日常的にホンモノに触れる生活が、美意識と感性を磨き上げる。世界中の美術品に接してきたプロの目利きが提案する、楽しく気軽なアート生活のススメ。
オークション・スペシャリストの実践的アート鑑賞術 その3「雑食系芸術鑑賞術」
「アート思考」より「アート嗜好」
最近街の書店や書籍販売サイトを覗くと、芸術一般のコーナーの本のみならず、ビジネス書や啓発本の棚にも、よく「アート思考」の文字が見受けられます。この今流行りの「アート思考」は、アートの創造性や思考経路、見方や理解の方法論などをビジネスの局面で活用しようとするもので、決してそれを否定する訳ではありません。
ですが私の一番の疑問は、芸術作品そのものに触れずに「アート思考」なるものが実際手に入るのだろうか? という事です。なるほど美術品を正しく理解するには、美術史やその作品が作られた時代や文化等の背景などを知ることが必要ですし、知識の蓄積とその応用の仕方が重要です。私のようなオークション・スペシャリストなどは、蓄えた専門知識を大きな金額が伴うビジネスに使って利益を生む企業に勤めているのですから、この「アート思考」を地で行く職業と言えます。
そしてこの「地で行く者」が断言しますが、実際にアートに触れずして「本物のアート思考」を手に入れることは出来ません……アートに触れなければ、その「アート思考」は所謂「机上の空論」、もしくは「それらしい物」に終わってしまうと思うからです。
「アート思考」の基となる考え方は、当然アーティストが持っています。アーティストがアートを創造する際の思考回路や方向性は、そのアーティストの芸術に対する向き合い方によって異なりますので、本人でないと分からない事も多い筈です。まずその点を一般化する事に、私は躊躇を覚えます。
そしてその事を踏まえて、我々一般人がその作家の哲学や作品を理解するには、唯一作品と対峙するしかないと思うのです。その作品を観、出来れば触れて、五感を使っての身体感覚としてアートを感じ、理解していくプロセスが肝要と思いますが、如何でしょうか。
では、そのプロセスをどう捉えれば良いか……ここで、私が敬愛する江戸中期に活躍した臨済宗中興の祖、白隠禅師にご登場願いましょう。白隠は、自身が描く剽軽な絵画や書を以ってして、農民や町人、果ては武家までに禅の普及に勤めた僧ですが、その白隠が好んで書いた書の文句に、私が大好きで、かついつも心に留めている以下の文々があります。
「動中工夫勝静中百千億倍」(動中の工夫は静中に勝る事百千億倍す)
この言葉の意味は、「静かに坐禅する事(静中)よりも、心を込めて日々の作務や農作業などに汗する(動中)方が遥かに尊い」という事です。翻ってこれは「形而上学的な理論よりも、日々の基本的な、卑近な生活活動の方が重要である」、要は「極意は日々実践しなければ分からない」事を指します。
これこそが、私がアートを人生に取り込んで自分を高める「極意」と信じている事です。頭の中で考えるだけでなく、実際に芸術作品を観て歩き、触れ、共に暮らし、その作家や作品の事、時代や文化背景、比較対照などで学び、日々の暮らしに取り込んで生きて行く……いわば、「アート思考」ならぬ「アート嗜好」です。日常的にアートを嗜み、アートに親しむ生活です。
アート嗜好を育てる”雑食系”芸術鑑賞術
その「アート嗜好」を育てるのに、最も効果的であると私が思うのが、「雑食系芸術鑑賞術」です。これは文字通り、一つの分野に限らずに「雑食」的に芸術を鑑賞する、という事です。皆さんには当然自分が好きな、あるいは興味を持っている芸術分野や、絵画のタイプ、時代や画家などがあると思いますが、自分の興味のある芸術は率先して鑑賞しに行っても、それほど興味のない分野や画家の展覧会には、当然時間やお金にも限りがある事ですから、中々足が向かないに違いありません。
ですが、他の分野の芸術や画家、時代の異なる作品をみると、いろいろな気づきがあると同時に、自分の眼で「教養」を得られるのです。そのヒントとして、ここで私がクリスティーズでの1年目を過ごした、ロンドン時代の話をしましょう。
