ニューヨークの林檎をむいて食べたい

この連載について

「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。

ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。

第8回

アメリカ大統領選、あまりに濃厚な1日のこと

2024年11月21日掲載

ドナルド・トランプ氏が大統領選で勝利した。ニューヨークに住んでもうすぐ1年になるけど、まだまだアメリカについてはわからないことだらけなんだと痛感した。

大統領選挙当日。11月だというのに気温は20度を超えて、空気は清々しくまさに秋晴れ。初めて経験する大統領選挙当日の空気を味わいたくて街に出た。マンハッタンのNYU(ニューヨーク大学)に隣接した公園、ワシントンスクエアに踏み込んだとき、穏やかではない女性の声が響き渡った。

「Look! My white slave!!(見て!!私の白人奴隷よ!!!)」
白人奴隷、という耳慣れない言葉の組み合わせにただならぬ雰囲気を感じる。

そして声は続く。
「He’s one of my White Slave!!(彼は私の白人奴隷の1人よ!!)」
いっぱいいるんかい!と今度は心の中で思わずつぶやいた。声のほうを見ると、仰向けに寝転がった白人男性の胸の辺りを黒人女性が踏んづけている。男性は、踏みつけられる足に合わせて、苦しそうなうめき声をあげる。何度か踏まれた後、男性は立ち上がり、女性と笑いながらハグをかわした。女性は政治ネタをメインにするコメディアンらしい。

ドギツい言葉が交わされる強烈な風刺を前にしても、人々は大して気にする様子もなくベンチに腰掛けてくつろいでいる。みんなわかっているのだ。これが、アメリカ随一の自由を標榜するニューヨークの日常だということを。

ニューヨークに来てから、一度も差別されたと感じたことはない。けれどそれは差別がニューヨークには存在しないという意味ではない。この街では、マイノリティが声を上げる光景を毎日のように目にする。そして、それはデモという形に限らず、時にアートとして、時にエンターテインメントとして、現れる。このニューヨークの空気感に励まされる人は多いと思う。ゲイのカップルが日中、街中や公園や地下鉄で手を繋いだりキスをしたりしさて幸せそうに歩いている姿をよく見る。誰だって、好きな人と日の当たる場所を堂々と歩きたい。彼らの笑顔を見る度に、ニューヨークに来て良かったと思う。

ただ今日は大統領選挙当日。ワシントンスクエアはいつも以上にパワフルだった。

ベンチの一角には、柔和な笑顔を浮かべた2人の男性が座っていた。そこに置かれたホワイトボードには、「I’m Jewish, Ask me anything…(私はユダヤ人です。なんでも聞いて)」。

カメラの前で、ユダヤ人についてなんでも話そうという機会を設けているのだ。公開収録だ。相互理解を進めようという試み。これぞニューヨーク!と感動していたら、知らない男が突然近づいてきてマリファナを勧めてきた。これもニューヨーク!

ニューヨークでマリファナの娯楽使用は2021年に合法化されたけど、私は日本人だから日本の法に抵触してしまう。国外であろうと日本人であれば「国外犯」という犯罪が成立してしまうのはあまり知られていない。でも初めて間近で見るマリファナがめずらしくて凝視していると、男は言った。

「上物だよ」

吟味していると思われたらしい。ちなみにニューヨークでは、日本でいうところの蚊取り線香か?というくらい、そこら中に漂うおなじみの匂いだ。甘ったるくて青臭い独特な香り。

そんなことより気になるのは公開収録。だって勇気がいることだと思う。特に今は、イスラエルと、イスラム主義組織ハマスが戦争中。ガザ地区の犠牲者は増え続けていて、ニューヨークでもイスラエルに対する抗議デモは頻繁に行われている。彼らがユダヤ系アメリカ人であろうと、イスラエルのことを聞かれることもあるだろう。怒りの矛先を彼らに向ける人もいるかもしれない。カメラの前で「なんでも聞いてください」という、この開かれた空間に感動する。そして、彼らと話したい人が入れ替わり立ち替わり席につく。

