KAZOKU NO HAJIMARI
入院中の私は、人間がもっともストレスを感じない理想的な生き方みたいな生活を送っていた。(※ただし腹が痛すぎることを除く)
朝イチで栄養たっぷりの朝食が部屋に運ばれてきて、ダラダラしたらあっという間に昼食の時間だ。
食べ終えたら息子が部屋に連れられてくるので、30分ほど抱っこしたり顔を眺めたりして過ごす。
15:00にはケーキと紅茶、そして17:00に夕食。
その後シャワーを浴び、犬や猫のYoutubeなどを見ながらダラダラし、22:00に夜食のおにぎりを2つ食べ、早めに部屋を暗くして眠る。
横にじいやさえいてくれれば、お嬢様の優雅な日常である。
だから入院4日目の朝、助産師さんに「今日からお子さんと24時間同室になりますよ、良かったですね!」と笑顔で言われたとき私は「あと3日くらいこのままで大丈夫です!」と口走りそうになっていた。
もちろん息子とはなるべく一緒にいたい。けどそれよりも、ついに育児の大変さを本格的に味わう番が回ってきたか……という恐怖が大きかった。
コロナのせいで母親学級もすべて中止され、育児に関する事前知識がほとんどなかったことも、私の不安を加速させる要因だった。
部屋に息子を連れてきた助産師さんが言う。
「おっぱい見せてもらえます?」
あ、はい。と言って、私はおもむろにパジャマのボタンを開けて自分の胸を出した。産院に「恥」という概念はない。
助産師さんは「ちょっと失礼しますね」と言って、私の乳首を、本当に、信じられないくらい強くつねった。「失礼しますね」の強さじゃない。「曲者(くせもの)!!!」の強さである。
すると私の胸からは、透明に近い、白っぽい液体がじわっと滲(にじ)んだ。
ただ子どもを体から排出しただけで(めちゃくちゃ大変なことだけど)、私自身は何も変わっていないというのに、あらゆる部分でもう母としての機能を備え始めていることに驚く。
「あ、出ますね。ちょっと母乳あげてみましょうか」
授乳クッションと呼ばれるCの字型のクッションを腰にはめ、そこに息子を横たわらせる。頭を軽く押さえて誘導するも、目がよく見えていない息子は乳首に気づいていない様子で、口を開かない。
「母乳を口につけてあげてください」
促されるままに、先ほど出た母乳を息子の唇にチョイとつける。すると、急に乳首に吸い付いた。
すごい。誰が教えたわけでもないのに、生まれて4日目で、ちゃんと知っているのである。
事前に想像していた「授乳」は、母の優しい微笑み、木漏れ日、鳥たちのさえずり、吹き抜ける爽やかな風……みたいなイメージだったが、実際は吸うっていうか噛んでいて、めちゃくちゃ痛い。木漏れ日よりも「血みどろ」という表現の方が近かった。
痛みに耐えるため顔の全パーツが中央に集約され、最終的に私の顔面は「*(アスタリスク)」みたいになった。あまりに痛いし、出ているかどうかわからない。5分程度で息子を引き離した。
その後、調乳の方法やおむつ替えのレクチャーを受け、助産師さんは部屋から去っていった。そしてついに、息子と2人きりの時間が訪れたのである。
息子はプラスチック製のベッドに寝かされ、終始「NOW LOADING…」みたいな表情をしている。
額にシワを寄せたり、口を「お」の形にしたり、小さな手をグーパーグーパーしたり、着ている服の裾を必死で口にくわえようとしたりしている。
この世界に慣れようと、目の前に広がるすべての情報を精一杯、できたての脳みそで処理している様子だった。
そんな息子の姿は、何時間でも見れてしまう。Netflixに対抗できるすさまじいコンテンツ力である。
足の指も手の指も5本ずつあって、爪もきっちり生えている。耳たぶも、くるぶしもある。そのすべて新鮮で、シャッターを押す手が止まらず、似たような写真があっという間に写真フォルダを埋め尽くす。
厳選した何枚かを夫に送ると、夫からも「ずっと見ちゃう」と返信があった。
そのとき、息子が眉間にシワを寄せ、口を大きく開けて「あ、あ、あ」と、か細い声を上げた。しばらくすると「んあああああ、んあああああ」と、泣き始めたのだった。
どうしよう、とりあえず、おむつだっけ……。慣れない手付きで息子の服をはだけさせ、ばたつく足を制しながら、なんとか新しいおむつをはかせる。
しかしまだ泣き止まないどころか、「んあああああ」はより一層大きな音量となって部屋に響き渡る。
お腹空いてるってことか? おっぱいをあげるも、やはりこれだけでは足りない様子で泣き続けている。
私は、腹の痛みも忘れて哺乳瓶置き場まで走る。20mlのミルクを作って哺乳瓶をくわえさせると、「コレだよコレ!」と言わんばかりにごくごくと喉(のど)を鳴らし始めた。
20mlなんて、大人からしたらカニ味噌を「チュッ!」と吸うくらいのちょっとした量なのに、赤ちゃんは恐ろしくゆっくりと、生ビール大ジョッキくらいの感じでそれを飲む。
大部分を口の端からこぼしたうえに、結局半分ほど残した。
息子を抱き上げ、ぐらぐらしている首を支えながらゲップをさせる。背中をトントンと叩いたり、抱きながらゆらゆらと体を揺らしたりしてみたが、一向にゲップは出ない。
あきらめてそっとベッドに寝かせると、静かに寝息を立てているのだった。
そこからは2時間に1回くらい、何の前触れもなく「んあああああ」とか「ほにゃあ」とか泣くので、その度に私は焦りながらおむつを替え、おっぱいをあげ、ミルクを飲ませた。
何時にどのくらい飲んで、いつおしっこやうんちをしたかを、哺乳記録という用紙に記入する。夜通し、その一連の作業は続いていく。
夜中の3時頃。眠りの中にいる真っ暗な私の視界に、突如「んああああ」と息子の泣き声がカットインしてくる。自分が子どもの世話をしていることを思い出し、むくりと起き上がって息子を抱きかかえ、授乳をする。
