「高齢化」が社会問題として語られるようになって久しい現在。約3割が65歳以上の高齢者で占められる日本は今後ますます高齢化が進むと予測され、若者の社会保障の負担増や経済の衰退など、数々の課題が声高に叫ばれています。
また、男女ともに平均寿命が80歳を超える現代では個人が「老い」とどのように向き合うかも重大な課題となっています。
社会全体の「老い」、そして個人の「老い」と、人類が経験したことのないフェーズに進み続けています。
先の見えない時代だからこそ、社会と個人の両面から「老い」とはなにかを考え、どのように老いと向き合っていけばよいかを思想家と武道家の2つの顔をもつ内田樹氏と模索していきます。
「ほんとうの友だち」とはなにか
<担当編集者より>
内田先生、こんにちは。
第6回のお返事を拝読しまして、大変心が軽くなりました。ありがとうございました。
多田先生とレヴィナス先生とのエピソードも、とても心が温まりますね。
合気道の稽古で、欠点ばかりを指摘しても、かえって身体が硬直してぎこちなくなるというお話、とても身に覚えがあります。私は学生時代にかなり熱心にハンドボールに取り組んでいたのですが、全力で走るなかをボールが行き交い、動作が1秒ズレるだけでミスにつながる状況下では「萎縮」が如実に表れていました。
幸い、私のチームのコーチは厳しさこそあれ、怒鳴ったり罵ったりするタイプの指導者ではなかったのですが、怒鳴りまくる他のチームのコーチにはたくさん遭遇し、そのたびに相手チームの選手が不憫になったことを思い出しました。
「明日も来たい」と思えて、淡々と目の前の仕事に打ち込める職場。それがどんなものか考えながら、日々を過ごしたいと思います。
さて、今回も引き続き、人間関係について、お伺いさせてください。
前回は職場で、後輩だった立場から先輩の立場に切り替わるときの心構えをお聞きしましたが、同様に内田先生にぜひお話をお伺いしたい関係性があります。
それは「友人関係」です。
ご友人の平川克美さんとは小学校以来の60年以上の付き合いとのことで、ご家族よりも長く付き合ってこられたことと思います。60年という時の長さで友人関係が続くこと、いまの私にはなかなか想像できません。
内田先生と平川さんのような関係性に憧れますし、実際に私も学生時代からの仲間を大事にしているつもりですが、それでも環境の変化などで関係性を続けることの難しさをときどき感じます。
子どものころは学校で会い、毎日のように一緒に過ごす機会がありますが、大人になってからは就職で地理的に離れ離れになったり、結婚や出産といったライフイベントで疎遠になったり、はたまた学生時代には気づかなかった価値観の相違を発見し、気持ちが離れていったり……。
お二人がどのようにして「生涯の友」となられたのか、ぜひお話を伺いたいです。また、内田先生の人生において友人とはどのような存在なのか、「友情」とは一体どのようなものなのか、教えていただけないでしょうか。
こんにちは。今回は「友情について」ですね。これは思いがけなく「大ネタ」になりそうな気がします。というのは「友情」について正面から論じることがあまり(というかぜんぜん)ないからです。
友情って、すごく重いテーマですよね。でも、なぜかそれが問われない。不思議だと思いませんか?
刑部さんはもう僕の推論の癖をご存じでしょうけれども、僕は「起きてもよいはずなのに起きなかったこと」について「どうして、それは起きなかったのか?」というふうに問うことがとても多いんです。
歴史学は「起きたこと」について「それはどうして起きたのか」を問います。僕の推理は「起きてもよかったのに起きなかったこと」について「どうしてそれは起きなかったのか」を考えるというものです。ミシェル・フーコーはこれを「系譜学的思考」と呼び、シャーロック・ホームズは「遡行的に推理する(reason backward)」と呼びました。それが「正しい推理の仕方」だと主張するわけではありませんが、こういう考え方をすると、思いがけない事実が前景化する(ことがある)。
今回も刑部さんは「友情について」僕に問いを向けてきたわけですけれども、それはたぶん今刑部さんの手元に「友情について」書かれた納得のゆく、説得力のある書物がないからだと思います。
たぶんそうだと思います。だって、「友情論」というタイトルの本、最近見かけないでしょう?