そこに1人の男性が近づいてきた。アゴひげは乱雑に伸びて、ボロボロになった布を上半身にまとっている。靴は、履き古して甲の部分の生地がなくなり、素足が丸見えになっていた。ホームレスと思われる彼の姿を認めると、すかさずユダヤ人の男性は「あなたも聞きたいことあるんじゃない?」と問いかけた。

ニューヨークといえば高級ブランドが立ち並ぶ5番街や、雲に届きそうな摩天楼を想像する人が多いかもしれないけれど、たくさんのホームレスがいる街でもある。特にコロナ禍以降はさらに増えて、マンハッタンの廃業した高級ホテルがホームレスのシェルターに活用されたりしている。地下鉄の車内でも座席に横になって眠っているホームレスを頻繁に見る。

ちなみに、こちらの地下鉄の改札は駅員不在がほとんどで、しかも下車するときは切符チェックがないので、無賃乗車は日常茶飯事。乗れさえすればこっちのものってな感じで、改札を大胆にまたいで超えていく人もいるし、緊急用ドア(中からしか開けられない)の前で誰かが開けてくれることを待っている人もいる。そして、本当に誰かがドアを開ける。褒められたことではないかもしれないけれど、目の前の知らない誰かを助けるのがニューヨークという街だ。

なんてことを考えていたら、ふとユダヤ人の2人と目が合った。「あなた、次どう?」と、なんと公開収録に呼ばれてしまったのだ。

マイクの扱いだけは慣れているのに、突然のことで気が動転。
口から出たのはこれだった。
「……なぜ、もみあげを伸ばしてくるくる巻いているんですか?」
言い終わった途端、冷や汗が。ものすごくセンシティブなことを聞いてしまったのではないか。熟考せずに、失礼なことを口走ってしまったのではないかと思ったのだ。しかしその直後、2人はゲラゲラ笑ってこう言った。
「いい質問だね!!」
池上さんからももらったことのない「いい質問ですね」をユダヤ人からいただくとは。

私が聞いた「もみあげ」というのは、「ハシディック」と言われる超正統派ユダヤ教徒の髪型のこと。ニューヨークのブルックリンには彼らのコミュニティがあり、マンハッタンでもその特徴的な姿をよく見かける。黒の長いロングコートに黒のパンツ、豊かなアゴひげ、頭にはキッパと呼ばれる小さな帽子を被る。そして何より目を引くのが、彼らの伸ばしてカールさせたもみあげなのだ。2人によれば、ユダヤ教の聖典には「頭の側面の髪を刈ってはならない」という規定があるとのこと。必ずしも巻く必要はないけども、コミュニティのシンボルらしい。

「今日は大統領選挙当日ですが、どんな気持ちですか?」と聞いた。彼は答えた。
「どちらが勝つにしても、暴力的なことが起きなければいいなと思ってるよ」

2021年1月6日に起きたアメリカ連邦議会襲撃のことを言っているんだと思った。前回の選挙結果を受け入れなかったトランプ氏が支持者を煽動して、議会を襲撃。警察官を含む5人の死者が出た。「民主主義が暴力によって脅かされた」事件だと言われているけれど、襲撃したトランプ支持者は「民主主義を守るための正義の行動だった」と信じている。

