ニューヨークの林檎をむいて食べたい

この連載について

「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。

ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。

第3回

英語が話せない

2023年12月28日掲載

移住すると告げたとき、ほぼ全員から英語のことを聞かれたけれど、私はほとんど話せない。思えば英語というのは、もうその話題が出ただけで自分を二回りほど萎縮させる呪いに近い気がする。

海外旅行では、でたらめな英語でだましだましやり過ごしてきた。フィリピンでアロママッサージを受けたときは、英語がわからず脱がなくてもいい下着まで脱いで、ホスピタリティ溢れるフィリピン人の女性マッサージ師に怪訝な顔をされた。やっぱりやり過ごせてはいない。

けれど、悔いとして決定的に刻印されたのはブラッド・ピットにインタビューさせてもらったときかもしれない。映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の宣伝で来日していたブラピ。各社持ち時間は7分ほどで、時計の針は、スターが部屋に入った瞬間から動き出す。挨拶をしてマイクをつけて座るという一連の流れの間にも、刻一刻と時は過ぎてゆく。

いざ始まるも、私のように日本語でインタビューする場合は、通訳者に入ってもらうので、実質4分ほどになる。もちろん目の前にブラッド・ピットがいるという現実に慣れるのにまず1分はかかるから、もうわけもわからず夢の時間は終わってしまう。

私は事前に観ていたこの映画にいたく感動して、号泣をとおりこして嗚咽してしまい映画館で座席からしばらく立ち上がることができなかったのだが、その思いの100分の1も伝えられなかった。本人が目の前にいるというのに。

『ベンジャミン・バトン』は、私にとっては、人と人との出逢いは奇跡で、だからこそ共に過ごす、この一瞬がかけがえのないものだということを、あたたかな幸福感とともに手渡してくる映画だ。出会っては逃れられない別れさえも丸ごと祝福してもらった気がして、ああ生まれてきて良かったと、涙が止まらなくなった。公共の場であれほど泣いてしまった記憶はほかにない。

以来、ブラッド・ピットをメディアなどで目にするたびに、この熱を言葉に乗せて伝えたかったと、胸の奥がうずく。

さらに言えば、私が男の子と初めて映画デートをしたときに観たのが『セブン』で、このチョイスは人生最大のミスでした、おかげで彼とは上手くいかなかった、などとユーモア(というか全部事実)の1つも言いたかった。こちらも監督はデヴィッド・フィンチャーで主演もブラピ。映像は痺れるくらいかっこよくて、ストーリーは無慈悲極まりない。その救いようのない残酷さが、今まで観てきたどの物語とも違っていて圧倒されたし、脚本が美しく秀逸で大好きな作品だ。ただ今なら、これから愛を育もうとしている二人が観る映画の類では決してないよと17歳の自分に言ってあげられると思う。

でも、そんな高度なスモールトークができるような英語力はなかった。中高6年間勉強して、大学受験で浪人もして、これだけ英語を学び続けているのに、なぜ話せないんだろう。

まず語学学校に行ってみることにした。ニューヨークに語学学校は無数にある。ネット検索窓に「ニューヨーク 語学学校」と入れると、ニューヨーク留学センターが語学学校一覧をまとめて、すべて日本語で紹介してくれている。

血眼になって最初にチェックしたのが「入学金」。各学校が提示するプログラムは多岐に渡るので、各々の授業料を比較していると途方に暮れてしまう。でも入学金ならその学校の授業料の目安としてわかりやすい。まず入学金が安い学校からフィルターにかけてゆく。

第2段階のふるいとして、ESTA(アメリカ入国に必須の短期渡航認証システム)で入国している私でも授業を受けられるかどうか。当時はまだビザが降りてなくて(12月にO-1というアーティストビザを取得)、私はESTAでアメリカにいるから、短期旅行者と同じ。学校によっては、学生ビザを持っている生徒しか入学できない学校もある。

