まだまだ大人になれません

この連載について

30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。

第11回

春は躁

2025年4月11日掲載

 

春がやってきた。人生では、36度目の春だ。

 

嬉しいことのように書いたが、春は鬼門だ。元気が出過ぎる。出版・マスコミ業界で働いていたとき、暖かくなると急に怪文書が送られてくるのを何度か経験したけれど、そこから歳をとって、自分も、怪文書を送る一歩手前の人間ではあるなと理解してきた。季節性の躁鬱の気があるのだ。新芽と共に芽吹いたソワソワにまかせ、さまざまなことに首をつっこみ、夏に爆発し、秋から冬にかけてそのツケを払う人生だ。

 

先日別れた彼氏も、久しぶりにTinderを始めた4月、開始初日にマッチングして翌日会うことになった相手だった。Tinder再開前夜、西荻窪の居酒屋でいっしょにいた友人によると、私は吟醸酒をちびちび飲みながら「もう、男とは付き合わない」とのたまっていたそうだ。我ながら、気分が変わるのが早すぎる。というか、ノリに引きずられすぎる。

その前にやばい男にドハマりすることになったのも、4月だった。Twitterで相互フォローだったのだけれど、お互いのツイートにあれこれリアクション送り合う中で、私から「いちばん遠いミスタードーナツ、行ってみたいですね」と DMした。すると相手から「札幌にありますね」という返信があり、会ったこともないのに、札幌行きの航空券をとることになってしまった。奥多摩あたりに日帰りで行くイメージだったのに。相手のノリは私を上回っており、春の私はそれに乗っかってしまった。始まりがハイスピードだったぶん、夏にはボロボロになっていた。

その前に彼氏をつくったときも4月だった。そのときもTinderで知り合い、会った初日、明日コロナの流行にあわせた緊急事態宣言が出るらしいということに焦った私が、帰り際、「よければ付き合いませんか」と言ったのだった。その人とは今も友達として円満だが、交際期間はかなり短かった。これらの恋愛のスピード感に、春が強く影響を及ぼしているのは間違いない。そこからさらに遡ってみたが、春〜夏にしか恋愛始まってないな? 春は恐ろしい。春、来ないでほしい。

 

でも、春、好きなことは好きだ。日光がセロトニンを分泌させるから、心身は軽い(軽すぎるともいう)。野菜や果物が美味しいし、春服は明るい彩りでかわいいし、散歩が気持ちいいし。さいわい花粉症も発症せず、36度目の春を迎えた。最近は、川のそばに引っ越したのもあって、川がみるみる姿を変えていくのも楽しい。芽吹きの春、再生の春。フィクションを見ていても、春の雪解けとともに物語が大団円を迎えることは多い。ありあまったエネルギーを正しい方向に解放してあげられるならば、春は素晴らしい季節になるだろう。今年の春こそは、世界に良い影響をおよぼしたい。いや、世界のことを気にかける以前の問題だった。まずは自分の心身に良い活動を行いたい……。

とはいえ、過去の恋愛だって、どれも「今回は大丈夫」「冷静だ」と思ってはいたのだ。でももう、経験則が告げている。恋愛で空いた穴を恋愛で埋めようとしているとき、自分の判断はなにひとつ信用できないと。緊急事態宣言の彼も、ミスタードーナツの彼も、最新の彼氏も、過去の恋愛への未練を手放したいときにいい感じに現れ、感情を上書きしてくれた。毎度、過去の恋愛のほうがクソだったのは間違いなく、すべてはマシになってきている。そうして、すべての恋愛を後悔していない。しかし、拙速な上書き方式にはデメリットも多いことを自覚してきた。そろそろ、古い恋愛から新しい恋愛に夜逃げするのはやめよう。春の躁は、他者との関係ではなく、自分自身に向けよう。

 

