「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。
ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。
できないことがたくさんあってよかった
私は半年ほど前から演劇学校に通っている。
ネイティブ英語に慣れなくてはと、焦りを感じ始めて語学学校をやめた。日本で演技の仕事をいただいたことがあるのも演劇学校に行きたくなった理由の1つ。38歳で局アナを辞めてフリーアナウンサーになってからは、できるだけ未知の世界に身を置くことを意識してきた。その延長線上に、ニューヨーク生活も演劇学校入学もある。と言いたいところだけど、とても線上を歩いているとは思えない。
ほぼ毎日落下している。いや線上から落下しているならまだマシかもしれない。何を注意されているのかさえ理解できないときもあるし、自分だけ時空が違う場所にいるのではないかと思うときもある。私がとっているクラスの先生の名はロレイン(Lorraine Serabian)先生。彼女は、アメリカ演劇界のアカデミー賞と言われるトニー賞にノミネートされたことがある本物のブロードウエイ女優だ。
生徒も強者ぞろい。中には85歳の貴婦人もいる。彼女はかつて舞台俳優だった。今は一線を退いたものの、ふたたび演技を学びたくなったとのこと。かくしゃくとしているだけではなくて、演技を見れば、彼女がただものではないことがわかる。瞬きの回数から瞳の位置までコントロールしているように見えるのだ。驚いたときは、瞬きの回数を意図的に増やしているし、警戒しているときは、瞳が白目の中を自由自在に移動する。そんな彼女でさえ、まだまだ学びたいと学校に通う。しかも85歳で!本当に「年齢は記号」なんだなあと感心してしまう。アメリカ演劇界では、生涯学び続けるというのが常識のようで、プロフェッショナルとして活躍している俳優でも、時間ができたら授業を受けに学校に帰ってくることが多々あるらしい。
授業の中で、私が自分に課していること。それは、完璧に、英語脚本を覚えて授業に臨むこと。演技は表現であって記憶テストではないから、記憶は別に賞賛に値するわけではないけど、私のやる気を見せる方法が今のところそれしかないのだ。そして、やる気を見せたぶんだけ、先生や生徒との距離も近くなる。
とにかくアメリカ生活では「挑戦すること」が讃えられる。クラスの友達からは「英語で演技に挑戦しようとしているなんて、今までやってきたことと全然違う仕事だよね。勇気がいることだよ!すごいよ!」と言ってもらったことがある。畑違いだから恥ずかしいとかみっともない、みたいな受け取られ方はしない。失敗を恐れずに挑戦する姿勢をまず見てくれる。そして、この人たちには「失敗」という概念も存在しないんじゃないかと思うことさえある。挑戦してみてあまり成果が得られなければ、その経験を糧にして、また違う方向性を探ればいい。この精神性が、ニューヨークの得体の知れない熱気と活気の源泉なのかもしれない。
そんな私たちの挑戦を助けてくれる場所の1つが、1917年から続く書店「The Drama Book Shop」。100年以上の歴史がある脚本に特化した書店だ。劇場が立ち並ぶタイムズスクエアからほど近い場所にあって、演劇好きにはヨダレが出る品揃え。ここでしか買えない脚本もあったりするから、プロアマ問わず、役者たちの憩いの場であり、生命線。永年の功績が認められて、トニー賞(演劇界のアカデミー賞)の栄誉賞を、このThe Drama Book Shopも受賞している。カフェスペースもあって、そこで脚本でも読みながらコーヒーを啜っていると、自分も役者の仲間入りをした気分になってくるし、夢を追いかけている人々が作る空間は空気が清々しい。
クラスで演じるシーンや役どころは、ロレイン先生が決めてくれることが多い。私の役は毎回、わけあり。1度目はお金欲しさに夫を裏切って体を売る役(!)で、2度目は妻子ある男性と付き合っているけど若い男と恋に落ちる役(!!)で、3度目は夫がいるのに違う男性とキスをしてしまう役(キスで止まったので、これは少しマイルドかと思いきや)で、4度目は、夫との間にできた子どもを出産したはずが、実は不倫相手の子どもかもしれない(!!!)という役どころ。もう昼ドラも韓ドラもびっくりの泥沼だ。ただ、どの物語も長年演劇界で演じ続けられてきた名作ばかり。
ということで、私は授業でラブシーンを演じることになった。ラブシーンといっても、相手の肩にもたれかかったり、手を握ったりするぐらいだけど、やはり緊張する。私生活では結婚してそろそろ10年なので、とうにケアを怠ってカッサカサになっている手の甲に、突然保湿クリームを塗ったりしてみる。もちろん相手の体にふれるときは、練習とはいえちゃんと相手の同意を得る。「ふれてもいい?」と聞いたら、シーンパートナーは「I’m open.(心を開いている、歓迎する)」と快諾してくれた。こうして2人でシーンを作り上げていく。
