ニューヨークの林檎をむいて食べたい

この連載について

「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。

ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。

第12回

実録! 愛と情熱の「家探し」

2025年5月2日掲載

内見がほぼ日課となり、累積15回 を超えた。いつしか近隣のカフェに寄るのがルーティーンになり、家探しなのかカフェ巡りなのかわからなくなりかけていた頃に、出会いは突然訪れた。まさか大人になって、物件探しで涙を流す日が来るとは。でも、ニューヨークの女神は私たちに微笑んでくれたのだ。 あきらめの悪い私に女神も手を焼いて、やれやれと道を開いてくれた気がする。そして、そのしつこさは、この街ではこう言い換えられることを、身をもって知った。

情熱。パッション。

血の気が引くほど高いニューヨークの家賃相場において、予算をオーバーしてたまるかという私の情熱が勝った日(大げさ)。

その日、私はいつもと同じように、アパートメントのコンシェルジュから部屋の鍵を受け取り、自力で建物内を巡る予定だった。特に期待値が高かったわけでもない。今日はブラックコーヒーじゃなくてラテにしよう、でもラテは高いからスモールでいいや、なんて思いながら、正面玄関に到着した瞬間、私の心は鷲づかみにされた。

まずは外観。圧巻だった。見るからに歴史があり重厚で、まるでルネサンス様式の美術館のよう。調べると、建物自体は100年の歴史があり、国家歴史登録財にもなっているらしい。エントランスを飾る左右対称に配された荘厳な柱やアーチや施された石彫像には、華やかさと迫力が鎮座しつつも、品まで兼ね備えている。

ニューヨーク市には「ランドマーク保存法」という法律があって、歴史や文化や経済などさまざまな観点から重要だとみなされた建物や地区は特別に保護されている。資本主義の権化とも言われるニューヨークだからこそ、この法律がなければ、摩天楼が際限なく出現して、なんとも味気ない街になっていただろう。

やや緊張しながら重い扉を開ける。磨き上げられた石廊下の先にコンシェルジュがいた。来客の受付などを一手にさばくアパートメントの顔である。彼から部屋の鍵を受け取るのだが、彼がまた抜群だった。ロマンスグレーの顎髭と頭髪は美しく切り揃えられて、清潔感が漂う。スーツもそんじょそこらの坊やには真似できない、落ち着いた着こなし。たたずまいの随所に大人の余裕が感じられるけど、笑顔にはどこか少年のようなイタズラな茶目っ気も同居していて、なんというかまるでジョージ・クルーニー。

ジョージから鍵を受け取り、足取り軽くエレベーターに向かう。ここも重要なチェックポイント。一般的に、高層アパートメントの場合、朝の通勤時はエレベーターが混み合って、待ち時間が発生することもあるらしい。時には15分ほど待ってストレスを感じると、過去に内見した物件の住人が教えてくれた。その点このアパートメントは、混雑防止の最新システムが導入されていた。エレベーターにはそれぞれ番号がふられていて、ボタンの代わりに設置されているのは液晶画面。表示されている数字の中から行きたい階を押すと、6台ほどあるエレベーターの中から最適なエレベーターの番号が表示される。それにのれば、自動的に目的階に運ばれる。効率的にエレベーターを振り分けてくれて、待たなくてすむ。建物は歴史的建造物として保護されているのに、中は住みやすいように最新式に刷新されている柔軟さが見事だ。そしてうっかりしていたが、私たちは、ニューヨークで定時に出社するような安定した職には一切就いていないから、そもそも関係なかった。

さて、ここまでは満点どころかもう1000点。お次は肝心の部屋だ。目的階に着いて、高まる期待を胸に、鈍く光る真鍮の鍵を挿し込む。が、2つの鍵穴を右に回しても左に回しても、扉がびくともしない。海外あるある。海外のドアはいつも難しい。持っていた資料やバッグを全て床に投げ捨て、髪を振り乱しながらドアノブと格闘すること10分。いよいよお手上げかと思ったときに、一人の青年が通りかかった。

