30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。
革命前夜
人生で一度だけ、正真正銘のワンナイトラブをしたことがある。
知り合ったその日にそうなって、翌朝別れたきり一度も会っていない。どこで何をしているかも知らない。知りようがない。連絡先はもちろんのこと、ソーシャルメディアのアカウントも交換しなかった。フルネームも聞かなかった。
ファーストネームは覚えている。ソンフンだ。会った経緯からして偽名ではなかったと思う。でも、すでに記憶が薄れかけているから、全然こんな名前ではなかった可能性もある。私は記憶力がかなり悪い。覚えておきたいことはインターネットに書いておけばいいと思っているから、インターネットに書いてないことや、インターネットでつながらなかった相手のことはすぐに忘れてしまう。2年半経って、これは書いておこうと思った。
彼の第一声は「“セビーチェ”ですよ」だった。
2022年7月13日の夕方。私はひとり、パリ11区のオイスターバー「Clamato」にいた。当時の私はロンドンの大学院に留学しており、課程の締めくくりである修士論文の執筆に追われていた。執筆の合間の息抜き旅行の行き先に選んだのが、パリというわけだ。イギリスとフランスは別の国であるうえ、あいだにドーバー海峡が横たわっているので、日本人の感覚からするとなかなかの大移動だ。しかし、実際の所要時間は1時間18分。海底トンネルを弾丸で突っ走る高速鉄道・ユーロスターのおかげで、東京-名古屋間よりも短時間で旅行できてしまうのだ。
パリを訪れたのはこれが三回目。Twitterで知り合ったパリ在住の友人ユカと対面したいというのも大きな目的だったけれど、もう一つ、論文執筆が終わってからではなく、佳境である7月のうちにパリを訪れなければ達成できない目的があった。それが、バル・デ・ポンピエ(消防士のダンスパーティー)だ。聞いたことがない人が大半だろう。私がこの言葉を知ったのもつい最近のことだ。フランス人監督ジュリア・デュクルノーが手がけ、その年のカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した映画『TITANE/チタン』をロンドンで観に行ったところ、ポンピエ=消防士たちが消防署のなかでダンスパーティーに興じるというシーンがあったのだ。仕事場でどんちゃん騒ぎをするというのが、日本人の感覚だと(おそらくイギリス人やドイツ人の感覚でも)かなりありえない光景で目を奪われたのと、ヘビーなフェミニズム映画である本作のなかで、男性性の象徴として戯画化されたポンピエたちの存在がむしょうに心に残った。
調べるとさすがに、消防署パーティーは日常的に行われているわけではなかった。フランス革命記念日の前夜は、各地でお祭り騒ぎが起きる。治安がいつでも乱れる可能性があるその夜、いつでも出動できるようにパーティーに出かけることを禁じられたポンピエたちが、徐々に消防署でパーティーを主催する流れができたらしい。フランス革命記念日は7月14日。つまり前夜の13日が、バル・デ・ポンピエの開催日なのだった。
狙いすました日程でパリにやってきたのだけれど、単独でバル・デ・ポンピエに乗り込む勇気はなかった。フランス語ができて土地勘があるユカとそのパートナーを誘って一緒に行ってもらうつもりだったのだ。しかし。現地で会ったユカにバル・デ・ポンピエの話を振ってみたところ、今日はユカとパートナーの交際記念日であり、記念ディナーの約束があるので難しい、明日の朝行われる航空ショーなら一緒に見られるんだけど、と申しわけなさそうに言われてしまった。会う約束をしているし夜も空いているだろうと思い、事前に相談していなかった自分が悪い。ユカとは朝にチュイルリー公園で待ち合わせる約束をして、私も夕ご飯を食べにいくことに。暑いしさっぱりしたものが食べたいなあ、牡蠣とか。ユカに聞いたところ、おすすめされたのが「Clamato」だった。
「セビーチェですよ」
声をかけてきたのは、カウンターで左隣に座った男性だった。正確には“It’s ‘ceviche’”というような英語だ。私はそのとき、ステンレスの丸皿にうやうやしく鎮座した半ダースの牡蠣たちをスマホで撮影し、その写真をTwitterにあげようとしているところだった。手持ちのSIMでは接続が悪く四苦八苦して、店のwifi情報をきょろきょろ探していたところ、彼が案内板を指さし、教えてくれたのだ。セビーチェは酸味とスパイスが効いた魚介マリネの料理名で、Clamatoでは、牡蠣にならぶ名物料理としてメニューでフィーチャーされていた。彼が教えてくれたとおりに打ち込むと、永遠にも思えたTwitterのローディングは止まり、世界に安寧が訪れた。私はお礼を言って、6個23ユーロの牡蠣に真っすぐ視線をそそいだ。
