「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。
ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。
ニューヨークのアパートメント事情
世界随一の物価の高さを誇るニューヨークに住んで1年超。節約のために生活に様々な変化があった。まず夫はトイレで大きいほうをしたときに、お尻を拭くのをやめた。というと語弊があるが、温水洗浄便座デビューを果たした。今住んでいる部屋は家主が日本人で、温水洗浄便座つき。これはニューヨークではかなり珍しいことで、ありがたくその恩恵にあずかるようになった。もちろんトイレットペーパー代を節約するため。1ロールの価格は日本の3倍くらい。毎日やってくる生理現象となると、やはり紙代も侮れない。
それは我が家ではちょっとした事件だった。夫は以前、私に温かい便座に座ることさえもとがめたくらいのストイックな人間なのだ。東京に住んでいた頃、家のトイレにある便座保温機能のスイッチをONにするかしないかで夫婦喧嘩になったことがあった。冬に冷たい便座に座ったときのヒヤッは、メンタルをだいぶ削られる。その苦痛を切々と訴えたが、彼はぴしゃりと言い放った。
「お尻を甘やかすな」。
幼少期から登山やキャンプに親しんできた彼にとって、慣れは何よりも恐ろしいというのが持論だった。一度天国の味を覚えてしまったら、アウトドア活動における排泄がただの苦行と化してしまう。だったら、普段からお尻に甘い蜜など吸わせるなというのだ。そんな自己鍛錬の権化のような彼が、ついにあの生温かいシャワーに手をつけるという。
さらに追い討ちをかけたのは、必要最低限をシルクのように大切に使おうという意気込みで、Amazonで注文したトイレットペーパーが、玄関先に届けられた直後に2度も盗まれたこと。信じられなかった。注文履歴がDelivered(配達済み)になっているスマホを握りしめて、半狂乱になってあたりを探し回った。でも玄関前とアパートメントのロビーを何度往復しても跡形もない。少しでも割安なものをと1ロールの長さや厚さまで吟味して購入しているのに、なんて酷なことをするのだろう。目尻に少し涙が滲んだ。
唯一の救いは、Amazonの太っ腹ぶり。紛失を報告するとスムーズに返金してくれるのだ。いくつかの簡単な質問に答えると、翌日にはもう返金するという知らせが来ていたのには驚いた。さすが時価総額255兆円、天文学的大企業の余裕を感じる。ただ一小市民として気がかりなのは、窃盗に遭ったという私の主張を彼らは一切疑ってこないこと。金持ち喧嘩せずとはこのことか? 嘘をつこうと思ったらまかり通ってしまうではないか。義憤に駆られ調べてみると、頻繁に盗まれている場合は警察への報告を促され、より高額になると返金を拒否されることもあるという。なるほど安心安心。って人のことを心配している場合ではない。
その他には、美容院は卒業して髪を自分で切ってみたりと、コツコツと重ねてきた節約であるが、この度ついに、最終かつ最高の節約手段にうって出ることになった。

引っ越しだ。
今住んでいるのはたまたま素敵なご縁でつながった友人が貸してくれた部屋。たった1年と数ヶ月だけど、初めての海外生活を夫と共闘してきた濃密な思い出も詰まっている。もちろん離れたくはない。けれど、円安が落ち着かない状況下、苦渋ではあるけれど、巣立ちのときが来たのだと思う。
ニューヨークのアパートメント事情をご紹介する。まず日本と同様アプリで探すのが一般的。最も有名なアプリはStreetEasyやZillow。無料アプリだから、日本にいても少し覗いてみると面白いかもしれない。私はたまに、Rent(賃貸)ではなくBuy(購入)の項目を選んで、妄想住人ごっこを楽しんでいる。先日は45億円のペントハウスに住んでみた。エンパイアステートビルを拝める一面ガラス張りの内装に恍惚としたり、3つあるバスルームの使い分けについて悩んだり。これを内心、神々の遊びと呼んでいる。時間の無駄だ。

ニューヨークは高層アパートメントが多い。特にマンハッタンは地盤が強固だし、すでに地上は建物で密集しているから、スペースは空に伸びていくしかない。日本でタワマンと言うと高級なイメージがあるけれど、ニューヨークだと高層アパートメントだとしても、部屋が狭ければ私たちにもギリギリ手の届く賃貸物件もある。ちなみに、日本で言う1R(ワンルーム)のことをアメリカではStudio(スタジオ)と言う。そして部屋が増えるごとに1BR(ベッドルーム)2BRという数え方をする。
そして、Studioの部屋にはたいてい洗濯機置き場がない。共用ランドリーか、街中にあるコインランドリーを使うのが一般的。でもアパートメント内にはドアマンやコンシェルジュがいたり、ジムがあったり、仕事ができる共用デスク、バーベキューができるルーフトップ(屋上テラス)があったりする。
部屋に洗濯機がないにもかかわらずコンシェルジュが常駐して、屋上バーベキューができるなんて、もう感覚のねじれに脳が追いつかない。人生は、コンシェルジュの前に、バーベキューの前に、まず洗濯機じゃないのか? もし洗濯機が混み合っていたらどうするのだ。下着を毎日変えない事には、コンシェルジュとやらと対等に渡り合える気がしない。輝く笑顔と粋な振る舞いで挨拶されたとしても、自分が下着2日目と思うだけで、なんか無視してしまいそうだ。ただでさえ英語に自信がないのだ、せめて下着くらいはまっさらでいさせてほしい。なぜ洗濯機の存在感がそんなに薄い。三種の神器は世界共通じゃなかったか。

