「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。
ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。
眠らないニューヨークと眠れない私
羽田を発って、12時間のフライトでデトロイトへ。空港で5時間待って、乗り継いでからさらに1時間半。着陸態勢に入り、ぱんぱんに浮腫(むく)んだ足を靴にねじ込む。時刻は午後10時50分。東京から20時間かけてようやくお目見えした摩天楼は、機体の腹をうっかりこすってしまいそうだ。その足元には、電飾に縁どられた街が網目状に広がる。ドル金貨を貼り付けているような妖しい光に頭がクラクラする。人間の欲望を、世界中からかき集めたみたいな絢爛豪華なビル群を横目に、私はシートで小さく伸びをした。私の欲望はただひとつ。
眠りたい。
エコノミーで体の端々が痛くなり年々機内で眠れなくなっている。でもここはニューヨーク、眠らない街らしい。
自分で言うのもなんだが、私は大ざっぱな性格である。自らに課したストイックな決まりごとは、ほとんど持ち合わせていないのだが「航空チケットはマイレージでとる」ことだけは固く心に決めて生きてきた。
はるか昔、先輩アナウンサーに「デルタ航空はマイレージの有効期限がないのよ」と教えていただいたのを機に、デルタ航空と提携したクレジットカードで生活しながら地道にマイルを貯めてきた。2016年、デルタ航空が日本⇄ニューヨークの直行便から撤退したが、特に気にも留めなかった。約20万円分のチケットがマイレージで工面できるなら、乗り継ぎなんてへっちゃらだと思っていた。だって、まさか自分がニューヨークに住むなんて夢にも思わなかったから。ただ今回ばかりは痛感した。引っ越しの追い込みで疲れきった45歳の肉体には、直行便が優しい。
肩をほぐしながら手荷物受取所へと向かう。2つのスーツケースと巨大なショルダーバッグをカートに乗せようとすると、「カート$6」。JFK空港はカートにお金を取るんですかい(涙)。なんなら円換算で870円、1.45倍である。現実は厳しい。去年、日銀が為替介入したときに、ドルに換えておけばよかった。でもあの頃はまだ海外移住は漠然とした夢で、それがたった1年後にはニューヨーク、しかもマンハッタンに住むことになるのだから、一寸先はなんとやらである。
カートを押しながらアプリを開く。アメリカではライドシェアがすっかり日常の一部になっていて、日本でもお馴染みのUberに加えて、日本には上陸していないLyftも人気だ。その Lyftは、4年前アメリカ旅行で1度使っただけなのに、帰国して半蔵門(「5時に夢中!」)で働いている私に、割引チケットを律儀に送り続けていた。使えるはずもなかったこのチケットが、ようやく日の目を見るときがきたのだ。$12までなら20%OFFだと? すぐ車を呼ぼう。空港内の案内表示も、バスやタクシーと並んでライドシェアの掲示板があるくらいニューヨーカーの足になっている。クリックしてから4分ほどで黒いセダンがやってきた。
スーツケースを担いでトランクに詰め込もうとするやいなや、ドライバーのJatinderさんは「僕がやるよ」と私に後部座席に乗るように促した。即座にチップが脳裏をよぎり、善意もすべてチップ換算する汚れてしまった自分と、社会の世知辛さに辟易とする。
でも、乗車賃は前もってアプリで決定しているのがライドシェアの気楽なところ。みるみる上がるメーターをにらみ続ける緊張感がないのがいい。運転しながらスマホで誰かとおしゃべりしているJatinderさんのヒンズー語も、何が何だかさっぱりわからないけど、耳に心地よい。
私は安心して後部座席でLINEを開いた。新居に先に着いている夫から画像が届いている。リビングを覆い尽くすように並べられた15箱の段ボール。約3ヶ月前に引越しの荷物を船便で発送した。なぜ2週間ほどで着く航空便じゃなくて、最速でも2ヶ月はかかる船便を選んだのかというと、安いから。その一点に尽きる。それでも約30万円ほどかかった。荷物が太平洋を航海していたこの2ヶ月、冬服の隙間にぎゅうぎゅうに押し込んだお気に入りの器たちが木っ端微塵になっていやしないかと気が気じゃなかった。(→その結果はまたご報告します!)
私が大金持ちではないことは容易におわかりいただけたと思うが、かといって経済観念が成熟しているわけでもない。ケチとも呼ばないでほしい。
ただ何よりも「経験」を信じているのだ。贅沢には興味はないが、やりたいことをやりたいタイミングがきたときにやりたい。コツコツ貯蓄してきたのも、すべて、好機に「経験」を実行するため。敬虔な「経験」信者かもしれない。だって経験って、万が一失敗したとしても、失敗という経験値が増えるだけで、絶対に目減りしないんだもの。気のせいかもしれないが、なんかお得に感じる。
そこに関しては、夫と私はめずらしく考え方が一致している。
だからこうなってしまった。
私「うちら、海外住んでみたことないよね?」
夫「確かに!」
私「ふたりとも会社辞めたし、お金も貯めてきたから、ちょっと行ってみない?」
夫「いいね! 行くなら、やっぱニューヨークじゃん?」
こんなバカみたいなやりとりで、人生は進んでしまう。あまりに恐ろしいし、あまりに素晴らしい。そして、こんなふたりを受け入れてくれる度量も、ニューヨークにはある気がするのだ。
移住計画を実家の母に伝えると、
「本当に行くの? 物価が高いニューヨークに? この円安に??」。
ひどく困惑していた。そりゃそうだ。でも、気持ちはこれっぽっちも揺るがなかった。
「私はフリーランスで、仕事もいつまでもらえるかわからないし、今の自分を延命させるより、自己投資に充てて成長すれば、将来きっと何かにつながる。攻めは最大の防御だよ」
と、無理に熟語などを使って賢そうな感じをよそおったら、なんとか納得してくれた、というか諦めてくれた。
電話が終わったのか、Jatinderが話しかけてきた。
「Where are you from?」
「I’m from Tokyo in Japan.」
「TOKYO? Wow, Big city and beautiful, right ?」
その大きくて美しい街の分譲マンションも売却してきた。これを、退路を断つ覚悟での挑戦というのか、無分別というのか、きっと未来の私と夫だけが知っているのだろう。
自宅前に到着。夫が新居の鍵をヒラヒラさせながら、迎えてくれた。
「お疲れ。そんでおかえり」
ここが私の新しい家。ニューヨーク生活がいよいよ始まる。
1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。