さらに短期入学も可能かどうか。11月頭には一旦日本の仕事で帰国しなければいけなかったので、授業を受けられるのは7週間。短期でも入学できるようなフレックスタイム制の学校となるとまたさらに絞られる。このような条件をクリアした上で、さまざまな口コミを読んで、とあるスクールを選んだ。入学金が$100で他の学校と比べて妥当であったことや、学校の規模も大きすぎずアットホームな感じが伝わってきたのでここにしてみた。それでも、実際に自分に合うか試したかったので、まず1週間だけ申し込んで、相性が良ければ延長しよう。スクールのHPは語学学校というだけあって、日本語表示も選択できたので安心だった。

分校もあって場所を選べるらしい。セントラルパークにほど近いマンハッタン本校という選択肢もあったが、私は郊外にあるジャクソンハイツ校を選んだ。ジャクソンハイツという街は、ニューヨークにある5つの行政区(マンハッタン、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズ、スタテンアイランド)で最大面積のクイーンズにある。人種のるつぼと言われるニューヨークの中でも、最も移民が多い地区だ。ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマンが『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』を撮っているのにも惹かれた。167か国語が話されていると言われているジャクソンハイツは、ニューヨークがニューヨークであるために、なくてはならない街らしい。

クラス分けテストを受けるために、初めてジャクソンハイツに向かう。日本で言うと東京駅のような、郊外へのハブとなっているグランドセントラル駅で降りて、7番線に乗り換える。7番線のホームは地下に2階ほど潜った場所にあった。ホームに着くと、空気はもわっと生暖かい。アーチ状の天井壁の塗装はひび割れていて、その隙間からは雨水が漏れたのか、壁面の丸みに沿って地図のように黒い染みをうかべている。なんというか、まるで洞窟みたいだ。

私はニューヨークの洞窟の、なるべく中央部分をそろりそろりと歩いた。なぜ中央かと言えば、線路に突き落とされないためだ。

とても残念なことだけど、パンデミックのときは、アジアンヘイトが横行して、アジア人をホームから線路に突き落とすという信じられない暴力が流行った。パンデミックの終息とともに、アジアンヘイトはおさまったのか、ただ私が周囲の人のスラングに気づいていないだけなのか、差別のようなものにはまだ一切遭遇していない。でも、長くニューヨークに住む人からは「駅のホームは中央を歩くように」とアドバイスをもらっていた。

同じホームでは、南米系の女性たちが、使い古した一枚布で包んだ乳飲子を背負いながらスナックやフルーツを売っている。買っている人を見たことがないけど、彼女たちはどうやって暮らしているんだろう……と考えていたら、錆びついた車輪のヒステリックな金属音が背中に響いた。振り返ると、業務用ステンレスキッチンのような車体がホームに入ってきた。

初めて7番線に乗り込む。発車して数分後、急に太陽の光が車内に射し込んできた。7番線は、地下鉄ではあるけど、イーストリバーの川底トンネルを抜けたら地上を走る。カーブにさしかかる度に悲鳴を上げるブレーキ音で体を揺らしながら、遠のいていくマンハッタンの高層ビル群を見送る。するとだんだんと建造物は低層に変わり、住宅街に変わり、住宅の外観が変化してゆく。壁という壁にグラフィックアートが殴り書きされて、子どもが針金で工作したようなアンテナが屋上から剥き出しになっている。

グランドセントラル駅から約25分。ジャクソンハイツ、「82st JacksonHeights」駅に着いた。降り立つと、そこは独特な熱気を帯びていた。排気ガスとスパイシーな香りがむんわりと鼻を刺激する。駅の真下は交差点になっていて、その角には露店が並んでアボカドやオレンジなどが売られている。と思ったら、黒いSUVが露店の前で停まった。ドライバーは窓を開けて店主と二言ほど言葉を交わすと、窓越しにドル札を渡して袋いっぱいのオレンジを受け取り去っていった。交差点ど真ん中露店ドライブスルー。日本ならありえない光景だ。