昔は(って100年ほど前の「昔」ですけど)「友情論」というのは、なかなか重要な哲学的トピックだったんですよ。「友情とは何か?」を哲学者たちが大真面目に論じていた時代があったんです。「幸福論」も見かけなくなりましたね。「幸福論」が哲学の主流だった時代もあったんです。
どうして昔はみんなが「ああだこうだ」と論じ合った大きな主題がいつの間にか主題としての緊急性を失ってしまったのか。不思議ですね。
僕の考えを申し上げます。友情や幸福が哲学の主題でなくなったというのは、それが「個人の努力によってどうこうなるものではない」という諦めが時代を覆うようになったせいではないか、というのが僕の仮説です。
個人の努力でどうこうなるものではないことについてはたしかに論じても仕方がないですからね。だから、例えば「天才論」という本をあまり見ることがありません。「天才というのは個人的な努力や環境的与件とはかかわりがなく、一定の確率で出現する」とみんな思っているから、そんなこと論じてもしようがないんでしょう。
「天変地異論」というのもないですね。地震や火山の噴火は予測は科学の領域、復興は政治の仕事であって、市民の日々の個人的努力とは関係ないとみんな思っているからでしょう。
論じても仕方がないものは論じない。
友情論が語られなくなったのはもしかすると、友情についても人々が「論じても仕方がないものは論じない」というマナーを採用したからではないか。そんなふうに僕には思われます。
「友だちができるやつはできる。できないやつはできない」とか「幸せになれるやつはなれる。なれないやつはなれない」というふうに言い捨てることがデフォルトであるような時代に「友情とは?」とか「幸福とは?」なんて問いを立てても、誰も付き合ってくれません。
でも、こういう「哲学的主題の遷移」というのは決して軽んじてはなりません。ある哲学的主題が前景化するのも、後景に退くのも、それにはそれなりの理由があるからです。ふつうそれは歴史的条件の変化に相関して起きます。友情について真剣に問うという習慣がなくなったのは友情についてのある新しい考え方が支配的なイデオロギーになったからです。
それは上に書いた通りです。「友だちができるやつはできる。できないやつはできない」というクールでリアルな言葉づかいをみんながするようになったということです。
そして、「みんながするようになった」ことの背後にはそれなりにシリアスな歴史的条件の移り変わりがあるはずです。
いま友情について問うことが困難になっているのは、それが「生得的な資質の問題」だと思われているからです(だから後天的な努力でどうこうなるものではない)。
「こんなふうに」人々が考えるようになったのはいつ頃からだろうと考えてみると、この四半世紀くらいのような気がします。21世紀に入った頃からその傾向が強くなった。そんな感じがします。
友情が哲学的主題として論じられなくなったのは、それが「個人的努力でどうこうできるものではなく、もっと宿命的なものだ」というふうに人々が思うようになったからだと僕は思います。
友情は人間同士の「どうにもならない宿命」である。個人的努力によって、友情を生み出すということはできない。ほんとうの友だちというのは「創り出すもの」ではなく、「発見するもの」だ。
こういう考え方がいつの間にか社会に深く浸み通ってしまった。
ケミストリー(chemistry)という英語があります。辞書を引くと、「化学的性質、(化学反応に似た)不思議な反応、人と人の相性、つながり、共通点」という訳語が並んでいます。「相性」なんていう日本語にぴたりと相当する英語があるなんて不思議な感じがしますね。実際に例文としては、My chemistry with her is terrible. 「彼女とはめちゃ相性が悪い」というのが挙げられていました。
友情というのはこの「ケミストリーの霊妙なる作用」だというふうに人々は考えてきた。とりあえず英語圏ではそのようです。
これは僕も同意します。「会ったとたんに一目惚れ」(Love at the first sight)と同じように、「会ったとたんにうまがあう人」というのはたしかにいます。
さて、問題はこの「ケミストリー」とは何かということです。
個人の細胞の中に、「あなたはこういう人と友だちになる」という遺伝子レベルの指示が書き込んであるのだとしたら、たしかに友情について論を立てることはまったく無意味になります。だって、個人的努力の入る余地がないんですからね。
