子育ては、ロックンロールと見つけたり

第1回

誰か教えてほしかった!

2022年1月7日掲載

私は音楽が好きだ。好きすぎるので来週あたり校舎裏に呼び出して告ろうかと思っている。

これまでの私の日常は、いつもたくさんの音楽とともにあった。恋が実った日には銀杏BOYZ「BABY BABY」を聴きながら爆走したし、就活の最終面接に向かう電車ではthe pillows「Funny Bunny」を聴いて自分を鼓舞したし、交際6年を経た恋人と別れた夜にはチャットモンチー「染まるよ」を聴きながら泣いたし、気分がいいときは「マツケンサンバⅡ」の動きで移動する。

そんな私が音楽を好きになったきっかけは、中学生の頃。ASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンドを、たまたま点けたケーブルテレビの音楽専門チャンネルで見たことだった。

初めてきちんと聴いた、激しいロックミュージック。最初に買ったCDが「だんご3兄弟」だった私にとって、掻き鳴らされるギターや低くうねるベースライン、ボーカルが叫ぶように歌う様はあまりにも衝撃的だった。コレガ、オンガク……? 初めて温もりを知った悲しきモンスターと完全に同じ気持ちになった。

同時に「なんで今まで誰も教えてくれなかったの!?」という、100人中100人が「知らんがな」と答えるであろう疑問が私を襲った。

それまで、なんとなく流行っているアイドルの曲やドラマの主題歌が音楽のすべてだと思いこんでいた。しかし私が本当に好きなのはこれだった。みんな、こんな風に好きな音楽を好きに聴いているというのか。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、下の階に住む加賀さんも、部活の顧問の清水先生も、お米の配達に来る小島さんも。

これは、私にとって人生を変える大発見だった。自分の見ている景色にテーマ曲がつくようになった。落ち込んだ気分を盛り上げたいときは、何よりも先にイヤホンを耳にはめた。予約したCDを発売日の前日にフライングゲットし、CDプレイヤーに入れ、再生ボタンを押すときの計り知れない高揚を知った。その日から、自分の好きな音楽を探し聴くことが生きがいになっていった。

それから17年後の2020年。「内臓という臓器がある」と思ったまま社会人になるなどの苦難を乗り越えながら30歳になった私は結婚2年目を迎え、そしてめでたく妊娠した。

ここからは各方面からお叱りを受けそうなので前もって東西南北に向けて土下座をしたうえでお話ししたいと思うが、もともと私は子どもが好きでも嫌いでもない。

友人や知り合いの子供と会うときには「頑張って産んだんだなあ」と尊さを感じはするものの、テレビでおむつのCMなどを見ても「ふーん、人間のちっちゃいバージョンじゃん」以外の感情が湧いてこないし、「子どもたちを笑顔に!」的なスローガンを見ても「私も笑顔にしてほしいのだが?」と思ってしまう。

ではなぜそんな人間が子供なんて作ったのか、無責任ではないかと、多くの批判のファックスを頂戴しておりますが(想像上で)、そもそも私には「どうしても子供がほしい」みたいな強い気持ちがあったわけではなかった。
「出産は年齢を重ねるほどリスクが高くなるから早めに生むべし」と、よく調べもしないくせに中途半端な知識だけがいつの間にか刷り込まれており、その誰が決めたかもわからないタイムリミットになんとなく焦って、30歳で子作りをしたのだ。思えば、夫と知り合う前から「30歳までに結婚して、数年は夫婦ふたりで過ごし、35歳までには第一子を作る」と、出産したい年齢からの逆算で婚活をしていた。

当たり前だがべつに結婚しなくたって子供がいなくたって人生を楽しく過ごすことはできる。にもかかわらず、正体不明の強迫観念に追い立てられ、本当に自分が目指したい人生設計をよく考えもせずにここまで突っ走って来てしまったわけである。

加えてSNSで「育児」と検索してみると、夫との衝突、義母との軋轢、ママ友とのトラブル、キャリアの喪失、政府への不満など、この世の辛いことロイヤルストレートフラッシュみたいな文言が腕組してこちらを睨んでいる。

おどろおどろしいタイムラインを眺めながら、私は思った。育児とはきっと、楽しい時間は最低限しかなく、毎日が想像を絶するほど辛くて大変なことばかりで、子どもが独り立ちするまでは自分を押し殺し、ストレスで胃がねじきれそうになりながらも修羅の日々を過ごしてゆくことなのだ……と。

これまで人生の中で特につらい経験もせず、ぬるま湯につかってのうのうと生きてきた私にとって、子どもを生むことは普通のOLがSASUKEのファイナルステージに挑むのと同じくらい無謀なことだった。

そんな大きな不安を抱えたまま、2021年7月に男の子を出産した。すったもんだがありつつもなんとか産後1ヶ月を迎えたある日のこと。息子にミルクを与えてげっぷをさせるとなんだかとても機嫌良くしている。

「ご機嫌だねえ」

布団に寝かせながら、そう声をかけた。すると、

「ンダァッ!」

息子が突然大声で叫んだ。叫ぶと同時に、大量のミルクを口から吐き出した。

私はしばらく放心し、その顔を見つめ続けた。すると私の目を真っ直ぐに見つめ、今まで見たことがないほどの満面の笑みをたたえたのだった。

か、かっわいい……!

