わからなくても近くにいてよ

この連載について

いつも、相手のことがわからないと思っている。
わからないと思いながら笑ったり驚いたり嫉妬したり、毎日おろおろしている。
話したい、のに話しかけるのが面倒でうやむやになってしまうことばかりな気さえする。
わかりたいのは不安だから。自分ばかりが求めてしまうことに辟易しながら、わからないからあなたとかかわりたいと思う。
お前はいつも鬱陶しい!とつっこみながら読んでもらえたらうれしいです。

第4回

名づけられない

2023年7月7日掲載
(写真撮影:著者)

 これまでの、ほとんど一方的な恋愛において、「自意識過剰」がわたしのすべてであったように思う。みんな大概そんなもんである、と承知しつつも、とにかくかつてのわたしときたら、些細なことですぐにだれかを好きになったし、またそれと同じだけ、だれかはわたしのことを好きなのではないか、と即座にそう思った。そしてそのすべては勘違いであった。ほんとうにわたしはとんだ勘違い野郎で、そのひとつでも取り出して思い出すことは恥ずかしい。
 べつに恋愛でなくてぜんぜんよかったのだと思う。むろん、恋愛を否定するわけではない。でもやっぱり恋愛じゃなくてもぜんぜんよかった。それはいま思えば、であって当時はともかくどうしても「恋愛でないとだめ」なのだった。なぜ、自分の恋愛対象が男性であるのか。あるいは自分の性別についても同様に、つまりシスジェンダーかつヘテロセクシャルであることになんの疑いも持たないまま、わたしは思春期に突入した。
 自分の指向も自認も、あるいは恋愛というものがその実どういうものであるのか、わからないままわたしはあまりに素直で愚かだった。小学生の頃に読み始めた『ちゃお』や『りぼん』などの漫画雑誌には、「男の子に恋をしている女の子」しか描かれなかった。すべての少女漫画、恋愛ソング、思春期に摂取したそれらはわたしに恋をさせるのに必要にして充分であり、「恋したい」というより「恋しなくては」という半ば強迫的に、恋愛への意欲は否応にも高まるのだった。
 どうなればその人を好きだと言えるのか、あるいはそれが恋愛かそうでないかの弁別などわたしには不可能であった。だからむしろ、だれのこともすぐ好きになれた。
 たとえば高校で同じクラスだった野球部のNくん。彼は必ず挨拶の際にわたしの名前を呼んでくれた。「ほりちゃんおはよう」「ほりちゃんバイバイ」といったように。わたしは浮かれた。呼ばれるたびに(うおお……!)と思った。けれど、もちろんそれはわたしに対してだけではなかった。後から気づけば彼はクラスのみんなに同じように接していた。でも、仕方ない。もう気づけば彼のことが好きだった。
 あるいは中学生のおおかたは、背中から湯気を出すAくんのことが好きだった。中学一年の冬のこと。校庭でサッカーをして汗をかいたままストーブのそばにいたAくんのセーターから蒸発した汗が湯気となって、もうもうと立ち昇ったのだった。おい、お前湯気出てんぞ! と男子が騒ぎ、周りがギャハハと笑っていた。その後、気づけばAくんから目が離せなくなったのだった。は? と突っ込みたくなる。彼は同学年の女子と付き合ったりはせず、ひたすらBoAの追っかけをしていた。当然、わたしは髪を伸ばし、BoAの曲を狂ったように聴いていたが、見向きもされなかった。
 枚挙に暇がない。かんたんなことである。ご覧の通り、わたしはちょっとしたことですぐにだれかを好きになった。名前を呼んでくれる、ならまだしも湯気を出すだけで(?)好きになられちゃ向こうも困惑するだろう。きっかけなど、なんでもよかったのだ。そして一度好きになったらお手上げだった。こちらから思いを告げない限り、その恋に終末はない。いま思えばそれらは恋愛ですらなく、だって相手のことをわたしは全然知ろうとしなかった。自分を知ってもらおうともしなかった。恋に恋する、とはよく言ったものだと感心するほどに、わたしはだれかに恋愛している自分が何よりも大事だったのだと思う。そういうことを、飽きずに繰り返していた。次第にただの片思いでは満足できず、恋愛は成就してこそではないか、と思うようになり、それで大学に入ると友人に紹介を頼んだりもした。上手くいったりいかなかったり、そのなかでも気が合ったひととは一年ほど付き合った。でも結局、あっさりフラれてしまった。わたしは好きだったから、なんで? と思った。一度好きになったひとを好きでなくなることなど、わたしには信じられなかった。恋愛において自分がどうしたいか、なんて主体性はゼロだった。ただ好きでいてくれることしか考えていなかったから、ひとりになるととても疲れた。でもそのときは、そういうものだと思っていた。
 