顔立ちはハリー・ポッター。あどけない笑顔に、童心をのぞかせる澄んだ瞳。服装は、映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のマーティーさながらの80年代アメリカンカジュアル。背格好もマイケル・J・フォックスに似ていて、しかも寝癖つきという完璧な仕上がり。いわゆるいい人の香りが全身から漂っていた。

住人だろうか。私が鍵が開かなくて困っていると伝えると、彼は右手に持っていたコーヒーを左手に持ち替え、片手で反時計回りに鍵を回転させ、最後に30度ほどさらにひねった。するとあっさり扉が開いた。

「最後に一押しするのがコツなんですよ」

優しそうな笑顔を浮かべながら、彼は親切に教えてくれた。 ニューヨークではいつもこうなのだ。困っているとすぐに通りすがりの人が助けてくれる。渡米前は殺伐とした大都会 を覚悟していたが、今となっては、「人情の街ニューヨーク」という印象に様変わりした。

さて部屋はというと、悪くない。広さは今住んでいる部屋の半分くらいの1ルーム(アメリカではstudioと呼ぶ)だけど、古い建物だけあって趣がある。ただ、一番大事なのはお家賃。家賃を下げるために引っ越しをするのだ。そしてこの部屋は、目標としている家賃より約$200も高かった。今のレートで3万円か……。1年で考えると相当大きいな……。

アパートメント自体は気に入ったからもう少し安い部屋があればいいのに。そんなことをもんもんと考えながらロビーに降りると、さっき鍵を開けてくれた青年がコンシェルジュと談笑していた。実は、彼はこのアパートメントを一括で管理するリース会社の常駐社員だった。

名はオースティン。

「さっきはドア開けてくれてありがとうございました」

「いえいえ! 難しいですよね! コツをつかめばすぐ開けられますよ!」

人懐っこい笑顔で返してくれた。ハリーポッター兼マーティーはいつだって感じがいい。

「アパートメントはとても気に入ったんですけど、もう少し安い部屋を探していて……」

「なるほど。まだ人が住んでいて内見はできないんですが、他でも空きがいくつか出る予定がありますよ」

「そうなんですね。では夫とまたHPを見てみて、連絡させていただきますね」

家に帰るなり、夫と情報共有するために、彼が普段使っているパソコンの検索ページにアパートメント名を入れる。そしてAvailability(空き物件、空き予定物件)の項目をクリック。部屋が複数出てきた。

今日内見した部屋を夫に解説する。

「アパートメント自体はすごく良かったけど、予算より$200オーバー。あと独立した部屋がないから仕事的にちょっと心配かも……。やっぱ寝る場所と仕事場は分かれてたほうがいいよね、日本とリモート会議も結構あるもんね……?」

「まあね……でも独立した部屋がある物件だと、家賃すんごく上がるもんね……。」

理想とお財布と睨み合いのどんよりとした空気が漂っていた。他に条件の合う部屋はないものか……。

と、そのときだった。

「あれ、ちょっと待って、この部屋ロフトじゃない?」

無類のロフト好きである夫の眼光が鋭くなった。

ん? ロフト??

デスクトップをのぞきこむ。そこには、確かに間取り図が、二つ横に並んでいた。まるで2階建てみたいに。そして片方にはLoftと書いてある。

あれ? 私が調べたときは、ロフトの部屋なんてなかったのに。おかしいなと思い、スマホを開く。確かにその部屋番号の物件は表示されるが、どこを見てもロフトなんてない。というより、掲載されている間取り図は一枚だけで、二枚目、つまりロフト部分が表示されていない。そうだ、だからこの部屋は狭すぎると思って、選択肢から除外していたんだ。どうやらデスクトップの大画面で確認したことで、スマホの画面では入らなかった間取りが、出現したようだった。

ってそんなことある⁉

リース会社よ、うっかりにもほどがある!