でも、ほんとうにそうなんでしょうか。そんなはずはないですよね。細胞レベルに「相性のよい他者」についての情報なんか書き込んであるはずがありません。もしそんなものが書き込んであるなら、僕たちはまったく「人間的自由」というものがない、ただの遺伝子情報の発現装置だということになります。たしかに遺伝子的な限定というのはありますけれども、それと同じくらいに、それ以上に、個人の自由意思はつよく僕たちの生き方を規定する。当たり前のことです。
友情はその出発点においては、たしかにケミストリーが大きく関与していると思います。でも、それだけじゃない。友情を持続的で、豊かなものに仕上げてゆくためには、それからあとの個人的な努力が決定的に関与しているはずです。
もし「友情論」というものが人間の生き方についての重要な知見を育てるものであるとするとしたら、それは「個人的な努力によって、友情はどこまで持続的で豊かなものにできるか」という問いを中心にするはずです。
「友情はケミストリーの産物である」という命題はたしかに真です。真ですけれども、それだと「友情論」は一行で終わってしまう。ですから、これまで書かれてきた「友情論」はどれも必ず「ケミストリーを超えて」という創造的な課題をめぐるものだったはずです。そうでなければ「論ずる」意味がないですから。
さて、ケミストリーというのは「なんだか知らないけれどうまがあう」という働きのことなんですけれど、この「うまが合う」というのはどういうことなんでしょうか。
「人間の質が似ている」ということかも知れません。でも、「同質的である」ということは友情の持続を保証してくれません。むしろ、友情の持続を妨げる。これは経験的にはお分かりになると思います。
同質性に基づく友情は必ず壊れる。
当然ですね。だって、友情が同質性に基づいていると、しばらく会わずにいるうちに友だちの言っていることやしていることに違和感を覚えたら(必ず覚えます)、それは「友情の終わり」を意味するということになるからです。「終わり」までゆかなくても、「もう昔みたいな気の置けない友だちじゃないんだ……」という切ない気持ちになる。
そして、人間は必ず変わる。
そうなんです。人間は変わるんです。しばらく会わないうちに、別人になってしまう。成長して変わる場合もあるし、堕落して変わる場合もある。だからと言って、子どもの頃からまったく変わらずに同じ人間であり続ける人間とは、こちらが成長したらもう同質性を感じることはできません。ですから、友情が同質性に基づく結びつきであるなら、友情は決して持続しません。
でも、そうなるのは当たり前なんです。人間は変わるから。体つきも変わるし、声も変わるし、表情も変わるし、使う語彙も変わるし、読む本も、聴く音楽も変わる。考え方も変わる。
同質性に基づいた友情しか友情を知らない人たちは、そのようなかたちで友情が失われることを恐れます。その結果何が起きるかというと、「決して変わらない」ということを誓い合うことになる。「俺は絶対に変化しないから、お前もするなよ」と誓い合うことになる。なかなか感動的です。現に、そういう生き方を選ぶ人もいます。自分が生まれ育った町から出ない。自分の子どもの頃の友だちとしか付き合わない。会えば必ず「お前は昔から……だったよな」とそれぞれが「変わっていないこと」を確認し合う。
そういう「同質性にもとづく友情」に励まされ、癒され、それなりに幸福な人生を過ごことはもちろん可能です。「変化しないこと」「人間としての成長を断念すること」も一つの生き方です。僕はそれを否定するわけではありません。
でも、このタイプの友情はやはり一種の「檻」だと思います。変化すること、成長することを妨げるんですから。少しでも変化の兆しが見えると「らしくないこと言うなよ」「らしくないことするなよ」と最初はやんわりたしなめられ、それが続くと、「お前、変わったな」という宣告が下る(これは「もうお前とは友だちじゃない」という意味です)。
お互いの成長を妨げ合うことを通じて永遠の友情を育む。こうやって実際に文字に書き起こすと結構ホラーですね。
僕はそういう「檻」的な友情って、あまり好きじゃないんです。
高校のクラス会に行くともう60年近く前のエピソードを蒸し返して、「お前、あれで停学くらったんだよな」とげらげら笑って、「ウチダって、ぜんぜん変わんねえよな」みたいな「まとめ」をされることがあります。その時は笑っていますけれど、さすがに同じネタが半世紀繰り返されると、「これでいいのか」と思います。