私は大学を出て最初広告代理店に3年勤め、その後1年間父親の仕事を手伝った後、縁あってクリスティーズ・ロンドンで「グラデュエイト・トレイニー」(訓練生社員)になりました。その初年度の1年間は、各新入社員がどの分野、仕事のタイプに向くかを判断するために、3ヶ月ごとに4つの部署に配属されるのです。
私が最初に配属されたのは「版画」部門でした。この版画部門で扱う商品は日本でいうところのいわゆる「西洋版画」で、レンブラント等のオールド・マスターからアンディ・ウォーホル等の現代美術までの途轍もなく広い時代をカバーし、技法もエングレーヴィング、エッチング、ドライポイント、リトグラフ、ウッドカット、シルクスクリーン等多岐にわたります。
次の3ヶ月間は「19世紀コンチネンタル絵画」部門。この部門は19世紀のヨーロッパ絵画の中でも、印象派を除く作品を扱う部署で、例えばバルビゾン派のミレーやコロー、アカデミズム派のアングルやブーグロー、その他北欧や南ヨーロッパの画家たちの作品を担当していました。
その次の3ヶ月は、お待ち兼ねの「印象派・近代絵画」部門。19世紀パリのサロンに集まり、日本の浮世絵に魅了された画家たち、そしてピカソやマグリットに代表される20世紀のアーティストの作品を扱う、社内でも質・量・価格ともに羨望の的の部署でした。
そしてロンドン最後の3ヶ月は、「中国美術」部門。ここでは中国古美術の中でも「Works of Art」と呼ばれる「器物」を扱います。商時代の古代青銅器から清朝の陶磁器や文房具まで、その作品の制作年代は数千年にも及び、時代名や窯の名前を英語で覚えるだけでも大変でした。
このように私は4つの異なるアート分野を扱う部門を廻された訳ですが、これには会社の大きな意図がありました。それは、私が将来何の分野の専門家になるにせよ、クリスティーズの社員として避けては通れない業務のためです。それは「アート・コレクターの家を訪問する」という事です。
アート・コレクターという人種の多くは、自分が興味を持つ分野を蒐集する訳ですが、当然そもそも富裕層の人が多い。そしてそういった人達は、家の造りや家具や家財道具、日々使う食器類や車、洋服まで強いこだわりがあるという事は想像に難くないでしょう。彼らは家の調度品に、自分の趣味やセンスを取り込み、自身の世界観を構築しますが、況やアートをや、です。
例えば、私が訪れた事のある英国貴族の館の客間には英国家具が並び、レンブラントのようなオールド・マスターの絵の脇には、中国の壺。その続きの間には、印象派の絵画と彫刻。書斎は打って変わってモダン・デザインの家具で統一され、壁にはミニマルな現代アート。ゲームルームには日本の甲冑が数領置かれ、寝室にはインドの仏像が安置されていました。こういった「コレクターズ・ハウス」を訪問するのですが、その分野の専門家でなくとも、クリスティーズの社員であるからには、客間の焼物を見てヨーロッパの物か中国か、はたまた日本か? それくらいは分からねばなりません。
私が先輩社員と共に初めてその英国貴族を訪ねた時、彼は私にティーとビスケットを勧めながら、「さて、君の専門は何なのかね?」と訊ねました。私が「私はトレイニーなので、まだ専門分野は決まっていません」と答えると、「では我が家にある作品の中で、君が興味があるのはどの作品かな?」と来ました。
いやはや、実はこの問いはとてもトリッキーかつ恐怖の質問で、慎重に考えて答えなければなりません! 前に述べましたが、例えば壁に掛かった絵画が気に入ったとして、その作家の名前は知らずとも、レンブラントやルーベンスのようなオールドマスター(古典絵画)なのか、ルノワールやドガといった印象派の画家なのか、また置かれた壺の国籍くらいは、言えなければならないからです。
もちろん、クリスティーズの社員のようにアートを生業とする者にはこうした肝を冷やす質問が向けられがちですが、特にヨーロッパでは、このような質問で相手の所謂「教養」の有無を確認して、取引相手などを見定めたり評価をする事も多いのです。
