まだまだ大人になれません

この連載について

30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。

第7回

ソバー・シリアス、ドライ・フェブラリー

2025年2月14日掲載

【問い】次のうち「お酒」はどれに当てはまる?

1)嗜好品 2)食品 3)薬物

今度こそ、酒をやめようと決意した。

この文章を書いている現在は、禁酒18日目。飲み会の約束をしていた友人たちには「ノンアルにさせてください」と頭を下げ、ワインペアリングが売りのお店ではノンアルワインを出していただき、どうにか禁酒半月を迎えている。これまでは「今日は飲まないつもり」「今月は月X回にする」と思っても、結局雰囲気に流されて飲んでしまうことが多かった。自分史上で見ても、相当大きな進歩だ。

「半月くらいで、文章に書くのは早すぎない?」そう思われるかもしれない。禁酒できているというには心もとない日数であるのはたしかだ。ただ、始めたばかりというのは、酒をやめたい思いがピークのタイミングだということでもある。思いの強さを書き残すべく、キーボードを叩いている。酒をやめた分、浮くと見込んだ金で購入した、ハイグレードなメカニカルキーボードだ。

 

酒との切っても切れない関係が始まってから、だいたい13年くらい経つだろうか。以前出したエッセイ集でも書いたが、学生時代は全く飲めなかった。たまに付き合いで手をつけても美味しいとおもえず、飲みきらずに席をたつことが多かった。そこから、仕事関係の忘年会で獺祭を味わって“しまい”、日本酒の美味しさに開眼したのが社会人1年目。大酒飲みの彼氏(今にして思えば彼もかなり酒に依存していた)と付き合うようになり、すぐ別れたものの、一気に、週3〜4回の飲酒が常態化した。異性と親密になったり仕事のコミュニケーションを円滑にしたりするツールとしての酒に、アディクトされてしまったのだ。これまで酒にかけたお金(+終電を逃して払ったタクシー代)を計算したら、恐ろしいことになるだろう。下手したらヒモ一人養えるくらいの金額は毎月かけていると思う。

いくつかの失敗を経て、自分が大して酒に強くないことを痛感し節制を意識しだしたのは、30代前半になってから。イギリス留学中、日本のようには容易に酒が手に入らない環境を経験し、「今までやっぱり、飲み過ぎだったのでは?」と気づいたのも大きかった。酒を飲みすぎて記憶を失う“ブラックアウト”がアルコール依存に近づく現象であること、世界的なアルコール依存症スクリーニングテストAUDITによれば、「飲み始めると止まらない」「飲んだことで普段と違う行動をしてしまう」だけでも、依存症一歩手前の“問題飲酒”の領域と診断されることなども、知った。私はもちろん、問題飲酒ゾーンである。

30代半ばを迎えてからは、飲酒翌日の体調不良の頻度も上がってきた。加齢とともに体の中の水分量が減り、アルコールの影響を受けやすくなるかららしい。とくに、赤ワインを飲んだ後は決まって、片頭痛や嘔吐に苦しむことになった。「赤ワインはやめる」「ボトル注文はやめる」「家飲みはやめる」「飲むのは週2回までにする」……細かなルールを設けて減酒に取り組み、最近は、「前よりも節制できている」という自信さえ芽生え始めていた。しかし、事件は起きた。恋人から、「酔っているときに私が言ったこと」を理由に、別れ話を切り出されたのである。

晴天の霹靂、だったかというとそうではない。本当に「事件」が起きたのは昨年の夏のこと。恋人の誕生日を焼肉店で祝っているとき、恋人が目指すキャリアに対して私が、差し出がましい物言いをしてしまったのが、それだ。ようは「本当に、そのキャリアを目指したいの?」「普段の行動が全く本気に見えないから、やめなよ」というような内容を、ためにためていた不満マシマシ濃縮還元100パーセントで発したものだ。発生直後に本人から「しんどかった」と泣かれ、平謝りして許してもらったのだが……それを反省してかつてなく積極的に「減酒」に取り組んでいたのだが……。しかし。やっぱりずっと考えていたけどあれで心が許せなくなった、というのが相手の弁だった。

これが別れの根本原因かというと、そうではないと思う。自己弁護ではなく。交際継続が難しい原因は、いくつもあった。でも、私の発言が、引き金になったのは間違いない。

うまくいっている人間関係を酒で壊したことはない、と、思う。ただ歯車がずれている人間関係をつづけるなか、不満が溜まってモヤモヤしているときに、酒をトリガーに本音をぶつけてしまうことは、これまでもあった。一昨年にもそれをきっかけに、親密な間柄の友人と縁を切ってしまったところだった。

繰り返される運命から脱出するには、減酒では足りていないことが明らかだ。こうして急遽、人生初の大きなチャレンジに取り組むことになったのだった。

 

始めた当初は「とりあえず1ヶ月がんばろう」程度の決意だった。1ヶ月ノンアルコールで暮らしてみて、そこからは月1、2回だけ飲酒することにしても、問題ないだろうと思っていた。私が酒で辛辣なことを言ってしまうのはかなり限られた条件下だからだ。それに、お酒ありきで付き合ってきた親しい友人も少なくない。お気に入りの飲食店でも、アルコールの注文がマストの店がそれなりにある。