天井高の低いロフトは居住空間として認められないから、床面積に含まれない。だから、ロフトつきの物件は、間取り図でロフトをアピールするか、「床面積〇〇ft2+ロフト〇〇ft2」というように、ロフトの存在を大々的に知らしめようとするのが商売の定石のはずである。なのに、その肝心の間取り図がスマホには表示されないなんて。人の良さそうなオースティンの顔が浮かんだ。

ちなみに私たちは無類のロフト好き。というかロフトが嫌いな人なんてこの世にいるのだろうか。なぜロフトというのはこんなにも心が躍るのだろう。天井が低いことを忘れて絶対に一度は頭をぶつけるイベントも含めて、秘密基地に忍びこむようなあの感覚は大人になった今でも想像するだけで私を高揚させる。

そして肝心のお家賃は……⁉

予算内におさまってる!

しかも、同じ間取りでロフトのない部屋と、ロフトつきのこの部屋の家賃がなんと同じなのである。つまり、少し狭いけどお手頃な部屋に、無料でロフトがついてくると言っても過言ではない!

完璧だ!

鼓動が早くなる。

スマホには存在しない間取り図

時空の隙間に現れた神物件。

夢のロフト。

これは今すぐ動かなくては。ロフトつきで家賃もお手頃なんて、競争率の高いここではライバルが出現するのも時間の問題だ。この部屋が市場に出て4日。おそらくアプリで家探しをしているニューヨーカーのほとんどが、まだこの部屋にロフトがついているということに気づいていない。リース開始まで1ヶ月弱。彼らが寝静まっている間に、半歩でもこの物件に近づかなくては。

早速、夫と一緒に内見予約をしたが、やはりロフトの部屋はまだ住人がいるということで、それ以外の部屋しか見せてもらえなかった。ここは直接頼んでみるしかない。アパートメントに入っているリース会社をアポイントメントなしに直撃した。

そこには、いかにもおいしそうにランチのスープをすするオースティンがいた。突然訪ねたのはこちらなのに、彼は、

「今ランチ中でごめんなさいね。ちょっと犬の画像を見てたんです。ほら可愛いでしょ」

パソコン画面には、さまざまな犬種がオースティンと同じ瞳をしてこちらを見つめていた。

和んだ空気の中、今ならと夫が切り出す。

「アパートメントとても気に入りました。それで、HPで見たんですが、これから空く予定のロフトの部屋ありましたよね? 内見することってできないでしょうか?」

するとオースティンは、

「そうですね、本来なら内見できる部屋じゃないんですけど……承知しました。では住人に聞いてみて、お返事しますね」

よし、とりあえず前進。

そして、オースティンからはすぐ返事が来て、なんと2日後に内見できることになった。数多の内見をこなして来たが、返信が遅かったり、メールの内容が日毎に雑になったりするリース会社の人がほとんどだ。その点、オースティンのメールは、必ず「Hi Miho,」と名前で始まり、返信も早い。なのに、いつも決まって寝癖がある彼に、私は安堵感と信頼を寄せるようになっていた。

本命の内見当日。オースティンに案内されて、ドアベルを鳴らす。出たきたのは、20代の美しい女性だった。聞くとスイス出身の学生らしい。午前中だからか彼女はまだ部屋着のままだったが「どうぞ、靴のまま上がって!」と快く迎えてくれた。その美しさと気さくな振る舞いのギャップにドギマギした。

入った瞬間、一目惚れって本当にあるんだなと思った。二人とも言葉に出さずとも心は決まっていたと思う。とにかく素晴らしい部屋だった。ロフトを携えた天井は4メートル近くあるだろうか。控えめな床面積だけれど、高い天井のもたらす開放感は予想をはるかに超えた。その高い天井に合わせて2面の大きなアーチ窓。しかも窓の外には、歴史建造物に認定されているゴシック建築が眼前に広がっていた。リビングの白壁面には、クリムトが飾られている。金箔の華やかさと多幸感が、彼女自身にとてもマッチしていた。