いや、昔話をすることは楽しいんですよ。「ああいうことがあったね」と思い出すのは自然なことです。もしそのときに「あのときにオレ、ウチダにこう言ったけどさ、あれどういうつもりで言ったのか、ウチダ分かってくれた?」「え、どういう意味で言ったの、あれ?」というような感じの「歴史の書き換え」が起きるとしたら、これはすごく楽しいんですけど、なかなかそういう展開になりません。「あの頃の話」はもう標本みたいに定型化されていて、何度繰り返しても同じ話で、新しいアスペクトや新しい読み筋が提示されるということはまず起きません。そのときに笑っている人たちは僕の「友だち」なのか。さあ、どうなんでしょう。「昔のともだち」ではありますが「今の友だち」ではたぶんない。
それはなんだかすごくもったいない気がします。
僕はそれより子どものときに「ものすごく仲が良かった」友だちと、お互いに成長して変化してしまった後も、その成長や変化を受け入れて「ずっと仲良し」であり続けることは可能じゃないかと思うから。
どうすればそれが可能なのか。人間が変わって、考え方も感情生活も言葉づかいも変わってしまった後でも「ずっと仲良し」でいられるためにはどうすればいいのか。
平川君のことを例にあげてくれたので、その話をしますね。
平川君と知り合ったのは11歳の時ですから、もう60年を超えて「ずっと仲良し」です。でも、一緒にいた期間はあまり長くないんです。小学校の五年生の二学期から卒業までの1年半と27歳のときに起業して一緒に会社をやっていた2年半。この4年間はたしかに朝から晩まで一緒でした。でも、あとはあまり会ったことなかったんです。
この間僕たち二人をゲストにした集まりで、「どうしてお二人はこんなに長く親友でいられたのですか?」と訊かれた時に、平川君が「内田のことをよく知らないから」と答えていました。これは僕も全く同じです。
11歳で会った時から平川君は「何を考えているのか、よくわからない子」だった。僕は読書家で虚弱児の転校生で、平川君はクラスのボスで、生傷の絶えない暴れん坊で、二人が仲良くなる要素がどこにあったのかさっぱりわかりません。けれど、いろいろ経緯があって、気が付いたら「コンビ」になっていた。平川君は僕が何をやっても面白がってくれるし、僕は平川君が何をやっても面白い(よくそんなこと思いつくなあ……といつも感心していました)。お互いに「友だち」というよりも「何をやっても喝采してくれるめちゃ甘い観客」のようなものだったと思います。そんな子がそばにいるわけですから、どちらも「もっと受けよう」と思って、どんどんやることが過激になって、はめを外す。今思い出しても、小学校六年生の後半なんかは朝学校に行く時に「今日はどうやって平川君と『とんでもないこと』をやろうか」考えてわくわくしてました。
僕らにはたぶん「クラスのみんなを笑わせて、先生にしこたま叱られる」ということを「ミッション」にした「チーム」だったんじゃないかと思います。それぞれ思いつく悪戯のアイディアは違うんだけれど、「よし、あれやろう」と思った時の呼吸の合い方が絶妙だった。シナリオなしでかなり長い笑劇を演じることができた。
これは「同質性」ということとはちょっと違うと思うんです。呼吸は合うんですけれども、人間はよく知らない。そういうことってあるんですよ。というか、人間をよく知らないからこそ、絶妙な距離を保つことができる。
これもその時質問されて気が付いたことですけれど、僕も平川君も相手に「身の上相談」というものをしたことがないんです。政治的なことで思い迷ったときも、苦しい恋愛でじたばたしていたときも、お金に困ったときも、アドバイスを求めたこともないし、支援を頼ったこともない。お互いに、そういうことが一度もないんです。実際に個人的にはずいぶんシリアスな状況に陥ったことは何度もあったんですけれど、どんなときも「平川君を頼ろう」と思ったことは一度もない。たまに会うときは、こう言ってよければ、いつもお互いに「格好をつけていた」。それは平川君も同じです。
もちろん短い間とはいえ、一緒に起業して会社経営していたわけですから、ビジネス上の「頼り頼られ」ということは日常業務としてふつうに行われていたわけですけれども、それは別に「誰と一緒に仕事をしていても当たり前のこと」であって、別にことさらに友情を動員しないとできないようなことじゃなかった。
ずいぶん他人行儀なんですねと言われそうですけれども、そうなんです。平川君との友情は僕にとってはほんとうに貴重なものだったので、それを「友だちでいる」という以外のことに利用したくなかった。友情をそれ以外の目的のために動員したくなかった。
だから、今でも二人はお互いのことをよく知らないんです。でも、それは二人のチームワークには何の影響もない。
僕たちは一種の「契約共同体」なんだと思います。お互いに頼んだことは断らない。約束したことは守る。僕は友情が持続するためにはそれで十分だと思うんです。
