子育ては、ロックンロールと見つけたり

第10回

出SUN~君の声を聞かせて~ 後編

2022年5月13日掲載

分娩を終えるとあっと言う間にストレッチャーに乗せられ、気づけば病室のベッドに寝ていた。空港に到着した途端レーンに流されるスーツケースもこういう気持ちな気がする。

助産師さんから「血圧上がっちゃうから、部屋の電気もつけないで、テレビとかスマホも見ないようにしてね」と言われ、病室の照明はちょっとしたバーくらいのムーディーな暗さに設定されてしまった。

助産師さんは、ベッドの脇で忙しそうに何かしらの器具の準備を進める。

「はい、点滴の針刺すからね。チクっとしますよ~」

血管が出づらいらしい私の腕に場所を変えながら何度か針を刺し、最終的には手の甲とひじの近くの大きな血管に処置をしてくれた。これが、信じられないくらい痛い。当たり前だが、点滴ってずっと体に針が刺さっている状態なのである。なんで、医療ドラマで見る点滴されてる人々はあんなに平然としているんだ。

そんな初めての痛みに耐えながら、続いて右腕には、15分ごとに自動で測定される血圧計が装着される。

さらに両ふくらはぎにはむくみを緩和するためのマッサージ機を巻きつけ、トイレにも行けないので尿道にカテーテルも挿入される。

これにて両手、両足、尿道の3点が見事に拘束され、いまこの病院に脱走した虎とかがやってきたら確実に逃げ遅れる状態となった。

身動きが取れないうえ、テレビもスマホも禁じられている。この部屋で唯一のエンターテイメントは、点滴の雫が落ちるのを見るのみである。

テレビもねえ、ラジオもねえ、と東京行きを決意した吉幾三(よしいくぞう)に、東京にも点滴の雫しかエンタメがない場所があることを教えてあげたい。

どのくらい時間が経った頃だろうか。病室のドアが開き助産師さんが入ってきた。

「出血の確認するよ~」

担任の先生が出欠確認するかのようにそう言うと、私のはいている産褥(さんじょく)ショーツ(寝たままでも股の部分が開くような作りのパンツ)のマジックテープをベリッと開いて中身を確認する。

「はい、お腹押すね~」

お腹を押す?

一切躊躇(ちゅうちょ)することなく、助産師さんは、術後の痛む腹をフルパワーで押した。

「アァァァァアアアアアア~~~!!!!!」

痛みで怪鳥みたいな声が出た。野鳥の会が慌てて数えにくるんじゃないかと心配になるレベルである。

「はい、またあとで来ますね」

またあとで来るの……?

腹を押した理由を尋ねる時間も与えられないまま、助産師さんは風のように去っていった。術後の腹を押すという、法律スレスレの大胆な行為。私が法務大臣になったら規制したいと思う。

恐怖の腹押し事件から1時間ほど経った頃。突然、激しい悪寒で体の震えが止まらなくなった。

全身の震えで歯がガタガタと音を立てる。体の外側と内側が全部氷漬けにされたかのような、尋常じゃない寒気である。

布団をかぶりたくても体が動かせず、悪寒が引くのをただ待つことしかできない。そしてすぐに、猛烈な吐き気が襲ってきた。

枕元にあったビニール袋を口に当て、吐こうとするも術後の腹が激烈に痛んで吐けない。

吐瀉物(としゃぶつ)の代わりに「アアアァァ……」という情けない声が出た。「絶対に吐きたい胃」と「めちゃくちゃ痛い腹」のほこ×たてを勝手に開催するな。

やっとのことで悪寒が過ぎ去ると、次は暑くて仕方がなくなってきた。

汗でパジャマが体に張り付いて気持ち悪い。喉がカラカラなのに、翌日まで何も飲んではいけないことになっているから唾を飲み込む。

点滴に繋がれた手でなんとか布団を剥ぎ取ったものの、両足に巻き付いているマッサージ器の中が蒸れて、不快感はなくならない。

このマッサージ器、最初は気持ちよくて非常にありがたい存在だったのだが、何時間もずっと「ブ ブ ブ ブイ~ン ブ ブ ブ ブイ~ン」と一定のリズムでマッサージされ続けると非常にしつこく思えてくる。

どこかの国に、長時間水滴を顔面に垂らし続けて発狂させる拷問があったけど、それと全く同じ原理で、長時間同じリズムで足をマッサージされ続けると人は発狂するのではないかと思う。

この地獄みたいな時間、早急に過ぎ去ってほしい。その一心で眠りにつこうと目を閉じるのだが、15分おきに右腕の血圧計が「ブウ~~ン」と音を立てて稼働し、腕を強く締め付けることで眠りを妨害してくる。私、なんか悪いことしたっけ?

