ニューヨークの林檎をむいて食べたい

この連載について

「キラキラじゃないニューヨークが読みたい」
そう言ってくださった大和書房編集部の藤沢さん。それなら私も嘘をつかなくていいやと胸をなでおろし、連載を始めることにしました。

ニューヨークに移住するからといって全員がキラキラするわけではない。
でも住んでみたいから住んでみた。
そんな人生があってもいいじゃないかという、根拠は特にない自己肯定の日々を綴りました。

第10回

こんなに違うアメリカと日本の働き方

2024年12月27日掲載

年内最後の『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』。晴れて迎えた10回目。今回はまずビザのお話から。

ビザがおりてNYの家に着いたら、夫からのサプライズプレゼントが。
前から私が欲しがっていた個性的な花瓶とシュトーレン

よく「何ビザで滞在しているの?」と聞かれるが、私のビザはO-1ビザというもの。日本では通称アーティストビザと言われていて「特定の分野で優れた才能を持っていること」が条件らしい。「優れた才能」なんて言われたら、一瞬で怖気づいてしまうが、これまでの仕事内容がメディアに掲載されていたり、専門家からの推薦状や、受賞歴がものを言うとのこと。仕事での受賞歴は思い当たらないけれど、ありがたいことにメディアには掲載されている。まわりには素晴らしい専門家の皆様もいる。なんとかなるかも。数ヶ月かけて、それらの証拠書類を集めた。

シュトーレン、ペース間違えてクリスマス来る前に完食(苦笑)

私はオリンピック放送のメインキャスターを3回務めていたので、この実績をとてつもなく強調しながら資料を作らせていただいた。過度な謙遜は信頼されないから、自分が”メイン”キャスターであったことも、3回の経験があることもしっかりと記す。もちろん、いまだに数多くのファンがいるテレ東 伝説の深夜番組『やりすぎコージー』なども資料に入れたけど、英訳が難しくて『Yarisugi Cozy』などと適当に訳す。やむを得まい。

蛇足だけれど、番組タイトルのコージーは何に由来するのかというと、今田耕司さん、東野幸治さん、千原ジュニアさん(本名 千原浩史)というレギュラー陣のお名前にコウジが多かったから。ちなみにCozyは和訳すると「居心地が良い」「快適な」という意味だから、番組内容と真逆になってしまったけれど、アメリカ移民局は知る由もない。

花瓶を門松っぽく飾ってみた

そして、去年末にようやくビザが発給されたのだが、弁護士から聞いていた予定から大幅に遅れての取得だった。実は、アメリカで不測の事態が起きて、なかなかビザが降りなかったのだ。その理由は、ハリウッドで起きた大規模なストライキだった。

2023年7月から、アメリカの俳優やパフォーマー、メディア関係者を代表する労働組合SAG-AFTRA(Screen Actors Guild-American Federation of Television and Radio Artists)が、ストリーミングサービス(Netflix、Amazon Primeなど)における公正な報酬、AIを用いた脚本作成や、俳優の顔や声のデジタル再現に関する規則の整備などを求めて、ストライキに突入した。

つまりざっくり言うと、コンテンツがサブスクで何度もリピート再生されているはずなのに、それが制作者の報酬に反映されないのは不当だという主張、そして、これまで人間が作ってきたコンテンツを学習してAIが新たなコンテンツを生み出したにもかかわらず、AIが進化したからと言って、元ネタ提供者の人間がお払い箱になるようなことはあってはならないですよね、という主張だ。

スト中は名だたるハリウッド俳優も活動をしなかった。例えば2023年に公開された映画『バービー』主演俳優のマーゴット・ロビーは、宣伝のために来日するはずだったけれど、ストのためにプロモーション活動が制限され、中止となった。彼女自身も組合会員でストライキ支持を表明している。それでも『バービー』は、ワーナー・ブラザース史上最高の興行収入を達成したそうで、さすがとしか言いようがないが、こんな大作映画の主演俳優までもがストライキをすれば、その影響力はさぞかし大きかったのだろう。

ほどなく、ストライキは終結。SAG-AFTRAは主要なスタジオや配信サービスとの交渉で一部の要求を勝ち取って、賃金の引き上げ、ストリーミングサービスからの収益分配の改善、AIの使用に関する制限や同意の取得などで暫定合意したのだ。

さて、なぜこのストライキと私のビザが関連しているのかと言うと、私は主に映像関係者だから、このSAG-AFTRAに、私の映像実績が正当であるかどうか確認してもらって、お墨付きをもらわないといけないのだ。でも、この期間の活動は全てストップしているから、承認がなかなかもらえなかった。

正直、当時は、ヤキモキしていた。9月頃にビザが降りる算段だったから、8月下旬からマンハッタンで家もすでに借りていたのだ。言うまでもないけど、家賃は血の気が引くほど高い。ニューヨークで室内に洗濯機と乾燥機を置ける部屋を借りようと思ったら、家賃は最低$4000(ひと月)が相場じゃないかと思う。それ以下になると、アパートメント共用の洗濯機か、近くのコインランドリーに行くしかない。もちろん$4000以下のアパートメントなら、エレベーターがないことも多い。

なぜそこまでして住みたいのか、疑問に思われるかもしれないけれど、ただ「住んでみたかった」この単純な衝動を抑えられないタイプの人間らしい。自分が知らないことを、情報だけではなくて、肌で感じるのが病的に好きなのだ。