ベースにあるのは同質性でもないし、共感でもない。たぶん他者と共生したいという切実な願望です。理解できなくても、共感できなくても、それでも一緒にいて、楽しい時間を過ごすことはできる。僕たちは11歳のときにそうだった。「何を考えているのかよくわからない子」とたいへん楽しく過ごすことができた。その時に「何を考えているのかよくわからない」ということは友情を存立させる上で、二人で愉快に共同作業を行う上で、特段の支障をもたらさないということがわかった。
この経験は僕にとってはとても大きな意味を持っていたと思います。前の便に書いた多田先生とレヴィナス先生との師弟関係にも関係があるかも知れません。
僕が多田先生やレヴィナス先生に「一生ついてゆこう」と決意したのは、先生たちがどういう人間だかわかったからではありません(そんなことあるはずがない)。そうじゃなくて、「何を考えているのかぜんぜんわからない人」だったからです。僕自身のスケールをはるかに超えた、僕の理解の遠く及ばない人だと思ったからです。そして、「どんな人だかわからない」ということは僕が「満腔の信頼を寄せる」上で何の問題にもならなかった。師というのは「そういうもの」だとなんとなく思っていたからです。
それは11歳のときに平川君に出会って、「どんな人だかよくわからない人」とでもたいへん愉快に、豊かな時間を過ごすことができるということを十分に経験したことときっと関係があると思います。
同質性に基づいた友情だけしか知らない人はたぶん「師に就いて学ぶ」ということがなかなかできないんじゃないかと思います。だって、師は「理解や共感」を絶した存在ですから。「オレでも言っていることがよくわかる、実に話のわかるオヤジなんだよね、あの人」というような人は「師」になることはありません。だって、そんな「話の分かるオヤジ」が「オレ」に向かって「君の生き方はそれでいいんだ」と甘く評点してくれた場合に、弟子がブレークスルーを果たすということはふつうはあり得ないからです。
いや、前言撤回。実はあり得るんです。ただし、それは弟子のうちに「どうしてこの人はオレにこんなに甘いんだろう。この人は『そうすることを通じて何をしようとしているのか』」という問いが立ち上がった場合だけです。これはジャック・ラカンが「子どもの問い」と呼んだものです。つまり、その人が「謎の人」になったときにはじめて師弟関係は起動する、ということです。
師は「謎の人」でなければならない。これは刑部さんと作った教育論の本でもたぶん出てきた命題だと思います。友情も本質的にはそれと同じだと僕は思います。親友は「謎の人」でなければならない。ただし師と違って、親友は「私が人間的に成長するため」にそこにいるわけじゃなくて、二人で思い切り楽しい時間を過ごして、さまざまな「よきもの」をこの世にもたらしきたすためにいるわけですから、ちょっとだけ条件が違います。
それは「約束を守ること」です。言葉をたがえないこと。平川君はまさに「一諾千金」の快男児でした。
共同体には同質性に基づく「共感共同体(Gemeinschaft)」と、理解も共感も絶した他者となお共生し協働し得る「契約共同体(Gennosenschaft)」の二つがあると僕は思っています。そして、長続きする友情は契約共同体をかたちづくるものだと思っています。
ほんとうは「地縁、血縁、精神的共同体、共同社会」と対比されるのは「利益社会(Gesellschaft)」なんですけれども、友情は「利益を求めるために作為的に形成された集団」ではないですよね。たしかに一人一人の自由意思に基づき、契約にとりかわした人たちがかたちづくる集団なんですけれども、そこに契約があるのは、「契約したミッションを達成すれば、それぞれに利益がある」からというよりは「約束したことを違えないことを確認するため」なんですよね。
今回も長くなりましたので、この辺で終わることにします。
昔のクラスメートの中でも、「何を考えているんだかよくわからなかった人」の方がしばらくして会ったときにすっと話ができるということって、刑部さんにもありませんでした? 僕はそういう友だちの方がなんだか「ほんとうの友だち」のような気がするんです。
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス文学・哲学、武道論、教育論。主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『街場の米中論』、『勇気論』など。神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主宰。