部屋が暗いので壁の時計が見えず、あとどのくらい耐えなければならないかがわからない。体感では10000時間くらい余裕で経っている。

そのとき、助産師さんと男性医師が忙しなく病室にやってきた。ベッド脇の何かしらの機器を確認している。

「よし、点滴足しましょう」

私の何かしらの数値がアレだったのか、何かしらをアレする点滴がテキパキと追加されていく。点滴をかけるための棒は、許容量を超えてギチギチになっている。

「あの、今何時ですか?」

「今? 夕方の6時だよ」

まだ、夕方の6時……? 出産してから、6時間程度しか経っていないというのか。この地獄みたいな状況に明日の朝まで耐え続けなければならない事実に、膝から崩れ落ちそうになる。

追い打ちをかけるように助産師さんが言う。

「はい、ちょっとお腹押しますね」

「アァアアアアアア~~~~~!!!!」

怪鳥が再来した。せめて、なんのための腹押しなのかだけでも教えてほしい。

その後も何度か助産師さんが部屋に来て腹を押す、点滴を交換する、といったイベントが発生し、半ば気絶するような形でいつの間にか眠りに落ちていた。

***

朝7時半。病室に1杯のお茶が運ばれてきた。寒い・暑いを交互に繰り返し喉カラカラの私にとって、間違いなく人生で一番美味しいお茶だった。

帝王切開だったから陣痛がなくてラッキーなどと最初は思っていたが、実はこのとき「後陣痛(こうじんつう)」と呼ばれる、子宮収縮による痛みにも悩まされていた。

こちらの状況など顧みず「出産ってことで陣痛のサービスは必ず受けていただいてまして~」と、お役所仕事みたいにやってきた融通の利かない後陣痛に無性にイラついてくる。

もちろん帝王切開の痛みもまったくとどまるところを知らない。下腹部のスケジュールが分刻みすぎる。

このようなあらゆる痛みのオンパレードと、まだまだ減らない点滴のせいで、出産してから一度もシャワーを浴びられていない。

このときの私をドクターフィッシュが泳ぐ水槽にぶち込んだら1万匹くらい寄ってきていたと思う。痛みに加えて「臭み」という困難も上乗せされてしまい、さすがに途方に暮れた。

多種多様な不快感と戦い尽くし、やっとの思いで長い1日を越えた翌朝。実に1日半ぶりとなる食事が運ばれてきた。

食事といってもまだ固形物を食べることはできず、スープなどの流動食である。

自力で体を起こすことはできないので、「イデデデデ」と声を上げながら、少しずつ上体を起こした。

食事を目の前にして私の中に巻き起こっている異変に気づく。

1日半ぶりの食事が用意されているというのに、まったく手をつける気にならないのだ。

無理やり口に運んでみるものの、頭がふらふらして体を起こしていられない。2口ほど食べたところで、耐えきれず横になった。

そこへ、ちょうど助産師さんがやってきた。

「うわ! 顔真っ白だね! 貧血になったんじゃないかな。点滴追加しようね」

すでに産後3日経っているにもかかわらず、点滴は減るばかりかむしろ最初より増えてしまった。

コロナで面会も禁止され、たった1人狭い部屋で、痛みに耐えながら時間が過ぎるのをただ待つこの状況に、耐えきれなくなり始めていた。

リタイアとか、できないのか。予定が合わず行けなくなった飲食店みたいに「やっぱキャンセルで」と気軽に言って、出産する前に戻りたい。

肉体だけでなく精神的にも、限界が近づいているのがわかった。

そのとき、配膳の女性が食器を下げるために部屋に入ってきた。

「まあ、たくさん繋がれてお母さん大変ね~」

女性は、吊るされている点滴の束を見上げ、こう続けた。

「みんながたくさん助けてくれてるのね」

彼女のその一言を聞いて、しばらく呆然としてしまった。私は、なんて大切なことを忘れてたんだ。

夜通し私の状態をチェックし、尿道カテーテルのつながった袋を交換し、優しく声をかけてくれる助産師さん。私の血圧が高ければ夜でも病室へ来て、点滴を追加してくれる医師。