ある説では、ニューヨークは100年を超える古い建物が多いから、水道や排水の配管が、洗濯機の設置を想定していないことも多いという。さらにアメリカ人の友人に聞くと、アメリカの洗濯頻度は週2回が主流らしい。確かに、こちらの洗濯機は大きいから一度にたくさん洗える。住んで1年、気づけば私も週2くらいしか洗濯をしなくなった。
それにもし、混んでいたとしても、待っている間に友達ができるかもしれない。読みかけの英語小説なんかを持っていってこれみよがしに読書に耽るのだ。すると同じく待っている見知らぬ人に話しかけられる。「何読んでるの?」「あ、これ?ミエコカワカミ」「やっぱり!?私、ユウミリも好きなのよ!」「そうなんだ!Tokyo Ueno Staitonこっちでもすごい人気あるよね!」ってな具合で意気投合するのだ。海外ドラマの見すぎか。
そんなこんなで、探し始めて2週間。連日分刻みで内見を入れている。正直、とてつもなく焦っているのだ。4月入学が一般的な日本と違って、アメリカは9月から新学期が始まるので、春から夏に向けて人が動く。それと同時に家賃相場もみるみる上がっていく。しかも年度じゃなくて日によって変動する。借りるタイミングが1日遅ければ家賃が15000円違ったりして、しかもその金額を1年払い続けるんだからもう気が気ではない。だからマグノリアが咲く前に勝負を決めようと、売れっ子アイドル並みにスケジュール管理をして内見をこなしている。

その内見も日本とシステムが違う。アパートメントに入ると、コンシェルジュから旅のしおりのような見開きの紙と鍵を手渡され、放り出される。これはSelf-guided tour(セルフガイドツアー)と言って、鍵を持って建物内を自力で回っていくシステム。巨大迷路のようなビルディングを紙一枚を頼りに歩き回るのは、少し不安だけど宝探しみたいでワクワクする。
立て付けの悪いドアの鍵をなんとかこじ開けて、まだ家具の入っていないがらんとした部屋に足を踏み入れる。土足だから、年季の入ったフローリングはみしみしと音を立てて、ひっそりとした室内に共鳴する。私が見るのはとにかく窓。太陽光が入るかどうかがとても重要で、こればかりはHP上の間取りでは確認できない。落ち込むことがあっても、陽光を浴びればたいてい何とかなる。だったら森に住めばいいじゃないかと思われるかもしれないが、なぜかコンクリートジャングルのほうに住んでしまっている。不合理なものだ。
部屋の後は、しおりに沿って、ジムやルーフトップを見て回り、最終ゴールはリース会社のカウンター。大規模アパートメントは、建物内にリース会社が丸ごと入っていたりすることもある。「見た感想を直接伝えに来てね、気に入ったらどんどん話を進めていきましょう」という感じ。気付かぬうちに競争資本主義のベルトコンベアーに乗せられそうで恐ろしい。
実際、彼らの営業トークはとてもスムーズで、ピカピカに輝く白い歯からは清潔感や信頼感が漂っていて感じが良い。ただ、別れを告げた次の瞬間には、ものすごい真顔になっていることにも最近気づいてしまった。表情のギャップがすごい。まるで別人。街中ですれ違ってももう気づけないだろう。日本人は余韻でも会話を交わすけど、彼らは合理的というか「Bye」と言ったその瞬間から次のことを考えているのがわかる。余韻が3秒ともたないこの現象を、内心、ウルトラマン現象と呼ぶようになってしまった。
ある日の内見のこと。夫と見に行ったあるアパートメントでは、最上階の51階にルーフトップがあった。せっかく来たしとミーハー心に誘われて高速エレベーターに乗った。耳がつんとする間も無く最上階に到達し、扉が左右に開いた瞬間、目の前には異世界が広がっていた。最上階は全面ガラス張りで、まるで空に浮かんでいるかのような開放感。青々とした空がどこまでも続いている。上空の雲と対面するかのように設置されたテーブルとハイスツール。座ってみると、眼下にマンハッタンを一望できる。ミニチュア模型のように隙間なく密集している高層ビル群を、イーストリバーとハドソンリバーが挟んでいるのが手に取るようにわかる。キッチンもあるから、おそらく夜景でも見ながらパーティーなどをするのだろう。成功者の集いの中で、ポツンと肩身が狭そうにしている自分の姿がありありと浮かんだ。

