まだまだ大人になれません

この連載について

30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。

第12回

あつまる口実

2025年4月18日掲載

ポッドキャストを始めた。その名も「明日はゆっくり読めますように」。

 

番組パートナーは、出版社勤務で、数年来の友人でもある読書家・三石あおいさん。毎回ふたりで課題本を決め、その本の感想や、お互いの生活と結びつけた脱線トークをあれこれ展開する建て付けだ。といっても、本当に始めたばかりで、配信したのは1回分、収録を済ませたのは2回目まで。月一回配信の予定なのだ。すでに、所属しているオタク女子ユニット「劇団雌猫」でも「劇団雌猫の悪友ミッドナイト」というポッドキャスト番組を継続しており、そちらの労力もあるので、しばらくはこれが妥当なペースだと思っている。

 

ポッドキャストはきちんと配信するなら、結構手間がかかる。音源の不要な部分をカットし、ノイズを除去して編集し、興味を持ってもらえるサムネイルや紹介文をつけ、配信サービス上に登録して、ようやく公開できる。

スタート時のハイテンションで、あのイラストレーターさんに頼みたいこんなテイストがいいなどと盛り上がったサムネイルは、いったん私がCanvaで自作した。だって、録ったら早く公開したくなっちゃったし! あとどれくらい続けるかもわからないし! 音源編集も自分でやろうと思っていたが、これは三石さんが引き受けてくれた。初回は不要部分のカット程度の編集だったが、2回目はBGMをつけることに挑戦してくれるという。仲間と作業を分担できるのって心強くて楽しい。

収録はRiverside.fmというサービスを利用している。リモートで収録できるうえ、レコーディングが終了するとメンバーごとに分割した音声を作成してくれて、とても便利だ。何度も聞き直してFIXさせた音声が、Spotify上で聴けるようになったときはなかなか感動した。初心者でキャンプに来て、飯盒でおいしいごはんを炊くことに成功したくらいの充実感があった。

 

いつのまにか普及していた、ポッドキャストというカルチャー。ラジオ局やテレビ局までポッドキャスト番組を開始し、世はすっかりポッドキャスト戦国時代だ。ここまでポッドキャスト人口が広がるとは思っていなかった。コロナ禍によるステイホーム以降、「ポッドキャストを聞いている」という話を聞くようになった気がする。ポッドキャストとしては異例の武道館イベントを実現した、大人気ポッドキャスト「OVER THE SUN」も、2020年配信開始だった。

周囲の友人でも、ここ2〜3年で、自分の番組を持つ人が増えた。劇団雌猫でポッドキャスト番組を始めたのは2023年の冬。メンバーのもぐもぐさんが「自分が音声の編集はするからやってみたい」と声をかけてくれた。「深夜のファミレスで隣の席のおしゃべりに聞き耳を立てるような感覚で」をコンセプトに、4人のうち2人ずつでローテーションしな、だらだらしたオタクトーク、ミドサートークを展開している。なんだかんだ60回を超えた本番組。過去回のタイトルを見直すと、「ゲゲゲの謎」や「日プ女子」など、当時メンバーがどハマりしていたコンテンツがごろごろ出てきて、懐かしい。

じつは、耳からコンテンツを摂取するのが苦手だ。ラジオもポッドキャストも、もっと言えば音楽も、よほどの目的がないとあまり聞かない。最近、運動のために散歩を始めたけれど、その時も手ぶらで考えごとをしている。でも、世のなか、仕事中とか移動中に、音声を流している人というのは多いらしい。雌猫のポッドキャストも「あまり集中する必要がない内容だから、なんとなく聞くのにいい」と言われた。ポッドキャスト・ラジオ界では褒め言葉らしい。

いまのところ武道館イベントが開催できる見込みはないが、リスナーがそこそこいる手応えはある。この人たちは間違いなく、私たちに愛着を持ってくれている人たちだ。SNSと違い「バズって、予期していなかったクラスタに届く」ようなことが基本ない。文字的なソーシャルメディアだと慎重に発信しても「意図と違って伝わって炎上」みたいなことが容易に起きるけれど、音声コンテンツではその心配がほぼなさそうだ。「拡散しづらい」のが、ポッドキャストのいいところである。

ラジオ好きの三石さんはこれに加え、「人間は、好意を持っている相手の声しか聞き続けられないらしいよ」と言っていた。真偽のほどはわからないが、かなり説得力があると思った。この話に、しゃべる側としてはおおいに心理的安全性を感じる。「悪友ミッドナイト」も「明日はゆっくり読めますように」も、ふにゃふにゃになって、本当に深夜のファミレスみたいな温度感で、メンバーとしゃべれている(事実、深夜に録っているんですが)。

 

ポッドキャスト戦国に身を投じる者たちにはそれぞれ、さまざまな目論みがあるようだ(武道館ワンマンとか)。でも、私がポッドキャストをやる動機は一択。「友達とおしゃべりする口実にちょうどいい」!

