 ドルチェ&ガッバーナの香水(瑛人)は、それだけで相手の女性のおよその年齢や雰囲気、ふだんどんなファッションが好きか、独断ながらもヘアスタイルやメイクの感じ、ある程度の人柄の想像までできる。
 もし固有名詞がなく、「あの香水のせいだよ」だけだとしたら、どれほど大衆は興味を持っただろう。素晴らしいメロディなので惹きつけられたとは思うが、私はドルチェ&ガッバーナを思い切って入れ込んだ、瑛人さんの良い意味での技術的な企みに脱帽した。
 
 村上春樹さんの短編小説『イエスタディ』は、ビートルズの曲名が、タイトルとモチーフになっている。
 あるいは、私はウイスキーに目がないので、村上春樹さんや開高健の小説・エッセイで、つい酒の名前を探してしまう。カティサーク、フォアロゼス、ボウモア。よくよく読むと、その場面にはこの名前の酒でなければいけない理由がちゃんとある。
たとえば開高健の短編のなかでも珠玉『掌のなかの海』には、息子を亡くしたらしい老船医が、汐留の貨車駅近くの小さな酒場で、あるいは二間しかない安アパートで、たびたびこの酒を飲みながら世界の漁港の思い出を語る場面がでてくる。
オールド・パーは明治時代に日本に初めて伝わったスコッチで、とびきり高くはないが、大衆的過ぎもしない。芳醇な香りが特徴の、イギリスの歴史あるブレンデッドウイスキーだ。田中角栄など政財界の面々がプライベートで愛飲したと言われる。じつは酒に眼がない私の父も毎晩、晩酌の最後に大切そうにこれをたしなんでいた姿とも重なり、老医の孤独感、「いびつな完璧主義(文中より)」、内面と向き合い静かな時間や空間が、ありありと脳裏に浮かんだ。
色や香り、価格、商品のイメージから、売られていた店の感じ──そこに書かれてはいないのだけれど──やグラスの風合いまで、ぐんと情景が身近になる。「オールド・パー」という6文字によって、一気に心を、小説の世界に持っていかれたのである。
 では実際に、ブログでオムレツを作ったことを書くとしよう。そこで使ったのがただのバターか、よつ葉バターか、森永の北海道バターか、あるいはエシレか。書き手の好みやこだわり、暮らしの様子。短い言葉で、とても多くのことを伝えられる。
 固有名詞の連打は野暮だが、エッセイなら効果的に一、二度でてくるのはありだと私は思っている。
 
 ただし、その際、冒頭の音楽ディレクターの失敗談から学んだ注意事項がひとつある。「はやりものは、いけません」。
 なんでも、アイドルの歌詞に当時ヒットチャートを賑わせていたアメリカの女性ポップスシンガーの名前を入れたらしい。ところが三年も経つと、そのシンガーの人気は下火になっていて彼は深く反省をしていた。「アルバムにも収録してしまった。今聴くと、シンガーの名前があることでその曲全部が古臭く感じられてしまう。何年後かに聴いたら、もっとそうでしょう。アイドルの彼女に悪いことをしました」。
 音楽も文章も永遠に残る。安易な、はやりものに手を出すべからず。
 その流れで考えると、ドルチェ&ガッバーナは、三年四年ですたらないロングセラーだ。ちなみに、夏目漱石が小説『行人』に書いた「平野水」は、現在の三ツ矢サイダーの元の商品名である。
 よくよく考えて、単語ひとつで雄弁な情報をもたらす固有名詞を効果的に使いたいものだ。
 


 
 ボスの教え・その4
 

歌詞にはヒントがいっぱい。

著者プロフィール
大平一枝(おおだいら・かずえ)

作家、エッセイスト。1964年、長野県生まれ。編集プロダクション宮下徳延事務所を経て、1995年、出産を機に独立。『天然生活』『別冊太陽』『チルチンびと』『暮しの手帖』などライターとして雑誌を中心に文筆業をスタート。市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにした著書を毎年上梓。2003年の、古い暮らしの道具を愛する人々のライフスタイルと価値観を綴った『ジャンク・スタイル』(平凡社)で注目される。
主な著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』、『注文に時間がかかるカフェ』『人生フルーツサンド』『正解のない雑談』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など32冊。「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン&w)、「自分の味の見つけかた」(ウエブ平凡)、「遠回りの読書」(『サンデー毎日』)他連載中。