一方で、中央にはテーブルや椅子もあって、昼間は仕事場に使えるかもしれない。そんなことを想像しながら辺りを見渡すと、一角の居心地の良さそうなソファに、住人らしき一人の男性が座っていた。Macを開いて何やら作業をしているようだった。
私はジリジリと距離をつめ「Sorry to interrupt」と話しかけた。住み心地を教えて欲しいと言ったら、もちろんと快諾してくれた。
「良いところも悪いところもあるけど、まずアクセスはとても便利。まわりは食べるところもいっぱいあるし、ほんと便利さは申し分ない。あえて欠点を挙げると……匂いかな。壁が薄くて、ルームシェアしてる友人が料理を作ると、匂いが部屋の中に入ってきて、翌朝までずっと残るんだ」
匂い……。問題ないなと内心安堵した。だって、ニューヨークに住んでからのこの1年、窓を開けると、外からマリファナの匂いが部屋に漂ってくることが多々あった。私の匂い耐性はだいぶ上がっている。やはり夫が「お尻を甘やかすな」と言ったように、普段からの小さな鍛錬が、人生の選択肢を増やすのだななどと、妙に納得していた。
「あと、やっぱりちょっと狭いことかな」
「どれくらいのところに住んでるの?」
「3人で住んでるんだけど、3ベッドルームでちょっと狭いんだ」
「あ……そうなんだ……」
それ以降、我々の口数が減ったのは、言うまでもない。私たちは2人で1ベッドルームはおろか、洗濯機のないStudioに住もうとしている。聞くと彼はトルコ人で、トルコに本社を置くテック関連企業のNY支社で働いているらしい。雇用されていて、しかもテック。もう磐石。私たちのようなフリーランス根なし草夫婦とは訳が違う。
彼に別れをつげて、51階から高速エレベーターで落下するように降りてゆく。この超高層ルーフトップにはもう来ることはないだろうなと予感しつつも、心の奥は、そこはかとない高揚感でじんわり熱い。家賃を下げるわけだから、家も狭くなるのは覚悟のこと。でもきっと、その分、物をさらに処分せざるを得なくなって、自分が本当に大切にしているものの輪郭が一段と鮮明になるだろう。日本からニューヨークに来たときもそうだった。何かを手放した分身軽になって、きっと新たな経験にまた出会える。そう信じている。
しかし、アパートメントを出ると、現実世界は容赦なかった。数日前に降り積もった雪が残る路上で、汚れた布団にくるまっている人。片足がなく物乞いをしている人。奇声を上げている人。華やかに見えるニューヨークの高層アパートメントの足元には、たくさんのホームレスもいる。これこそがニューヨークの日常だったと、思い出した。
非営利団体Coalition For The Homeless によると、ニューヨーク市内のシェルターで寝泊まりする人は、2024年12月時点で、一晩12万人を超えている。この「シェルター」とは、生活困窮者や移民、DV被害者など、住居を失った人々が一時的に宿泊できる施設のこと。ニューヨーク市では、法律によって「すべての人に避難所を提供する義務(Right to shelter)」が定められている。ここ数年、南部国境を越えた大量の移民がテキサスから送られて来たが、シェルターの数にも限界があり、路上生活者も含めると、ニューヨーク市には35万人以上のホームレスがいるとされている。
実は、Right to shelterの理念に全員が賛成しているわけではないのもまた現実だ。長くニューヨークに住んでいる人からは「人を助けるのもいいけど、まず税金を払っている私たちが優先でしょう。治安が悪くなってるのをどうにかしてほしい」という声を聞いたことがある。第2次トランプ政権が発足してから約1ヶ月。実はトランプ大統領を支持しているという声を、青の州と言われるニューヨークでもちらほら聞く。
帰りの地下鉄車内。いつものようにホームレスが車内を回って乗客に物乞いをしていた。お金を渡してもドラッグ代になるのでむしろ渡さないほうがいいという人も多くいるから、いつも私は躊躇してしまう。すると隣に座っていたヒスパニック系の若者が、ゴソゴソと自分のリュックの中をあさり始めた。何かをつぶやきながら懸命に探している。リュックにないとわかると、あらゆるポケットに手を突っ込み、ようやく彼は、ずり下がったズボンのポケットからくしゃくしゃになった1ドル札を見つけ、ホームレスを追いかけてお金を渡した。
彼の衝動的なふるまいに私は唖然としつつも、とても眩しく見えた。理想と現実のはざまで、事情が違う人々の生活が交差している。格差なんて言葉では到底片付けられない混沌とした現実があふれるこの街で、全てが手探りの私たちを迎えてくれる家は見つかるんだろうか。帰る家が確実にあるってものすごくありがたいことだったんだな、そんなことをひしひしと感じながら、財布の中の1ドル札を確かめて電車を降りた。

(連載次回は多分、家決まります!!!!願望)
1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。