すると別の病室から、うっすらと赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。その声は徐々に大きくなり、そして急に消えた。たぶん、お母さんが何かしらの方法で泣き止ませたのだろう。
この世界には息子と私の2人だけみたいな気持ちになっていたけど、私と同じように「おむつ? ミルク?」と慌てながら、必死で子どもを泣き止ませようと奮闘している人がいることを思い出す。
感染対策で立ち会いも面会も禁止され、母としてたった1人で子どもと過ごさなきゃいけない、孤独な私たち。
今すぐ隣の部屋のドアをノックして「ねえ、ちょっと大変すぎません? これヤバいっすね」って、肩を叩いて励まし合いたい気持ちになる。
息子中心の毎日を過ごすことにも徐々に慣れてきた、入院から8日目の朝。
一時は190まで上がっていた血圧も薬のおかげでなんとか120台まで下がり、院長からも健康のお墨付きをもらって、無事に退院の日を迎えることとなった。
この日車で迎えに来ることになっていた夫は前日に打ったコロナワクチンの副反応のせいで、まさかの「39.5℃」の高熱を叩き出していた。
悩んだ末、私はキッズタクシーと呼ばれる、ベビーシート付きのタクシーを手配することにした。普通のタクシーよりも割高ではあるが、小さすぎる息子を安全に輸送することに、お金は惜しみたくない。
車に揺られる間、ベビーシートのベルトが苦しいんじゃないかとか、車の揺れは脳に悪い影響を与えないだろうかとか、日差しがまぶしすぎて視力を悪くするんじゃないかとか、初めて病院の外に出る息子への心配が次から次へと湧いてきた。
そんな私の心配をよそに、本人は移動の間中、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
自宅へ到着すると、夫が出迎えてくれる。夫は私の腕の中にいる息子を見ながら、静かに「………いる………」とつぶやいた。
幽霊に遭遇したときの稲川淳二(いながわじゅんじ)と同じトーンである。待ちに待った、息子との初対面のテンションではない。
荷物を置いて、用意してあったベビー布団に息子を寝かせる。見慣れた部屋にいる赤ちゃんは、病院で見る時の何倍も小さく見える。
「パパ、はじめましてしたら?」
夫のことを自然と「パパ」と呼んでいる自分に驚きながらも、私はそう促した。夫は、布団に横たわっている息子に、ゆっくりと顔を近づけた。
「……Welcome to the “TRUE WORLD”……」
なんて?
夫は私が入院している間、息子に初めて会ったときにかける言葉を必死で考えていたらしい。
しかし最終的に選んだ言葉が、「ようこそ『真実の世界』へ……」と和訳される、こじらせた中学生が彫刻刀で机に彫るみたいなクソダサの英文だった。
感動のシーンが台無しとなった瞬間である。
父のダサさに嫌気がさしたのか、息子が「うえ、うえ」と泣きのアイドリングに入った。
慌てておっぱいをくわえさせるがなんだかうまく飲めない様子で、乳首を離すとさらに大きな声で「うえええん、うえええん」と泣き始める。
ドタドタとキッチンへミルクを作りに走り、息子のもとへ戻る。
「俺があげてもいい?」
夫はそう言うと、高価な骨董品(こっとうひん)を取り扱うかのように慎重に息子を抱き上げ、腕の中におさめた。
哺乳瓶をくわえさせると、いつもどおりに息子はゴク、ゴクと飲みすすめる。
夫は指先で哺乳瓶を支えながら、ミルクを飲む息子の姿をじっと見つめる。その夫の眼差しを見た瞬間、「あ、これは写真におさめないといけないやつだ」と気づき、私は急いでスマホを取り出してシャッターを押した。
そしてその瞬間、小さな息子と、哺乳瓶を持つ夫と、その様子を写真に収める私、その映像が俯瞰で私の頭の中に流れてきて、「これ、今、私たちすっごい家族じゃん」と思ったのだった。そんな当たり前のことに気づいた私は、ちょっと涙目になっていた。
5年前。私と夫はマッチングアプリで知り合った。彼氏がほしくてたまらなかった私が、顔も性格も何もかもがどタイプの夫をスマホの中で見つけ、とにかく猛プッシュして結婚までこぎつけた。
彼は私とはまったく違う属性で生きてきた人間で(たとえば音楽の「アルバム」の概念を知らなかった)、そこがたいへん面白かった。
しかし彼のことを知れば知るほど、アプリなんか使わなかったら、私の人生に彼は確実に登場しなかったし、自然に出会っていたらお互いに惹かれていなかったのでは、と痛感させられた。
わざと出会おうとしなければ、私たちの人生は決して交わらなかった。そのことに言いしれぬ寂しさを感じることがあった。
だけどこの、夫にも私にも似ている、つい8日前までこの世にいなかった赤ちゃん。今ここに、私と夫の間に、間違いなく存在している。
簡単に切り離せそうだった各々の人生が「家族3人の人生」になり、ゆるかった紐(ひも)が固結びされたような感じがしたのだ。
こんなに小さな赤ちゃんが私たちの人生をしっかり繋いでくれていることに、胸がぎゅっと締め付けられる。
それぞれ生きてきた私たちは、母になり、父になり、そして3人家族になった。
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門の美容ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。
著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』、『書く仕事がしたい』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学4年生の息子と暮らすシングルマザー。