 

ただ、1冊の本を読んで、考えが変わってきた。それが『「そろそろ、お酒やめようかな」と思ったときに読む本』(垣渕洋一著 青春出版社)だ。長年アルコール依存症の専門医として働いてきた著者が、医学的エビデンスを交えながら「酒をやめる」ことを応援してくれる本である。個人の意志で飲酒をコントロールする「減酒」「禁酒」と比較して、シラフのほうが幸せであるという価値の転換をなしとげて今後の人生を酒なしで生きる「断酒」という考えがあることが紹介されており、目から鱗だった。断酒は主に、アルコール依存症になって後戻りできなくなってしまった人が取り組むメソッドとして紹介されているのだが、本書で示される、飲酒のデメリットと断酒のメリットはあまりにも多く、アルコール依存症でない人間も一刻も早く断酒をした方がいいのではと思わされる説得力があった。冒頭で出した設問も、この本で示されていたものだ。最初、私は「嗜好品」と答えてしまったのだが、本では、酒が心身に与える作用からすると「薬物」だと断言していた。薬物を週3〜4回体に入れて、体調を壊している……と考えだすと、かなりおそろしい。酒に支出していた金額よりも、おそろしい。

 

真剣に断酒を目指してみようか。ネットで「酒 やめる 人生変わった」で検索することもしてみた。酒を完全に断ったらいいことだらけ、という体験談がいろいろ出てきた。VOGUEなどの海外メディアが、特に積極的に掲載している。酒を飲めるけれどあえて酒を飲まないライフスタイルをとる人たちのことを呼称する「ソバー・キュリアス」という言葉が世界的に浸透していることは知っていたが、若いソバー・キュリアスに触発されて、飲酒習慣を見直すミドルエイジも多いようだ。好奇心ではなく実害に直面して酒をやめることを決めた人々だから、ソバー・シリアスと呼ぶべきか。ちなみに、年のはじめの1月を断酒して過ごそうという「ドライ・ジャニュアリー」なるムーブメントも近年盛り上がっているという。18日前までは、私には全く見えていなかった光景だ。

 

すでに禁酒の効果は出てきた。肌ツヤがかなり改善してきたのだ。もちもち感がある。アルコールによる脱水症状が起きなくなったからだろう。さらに、アルコールが発生させるアセトアルデヒドがタンパク質を劣化させて、肌のターンオーバーを妨げることもわかっているらしい。デパコスの基礎化粧品とか美容医療とかにお金かけるより……お酒を絶ったほうが根本的解決になるってことじゃない!? 大手メディアが報道しない真実すぎるだろ……。うっかり美容誌陰謀論者になってしまいそうになった。

朝も起きられるようになってきた気がする。会社の始業が遅いうえにほぼ在宅勤務なのもあって、朝10時に起きるのがやっとという日常を送っていたのだが、ここ数日、8時に目を覚ませている。体を動かしたいという気持ちも増してきて、マシンピラティスのパーソナルセッションの体験にも行ってきた。お値段はなかなかだけど、飲酒代がなくなれば月1〜2回は通えそうだ。

 

あらゆる角度から「飲まないほうがいい理由」をインプットし、断酒への道を舗装しているこの2月。この勢いで一生酒を飲まないことも、夢ではない、気がする。特に健康と仕事の効率を考えたら、この先一滴も酒を飲まないほうがいい、と思う。

でも、酒を抜いて冷静になった頭で、今回の「酒の勢いで行った発言」に立ち戻ると、なんか、仮にシラフだったとしても、全然、言うべきことだった気がしてきた。恋人の、忙しい忙しいと言っておいて、遊んでるやんけお前、というところにモヤモヤを抱えており、交際中ずっと苦しんでいたからだ。アルコールは前頭葉の働きを弱めて、普段言えないことを言わせてしまうという。恋人からは「酒の勢いだとしても、元から思っていたことだろうから信用できない」と言われた。いや、それは本当にその通りだった。もっと前に、正面切って言っておくべきだった。なぜ遠慮して、ずっと言ってなかったのだろう。あのとき酒を飲んでいなかったら、一生、恋人に感じのいいことばかり言って「尽くす恋人」のような演技を続けて、でも本心はどろどろとぐろを巻いて、ねじまがってひんまがって、もっと取り返しのつかないことになっていただろう。酒による「愚行」が、私を、解放してくれたのだ。別れ話当初は「あのときあんなことを言わなければ……」という自己嫌悪で寝たきりになっていたのだが、現在は、酒を断ちながらも「でもあのときは酒飲んでてよかったんだな」という考えに変わってきた。

もちろんこれは、ダメな大人の詭弁である。微妙な関係に対して真剣に対処するなら、シラフで対話をする勇気を持つべきだったのは間違いない。相手が「酒のせいでひどいことを言われた」と逃げる余地がないやり方で話をしたほうが、正論が毀損されなかったし、言い方はやっぱり違ってきたはずだ。

真の断酒に踏み切るためにも、シラフでものをいう練習をしたいし、シラフでものを言える関係のみで生活を満たしたい。そう思えるようになった、35歳なのだった。

こう見えてノンアル
著者プロフィール
ひらりさ

平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。