そして、その困った症状をちゃんと満たしてくれる体験が、次から次へとお目見えする。最近は、アメリカに住む人の「権利に対して声をあげる」慣習について考えることが多くなった。

実は、アメリカで本格的に仕事をするためにキャスティングサイトに登録を始めた。キャスティングサイトとは、映画、テレビ、コマーシャル、舞台などのエンターテインメント関連の仕事を、オファー側とタレント側でマッチングさせるオンラインのプラットフォームだ。

日本では芸能事務所に所属していて、ありがたいことに、名指しオファーが事務所に届き、仕事をさせていただいていた。でもアメリカではエンタメ活動ビカビカのいぶし銀1年生。当たり前すぎる事実だが、この異国の地では、私はアジア人の1人でしかない。だからタレント事務所にも所属していないし、プロフィールページも1から自分で作成する。でもその作業も発見の連続で、休むことなく飢えた好奇心をくすぐってくる。

日本のエンタメ業界との違いが実に面白いのだ。まず年齢記入欄に、実年齢を書く必要はない。なんと、年齢は自分で決められる。自分の外見から違和感のない年齢幅か、仕事で勝負したい年齢幅を記入できるのだ。するとこの年齢幅に合ったオーディション情報が送られてくる。

以前、母が「70歳過ぎたら年齢は自分で決めていいでしょ🎵」とご機嫌に言い放っていたのを思い出す。その世界が今、現実に目の前に広がっている。なんと勇気づけられることだろう。もちろん若さが正義なんてことはない。自分が自分を表現したい年齢を記入すればいいのだ。

最も興味深いのがWillingnessという項目。プライバシーやインティマシーなどにかかわるセンシティブなシーンについて事前に意思確認をされるのだが、これがまた日本のテレビを20年やってきた身からすると新鮮なのだ。キスシーンやヌードシーンをやる意思があるかどうかを聞かれるのは、今や日本でも常識だと思う。でもここでは「肉を食べるか」や、キスはキスでも「同性とのキスシーン」をやる意思があるかどうかも細かく確認される。

確かに移住して気づいたが、アメリカでは想像していた以上にビーガン志向の人は多い。友達とご飯に行くにも、まず宗教を察して、次にビーガンかを確認しないことにはお店を決めにくいくらい。「同性とのキスシーン」についても考えを巡らせてみる。性的志向によっては、異性とするキスと同性とするキスでは、その重みや心の負担は違ってくるかもしれないなと想像する。こんなふうに、自分が培ってきた思考回路では及ばなかった選択肢に直面する度に心が躍る。

プロフィールを整えたら、求人情報が送られてきて、オーディションに応募する。そして、これは特筆すべきことだけど、ほとんどのオファーが、仕事内容と一緒に、労働時間とギャランティーが明記されているのだ。これにはとても安心する。エンターテインメントの世界は質を追い求めれば、無限に追求できてしまうから、立場の弱いものが労働時間や報酬を搾取されるのはざらにあることだ。

ニューヨークで出会った友人の中に、文化庁新進芸術家海外研修制度で留学に来ている俳優の橋本菜摘さんがいる。彼女は、日本でロングラン公演されているミュージカル『ハリー・ポッターと呪いの子』で初代ローズ役を務めたプロフェッショナルだ。にもかかわらず、契約内容が具体的に決まったのは、公演が始まってからだいぶ後のことだったそう。日本の演劇界では、やりがいと、生活の保証の間には、大きな乖離がある。権利を主張すること自体がとても難しい。

ふと、先のハリウッドの大規模ストライキのことを思う。この労働環境というのは、先人たちが団結して主張して勝ち取ってきた結晶であって、その重さを、アメリカでエンタメ業界1年生になったことで思い知る。ビザ承認を待っていたとき、ヤキモキの種だったストライキの恩恵を、今こうして実感することになろうとは。日本はというと、ストライキ権を持つ俳優の労働組合はまだ存在していない。

1年暮らして改めて思うのは、日本人の協調性は世界でも類を見ないということ。この国民性は、拡散される動画や日本に足を運んだ人たちから着実に知れ渡っていて、ニューヨークで会う多くの人々の温度から、日本人は本当に尊敬されていると感じる。だからこそ、この美点が逆手に取られるようなことがあってはならないと思う。

私たちは子どもの頃から周囲に迷惑をかけないように教わってきた。だから、何かの理不尽を感じたとしても、いわゆるしがらみに頭を悩ませてしまう。声をあげることによって、身近な誰かに迷惑をかけてしまうんじゃないかと萎縮してしまう。自分を表現することが美徳とされるアメリカと違うのは当たり前だ。でも、日本のエンタメ業界は、このままで良いわけがない。

自分の好奇心を喜ばせるだけじゃなくて、この経験を未来にどう生かしていけるんだろうと手探りの1年ではあったけど、こうして読んでくださる方がいるのが励みでもあるし、この四苦八苦が自分の血肉となっていると信じたい。

それを自分に証明するためにもまず、

オーディション通りたい!!!!

それでは良いお年を。

街のあちこちにある大聖堂。この時期はミサもよく行われている
著者プロフィール
大橋未歩

1978年兵庫県生まれ。
2002年テレビ東京入社。スポーツ、バラエティー、情報番組を中心に多くのレギュラー番組で活躍する。
2013年1月脳梗塞を発症し、休職。療養期間を経て同年9月に復帰する。
2017年12月テレビ東京退社しフリーアナウンサーとして活動を始める。
2023年アメリカ・ニューヨークに住まいを移し日米を行き来しながらテレビやイベントなどを中心に活動する。