実は私の叔祖母(祖母の妹)は国際結婚をしていて、現在はインディアナ州に住んでいる。孫は5人、その孫たちも全員結婚して子宝に恵まれて、郊外に家を構えて、家族と幸せに暮らしている。2015年、その家に遊びに行ったときは、生まれて初めて銃を撃つという経験をした。叔祖母の娘さん(父のいとこ)が射撃場に連れて行ってくれたのだ。いざというときにちゃんと家族を守れるように、定期的に銃を撃つ練習をするらしい。彼女の義理の息子さんが狩猟で捕えた鹿肉で作ったソーセージも振る舞ってくれた。ちょうどハロウインの季節で、当時はまったく英語が話せなかった私をパーティーに参加できるように手配してくれて、地元の若者と一緒に仮装をした。初対面の、肌の色も言語も違う若者と夜中までゲームをしたりして楽しんだ。私のために毎日時間を割き、手厚くもてなしてくれた。その娘さんの声色が変わったのは、翌年開かれる大統領選挙の民主党候補になったヒラリー・クリントンについて話したときだった。

「ヒラリーはとにかく偉そうで好きじゃない」

そして2022年、日本で再会したときは「アメリカの3大ネットワーク(NBC、ABC、 CBS)は嘘ばかり、信じられない」と怒っていた。

共和党支持者について報道されるときに、暴力的な側面が強調されることもあるけれど、家族をとても大切にして「伝統的な暮らし」をしている彼女の顔がいつも頭に浮かぶ。

彼女が住んでいるインディアナ州は共和党支持州だけど、一方でニューヨークは民主党支持州だ。ニューヨークに住む友人たちは選挙前からこう言っていた。

「支持率は拮抗しているけど、隠れトランプ(支持者)は侮れない。ニューヨークにも結構いるんだよ」

隠れトランプ? 隠れミッキーみたいな語感。だけど実態がいまいちつかめなかった。でも、この後、たまたま会ったのだ、隠れトランプに。

ワシントンスクエアを後にして、地下鉄でロックフェラーセンターに移動した頃には、日はどっぷりと暮れていた。ロックフェラーセンターは、クリスマスシーズンになると20メートルを超える絢爛豪華なツリーが飾られることで有名な、ニューヨークを代表する観光スポットだ。その巨大ツリーが飾られる広場には、今日は巨大スクリーンが設置されて、NBCの開票速報をみんなで見守る空間になっていた。まぶしい電飾灯にアメリカ国旗がはためいている。

夜7時。開票速報が始まった。ハリス優勢の速報が流れると、集まった群衆から歓喜の声が上がる。トランプ優勢速報では重苦しい空気が流れる中、近くにいた紺のブレザーを着た白人青年の手が小さく動いた気がした。
あれ? 今拍手しなかった?
横目で彼を観察していると、友達に写真を撮ってもらうときだけ、トランプのバッジを胸元につけて、すぐさまポケットにしまっている。間違いない。隠れトランプだ。
「Can I ask you? You support Trump, right?(少し聞いてもいいですか? トランプ氏支持なんですね?)」
彼はすんなり答えてくれた。
「はい、そうです。4年前に比べて明らかに、インフレがひどくなりました。ハリスは民主党政権にいたのに。もう民主党にはまかせておけないんです」
巨大スクリーンの音が大きすぎて、声がかき消される。

彼は18歳だという。今回が初めての選挙だ。
バッジを隠すんですね?と聞いたら、わかるでしょ?という感じで苦笑いを浮かべた。そして彼は別れ際にはっきりこう言った。
「Thank you for asking.」
隠れトランプというくらいだから、みんな話したくないのかと思っていた。でも彼は話を聞いて欲しかったんだ。

こういう1つひとつの民意によって、トランプ氏は次期大統領になろうとしている。前回のトランプ政権下、ニューヨークでもアジアンヘイトが加速したという。トランプ氏がコロナをチャイナウイルスと連呼したからだとも言われる。日本人の友人は、差別的な視線を感じて街を歩くのも怖かったと話していた。でもこの事象も、きっと人によって、見え方が違うんだろうな。

私もこれから初めての差別をニューヨークで経験するのかもしれない。そのときは、この連載でも報告するし、ワシントンスクエアに行って、街ゆく人々に聞こうと思う。
「I’m Japanese. Ask me anything.(私は日本人です。なんでも聞いて)」

著者プロフィール
大橋未歩

1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。