まだまだ大人になれません

この連載について

30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。

第14回

夢・推し活・自己効力感

2025年5月16日掲載

「私には夢がある」

世界中に知られている、こんなフレーズがある。人種差別の撤廃に尽力したマーティン・ルーサー・キング牧師の演説の言葉で、20万人の聴衆に向けて訴えかけられたという。1963年のこの演説や運動が評価され、キング牧師は翌年ノーベル平和賞を受賞した。

 

キング牧師と私にはなんの関係もない。けれど彼のこの言葉は、学校で習って以降、私の脳裏にちらちらと出現する。

「私って、夢がないな……」と自覚するときである。

 

私には夢がない。野望がない。そんなまま、35歳になってしまった。

文筆家やってるじゃん、と思われるかもしれない。文筆家は別に、夢ではなかった。「これ書いてみんなにすすめたい!」とか「この人に話を聞いてみたい!」といった欲求を満たす手段として、文章を書くというのがあって、続けていたらお金をもらえるようになり、多少認知もされるようになったという流れだ。おなかすいたからご飯を食べる、とかそういうのに近い。夢というより、三大欲求の四つめみたいな感じだ。そうじゃなくて、数年、10年単位で追いかけられる目標のようなものが欲しい。

もしかしたら一応「文章でお金がもらえたらいいな」くらいのささやかな夢は持っていたが、ありがたいことに叶ってしまったというのはある。ここで「エッセイがバカ売れして映像化する!」とか「文化人として名をあげて冠番組を持つ!」とか「私の文章を通じて世界平和を実現する!」とか「おしゃれな書き手としてモテモテになる!」とか、スケールアップした野望を持てたらいいのだが……。全然、ない。ちんまりしているが、せめて「フリーランスとして独立して、好きなことだけやって暮らす!」というのもアリだろう。YouTuberやインフルエンサーという職業の到来により、「好きなことで、生きていく」は、万人が憧れるライフスタイルのひとつとなった。うーん、好きなことだけで生きていきたいと、思っていない。フルタイム会社員として働くかたわら文筆業をしているから、時間の余裕はつねにない。でも、そのせいでやりたい仕事を断っているというほどではないし、実は「やりたい仕事」というのもよくわからないのだ。なんでも、頼まれてやってみると、意外と楽しいしやりがいがある。好きなことをやるのは楽しいが、仕事としてやるなら、なんでも、嫌なことや事務手続きがつきまとう。好きなことが100パーセント仕事っていう状態も、嫌だなあと思う。だからといって「FIREしてゴロゴロしてたい」とも思わない。動いているのが性に合う。だから、会社員として生計を稼いで、文筆でおこづかいを稼いでいる今はいちばん、自分に合った状態なのかも。自分の生存にとってちょうどいいバランス。

え、じゃあもう夢、必要ない? でも、周囲を見ていると、長く追いかけられる夢を持ち続けられる人が、楽しく活動的に生きているように感じる。夢は、かならずしも社会的な名声と結びついている必要はない。「子供を持ってあたたかい家庭を築きたい」という欲望も、私からみると、「夢」枠だ。結婚したり子供を持ったりしたら終わりではなく、10年20年スパンで、子供の育成のためのプランを立てて実行していかなきゃならないじゃないですか。向こう25年は元気でいなければというエネルギーがわくだろう。

夢を持つことにも弊害はある。叶わなかったらしんどいのは間違いない。いま例にあげた、子供を持って育てたい、なんかは最たる例だ。どんな夢の実現にも、自分の努力以外に、運や環境や社会状況がかかわってくる。そういった夢にあまりこだわって、現実が思い通りに行かないときはかなりしんどいはずだ。ただ、夢が叶わなそうなとき折り合いをつける過程も、その人の人生を味わい深いものにするだろうし、その過程で別の夢が見つかったりもするだろう。失敗も、夢を持つことの副産物だ。あー、夢めざしたり叶えたり破れたりしたい。

夢がなくても生きている人だってたくさんいる。私だって今現在、夢がなくともあまり不自由なく生きている。ただ……あと50年とか、「単に、生きるために生きる」ことを想像するとめっちゃつらい。不安になる。週末、労働も遊びも終えて、いれたてのコーヒーとバスクチーズケーキを優雅に食べて、ひとりで楽しく暮らしてるなーと思いながらも、不安になる。ぷにゃーーと変な鳴き声が出る。居心地のいいマンションが、牢獄のような窮屈さを持ち始める。ああ、芥川賞とか目指したほうがいいかな……。

よくよく考えると、「推し活」というのは、夢がない人にとって、最高のソリューションだ。特にアイドルや芸能人を推す場合。わかりやすい人気のバロメーターが設定されたフィールドで生き抜く彼らは「より世間で知られた存在になる」「東京ドームで公演をする」といった夢を持っていることが多い。それを、時間やお金をかけて応援する。すると、推しが推しの夢に向けたステップを踏んだとき、自分も、その夢を一緒に実現したかのような充実感が得られる。