そう考えたとき、頭に浮かんだアイデアがあった。「100日チャレンジ」だ。InstagramやYouTubeなどで流行っているフォーマットで、その名の通り、100日後までに実現したい目標を立て、その過程を発信するというものだ。

おそらく以前Twitterで盛大にバズった「100日後に死ぬワニ」から発展した形式なのではないかと思うが、はっきりとしたところはわからない。InstagramやTiktokで見ると、「100日後に彼女をゲットする自分磨き」や「100日後にウォニョンになる女子大生」など、100日という期限と「なりたい自分」のビジョンをセットにしたアカウント名で発信しているものが多い。

 

なりたい自分……。30も半ばになると、意外と考えないテーマだ。恋愛に振り回されたり、仕事で振り回されたり、ということはあれど、もう、そういうところ含めて自分は自分と、良くも悪くも受け入れているところがある。こうなりたい、ああなりたい、という自分からの意志を基点にすることが本当にない。もう、この自分は自分だと思っており、現状の大半に満足しつつ、外部からの刺激に反応してチューニングしているのが実情だ。

マッチングアプリやソーシャルメディアで人を好きになっているときも、そう。「こういう人と恋愛したい」「いつまでに結婚/出産したい」というビジョンは特にない。フィーリングがすべて。くるもの拒まず。出たとこ勝負。見た目にも、職業にも、年収にも、特に統一した基準はない。一見、欲がなくていいことに聞こえるが、それはつまり、オモシロとなりゆきで突っ走っているということ。あとからいつも大変なことになるのだ。

年始に目標を立てる人は友人でもちらほらいる。私も一応「やりたいことリスト」は作った。でも、一年のやりたいことリストって、いつも途中でどうでもよくなっちゃうんだよな。たぶん、365日というのが、私の時間感覚に合っていない。あまりにも長い。あと、「1年前の自分」を年始に思い出しても、年始に関しては「おせち食べて初詣している自分」という印象が強くて、あまり「変化」をイメージできないのもある気がする。

 

100日。100日くらいがちょうどいいんじゃないか。いまから100日前って何してたっけ。計算してみる。昨年の12月30日だった。会社の仕事で、大晦日の夜間に稼働する必要があり、前日である30日もその準備で一日中在宅勤務してたなー。「来年は絶対こんな目にあいたくない」と思ったのだった。そしてなんとなく、「来年の年の瀬は彼氏と付き合ってないかもなー」とは思っていた。クリスマスイブにはデートして、クリスマスプレゼントも交換して楽しく過ごしたものの、帰り際、どことなくよそよそしい感じもあったし。結局、その後年が明けても、会うことなく、LINEで別れを切り出されたのであった。きわめて生産性のない100日。なりたい自分なんて考える発想、なかったな。

100日を、目的を持って過ごしたら何ができるだろう。調べてみると、世界一周クルーズも100日でできるらしい。なんでもできるな。よし、「100日チャレンジ」を言い訳に、「なりたい自分」を目指してみるか。

 

折しも新年度。恋愛関係が終わっただけでなく、会社でも部署異動があった。業務にフルコミットする直前で、気持ち的にも時間的にも余裕がある。新年度にはいつも、一日以上割いて会社の業務上の目標設定をちまちま立てさせられるけれど、人生に対してそれをしたことがなかった。成果目標と、達成条件、アクションプランを考えよう。100日それに集中すると決めることで、余計な恋愛に足をとられる心配もなくなるだろう。まだ心のなかでくすぶっている最新の恋愛への未練も、薄らいでいくはずだ。

 

いろいろな方向性が考えられたけれど、シンプルに「美人になる」を目指すことに決めた。人生でやろうと思って、だらだら後回しにしていた欲望である。2023年の春にも一度「美人になりたい」と決めて、「美人化計画」などというふざけたグループ LINEに友人を巻き込んでいたのだが、彼氏ができて頭がお花畑になり、すっかり放置していたのだ。