「Can I take a look upstairs?」

「Sure!」

ロフトへのはしごは急勾配(こうばい)だったけれど、恐る恐る上がってみると、ここもまた格別だった。ロフトから階下の2面の窓を通して、豪奢な建築物がまた違った角度で拝められる。まるで一幅の絵画だ。しかも思ったより広々としていて、ロフトというより部屋みたい。ここを寝室にすれば、仕事場と分けられる。

「この部屋すばらしいですね!」

「そうなんです! ああここを出たくない! 卒業したんでスイスに帰らないといけないですよ。この立地にこの眺め、高い天井、もう最高でした!」

湿度なく明るく口惜しがる彼女を見て、この部屋ではきっと良いことしか起きない。そんな気がした。もうここしかない。

部屋を出た後、ほぼ心は決まっているという話をすると、オースティンが1枚の紙を差し出した。2月から4月までのカレンダーで、なんと1週間ごとに違う家賃が記されている。

「家賃は変動します。そしてこの部屋は3月12日に退去なので15日からリース開始です。3月15日に契約するとこの家賃で、たとえば4月1日に契約すると、こちらです」

4月1日の家賃は、3月15日に比べて、$200(約3万円)も高くなっていた。なるほど今借りれば予算内だけど、3週間遅くなると、予算オーバーだ。ニューヨークの家賃は頻繁に変わる。昨日と今日で数万円違うこともある。そして契約した日の価格がその後1年間継続する。9月入学のアメリカでは春から夏にかけて人が動く。だから決断を後ろにずらしたとて、家賃が上がることはあっても、下がることはない。チャンスの神様には前髪しかないのだ。今決めるしかない。

帰宅してすぐオースティンに決定の連絡をした。オースティンも歓迎してくれ、申し込み用のサイトが送られてきた。オースティンはあくまでも窓口で、ここからアプリケーション(申請)チームとのやりとりが始まった。

問題はここからだった。

まず、入居審査が通るかどうか。ニューヨークの審査は厳しいことで有名だ。もちろん犯罪歴がないかどうかも調べられるし、収入審査も、月家賃の40倍の年収がないと審査に落ちるなんて言われたりすることもある。一体誰が通るんだ。そして重要なのが「クレジットスコア」という点数。これは、お金を借りたときにちゃんと返しているかを点数化したもの。主にクレジットカードの使用状況を見られる。つまり、個人の財務状況は丸裸。アメリカでは何をしようにも、見えない履歴書がついてまわる。

さらに、預金残高より毎月の収入がきちんとあることが重視される。アメリカは、貯蓄の半分以上を投資に回すことが一般的。富裕層のみならず、庶民もお金をどんどん回すのがこの国だ。ちなみに私たちの収入の柱は日本だから、ちゃんと審査が通るかどうか気が気じゃなかった。

その懸念をオースティンに相談すると、保証会社を使うという手段もあると教えてくれた。さすがオースティン! いつも彼は私たちの味方だ。早速、保証会社に見積もりを出してもらった。その額40万円——ふむふむ、もちろん高い。高いけど、払えない金額ではない。これであの夢のロフトに住めるなら仕方あるまい、と「確定」をクリックしようとしたら、んんん? あれ? 桁1個多くない?

なんと桁を1つ見間違えていたのだ。よくよく見ると、400万円! 400万円!? なんたるミス!! これを払ってしまったら、引っ越す意味がなくなってしまう。というかあまりのショックで多分帰国するだろう。離縁もされて、実家からは三行半を突きつけられるだろう。寸前で命拾いしたが、自分の不注意ぶりに血の気が引いた。

値段の桁を間違えるなんてそんな凡ミスをするやつが本当にこの世にいるのかとお思いかもしれないが、私には前科がある。以前香港でワンピースを買ったが、23000円だと思っていたら、桁を見間違えていて実は23万円だったことがある。本当の話だ。判明した時はショックで倒れそうになった。ちなみにそれはかなりのミニスカートだが、減価償却を考えると60代までは着なくてはならない。というわけで、保証会社は諦めて、ちゃんと審査をしてもらうことになった。