 そんなふうに過ごしながら、やっぱり依然として、わたしはかんたんに恋に落ちた。だから夫を好きになったのも、自然ないきさつだったと言える。大学の同じ学科のひとつ先輩だった夫は、とにかく愛想がよかった。哲学科のフロアで会えば向こうからにこやかに挨拶をし、「ほりさん、今度飲みましょうよ」と言うのだった。でもそれは、やはりわたしに対してだけではなかった。と、それもやはり後から気づいてみればの話。そこは勘違い野郎のわたしである。そうか、わたしと飲みたいのか(あとから思えば別に二人で、とは言われていない)。そう合点して早速話をつけ、二人で飲んだことがきっかけでわたしたちはその後付き合い始めることになる。こんなにあっさり恋が実るものだとは思わなかった。
 たまたま、その日都内には珍しく雪が降っていた。「雪けっこう降ってるけどどうしますか、決行しますか?」「しましょう、飲みましょう」というメールのやりとりをしたこと(どちらからメールを送ったのだったか、残念ながら覚えていない)、居酒屋を出てから静かな雪の四谷を並んで歩いたこと。シチュエーションが二人の関係を後押ししたのかもしれない、などと後づけのように思ったりもする。もしもその日電車が止まっていれば会うことはなく、わたしとて「絶対にこの人と付き合いたい」という情熱もなかったから、そのまま話は流れてしまったかもしれない。そういうわけでそれは珍しく、わたしの勘違いがたまたま実を結んだ例であるが、これまでろくに相手を知ろうとしなかったわたしは、ほとんど初めて相手にぶつかって、ぼろぼろになる。傷つけ、傷つけられ、その後何度とない危機を経て、気づけば一二年、こうして夫とともに過ごしている。

 めでたしめでたし。とは思っていない。むしろ、これでよかったのかな、と思う。好きになって、結婚した。でももしかしたら全部気のせいだったのかもしれない。好き(だと思っていただけ)で、(みんながしているから当然の帰結として)結婚した、と表現するのがほんとうには正しいのではないか。そしてそれはきっと、夫でなく、だれとそうなったとしても同じことなのだった。好きと思い込んで、これが恋愛なんだとお互いがそう思い込んで、その先にある結婚を目標にわたしたちは付き合いつづけた。
 そのように、恋愛したひとと結婚して子どもをもうける、そして生涯添い遂げるという、いわゆる「ロマンティックラブ」をわたしは遂行しつつある。まさにそのど真ん中に、いまも立っている。”みんながしているように” 恋愛して、結婚して、子どもを産んだ。
 でも、それは言うならばひとつのイデオロギーである。たとえば肉を食べることが一般的な食生活であると思い込むように、それとて他方を菜食主義者と呼ぶなら食肉も食肉主義者と呼ぶべきはずである。だれかが恋愛の末結婚して子をもうけても、ロマンティックラブ・イデオロギー! なんていちいち言わないのは、それを無意識に選択するひとが多いから、というだけでしかほんとうはない。
 