達成条件としては「筋トレと食事管理で5kg痩せる」と「前屈がつくようになる」にした。ピンポイント。要は体型と姿勢へのアプローチに絞った。正直、全方位に美人になろうとすると100日じゃ足りないので、土台から取り組むことにしたのだ。「美」にまつわる発信者のなかで、ダイエッターが一番、邪念がないように思えたのもある。筋トレして、栄養計算して、日々実績と目標のモニタリングをしていたら、ネットの論争に乗っかったり外国人ヘイトを喧伝したり陰謀論に染まったりしている暇はないに違いない。曇りなく、なりたい自分にフォーカスできる自分でありたい。まあ、哲学者に振られたあとは大学院修士留学を決意し、作家に袖にされたあとは小説を書き上げたりしていたところで、水泳部出身の男に振られた途端「鍛えて痩せる」と言い出しているのは、邪念以外の何物でもないのですが……。

 

そうと決めたら話は早い。体験に行き、パーソナルトレーニングジムに入会した。2ヶ月16回のパーソナルトレーニングと、毎日の食事管理がついて税込14万円。しかし背に腹は変えられない。なにせ、30代になって初めての大規模ダイエットなのだ。お値段の甲斐あり、三日坊主の私でもどうにかサボらず(嘘もつかずに)、PFC(たんぱく質・脂質・糖質)バランスを守りながらのカロリー制限に取り組んでいる。

じつはパーソナルトレーニングに通った経験は過去にも2回ほどある。それぞれ1年以上は通っていたのだが……コロナ禍下のステイホームで運動不足が深刻な時期だったのもあり、「とりあえず通って体を動かす」「とりあえず体重を維持できればOK」と極めて低いハードルに甘んじ、大した成果が得られないまま、退会してしまった。ボディメイクには食事管理が不可欠であること、プロテインを飲んでたんぱく質をとるのが大事なことは当時から聞いていたのが、まっったくプロテインを飲むことができなかった。ホエイプロテインの大袋を買って1度飲むと嫌になり、半年以上放置して、しぶしぶ捨てていた。味がすごく苦手と言うわけではなく、「美味しさ」が最優先になっていない食べ物を体の中に入れることに抵抗があったのだ。美味しさ is happiness。

今回はあら不思議。毎朝ホエイプロテインを牛乳に溶かしたものと、プロテイン入りヨーグルトを朝食にしているが、いまのところ舌にも胃にも抵抗感がない。やはり「なりたい自分」のビジョンがあるから、プロテインを飲むことに意味が持てているのかも。春のソワソワをすべて運動に振り分けた現在、週4で体を動かす生活をしており、栄養素としてのタンパク質のメリットがひしひしと実感できているのも一因かもしれない。パンとカフェラテで朝を済ませていた頃より、確実に満腹感があり、運動したあとでも口寂しくならない。

何度か課金にチャレンジし、課金しただけで挫折していた「あすけん」にも、今までにない誠実さで向き合っている。やる気を出して最初のアクションを行うといつも満足し、すべてを投げ出してしまうタイプなのだが、今回は継続できる機運がある。記録していくなかで「今日はたんぱく質とれてるか」チャレンジが回り出したというのもあるかもしれない。私はトレーナーから80gをとるように指示されており、これがなかなか難しい。数日やってみて、たんぱく質の多い食品については理解できてきたのだが、たんぱく質にかまけていると、炭水化物が全然足りてなかったりする。栄養バランス is essential……。

100日チャレンジのスタート日は、パーソナルトレーニングを始めた4月4日に設定した。100日後は7月12日。四日坊主になるかならないかは、残り96日の自分にかかっている。

どうか、なりたい自分になれますように。いや、ちょっと違った。神頼みではないのだ。どうか、なりたい自分になれるよう、毎日の努力を積み重ねられますように。そうして努力の過程で、自分に自信がつきますように。

著者プロフィール
ひらりさ

平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。