しかしこの重要な段階に来て、さらに問題発生。アカウントを作ったはずの申しこみ用サイトにログインできなくなってしまったのだ。

このサイトから審査に必要な書類をアップロードしていくから、ログインできない限り、手続きが前に進まない。しかも、このシステムの不具合を報告したら、先方の担当者は複数いて、人によって返信が遅かったり、言うことが違ったりで埒(らち)があかないのだ。

ログインできないなら、メールで必要書類を送ってと言われるが、担当者が変わるごとに、要求する書類も少しずつ違う。6ヶ月分の収入を示せという人もいれば、3ヶ月の収入とアメリカの銀行口座の書類を出せという人もいたり、夫婦2人分出せと言われたり、はたまた夫だけでいいとか、またその形式も日本語でもいいのか、英訳した方がいいのかなど、やりとりは20回近くに渡った。その間にも、刻一刻と時間は過ぎていく。一応、希望の部屋は私たちがおさえているはずだけど、この間にもライバルが出現するかもしれない。そして権利はそちらに移るかもしれない。ここはアメリカだ。

絶対にこの部屋を借りたいという意思を、強烈に示すしかない。よし、デポジット(申し込み金)を払おう。こんな下品なことを言いたくはないが、世の中は金。だななんて毛頭思っていないが、ニューヨークは商売の街。金がやはりものを言う。まだデポジットを払う段階ではなかったが、システムの不具合がある以上、もはや順番は関係なかった。そして、先に払っておけば、私も強く出られると思った。万が一、契約が不成立であれば返却されるお金だし、アメリカは訴訟社会だから、口約束より金銭の移転の方が効力はあるはず。オースティンとはすっかり仲が良くなっていたから、オースティンにデポジットを払いたいと申し出て、朝一でリース会社に直接行って払ってきた。これで少し安心できると思って帰宅した矢先、アプリケーションチームから冷酷な通達が来ていた。

「決められた期間内にあなたは必要書類を提出しませんでした。だからこの物件は、再び市場に出ています。もしまた申し込みたいときには、再度申請をしてください」

文面を見たとき、膝から崩れ落ちた。震える手でホームページを見ると、確かに、一度は非表示になっていた私たちの夢のロフトがHPにしっかり掲載されている。しかも当初私たちが決めた時より$200高い家賃になっている。

嘘でしょ……。視界が歪んだ。アプリケーションチームとのやりとりで、ここ数日はあまり寝ていなかった。いつ来るともわからない複数の担当者からのメールに即座に返事をしなければという緊張感で、寝つけなくなっていた。そこに、振り出しに戻された失望感や、今後もこの苦労が繰り返されるかもという不安感が重なって、ふんばっていた気持ちがぷっつりと切れそうになっている。気づくと、わー!と声をあげて泣いていた。そしてふと思った。たかだか家探しに、なんで私、こんなにムキになっているんだろう……。

多分、1つ妥協すれば、妥協に慣れてしまう。それが一番怖かったんだと思う。ニューヨークに来てからの1年、何をするにも時間がかかって、手探りで、もがくことはあれど、達成感などとは無縁の1年だった。でも絶対この場所を嫌いになりたくはなかった。ニューヨークでの私はこれから始まるんだと信じていたからだ。

私がニューヨークに生きる自分に求めているのは、社会的な達成感ではない。名声でもお金でもない。自己を表現して生きることだ。その場所としてニューヨークは正しいと思いつつも、自分は何が好きで、どんな人間なのかを、まだつかみきれないでいる。日本にいれば、ある程度私のイメージは周囲が作ってくれていて、フリーアナウンサーという範疇から想定される仕事を、ありがたいことにいただける。でも、この新天地では、私は誕生したばかりの赤子だ。だからこそ、小さな小さな成功体験を積み上げていくしかない。目の前の欲しいものを、正直に欲しがって、1つずつ手に入れていくしかない。その意味で今回の家探しは、これからアメリカでさまざまな挑戦をしていくであろう自分の試金石になる気がした。身の丈に合った家賃で、かつ気に入った部屋を、アメリカの正式な手続きを経て、自力で借りる。そう決めて動き始めたんだから、絶対に妥協はしたくなかったし、夫が仕事で忙しい中、私が全部1人でやるという任を受けた以上は、夫の信頼も裏切るわけにはいかない。

