まだまだ大人になれません

この連載について

30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。

第9回

自分ひとりの城を求めて

2025年3月7日掲載

2024年、人生で初めての決断をした。

結婚でも出産でもない。中古マンションの単身購入だ。

  

4月に購入して半年かけてフルリノベーションを行い、11月に引っ越した。江東区の駅徒歩5分約60平米の空間に、一人と一匹で暮らしている。

    

とにかく広い。これまでは32平米の1Kに住んでいたのが、一気に2倍になった。前は、会社へのアクセスを重視した物件で、管理費込みで12万5千円払っていた。いま払っている費用は、ローン返済が10万9千円、管理費・修繕積立金が2万3千円の、トータル13万2千円。総額は上がったが、部屋の広さが2倍になったうえに専有部が新築状態であることを考えると、リーズナブルだと思う。しかもローン返済は、賃料と違って完全な掛け捨てではない。住めば住むほど残債が減り、自分のものになっていくという仕組み。

  

いちばん気に入っているのは、ダイニングだ。元は窓に面した2つの居室だった場所を解体して、ひとつづきのLDKをつくった。壁付キッチンの脇に生まれた2.2メートル四方の空間に、北欧インテリアの定番ブランド「HAY」の丸テーブルを置いている。お値段、16万7千円。15パーセント割引のクーポンを使えたとはいえ、かなりの出費だ。

この世には大量の丸テーブルが売られており、この十分の一の金額で購入できるものもある。私も当初、三分の一くらいの価格の韓国製の丸テーブルを購入しようとしたのだけれど、決済手続の途中でやめた。その後、インテリアショップをいくつかめぐり、実物を見て、欲しいと思えたのが、HAYのCPH20だった。ちなみにCPHはコペンハーグの略で、コペンハーゲン大学のためにデザインされたシリーズらしい。インテリアに詳しい友人から「大きな家具は部屋の顔だから、いいものを買ったほうがいい。7割くらいの値段でリセールできるし」と具体的なアドバイスをされ、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入した。

家も資産だし、家具も資産。結果は日々「お値段以上…」を噛み締めている。丸テーブルのデザインは、天板とテーブル脚のバランスが肝だ。CPH20はリノリウムの天板と重厚なオークの3本脚の組み合わせが優雅で、食卓に座っていても楽しいし、帰宅したとき玄関のほうから遠目に眺める瞬間にも、えもいわれぬ充実感がある。直径は2種類あったけれど、悩みに悩んで小さいほう、90センチにした。子供のいる家族には小さそうだけれど、一人暮らしがたまに友人を招いてお茶をするのにはぴったりだし、一人で使っていても持て余さないちょうどよさがある。

残りの家具は安いのにしようと思っていたのだが、実際にCPH20を使うと、「この空間を眺めて幸せになれるもので埋め尽くしたい!」という気分になった。インテリアは、日常を共にできる芸術なのだ。「まあリセールできるなら……」とダイニングチェアにも散財してしまった。家具ECサイトを穴があくほど眺め、Yチェアとパントンチェアを買った。壁面には、ホッチキスでつけられる壁掛けフック「壁美人」を活用し、額装したポスターアートをかけている。手先が不器用すぎてホッチキスで壁美人を留めるのに100回くらい失敗してしまい、壁にホッチキスの掠り傷が多々ついて、壁不細工になってしまったのは、内緒だ。おしゃれ部屋への道のりは長い。

   

べつに、賃貸に住み続けていても問題はなかったと思う。12万5千円の部屋は、12万5千円もするだけあり、とても住みやすかった。オーナーさんが上階に住んでいる物件で、管理は委託された不動産会社が行っていたけれど、ちょっとしたトラブルなどはオーナーさんに相談するとすぐに対応してもらえた。エントランスはオーナー所有アートを飾るギャラリーとなっており、建物の入り口には季節に合わせたリースやモニュメントが飾られていた。ハロウィンには「ご自由にお取りください」とキャンデーが詰められたジャックオランタンのバスケットが置かれ、クリスマスには「今年のプレゼントです」と宅配ボックスが設置されているという具合だ。後楽園駅、春日駅、飯田橋駅に徒歩で行けるという立地も無敵で、出版関係の知人と飲んだ後には、我が家に誘って、二次会を開催することも多々あった。彼氏と出会えたのも、お互いの自宅が近いからだった。