 自分の思春期の頃よりも、恋愛ムードはいまはそこまで濃くないのかと思いきや、そうでもないらしい。授業で生徒たちに毎週書いてもらう「今、ここで」というそれぞれの近況やつぶやきには、毎度必ず「彼氏がほしい」「推しにリアコ寸前」「うそ告された」など恋愛の話題にこと欠かない。「リアコ」とは、「(ここでは推しに)リアルに恋すること」らしい。「うそ告」とは推測だが、「うその告白」のことだろう。そんなひとのこころを踏み躙るような遊びが中高生の間でなされているのか、と驚く。自分がされたら立ち直れる気がしない。とにかく、「恋愛せよ」というムードはいまも色濃くあるのだということを学校現場にいて実感する。あるいは高専に勤める夫が実践している哲学対話でも、学生たちが進んで選ぶテーマは(主に異性愛の)恋愛で、「恋人がいるのに他の異性と連絡を取ってもいい?」「結婚するならどんな人?」という問いに票が集まるのだという。やはり根強い。
 いっぽうで、「今、ここで」に寄せられる声には少数ながら、こんなものもある。「まわりはみんな彼氏欲しい、恋したいってそればっかりで、自分には正直その感じがよく分からない。好きってそもそも何?それってそんなにいいこと?」そのように率直に感じることを、ねじ伏せるような向きがないといいなと思う。そう思うことはぜんぜん変じゃないよ。だれかを好きになってもいいけど、ならなくてもいいんだよ。と、生徒たちに話すこともある。けれど彼らはきょとんとしているように見える。
 だからこそ、そのようにして「恋愛じゃないといけない」というかつてのわたしの穿った見識がダメにしてしまった尊い関係のことを、たまに思い出すのだった。ぜんぜん、恋愛じゃなくてよかった。そのひとのことを、大切に思う気持ちをすべて恋愛か否かでジャッジしていた頃の自分をとても愚かだと思う。愚かなまま、わたしはどうしてもそれを捨てることができなかった。そのことを、いまもずっと苦々しく、もったいないことだと思いつづけている。
 尊い関係性は、恋愛なんて自らカテゴライズする必要などなく、それ自体がすでに尊いのである。恋人、友人、と属性で指すよりも「○○さん」と「わたし」という、本来それは一個の関係である。この「○○」に当てはまるだれかの名前を書くことももったいないような、だれにも黙っておきたい大切な思い出がある。あったりする。とても昔のことで、夫にだって話していない。当時のわたしはやっぱりそれを恋愛と呼びたくてたまらず、けれどそのひとは押しとどめてくれた。それでもわたしは食い下がって、「じゃあ一瞬でも、わたしのこといいなって思ったことはある?」と訊いた。「うん、あるよ」と答えてくれたことにすっかり舞い上がって、それ以上を望もうとはしなかった。いま思えばそれはやさしい嘘で、単に恋愛対象に見られていなかっただけなのかもしれない。でも、その関係が恋愛に発展するかしないか云々ではなく、そう、「友人以上恋人未満」みたいなつまらない謂いに収めることなどもったいない、ただ話して、一緒にいられるだけでうれしい。もし離れても元気でいてほしい、そう願いたくなるような、それはいっときのあなたとわたし、という一個の、それはすてきな関係だったのだと、わたしはいまも勝手に思っている。
 だから、終わってしまってもほんとうはいいのだと思う。そのときだって、その関係をちゃんと名づけなかったから終わってしまった。でも、元来そういうもんなのではないか。恋人、夫、と名づけることで強固にする、線を引いて独占することで安心する、そういう関係しか築くことができない自分のことをさびしいと思う。それがいけないと言いたいわけではない。でもわたしはこれでよかったのだろうか。そうではない道をわたしは果たして選ぶことができただろうか。たったひとりとの結びつきをどこまでも信じつづけることに、なぜここまで盲従できるのだろう。夫と離れたいわけでも、関心がなくなったわけでもない。むしろ一緒に過せば過ごすほど、離れがたくなる。慕わしさも親しみも、臨界点を超えるほどに、わたしたちはこのまま、どこまでゆくのだろう。いつまで一緒にいるのだろう。家族という枠で、夫婦という繋がりで。離れろ、だなんてだれにも言われないはずなのに、そんなことをふと考える。
 わかりやすくつづいてゆくことだけがうつくしいのではない。知らぬ間に粉々に砕け散ってしまった、名づけようもないあなたとの関係のことをいつか忘れてしまう代わりに、わたしはこの「いま」を手に入れたのだとしたら。でもそれだってほんとうは、いつでも叩き割ることができるはずだ。ただそんなことをしようなどと、いまは思わないだけで。

 

著者プロフィール
堀静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。
中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。
著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)がある。
晶文社スクラップブック「おだやかな激情」連載中。