ニューヨークに長く住む友人からの言葉が浮かんだ。

「ここでは遠慮なんてしちゃダメよ、ちゃんと自己主張しなきゃ」。

よし、ここで撤退してなるものか。

すがる思いで、頼みの綱であるオースティンに長いメールを書く。このアパートメントがとても好きで、どうしても住みたいこと。その意思表示として、ちゃんとデポジットも払っていること、そして書類の提出が遅れたのは、ログインできないというシステムの不具合のせいで、それさえなければ正式に書類が提出できていたこと、アプリケーションチームの返信が遅い中、システムの不具合もあり、私たちはただ不安なまま待つしかなかったこと、これらのすべての状況を考慮して、審査を再度してほしいと。

帰責事由はこちらにはないと主張しつつも、言葉は丁寧に、心を込めて、メールを書いた。するとオースティンから返信が来た。

文面には「We Apologize」という言葉と、あなたに権利を戻せるようにアプリケーションチームに掛け合いますとあった。「Apologize」は「Sorry」とは違う。ちゃんと謝ってくれていると今の私は理解している。だからこそ、行動が伴うと信じたい。まだ望みはある。やるだけのことはやった。あとは天にまかせるのみだ。

そして、4時間後、アプリケーションチームからメールが来た。恐る恐る開くと、「Welcome to the apartment」というタイトルが目に飛びこんできた。その言葉を見た瞬間、叫んだ。

やったー!!!! 体の奥から力が漲ってきて、吐き出さずにはいられなかった。この喜びを浮力にどこまでも飛べそうな気がした。「Welcomeってこんなに嬉しい言葉だったんだ」。今まで何千回と使ってきた言葉なはずなのに、初めて「Welcome」に会った気がした。

さらに、裁定は180度ひっくり返っていた。収入審査が通ったのはもちろん、家賃も当初の値段に戻っていたのだ。正式に、あの夢のロフトに予算内で住めることになったのだった。オースティンは本当に動いてくれたのだ。それが何より嬉しく、あの寝癖を思い返しながら、体の芯がぽかぽかと温かくなった。

3週間後、その部屋より少し狭い物件が、$500高い家賃で、市場に出ていた。家探しが少しでも遅れていたら、全く払えなかっただろう。夫と震え上がった。というわけで、この立地、建物、間取り、全てをひっくるめて、相場からすると嘘みたいな安さでこの部屋に住んでいる。

事情を知らないある人は「事故物件なんじゃないの?」と言ってきた。「かもね!」なんて笑って流したけど、でも私は知っている。目の前のチャンスを1つ1つつかんできたから、この結果につながったんだということを。人生とは、扉を叩いた者には案外開かれていくものだということを。

正式な契約のために、オースティンに会った。即座に私は、

「You are one of the reason why I wanted to live here!」

(ここに住みたいと思った理由の1つがあなたです)

彼に感謝を伝えたかったのだ。

すると彼は顔を赤らめながら、

「Really?I’m glad!Wow!Make my day!!」

(本当に⁉ 嬉しいよ。最高の気分だよ!)

Make my day はいいことがあったときに、ネイティブの人がよく使う言葉だ。そして隣の部屋にいた彼の上司をわざわざ呼んで「ねえ、今の言葉、上司の前でもう一回言って! ほら早く!」とおどけて見せて、みんなで笑った。

ここではきっといいことしか起きない。

直感は確信に変わった。

著者プロフィール
大橋未歩

1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。