ふたりの関わりはそこで終了してもおかしくなかったはずだけど、会話を続けたのはどうしてだったろうか? 記憶はすでに曖昧だ。うどんのようにつるっと喉を通ってしまった牡蠣が一瞬でなくなり、手持ち無沙汰になったからか。一人だと注文しかねていたセビーチェをシェアして食べたかったからか。私のほうが、あれこれ質問しようという気になったのだとは思う。彼があきらかに観光客の雰囲気を醸し出していたから。地元の人に話しかけるのは少し怖い。旅の最中、むやみにおせっかいをしてくる男性をあまり信用しないほうがいいというのも、これまでの海外旅行経験で学んでいた。彼はセビーチェですよと言ったきり、とくに私に興味があるそぶりを見せなかったので、逆に好感が持てた。
アイアムリサ アイムアンインターナショナルステューデントインロンドン、スタディングメディアスタディーズ。
ずっと部屋にこもって日本語のTwitterばかり見ているから大して上達していない英語でたどたどしく自己紹介すると、彼も、アイムソンフンと返してくれた。韓国人の大学生で、現在は休学中。兵役を終えて復学するまで若干時間があり、数ヶ月ヨーロッパを回ることにしたのだという。温和な丸顔にメタルフレームの眼鏡をかけたソンフンは、率直に言って、地元民のトレンドスポットをディグするタイプの観光客には見えなかったが、この店のことはおしゃれ韓国人トラベラーのVlogを見て知ったのだという。自身も今回の旅でVlogを作りたいんだと、自撮り棒をつけたスマートフォンをかざした。なるほど。さほどディグらずとも動画で最新情報を得られる世代。聞けば24歳。私は32歳だよ〜と答えると「えっ」と目を剥いて絶句された。リアクションの端々から見える素直さに、やっぱりいい人なんだろうなと思った。ねえ、バル・デ・ポンピエって知ってる?
ソンフンは、ぜひ一緒に行きたいと快諾してくれた。明日はパリ在住の友人との約束があるが、今日この後は予定がないのでオールナイトでも大丈夫だという。バル・デ・ポンピエは、パリ各地の消防署で開催される。私は10区、ソンフンは9区に宿をとっていた。Google Mapで検索し、パリ1区、レアルの消防署のパーティーが、規模もありそうだし、帰りやすいのではないかという話になった。地下鉄に乗り、レアルに向かった。
行ってみると、予想以上の人気イベントだった。セキュリティチェックはあるけれど、入場料はカンパ制だし、クラブにありがちな入場コードはないから(なにせ消防署なので)、老若男女が押し寄せている。なんと、外で3時間待った。近隣の店が屋台を出していたほどだ。むしむしした夏の闇のなか、私たちは、好きな音楽を聴かせあったり、MBTI診断をしたりして、待った。ソンフンは“建築家”だった。
待ちに待って入場したバル・デ・ポンピエは、一生の思い出になった。どっしりとした煉瓦づくりの建物には、無数の小さなフランス国旗がロープでびっしりと掲げられ、敷地内の広場は、ウララーと陽気に体を揺らしながらハミングしている薄着の人々であふれていた。ビールとワインはボトル単位で売られ、消防士たちはシャツの前をはだけて顔を赤くしている。「アナと雪の女王」主題歌をかけながらDJが「シトワイアーン!(市民諸君)」と観客を煽る場面なんて、後にも先にも、バル・デ・ポンピエでしか遭遇できなかっただろう。人々は一斉に、オ〜〜〜と拳をつきあげていた。どんなに浮かれていても、「東京都民〜!」や「日本人!」なんて煽られたら、一瞬で真顔になる自信があるけれど、「市民諸君!!」には、有無を言わせないパワーがあった。これぞ動員。これぞナショナリズム。私とソンフンも、人々にあわせて拳をあげつつ、甘ったるいロゼパンプルムースをがぶ飲みした。
爆音と人々の体臭、狭い視界と血中アルコールが、いやおうなく精神を昂らせて行くのに対し、反比例してふくらむ寂しさのかたまりがあった。私はパリ市民ではない。私はフランス人でもない。明らかにアジア人でありどう見ても観光客である私たちは、別に排除されていなかったけれど、会場と一体でもなかった。他の人たちはぴったり密着して、ぴったり唱和して、ひとつの生き物として揺れているのに、私たちと彼らの間には、見えない膜があって、どんなに拳を突き出しても突き破ることができない気がした。他の人たちは今日会ったもの同士でもゼロ距離でビズ(頬にキスするフランスの親愛表現)しあってるけど、私たちだけ3センチくらい距離を置かれている感じ。実際、ストレンジャーだしこちらも別にビズされたくない文化圏の人間なので、その雰囲気がこちらから醸し出されているのだろうし、仕方ない。でも、ここは私の街ではないし、やっぱりヨーロッパは私の居場所ではないし、そのことは本当はロンドンでもずっと感じていたし、私にはそこを乗り越えてまでここにいたいという意志がない、野望がない、努力もしていない。日本にさまざまな問題を置きっぱなしにしながらシトワイアン面(づら)しているから、3センチの隙間があるのだ。