頭の中に「ラブストーリーは突然に」のイントロが「トゥクトゥーン!」と流れた。

着ている服はビッショビショに濡れ、首を伝って枕にまでミルクが到達している。このあと口を拭いたり保湿したり服を脱がせたり枕を交換したり洗濯機をまわしたりといったかなり面倒くさい作業が待ち構えているというのに、それを遥かに上回る「かわいい」という感情……。

赤ちゃんがこんなにかわいいなんて、なんで今まで誰も教えてくれなかったの!?

まさしく私が初めてロックンロールと出会ったときとまったく同じ感情が湧き上がってきたのである。

そのかわいさに圧倒されながらも、急いで口元を拭く。その間も、息子はムチムチした両手を目一杯広げては存在をアピールするかのように足をバタバタと動かした。許容できる愛おしさゲージが満杯になり、思わず抱きしめる。ミルクとせっけんの混ざった、平和の象徴みたいなにおいがする。

世の中の殺伐とした空気、にっちもさっちもいかない難しい問題、目を覆いたくなる争いごと。思わず逃げ出したくなるそういう黒くてドロドロしたものが、赤ちゃんの匂いを嗅ぐだけで脳みそからスポポポポポと抜けていく。世界中の権力者たちはみんなタバコじゃなくて赤ちゃんを吸えばいい。きっと世界は平和になる。

こんな状況であれば「あーーーミルク吐いた…洗濯もしなくちゃ…あーーー」とテンションだだ下がりになる自分を想像していたが、赤ちゃんがかわいいという事実がこのときの私を「大丈夫」にした。

着替えさせた息子を抱き上げ、顔を見合わせた。キョトンとした顔で「ンブゥ〜」と唸ってよだれを垂らしている。せっかく着替えた服もまたよだれまみれだ。ちなみにこの少し前に、うんちが漏れたので着替えている。が、かわいい。五度見したが毎度かわいい。ハの字に下がる眉毛や、盛り上がったプクプクのほっぺたを見ているだけで胸がいっぱいになり、また抱き締めた。

そっか、子育てって大変なことばかりじゃなくて、幸せなこともあるのか。なぜ今まで知らなかったんだろう。食べログ2.8の店におそるおそる入ったら実はめちゃくちゃ美味しかったときみたいな感じだ。いや、そんなものではない。最寄り駅の裏側に、これまでまったく知らなかったテーマパークが広がっていたような。クローゼットの奥に無限に部屋が続いていて、「実はここ1000LDKの物件でした!」と知らされるような、そんな驚きと感動とうれしさがあった。子育てがときにこんなに幸せだということを、国家ぐるみで隠蔽していたとしか思えないほどである。どうやら君のお母さんはとんでもない真理に辿り着いてしまったようだ。組織に追われるかもしれない。

この子はまだ離乳食も食べていなければ、喋ることも歩くこともできない。家中を散らかしたり、道端で急に走り出したり、お店や電車や公園で駄々をこねて困らされることもない。狭い布団の上で体をのけぞらせ、泣いて主張するばかりだ。きっとこの先、想像もつかないようなたくさんの波乱が待ち受けているのだろう。もしかしたら、子供がかわいいと思えなくなる日が来るかもしれないし、こんなに愛情を注いでいるのに将来的には「うるせえクソババア!」とか言われるかもしれない。

でも今の私は、息子が寝て、数時間ほど顔を合わせない時間が続いているあいだ、カメラロールに無限に保存されている息子の写真や動画を何度も眺めては尋常じゃなくニヤニヤしている。そんなときに寝室からウエーンと泣き声が聞こえてくると「やった! ホンモノに触れるぞ!」と、嬉しくなるのだ。

つらい出来事、挫折した経験、ストレスと戦う日々。そういうものを書いた方が、たくさんの人に共感してもらえるのだろう。けれどこの連載は、子供を産んだら地獄が待ち受けていると思っていた私に、「育児って、案外幸せなこともあるかもよ」という希望を届けるために書いていこうと思う。

著者プロフィール
しりひとみ

ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門の美容ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。
著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』、『書く仕事がしたい』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学4年生の息子と暮らすシングルマザー。