この「教養」とはいわば「広く浅い知識や経験を得て培う、知的素養と洞察力」の事なので、その必要性は何もアート・ビジネスに於いてだけに留まりません。
さて、私は先ほどの質問に、「あの客間にあった、恐らくレンブラントかその時代頃と思われる肖像画が素晴らしいと思います」と何とか答え、彼はその答えに拠って私がオールドマスターの専門家でない事を確認すると、次に私の国籍を訊ね、日本の事を聞き始めました。……西洋絵画の話はあまり通じないとの理解から、私の持つ「教養」を見定め始めたのです。
ここで是非皆さんに、私が座右の銘の一つとして心に留め置いている、つい先日惜しまれながら102歳で逝去された、茶道裏千家鵬雲斎・千玄室大宗匠の言葉をお伝えしたいと思います。それは、
「真の国際人とは、自国の文化をきちんと外国の人に伝えられる人の事である」。
これは皆さんが外国人と、特にビジネスの局面で会って話をする時、またこれから友人・信頼関係を築こうとしている会食時、或いは家に招かれた時に、かなり役に立つ考え方だと思うからです。
私がロンドン・クリスティーズで働き始めた時、7人いた同期は全て英国やスイス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ人でした。彼らは私が西洋絵画の専門家でない日本人と知ると、「ティー・セレモニーとは何だ?」とか「禅とはどういう思想か教えてくれ」などと聞いてきました。よく考えれば当然です。自分がよく知っている事を、知らない者に聞こうとは誰も思いません。自分の知らない事を知っている人に聞きたくなるのが人情というものです。
当時の私を含め、そういった時に愕然とする日本人が一体どれだけいる事でしょう? 友人の質問に、自分は日本人なのに、生まれ育った国の文化を知らない、上手く伝えられない、こっちが聞きたいくらいだ……と恥ずかしくなりました。大宗匠が仰られたように、真の国際人とは、自分がかじった海外文化を外国人に披露したり、分かったような事を伝えるのでは無く、日本人としての自分のアイデンティティを見つめ直し、学び、それを上手に外国人に伝えて、文化交流、教養の交流を図れる人の事なのです。これは今でも私の礎となっています。
教養としての「雑食系芸術鑑賞」のススメ
さて、そんなコレクターを始めとするクライアントとの食事では、時に音楽や舞台芸術、映画の話になる事も多く、こんな時に役立つのが「雑食系芸術鑑賞」です。これはオークションビジネスだけなく、いかなるビジネスの場面でも役立ちますし、何よりも自分自身の「教養」になります。この「教養」は、それこそ机上の空論ではなく、生の本物のアートを観、触れ、感じる事による「実践」に因って築かれる物なのです。
そもそも芸術には相関性があります。例えば歌舞伎の演目には、能にルーツを持つものが少なくありません。その能は源氏物語や平家物語のような文学に題材を取っていますし、能の技術や表現方法は、現代に至っても山海塾のような舞踏やピーター・ブルックの演劇にみることが出来ます。また19世紀の印象派の画家の多くは、日本の浮世絵から大きな影響を受け、それは作曲家ドビュッシーやアール・ヌーヴォーの作品にまで及びます。桃山時代の茶道具の王様「井戸茶碗」は朝鮮半島の陶工が作った物ですし、18世紀の日本のヨーロッパへの輸出陶磁器は、マイセンやデルフト等のヨーロッパ陶磁器に模倣されました。
このように、芸術というものは場所や時代、ジャンルを超えて影響し合うのですから、雑食系教養を持てば持つほど、「ああ、そういう事だったのか!」とか、「アレと似てる気がするけれど、関係性があるのではないだろうか?」といった「気づき」を得ることが出来るのです。
では、此処で私が忙しい日々の中で、どのようにこの「芸術の雑食」をしているのかをお教えしましょう。
- 「食わず嫌い」を止めてみる。