シーンリハーサルとは別に、先生とのZoom個人レッスンも並行して行う。毎週1時間、授業とは別に時間をとってくれる。いつもそれを録音して、先生の正しい英語発音や英語のリズムを体に叩き込んでいく。だけどあるとき、自分の発音を聞くのがいやになってしまい、復習をサボった。何度練習しても発音が直らず、心がくたびれてしまったことがあったのだ。
例えば日本人の多くが苦戦するRの発音。舌を巻く母音は日本語にはないから、大人になってそれを矯正するのは、分かっちゃいたけど、簡単じゃない。舌を巻くことを意識しすぎると逆に、発音がこってりしすぎてしまう。胸焼けしそうなこってり感。発音が美しい人じゃなくて、ネイティブにめちゃめちゃ憧れている人感が出てしまう(笑)。
ある日、復習を7割くらいしかやらなかった。でもロレイン先生には通用しない。案の定、次のレッスンで、私の発音の一部が直っていなかったことに彼女は気づいた。私はセリフはいつもちゃんと覚えてくる生徒だったからこれまで優しかったはずの先生が、初めて声を荒げた。
「これで3週目よ、あなたは一体何をやってるの!もっとちゃんと学びなさい!!」
Zoom越しに、先生の長いため息が聞こえる。人から長めのため息を頂戴するのは、いつぶりだろう。夫を除けば若手アナウンサーのとき以来、約20年ぶりかもしれない。若手のとき、スポーツ番組の生放送で10秒余ってしまい、慌てた私は何を血迷ったか改めて自己紹介をして尺を埋めるという荒技に出た。10秒というのは短いようで長いから、今なら来週の番組内容告知とか、5秒なら挨拶だけとか、いくつかの引き出しがある。でも若手のときは、丸腰だった。観ている全員を深く困惑させたところでプツッとCMに入ってしまい番組が終わった。そのときスタッフから漏れたため息以来の、重厚感のあるため息だ。
私にとって、英語は第二言語だから多少発音が下手でも仕方がないと、どこかで甘えていたのだ。でもロレイン先生は、英語が母国語ではない私のような生徒のことも、本気で叱ってくれる。この先生の情熱に食らいついていきたい。レッスンが終わってから、先生の発音を何度も何度も聞き直した。料理をしているときも、寝るときも、散歩するときも、イヤホンから先生の音声をひたすら流す。気分がずんと重たくなる作業だけど、この憂鬱さから逃げてちゃダメだ。
そして、つい先日のクラス。演じ終えた瞬間、先生から、
「This is the best work you ever have . You’re a good actor! I’m proud of you !」
なんと手放しの賞賛の言葉をもらえたのだ。お世辞を言う先生じゃない。私は涙が出そうになった。
まだ道半ばだけど、振り返れば入学当初は目も当てられなかったと思う。
発音とリズムが悪すぎて内容が伝わらず、私のパートは中断。生徒全員の前で日本語で演技をさせられたこともあった。もちろん先生からすれば、母国語で演じたほうが感情を乗せやすいんじゃないかと配慮してくれた上の苦肉の策だったと思う。意味がわからずポカンと聞いていた生徒たちは「日本語劇とても新鮮だったよ」とフォローしてくれたけど、私は英語を話すことをあきらめられてしまったようでとても屈辱的な気分だった。あれから4か月、奮闘してきた甲斐があった。嬉しくて体がふわふわと宙へ浮いていきそうだ。
今、私は先生に直訴して、新たな段階であるモノローグに挑戦している。モノローグとは独白、ひとりしゃべり。1人で数分間演技をするのだ。最近は、英語だけじゃなくて、演技に関する指導ももらえるようになった。四苦八苦しているけれど、45歳を超えて新たなことを学んでいくのは、とても楽しい。
日本で働いているときは、もはや誰も叱ってはくれない年齢になっていた。そして、ある程度貯まった経験貯金をやり繰りしている自分がいた。でも今、こんなにも手も足も出ない自分がいる。45歳から、ハイハイができた、おむつがとれた、あんよが上手ってな具合だ。だからこそ少しでも自分の成長を実感すると感動的に嬉しい。人生でできないことがたくさんあってよかったとさえ思う。
ちなみに今回の私の役どころは、インターン生。テレビ局で短期間働いていたインターンが大物司会者と肉体関係になり、そのいきさつを、女友達に嬉しそうに話すシーンだ。
「He’s kissing me like he’s a drowning man trying to get onto a life raft! (彼、救命ボートに乗ろうとしてる溺れかけの人みたいに、私にキスしてきたの!)」
ああ、かわいそうに、大物司会者さん、言われてますよ(笑)。この題材も先生が選んでくれた。現代なら確実に文春砲案件だ(笑)。でも人間は正しさだけでは勘定できない。というか、正しいだけの人間なんて、演劇ではまったく面白くない。人間の愚かさや滑稽さが、エンターテインメントとして成仏できるのが、ショービジネスなのだ。
1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。