頭上には鉄骨や木材が剥き出しになった高架橋が走っている。そこに巣食うおびただしい数の鳩が露店のすぐ脇に落としたフンは、白いペンキをぶちまけたみたいだ。Googleで学校の場所を探そうとスマホを覗き込むも、四方八方から飛び込んでくるクラクションの狂音で集中できない。けたたましい音には、日々の暮らしを生きる切実さと、それでも生きてやるという叫びが共鳴している。

やっぱり、ジャクソンハイツ校を選んでよかったと思った。白線が半分消えかかっている横断歩道を渡って人をかき分けて進むと、その学校があった。

受付の女性に話しかける。頭の中で作っていた構文が、目が合った瞬間に吹き飛んだ。

「アイアイアイハブアリザベーションフォーテスト」

声が震えてるやないか! 語学学校だから話せなくて当たり前なのに、なんでこんなに緊張しちゃうんだろう!

すると、事務的に受付用紙とテスト用紙を渡され、空いている部屋に案内されたが、ヒスパニック訛りでほとんど聞き取れない。そのままあっという間にその女性が去って部屋にポツンと一人残されたから、おそらくこのテストを始めろということだろう。

テスト内容は、文法や語彙力の問題の他に「故郷のすばらしいところ」というテーマで作文を書くという設問があった。私は「故郷の東京には安くておいしいラーメンがある」と書いた。

ニューヨークに来て痛感したが、MANGAとRAMENの威力はすごい。日本が世界に誇る共通言語だ。RAMENの力を借りれば、先生も「Oh,I see!」などと言って、少しばかり点数に影響するのではと思ったのだ。姑息である。

実家のある神戸については書かなかった。いや、書けなかった。瀬戸内海の暖かく穏やかな海と、源平合戦が繰り広げられた深い山々に囲まれた神戸市の須磨で生まれて上京するまでの18年。淡路島近海で獲れた新鮮な魚介類や但馬牛が並ぶ豊かな食卓。家の裏手には登山口があって、子どもの頃はおじいちゃんが登山に連れて行ってくれて、喜寿を迎えた父親と、料理が上手い母がいて……。でも、そんなことは絶対に書けない。須磨について綴っているうちに万が一でも感傷的になったりしたら、あっという間になにかに飲み込まれて、もう二度と鉛筆が前に進む気がしなかった。そうなるのが怖かった。

今はそのときじゃない。今は、ただ前に進むとき。心の元栓をしっかり閉めて、テストを終えた。

結果発表の日、20代後半くらいの白シャツをパリッと着た先生に呼ばれると、「Advanced」という上から2番目のクラスに入ることを告げられた。

「このクラスは少しチャレンジングかもしれないですけど、やってみましょう」。

血液が沸き立つような感覚。今までの人生でチャレンジングなことを選択するのはいつも自分のほうで、それを大人がなだめすかしたり、失敗を避けるために保険をかけることを教えられてきた。それが教師という立場の大人からチャレンジをすすめてくれるなんて。

待ちに待った初日、授業開始10分前には教室に着いて1番前の席を陣取る。私は「1番の前の席に座るとにかく声が大きいやつ」という人物像を自分に設定した。恥ずかしがらずに、声を出していくんだ。自分に誓う。そして意気揚々と配られた教科書を開く。テーマは「AI の未来について」。ん? AIの未来? なんか、テーマ難しくない? すると、開始早々、先生が「AIです。みなさんどんな印象がありますか? そうね、ダリアンどう思う?」。

指された一人の女性が流暢な英語で話し始めた。

「AIにはメリット、デメリット両面があると思います。AIに頼れば、もちろん便利なのですが、利便性に慣れてしまうことに少し葛藤があります」

えーーー!

待って、英語ぺっらぺらじゃん! 話違うじゃん! ここ語学学校だよね⁉

私は先生と目が会わないように、すぐさま下を向いた。

著者プロフィール
大橋未歩

1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。