2.5次元舞台の若手俳優を推している友人が昔、こう言い切っていたことがある。

「自分がこの先どんなにがんばって帝国劇場に立つことはありえないけど、見込みがある若手俳優を応援していると、そういう夢が叶うことがある。自分の人生では見られない景色を見せてもらう楽しみを知ってしまったから、ワカハイを推すのをやめられないんだよ」

夢のアウトソーシングは、推し活の機能のひとつ。推し活にはこのほかにもいろいろな側面があるけれど、オーディション番組がこれだけ流行しているところを見ても、「推しの夢に参加できる」ことの重みは増しているように見える。

じゃあお前もアイドルや芸能人を推したらいいじゃん。そう思われるかもしれない。ただ私、「夢を持つ能力」だけでなく、「他人の夢に乗っかる能力」が低いのである。今、お金と時間を割いているのは、クラシックバレエとストリップ。ストリップに関しては特定の踊り子さんのファンになっており、月一ペースで公演を見にいくようにしている。先日は、アクリルスタンドも買ってしまった。でも、あくまでパフォーマンスを見たくてお金を払っているし、推しにどんな夢があるかとかは知らない。「相手の夢を応援したい!」という意味のお金を払ったことがないし、そんなに「夢を応援してください!」と言ってくる人を推しにしたこともない。なんでだろう? たぶん、「オタクが応援するとかしないにかかわらず、自分の実力で夢を叶えている(ように見える)人」が好きなのかも。そのうえで、「私が推さなくても誰かが推すだろう」とも思っている。「私が応援すると、この人はもっと上へ行ける」という感覚がないと、推しの夢に乗っかることはできない。推しの夢に乗っかるタイプの推し活にも、自己効力感が必要なのだ。

 

そうか、自己効力感。「自分ならできる」「他でもない、自分だからこそできる」という感覚。私がほしいのは、「夢」というより自己効力感なのかもしれない。そして、自己効力感がうすれているから、夢を持てないのかもしれない。キング牧師のことを思い出してみる。彼が「私には夢がある」と言ったとき、その夢とは「『すべての人間は平等につくられていることは、当たり前の真実だ』という信条を実現する」ことだった。キング牧師は、ばりばりに黒人差別がはびこっている社会のなかで、「人種差別撤廃が実現できる」ことと、それに「自分が貢献できる」ことを信じていたわけだ。すごいな。すさまじい自己効力感である。まず私が育てるべきは、夢の前に自己効力感だ。とすると、5年後、10年後の話をする前に、「今できていないけどどうにかしたいこと」にフォーカスしたほうがいい。

ここのところ、自己効力感の糸口になりそうかも……と思っている2つのアクティビティがある。ひとつは先日も書いた「100日チャレンジ」で、もうひとつが「早起き」だ。両者は関連しており、100日チャレンジの副次効果で、なんだか早起きできるようになった。在宅勤務かつフレックスタイム制なのをいいことにここ数年、早起きできて9時半くらいという体たらくだったのだが……友人から誘われて、朝8時からやっている朝ごはん屋さんに行く機会があり、6時に起きる必要が生じた。やってみたら充実感があり、「明日も意外といけるかも」となった。ちょうどその頃、別の友人が「朝6時から毎日作業Goole meetsをするので、誰でもきてください」というアナウンスをしていた。彼女には小説家としてデビューする夢があり、夢のための時間捻出として朝活を選んでいたのだ。私には夢がないが、このmeetsに出て、友人を驚かせてやりたい……という気持ちがわいた。そうしたらなんと次の日、目覚ましをかけてないのに、6時ぴったりに目が覚め、meetsに参加できた。弾みがついて、週に2〜3回は6時に起き、この作業meetsにつなぎながら、読書をしたり、原稿を書いたりしている。

朝一番に有意義なことをやるとその日一日を有意義に過ごしたくなる、気がする。作業meets自体は1時間なのだけど、終わったあとも、脳にやる気が満ちていて「続きが気になるしもうちょっと読もう」とか「もう少しで書き終わるし原稿書いちゃおう」と、自主的に作業が続けられる。そうすると、2時間くらい1冊読み終わったり1本書き上がったりして、「自分にはいろいろできる」感が、ふしぎとみなぎってくる。会社でも文筆業でも人間関係でも、薄れてしまっていた手応え。早起きってすごい。朝活ってすごい。キング牧師も朝活をしていたんじゃないか?

あー、いつか「私には夢がある」って言えるようになるのかな。もう、「夢を持ちたい」が夢でも、いいですかね?

 

著者プロフィール
ひらりさ

平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。