むずがゆい気持ちがわいてきて、帰ろうよとソンフンに伝えた。3時間待って、1時間で出た。さすがにちょっと物足りなくて、私のホテルで一緒に飲もうと提案して、結局、セックスまでした。してもしなくてもどちらでもいいし、そもそもコンドームがなかったので、客観的にはしないほうがよかったのだが、した。
限りなく迂闊で限りなく予期しない、客観的にはしないほうがいいセックスだったけれど、思いがけない効果があった。ものすごく安心したし、大変に気持ちよかったのだ。たぶん、過去「めちゃくちゃ好きだけど、交際してすぐ振られた/交際にいたらなかった相手」とした行為と忖度なく良かった。なんらかのレビューサイトがあったら、普通に星5をつけていたことでしょう。気持ち的にではなく、単純に身体的に。
それまで私は、ソーシャルメディアなり文章なり気の利いたコミュニケーションなりで、かなり惚れ込んだ相手と関係を持ったことしかなかった。内面にどっぷりどはまりしているなかでの行為なので、すべてのセックスに対して「したい」と思ってしたし、「微妙だったな」と思うことはなかった。同意していないセックスも、後悔していないセックスも、ひとつも記憶にない。それがある意味では、セックスと恋愛感情の結びつきを強固にし、恋愛から受ける呪いを強化していたように思う。好きな相手から、性的に欲望されないと惨めな気持ちになった。
ソンフンはたしかに感じのいい男性だったが、別に好きになったわけではない。だから、連絡先は交換しなかったし、その後、彼を探そうとしたこともない。実は顔のうつった写真は存在しているが、別に見返していない(ノリノリで踊りながらシャツをストリップしているポンピエの動画は、定期的に見返す)。それでも、スムーズに関わりを持てたし、思いやりを持っていたし、楽しかったし、気持ちよかった。
そして、終わった後も別に、ウワーーーと感情が暴走して、相手のことを考えて考えてどうしようもなくて、自発的にその相手の、そして恋愛感情の奴隷になってしまう、という、私の人生の既定路線が全く発生しなかった。清々しい気持ちで朝を迎え、ユカと時間通りに待ち合わせて、航空ショーを楽しんだ。
我ながら、これが目から鱗だった。感情とセックスってセットじゃないんだ。私って、別に好きではない相手とも楽しいセックスができるんだ(断っておくがある程度好ましい相手/信頼できる相手である必要は、もちろんある)。
その後は誰かれかまわず……という話ではない。セットじゃないんだと思ったら、人生における「セックス」のプレゼンスがかなり低まった。性的満足を、誰かの/自分の、愛情の証と思うのをやめられた。恋愛相手に自分の価値を依存しようという姿勢が弱まり(当社比)、過去好きだった男性たちへの未練もいくぶん薄らいだ(当社比)。
ワンナイトラブをしたのは、後にも先にもあれきりである。まあ、危険ですからね。そして、自分ってそんなにセックスそのものが好きではないのかも、とも思ったからだった。気持ちいいと言ったって、たかが知れている。風呂やサウナや、信頼しあえる相互的な友人関係のほうが気持ちいい。
とはいえ、予定通り帰国したあとでも間に合うスピードで、パリでのリスキーなセックスをケアするアフターピルをオンライン処方してくれたイギリスのメディカルサービスには心から感謝している。しかも10ポンド。避妊は間違いなく前もってしたほうがいいが、迂闊なセックスを楽しむリスクとコストはどんどん男女平等になってほしい。
もともと、自分について言語化するのが好きな性質だ。言語化して確認することで、救われることも、対処法がわかることもあった。反面、「自分はこうだ」と結論づけた自分の言葉が自分をガチガチに縛って、それに沿った行動や感情をエスカレートさせてしまうところもあった。でも、そうした言葉や認識を外れた行動を思い切って取ってみると、意外に違う結果が得られたり、意外に違う自分が見えたりする、と気づかせてくれたのが、バル・デ・ポンピエの夜だった。留学したからってグローバルな書き手になったり、現地人と結婚したりというドリームは起きなかった。でも、ちいさな革命的瞬間が、私の中でたくさんあった。日本に戻った今でも、それらの瞬間が、今の呼吸を楽にしてくれている。
平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。