きっと一昔前なら、お腹を切って子どもを取り出した私も、2000グラムちょっとで生まれた子どもも、どちらも助かっていないのだろう。

身動きが取れない、自分を拘束するための手錠かのように感じていたこの点滴のチューブは、実は大切な命綱だった。

大勢の人に支えられ、やっと私は生きている。そのありがたさに気づき、女性が去ったあと少しだけ泣いた。

***

いつものように、助産師さんが血圧と点滴の減りを確認するため病室へやって来た。

「赤ちゃん、さっき保育器から出られたんですよ」

「えっ、そうなんですか」

妊娠高血圧症候群の影響で小さく生まれた子どもは、保育器に入ってお世話をしてもらっていたらしい。

そんな風に私の知らないうちに頑張っていた子どもと、懸命にお世話してくれていた助産師さんたちを想い、メンタルがグズグズになっている私はまたちょっとだけ泣きそうになる。

「連れてきましょうか?」

「はい、会いたいです」

産んでから一度も顔を見ておらず、そろそろ自分が出産したことを忘れかけていた頃だった。

数分後、赤ちゃんを乗せたカートが部屋の中に入ってくる。

ピカァ―――――――――――ン

えっ、発光してる!?

初めて見る「新しい命」は眩しすぎて、赤ちゃんの回りだけ特殊な成分でできた空気をまとっているように見えた。

赤ちゃんを、初めて抱かせてもらう。

小さな体を腕の中におさめ、握りこぶしほどの小さくてフニャフニャの顔を見つめた瞬間。巨大な嬉しさの塊みたいなものがお腹から喉元までせり上がってきて、思わず「ワァ―――!」と叫びそうになった。

その勢いで爆笑しそうだし、泣きそうになる。

そして私の心に31年間蓄積されてきたすべての愛情が全総力をあげて、「この子は絶対に、守るべき存在だぞ!!!」と力強く訴えかけてきて、頭の中はうるさかった。

助産師さんが見守る中、5分ほど抱っこさせてもらい、赤ちゃんは再びナースステーションへと戻っていった。

その直後、嘘みたいなことが起こった。

さっきまで10分かけて休み休み体を起こしていたのに、ものの数秒でベッドから起き上がれるようになったのである。さらに、夕飯も9割食べられるようになった。

もしかして、これが、母性……!?

これが、俺のチカラ……!? つって急に覚醒する少年漫画の主人公の気持ちが完全にわかった瞬間だった。

昔付き合っていた恋人に「もし俺がワニに襲われてたら助けてくれる?」という謎の質問を投げかけられ「え? 助けない……」と答えたことがある。

私はこれまで自分のことで手一杯で、「命に代えても守りたい」存在なんてなかった。

でももし、いま目の前で自分の子がワニに襲われていたら。たとえ自らが死んででも、ワニにローリング・ソバットをキメて子どもを助け出すだろう。

30年ちょっと生きてきて、自分のことを全部知ったつもりになっていたが、まだ未開封のままの感情があったなんて。人生のA面からB面への隠し通路を見つけたような気分だ。

たった5分間子どもを抱いただけで、私がこれまでの人生で培ってきた変なこだわりや小さなプライドなどを軽々と飛び越え、ダントツで大切なものになってしまったのだから、子どもとは本当にすごい存在である。

あの、はじめて抱いたときの温かさ。不安になるほどの軽さ。なんとも言えない、鼻の奥がツンとするような、笑いが止まらないような感情は、これから先、子どもが大きくなっても絶対に忘れたくない。

そう強く思った私は、腹の痛みも忘れて急いでスマホを開き、出産当日の思いをメモ帳に打ち込んだ。それがこの文章である。

著者プロフィール
しりひとみ

ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門の美容ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。
著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』、『書く仕事がしたい』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学4年生の息子と暮らすシングルマザー。