  

だがしかし。住んで1年強が経過した2024年1月、ふと「自分の家が欲しい」という衝動にかられた。10帖のワンルームは都内一人暮らしとしては広いほうだと思うけれど、日常の寝食、会社員業(週4リモート)、文筆家業の3つを行うには、やっぱり狭かった。ダイニングテーブル兼ワークデスクだったはずの机は書類と本にまみれ、食卓としての体裁を失った。ワーキングチェアで仕事をし、ワーキングチェアでそのまま食事をとっていたら、だんだん精神にきた。働いている視界の正面にベッドが目に入ったとき、ふと、刑務所の独房じゃん、と思った。仕事をする場所とそれ以外を分けないと、すべてが労働に飲み込まれてしまう。1LDK以上がマストだ。しかし間(ま)が増えると家は途端に高くなる。それなら、買ってもいいかと思い始めた。

     

そんな気持ちに拍車をかけたのが、「インターネットよわよわ」事件だ。入居していた物件はインターネット無料がうたわれており、建物全体で導入済みのWi-Fiを追加費用なく利用することができた。過去の住居もすべてインターネット無料で幸運にも不便を感じたことがなかったのだが……この物件ではたびたび、Wi-Fiの不通に悩まされた。騙し騙しスマホテザリングに頼り、やりくりしていたとある月末、朝、在宅勤務のミーティング中にWi-Fiがつながらなくなったことがあった。慌ててオーナーのところへ行き、ルーターを再起動してもらったらすぐ復活した。そこで、ちょっとした出来事があった。オーナー(元大学教授)自作のスライドで、マンション共用ネットワークのセキュリティリスクを説かれたのである。一応、無料ネットワークを提供しているものの、仕事に使うなら自分で契約してねという話だ。妥当な主張であるし、親切心からのレクチャーだったと思うのだが、なんか……「ここは他人の城である」という実感が、ひしひしとわいてしまった。大した理不尽を言われたわけではないのに、むしょうに我慢できなくなった。なんのために実家を出てきたのか。「自分ひとりの部屋」(by ヴァージニア・ウルフ)を持つためだ。ここはそうではない。賃貸じゃ、自信を持ってそう言い切れない気がしてきた。めちゃくちゃな論理展開だが、そうだ、不動産買おう、と完全に決意した。

    

両親の離婚で仮住まいを転々としてきた身の上。最新の実家でも、完全に区切られた個室はなく、母親と、ひとつの部屋をクローゼットで仕切って共用していた。住空間にゆとりがあること、自分ひとりで空間をひとりじめしていることが、ここまで心に平穏をもたらすとは。マンションの土地は私のものではない。共用部も私のものではない。それでも、室内は間違いなく自分のもの。「自分の城」に住めるのって最高だ。体が拡張したような気分で日々を送っている。そういえば、今の実家は、両親の離婚成立後に母親が、専業主婦から正社員に復帰してシングルローンで購入したものだから、「母の城」という気がして、いまいち「自分の」と思えていなかったのも思いだした。いまの家は、築年の関係で前の住居よりも実家よりも天井高が低いが、視界が広く圧迫感がない。フルリノベーションで実現した打ちっぱなしのコンクリート天井は絶妙なグレー塗装で、陽の高さによって微妙にニュアンスが変わるのを、折々に眺めてしまう。

インターネットは自分で契約した。ダウンロード速度が461.7Mbpsで、アップロード速度が153.5Mbps。前の住居の10倍くらいになった。うーん、自分ひとりのインターネット、最高。これは普通に、もっと早く契約しておけばよかった……。

  

組んだローンは35年。賃貸と比べてリーズナブルとはいえ、70歳までこの金額を払い続けるのは、なかなか重荷だとは思う。元々はリセールを前提としており、「広い部屋に住んでみる体験」を買ったところがあった。しかし、「自分の城」の安心感を知ってしまった今、できるだけ長く住み続けたい気持ちが強まっている。この生活を一人で維持するのか、誰かと分かち合うのか、未来は決まっていない。とりあえず、ソファで猫とごろごろしながら、コーヒーでも飲もうかな。

 

 

著者プロフィール
ひらりさ

平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。