30代で痛感したことのひとつに、「友達、だんだん集まりづらくなる」というのがある。20代のころはワイワイ毎週集まって飲んでいたメンツも、30代もなかばになると、集まりが悪くなる。家族ができたり仕事で責任が増したりして、スケジュールを合わせづらくなってくるのだ。オンラインでなら都合がつくけれど、だからといって提案しづらい。だって、みんな忙しいから、「あえて予定を確保するだけの理由」が求められるのだ。じっさい、劇団雌猫がそうだった。ポッドキャストを始めたら、ポッドキャスト収録という「口実」により、コミュニケーション機会が大幅に増えた。あまり会ってないあいだもグループLINEではしゃべっていたけれど、オンラインとはいえ顔をあわせて言葉をかわしあうほうが、やっぱり楽しい。ここにも、音声コミュニケーションならではの、親密性増強効果がある気がする。

もっとポッドキャストやりたいなあ、口実にしゃべりたいなあと思った時、第一に浮かんだのが、三石さんだった。三石さんとわたしはお互い独身でフットワークも軽いので、月に一回程度は顔を合わせる機会がある。ただ、共通の友人も含めた三人以上の会がほとんどなので、ふたりでゆっくり話す機会は意外となかったのだった。

 

「外部の人に向けておしゃべりを公開するのは抵抗があるかも」「継続的に配信するのが難しいかも」という人におすすめの活動がもう一つある。それが、「読書会」だ。こちらもここ数年、私と友人が集まる機会を設けるのを大いに助けてくれた。課題図書を決めて、1ヶ月後くらいの予定を押さえ、わいわいしゃべる。本の話をするうちに、おのずとメンバーそれぞれの近況の話が入り込んでくる。飲み会で集まって「最近どう?」と聞き合うよりも深い話が聞けるし、初対面だけど気が合いそうな人同士を繋げるのにもかなりいい。

私は、「納屋の読書会」という名前の読書会を2年ほど続けている。幻冬舎で私の担当をしてくれている編集のTさんが発起人で、Tさん、私、もう一人の人文編集者がそれぞれの知人にも声をかけ、6名ほどの固定メンバーで3ヶ月に一回ペースで開催している。集まる場所としては、区の会議室。半日1000円前後で借りることができ、駅近の施設が使えてとても便利だ。飲食可の部屋を選んで、飲み物やお菓子を持ち寄りワイワイ語り合っている。人とつながる機会が作れる上に、読書習慣も身についてとてもお得だ。この読書会がとてもうまくいっている結果、三石さんとのポッドキャストを読書会形式にしたところもある。

私の交友関係上、Tさんや三石さんと本を読んでいるけれど、別に「出版に詳しい」ことや「よく本を読む」ことは、読書会メンバーの必須条件ではない。どちらかというと、いろいろな業界の人、いろいろな立場の人がいる状態で話す方が、知らない知識を仕入れることができて面白い。

読書会を一緒にしているメンバーのほとんどは、読書会以外に会う機会がない。Tさんとも、あくまで仕事のつながりだから、読書会か、仕事で会うことしかない。「友達」というのはちょっとはばかられる関係だ。ただ、つながりが浅いということはない。「ギルド仲間」という表現がしっくりくるかも。目的のもと、互助していく関係。そういえば、劇団雌猫と関係がながく続いているのも「同人サークル」というギルド形式で交友していたからなのだった。

 

コロナ禍の前は、自分の年齢もあるけれど、人と集まるというと、対面の飲み会のイメージが強かった。オタクなので、ライブ・イベントに一緒に行くというのも「口実」として強かったが、そういう時もたいてい夜で、ライブ・イベント後にはいわゆるアフター、飲み会に流れることが多かった。

 

30代、自分が宝塚やアイドルなどのメジャージャンルの推し活から離れたことで、友達に会う機会が本当に減り、寂しい気持ちになることもあった。でも「口実」を工夫することで、新しいネットワークを築き直せてきた手応えがある。

 

ちなみに究極の「人を呼ぶ口実」は……猫を飼うことです!

著者プロフィール
ひらりさ

平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。