文筆生活29年。失敗からひとつひとつ記事やエッセイの書き方を学んでいった大平さんの七転び八起き。「人柄は穏やか、仕事は鬼」な編集プロダクションのボスの教えから始まる文章修行の日々には、普遍的で誰にも役に立つヒントが満載です。
校閲に学ぶ
13年目に入った連載『東京の台所』は新聞社のサイトで掲載されている。市井の人の台所から人生を描くノンフィクションで、原稿は編集者に続き、校閲部のチェックが入る。
まず初稿について、編集者とやりとりをする。この段階で疑問点や大きな改善点があれば直し、最終稿を校閲部が見る。
大雑把に分けると、前者は内容に関して、後者は媒体ごとにルール化されている表記や言い回しの不備、事実正誤について確認する。
独立してずいぶん経つが、いまだに『東京の台所』でも、何も赤字が入らないことはほとんどなく、校閲チェックから発見したり学んだりすることの連続である。
多い指摘は、送り仮名や固有名詞の間違い、各社ごとにさだめた表記外の書き方にしてしまうなどのケアレスミスだ。
最近の例だと──すぐ実例を出せるところが不甲斐ない──「カルディファーム」は正しくは「カルディコーヒーファーム」、「インターフォン」は社内ルールにのっとり「インターホン」。
軽微なミスと、あなどっていると「この書き手は何も知らないんだな」と読者に簡単に審判をくだされ大恥をかく。一見“軽微”に見えるが、大きな間違いはいくらででもある。
たとえば「3〜4品」という表現について。「彼女はおかずを3〜4品作った」などと書きがちだが、正しくは、「3、4品作った」だ。3品と4品の間(あいだ)に幅がないからである。「2〜3人」も同様。2.5人という「間」はないので、「2、3人」が正しい。
逆に、間のある「2〜3カ月」「20~30人」はOK。
この指摘が返ってきたときは、顔から火の出る思いだった。一体何年売文業をしているのかと。
いつからか、校閲からの指摘をリスト化するようになった。
『東京の台所』だけで、現在20ページある。この道30年だろうがなんだろうが、経験に甘んじることなく日々勉強、と言い聞かせている。なにしろ、あまりに無知なので。
だからこのリストは私の恥の履歴でもある。
さらに失敗をさらすと、「腹が据(す)わる」と「腹を固める」も、指摘されるまで誤用していた。前者は「物事に動じない。度胸がある」。後者は「決心する。覚悟する」。
「よしと彼女は腹を据え、この問題に取り組んだ」と書いたら、上記の指摘がきた。
そんななか、私が校閲部から学んだ最大の教えを伝えたい。
拙著『こんなふうに、暮らしと人を書いてみた』(平凡社)にも書いたが、とても「大事」だけれど、あまり知られていないと思われる事柄だ。
「大切」と「大事」の違いである。
「大切」には「個人的な愛情や思い入れが含まれる」。
「大事」には「気持ちは入っていないが重要なこと」。
大切な人、大事な会議というような使い分けをする。
今まで、違いを一度たりとも考えたこともなく、漠然と同義として使っていた。この指摘をもらったとき、大げさに言うと槌で打たれたように、自分の浅はかさを思い知った。
私は、なんて言葉に対して適当だったんだろう。「大事」「大切」など、何百回と使ってきた。なぜ同義であると思い込みを疑うことさえしなかったのか。こういう雑なことをほかでもやってきたかもしれない。
単なる勘違いが恥ずかしいのではなく、言葉に対する自分の鈍さに羞恥した。無知で鈍感な自分に。
どこかで、慣れた仕事に奢る自分を感じていたのだと思う。だから格別に堪えた。
以来、上記のようなとりわけ「大事」な気付きは、リスト内で赤字にしている。
表記は、版元や編集部ごとに異なる。『用字用語の手引』を発行している新聞社もある。改訂も頻繁だ。
リストの赤字にはこんなもものある。連載ではなく、著作の校閲者の指摘である。「風景」と「光景」の使い分けについて、ゲラ(校正刷り)の余白に丁寧に書き込んでくださっていた。
“「風景」は、「目にうつる広範囲の眺め」「ある場所の情景やありさま」など、人がいるありさまもさす。
「景色」は、「自然界の眺め」で、海や山など。
ちなみに、「光景」は見た目にここちよいありさまに加えて、目を覆いたくなるようなありさまも言い表します。”
どちらも感覚だけで使い分けていた。これもまた忘れられない恥の履歴である。
私にとって校閲者は、錨(いかり)のような存在だ。ともすれば荒れがちな、未熟な自分の言葉の海を支えてくれる錨。
もっともっと言葉に鋭敏でありたい。
失敗からの教え
言葉のミスに「軽微」はないと思え
作家、エッセイスト。1964年、長野県生まれ。編集プロダクション宮下徳延事務所を経て、1995年、出産を機に独立。『天然生活』『別冊太陽』『チルチンびと』『暮しの手帖』などライターとして雑誌を中心に文筆業をスタート。市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにした著書を毎年上梓。2003年の、古い暮らしの道具を愛する人々のライフスタイルと価値観を綴った『ジャンク・スタイル』(平凡社)で注目される。
主な著書に『東京の台所』『ジャンク・スタイル』『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』、『注文に時間がかかるカフェ』『人生フルーツサンド』『正解のない雑談』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など32冊。「東京の台所」(朝日新聞デジタルマガジン&w)、「自分の味の見つけかた」(ウエブ平凡)、「遠回りの読書」(『サンデー毎日』)他連載中。