能や演劇の舞台を長時間観るのが苦手な人は、結構いると思います。また、ロックやポップスは好きでも、クラシックはどうも……という人もいるでしょう。しかし一度だけでも良いので、自分が好きそうなアーティストや曲、演目を家族や友人に聞いてみたり、ネットで探してみて下さい。きっと何か心に引っ掛かる物がある筈です。
最近大ヒットした小説の映画化作品『国宝」などはその最たる例で、主演俳優のファンを始めとする、歌舞伎を一度も見たことのないかなりの数の人が、歌舞伎に興味を持ち、歌舞伎座に足を運んでいるようです。これこそ小説・映画・演劇・推し俳優の「雑食」、いや「コラボ芸術」の成果では無いでしょうか。
- 月に一度「知らない分野鑑賞日」を作る。
月に1日「知らない分野の展覧会を観る」、「よく知らない分野の読書をする」、「知らない音楽を聴いてみる」。特にこの「知らない分野」作戦は、脳の活性化と共に、自分を老けさせない重要な鍵です。
昔『インターステラー』というSF映画を観た時に、ハッと思い当たりました。この映画では、主人公が未来の人間を救うために火星に行くのですが、ワープを続けて移動するため歳を取りません。そして地球に帰還する頃には地球では何十年も経っているので、かなりの高齢になって死の床にある娘に会うのです。このラストシーンから、「自分を異次元に持っていければ、歳を取らない」という考えを持つに至りました。。歳を取らないなど土台無理な話ですが、少しでも遅くするためには異次元、つまり「知らない世界」に好奇心を持って自分を導く事が肝要と考えたのです。そう言った意味でも、この「知らない分野作戦」をお勧めしたいのです。
- 「芸術アンテナ」を張り巡らせる。
今はとても便利なインターネットの時代になり、AmazonやYouTubeなどのサイトは自分向けの「オススメ」を勝手に送って来てくれますが、この現象は私の世代的に言えば、例えばレコード屋さんに行って「ジャケ買い」する、本屋でパッと目についた知らない作家の本を買う、古書店で昔の展覧会図録を買う、と言った行動を制限し、その楽しみや失敗を減らしてしまっています。またGoogle先生の登場で、関連図書を貪り調べて「寄り道」的知識を得る事も少なくなりました。
ですが、時流には逆らえません。こうなったら、向こうから来るオススメを徹底的に受け取りましょう。それでも、私は世間で数少なくなって来た本屋や古書店、中古レコードショップに足を運んでいます。東京の神保町などは、私のような「雑食芸術好み」にとっての「愉楽の園」なのです。ネットでのアンテナと、自分の脚で、眼で、手で触れるアンテナ、この2つを両立させる事が肝要と思います。
このように得た「雑食系教養」は、皆さんの加齢を抑え(ると信じています)、ビジネスや友人関係を円滑にし、何よりも皆さんの人生をより彩る事、間違いなしと断言します。
一本の映画、一冊の文学、一人のアーティスト、一曲の歌や演奏、一枚の絵画……それらの持つパワーは時に人生を変える、また日々の忙しい暮らしから自分を異次元空間に連れて行ってくれる程の威力があります。是非皆さんも、焦らず、時間をかけて、「アート嗜好」と「雑食系芸術鑑賞」にトライしてみて下さい!
1963年東京都生まれ。世界最古の美術品オークションハウス「クリスティーズ」の日本支社、クリスティーズジャパン代表取締役社長。京都芸術大学大学院非常勤講師。92年クリスティーズに入社、19年間ニューヨーク等で日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。伝運慶の仏像のセール、伊藤若冲の作品で知られるジョー・プライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール等で実績を残す。著書に『美意識の値段』『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)、『美意識を磨く』(平凡社新書)、『若冲のひみつ』(PHP新書)。